世界の結末
[Jan-09.Mon/08:30]
「ぬぁ〜……」
自分で自覚できる程に、女らしからぬ唸り声を吐くあたしは、始業式だと言うにも関わらずに自宅のベッドで藻掻いていた。
「お前さ……唸るにしたって、もう少し女らしく出来ねェのかよ」
あたしのベッドの隣で、椅子に座りながら本を読んでいた百鬼夜行が呟く。
「……ってか、何でアンタ居んのよ」
「暇だから。俺、この家の隣に住む事になったからな。行灯陰陽と一緒に」
「それは聞いた。ウィックとやらの監察下に身を置くんでしょ?じゃなくて、何でアンタがあたしの家に勝手に上がり込んで、なおかつあたしのマンガを読んでるのかについての言及をしてんのよ……」
早口でまくしたてたあたしだが、強烈な頭痛を感じ、額に手を置いて痛みを紛らわせる。まるで月の日の如き不快感が次々と襲いかかってくる。
あ〜、鬱だ。激しく鬱だ。紅螺旋とやらの影響がここまでのものだとは思ってもみなかった。
たった数分でここまでダメージが残るのだ。『魂を削る』という行為に、少しゾッとする。
「……アンタ。最初はあんなに毛嫌いしてたのに、どうして監察されるつもりになったのよ」
黙っていても気まずいだけだし、気だるいながらも百鬼夜行に訊ねる事にする。
「お前らに負けたから、かな。弱者は強者に服属し、強者は弱者を駆逐する。自然の摂理だろ?」
「そんな事で……逃げようと思えば、逃げられたんじゃないの?」
「確かにそりゃそうだろうが。逃げた時点で、俺は敗北者から負け犬に成り下がっちまう。敗北者には再挑戦の資格があるが、負け犬はその価値すらない。俺は負けっぱなしは嫌なんでな」
……それは何か?機会があれば、いずれリターンマッチを仕掛けてくるという事ですか?またあんな凄まじい戦いを?
「……マジで?」
「ま、安心しとけ。俺がリターンマッチすンのは行灯陰陽にであって、お前が標的ではない。ぶっちゃけ、お前なら二秒で殺せる」
はいはいぶっちゃけ過ぎ。凹むぞマジで。
「あ、そうだ。ちょっと話戻すけどさ。監察下って言ってるけど、日本に住んでていいの?本部がどこにあるのか知らないけどさ、少なくとも日本じゃないっしょ?」
「最近は『聖魔にも人権を』ってなスローガンも掲げ始めてな。出来る限り、魔物や聖霊の要求を満たした生活ってのを与え始めてな。俺がこの街に住む事を希望してみたら、二つ返事で。監察員に行灯陰陽を付けるって条件だが」
「……で?その行灯陰陽はドコに?」
そう言えば、さっきから行灯陰陽の姿が見えない。ってか、なんで行灯陰陽じゃなくてコイツがあたしの部屋にいるんだよ……。
「アイツは、こっちにいる間は高校に通うって言ってたぞ。んで、昨日の内に手を回して、『急に転校してきた謎少女』の出来上がりって訳だ」
「高校?……ねぇ、あの娘って高校生なの?あたし、ずっと中学生ぐらいだと思ってたんですけど……」
「……まぁ、あの身長じゃな。お前も人の事は言えんと思うがな」
……そッスね。でもアンタに言われたかないわ。心底。
「それよか、お前は養生しとけ。シギョウシキ、だっけ?出れないのは残念だろうけどさ」
あぁ……そうさ。さようなら、あたしの皆勤賞……。
[Jan-09.Mon/08:30]
校門をくぐる度に感じる、教師共の冷めた視線。次に感じるのは敵意。最後は生徒らによる畏怖……いや、恐怖。
進学校であるここでは、彼の姿は異端だった。身長は一九〇強、両耳に無数のピアス、下唇に一つのピアス、髪は傷んだ金色で、全体的に短く襟足だけが肩を越す程に長い。
(……ふん)
おおよそ少年とは呼び難い少年・アキラは、使い古した制服で身を包み、校庭を早足に通り過ぎる。
ここには敵しかいない。……と、そうは思っていても、今までに習慣づけられた生活スタイルは変えられないし、何より夢の為に辞められない。
彼には叶えるべき夢があり、その実現の為には高学歴が必要なのだ。
(……けど)
人の生命を救う仕事だというのに、彼はたまに、報酬の為に吸血鬼を殺す。そんな自分に、人を救う資格があるのだろうか。
ずっと、対吸血鬼に育ててきた両親を呪っていた。
そう思うと同時に、不意にポケットの中のケータイが鳴った。着信音から察するに、パトロン。
アキラは周囲の教師陣の視線も無視して、ケータイを取り出して通話を始める。
「……アンタか」
『……依頼だ』
お互いに言葉を無視して交わし、アキラは立ち止まる。
『貴様がいる街の隣に、』
「なぁ、俺は……」
『爵級がいるという情報を得た』
「もう、こんなのは嫌なんだ」
『捜し出して殺せ』
「吸血鬼狩りなんて、やりたくない」
『報酬はいつも通りに支払う』
「俺は殺したくない」
『ならば貴様の所有する漆黒真祖を殺す』
「……ッ!?」
息を、呑む。
『隣街の爵級を殺せ』
ブッ。電話の向こうの何者かがそれだけ告げると、一方的に通話は途絶えた。
この電話の者が誰なのか、アキラは知らない。ただ両親から与えられた能力と環境は、対吸血鬼とこの電話の主。
「……チクショウ」
すでに向こうにはルーナの事は伝わっていて、人質にされている。両親の後ろ盾なんてなくても、アキラには対抗するすべがない。
「……何を。こんな校庭のど真ん中で突っ立っているんですか」
不意に、背後からの声。振り返ればそこには、アキラと同クラスの優等生、桜井 ミサトが立っていた。何の気配もなく、アキラを見上げている。
「行きましょう。HRが始まりますよ」
「……ついでに、始業式だってのに、学力テストもあるんだよな」
苦笑いしながら、アキラは答えた。と同時に本鈴が鳴る。
「ヤッベ。走るか」
「それ以外に道はないでしょう」
顔を見合わせた二人は、昇降口までダッシュ。軽く一〇〇メートルはあるというのに、グングンとスピードが乗っていく。常人には真似出来ないだろう程に。
(……もう、大丈夫だな)
走りながら、アキラは笑う。
日常とその裏側。平和の内側と外側。吸血鬼と狩人。光と闇。
この世には、相反するものが多すぎる。そのバランスは紙一重で、どちらかが僅かに増減するだけで儚く砕ける。
(神ノ粛正ヲ下ス使徒の天地逆転……)
今までは、ルーナやその他の魔物を救済する為だけに、テロリストらに服従してきた。
だけど、それは違うという事に気付いた。
大切なのは、聖魔の救済なんかじゃない。
(……人と聖魔の、共存)
それこそが理想。
天地逆転を起こした方が楽な道かも知れない。
だけど。
だから。
険しい道こそ、人も聖魔も歩むべきなのだ。
[Jan-09.Mon/08:30]
「……どうしたよ。ンな腐った顔して」
カナタは、前の席に座っている茶髪の少年・真北 昂太に声を掛けられ、机に突っ伏していた顔を上げる。
「……筋肉痛」
呟き、カナタは自らを抱き締める様に腕を背中に回す。時々、カナタの身体のどこかがヒクヒクと痙攣を起こしている。
「……いや。休めよ」
「……皆勤者には、学食一ヶ月分の券が贈呈される。休んでられんわ」
明らかに買収行為だと思われる学校システムである。というか、乗せられる方も乗せられる方である。
「ん?でもお前、ちょくちょく早退してんじゃん。そういうのって皆勤にならないんじゃなかったっけか?」
コウタがそう告げた瞬間、カナタがガバッと顔を上げた。筋肉痛も何のその、叫ぶ。
「マジで!?」
「さぁ……基本的には俺に関係ない事だから、うろ覚えなんだが……」
いつもサボりがちなコウタとしては、本当に関係ない事である。天才の記憶にも残らない規約を、カナタが知る筈もない。
「学校規約、第三番五条六節。皆勤賞……一年間、欠席が一日もない者で、遅刻・早退・欠課の合計が二回以内の者は皆勤と認める。ただし公欠(忌引き等)は例外とす」
ポン、とカナタの肩に手が置かれる。左の窓際の席を見てみると、そこには眞鍋 鼓の姿。
カナタは絶望に顔を歪め、筋肉痛と相まって机に突っ伏す。
特に、彼が悪い訳ではない。カナタに早退が多い理由は、テロリストが出現した時に出撃しているだけである。学校の連中に不審がられない様、在学中にテロ行為が行われた場合、《聖骸槍》の者を二人選抜し、定期的に時間を開けて行動している。四人同時に制圧に当たる事は、基本的には滅多にない。
……というのっぴきならない事情があるのだが、それを教師に報告する訳にも友人に説明する訳にもいかない。というか、絶対に他言出来ない。
「……まさか。それを冬期休暇明け(こんなじき)に知らされるなんて」
突っ伏したまま、カナタが呟く。コウタとツヅミは顔を見合わせ、カナタを説く。
「……まぁ、良かったんじゃね?今の内に気付けてさ」
「そうね。知らなかったら後三ヶ月、頑張ってたトコよ」
その慰めのなんとイタい事だろうか。
「……保健室で寝てくる」
そうカナタが呟き、立ち上が――
「悪ィ悪ィ。ちぃっとばっかし遅れたわ」
――った瞬間、担任である女教師・霧賀 月見がドアから顔を出した。手には何やら書類袋を持っている。
「ツキ姐、遅〜い」
クラスの女子陣が黄色い声を挙げる。霧賀はそれに手を振って答える。
霧賀 ツキミは、どこの学校にも一人はいる、いわゆる友達教師である。姉御肌である彼女の通称は『ツキ姐』。その普及率と言えば、学校中の生徒が呼んでいる。
「……って、おいカナタ。お前何を立ち上がってるんだ?」
そんな彼女は自分の受け持ち生徒を下の名で呼ぶ。
「……、…………」
何デモナイデス、とカナタは片言で呟き、再び着席する。
「えっとな。遅れたのにはちぃとばっかし理由があるんだな、これが」
砕けた口調でツキミが言う。クラス中の生徒らにクェスチョンが浮かぶ。
「あ〜。……う〜ん、どっから説明したものやら……」
苦笑いを浮かべ、ツキミがこめかみを押さえる。クェスチョンが更に増える。
「えっとな、まぁ、なんだ……転校生だ」
その言葉に、クラスがざわつく。まさかそんな、マンガかゲームみたいな事が現実に起きるなんて……、という騒然である。
「……」
「ん?うぉ!?カナタ、どうしたよ?」
カナタの顔色が悪い事に気付いたコウタが、やや引いた表情で言う。
(何故だ……?嫌な予感がする……)
この感覚は、前にも一度体験している。
そう。ルーナと再会した、冬休みの思い出である。この感覚は、アレに似ている気がする。
(……何なんだ、この嫌な感覚は?)
考える。ひたすらに考える。
「何かの手違いがあったみたいで、報告がきたのは昨日……というか零時ぐらいでな」
ツキミのその言葉に、カナタが俯く。
(……心当たりが)
ある。そう、この突然の転入生には心当たりがある。
何せそいつは、バックに世界がついているのだ。こんな普通の私立校に急遽転校する事なんて、訳がないだろう。
「う〜ん……。とりあえず、入ってもらおうかな。始業式まで時間も押してるし」
頭の後ろを掻きながら、ツキミは廊下に顔を出す。少しの間何かを話し、再び教卓に立つ。
その、後ろに。
カナタの知った顔の少女。
昨夜、スミレと一緒にいた、少女。
茶色の長い髪を、右に束ねたサイドテール。左目の眼帯。昨夜との相違点は、服装だけである。ボロボロのコートの代わりに新品のボレロを着ている、ただそれだけ。
無表情すらも、昨夜と変わらず。
「んじゃ、自己紹介して」
「癸 千鳥です」
それだけ言って、一礼。教室中が彼女に視線を集めても、無表情を崩さない。
無愛想すらも、昨夜と変わらない。
ただ。
魔術師だろうと思われる、小柄な少女・チドリとカナタの視線が交わった瞬間、
ニコリと、チドリがはにかんだ感じで、肩をすくめて微笑った。
(……えっと、これは……まさか)
眉間を指で摘み、思案するカナタ。
(……何か?新しい連鎖が確立された?攻略キャラに魔術師か?)
だがカナタとしては、街を護る神父さんでもなければ異世界に飛ばすキーアイテムも持ってないのに、そんなフラグが立っても困る。
「んじゃあ、席は……カナタの隣でいいか。ツヅミの列の一番前、空いてるし。ちょっと詰めてやれ」
さらりとツキミが言う。角度的に黒板が見づらいと言う理由から、端の列は最前列を一つ空けていた訳だが、わざわざ空ける必要はない。後ろの方に新たに机を置けばいいだけなのだから。
(……まさか)
と、思う。激しく思う。ツヅミから前の連中が前に移動する様を横目に見ながら、カナタはチドリに着目する。
そして、気付く。
チドリの右手……丁度教卓の陰に隠れた手が、何かを握っている事に。人の武装を見抜く眼力を持つカナタでこそ見抜けた事である。
(まさか、洗脳……?)
と言うよりは操作だろうか?グノーシス派の十字教では精神物質を使って幻覚症状を引き起こし、神の奇跡と称して人心操作を謀っていたぐらいだ。魔術というのなら、そんなタネなしで操作する事も出来るのかも知れない。
確証はないが、カナタは何となく確信する。ツキ姐が操作されている。
(……えっと。ちょっと待て、マジか?)
始業式の内に新しい机と椅子を持ってくるという事を最後に提示し、HRが終了。クラスメイトがバラバラと廊下に出ていく。
その流れに逆行し、チドリがカナタの隣に立つ。コウタとツヅミは黙って二人を眺めている。
「これからも、よろしくお願いします」
先程の礼とは違い、深々と頭を下げるチドリ。小柄な彼女が腰を九〇度に折ると、もっと小さく見えて仕舞う。
「……あぁ、よろしく」
それだけ呟くと、カナタは背もたれに身体を預け、天井を仰ぐ。
筋肉痛、精神的ショックに付け加え、魔術師の来訪……というか転入。しかも、何らかの裏技仕様。
とりあえず、もう一度入院したい気分だった――。