世界の終演
[Jan-08.Sun/22:50]
夜道を歩く影は、二つだった。
「お前……どっちか持てよ」
両肩にそれぞれ、小柄な少年少女を抱えたカナタが、前方を歩くあたしに呟く。あたしは立ち止まり、カナタの隣につく。
「アンタ、入院してて運動不足だったでしょ。ちょっとは身体動かしなさい」
「……ちょっと待て。マジか?体重が一人三五キロだと仮定して、二人合わせたら七〇になるんだぞ?」
「男でしょ。頑張りなさい」
「いやいや!男だってツラいぞこれは!」
まぁ、カナタの言い分も分かるのだが、実はどうにもあたしは体調が優れないのだ。そう、公園を出た辺りから。
何故だろう、と考える間もなく、原因は分かる。恐らくはこれが『魂を削られた』事による症状なのだろう。
夜で良かった、とあたしは思う。冬の夜だというのに、額やこめかみから汗が噴き出しているからだ。暗闇なら、そう簡単にはバレないだろう。
ちらりと隣を歩くカナタの横顔を眺めてみると、何やらブツブツと呟いている。呼吸は少々だが荒い。
不覚にも魅とれてしまったが、それも数秒の事、あたしはカナタに訊ねる。
「……聞かないの?」
「何を?」
「だから……公園での事」
あたしがそう言うと、ハン、とカナタが鼻で嘲笑った。ちょっとカチンとクる。
「僕が入院した時、お前だって訊いてこなかっただろ?だったら僕に訊く権利はない。話してくれるなら訊くが、言いたくないなら無理に言う必要もないだろ」
はい。きた。ハイきた。また不覚にも格好いいとか思ってしまいましたよハイ。二週間前に何があったかは知らないが、カナタがたらしスキルを上げていますよ。
「……えっ、……アリガト」
あまりの展開に、あたしは言葉に詰まり、それだけしか言えなかった。そのまま俯く。……何だか負けた気分になってしまって、無性に悔しい。チクショウ。
と、不意に視界がブレる。ぐにゃりと歪み、足腰が砕け、立っていられない。
「え……あれ。何、これ……?」
動悸と呼吸が激しく、厭な汗が全身に滲む。膝をついて、その場にしゃがみ込む。
「あ?オイ、どうしたんだ?」
訝しんだ表情でカナタが訊ねてくるが、答えられる余裕がない。あたしは両肩を抱き締め、俯いたまま呼吸を整えようとする。
無駄だった。
あたしの意識は、フィルムのコマを抜いた様に――――
[Jan-08.Sun/22:52]
落ちた。
地面に突っ伏す形で、スミレが気を失う様を、カナタは冷静に見つめていた。非常時には冷静に行動できる様に仕込まれているカナタは、落ち着いた様相でスミレの首筋を触る。
「……息も脈も、やや弱々しいが正常だな。……コイツは本当に厄介な事をしでかすな、マジで」
呆れ顔で呟くカナタ。
ぐったりと倒れたまま動こうとしない同僚を見つめ、ボソリと囁く。
「……で。僕が持って帰るのか、コイツも?」
先程の計算で三人分の重量で、一〇〇オーバー。
特にスミレは、常人以上に筋肉が発達している分、今抱えている二人よりも重たそうだ。単純計算すれば一一〇程度だろう。
「……僕にどうしろと?」
分かりきった自問自答。神は言う。お前が三人を連れて(持って)帰れ、と。
幸い……というか、実は《聖骸槍》のメンバーは緊急事態用に、メンバー全員のマンションキーを常備している。四人がマンションを統一していない理由の一つには、何らかの理由で自宅に戻れない時の緊急避難場所という名目もあるのだ。
「……ハイヤーでも呼ぶべきか?」
「……呼ばれなくても、結構……ですので」
急な声に身を震わせたカナタが、左肩に抱えた少女を見つめる。どうやら気が付いた様だ。
「下ろしてもらえませんか?」
「お、おう。悪ィ」
言われるままに、カナタは少女を下ろす。右サイドで束ねていた髪を揺らし、何故かボロボロのコートを着た少女は、カナタを睨み付けていた。
「貴方は、誰ですか?」
「通りすがりAです」
神妙な面持ちで訊ねる少女に、カナタも神妙な面持ちで答えるとナイフが首筋に当てがわれた。
ヒィッ、冗談の通じない奴だ!とカナタは心底で恐怖する。
「もう一度だけ訊きます。貴方は誰ですか?」
「魔法使いの『いいいい』です。仲間の勇者は『ああああ』です」
懲りずにふざけて答えると、眼帯によって隠された隻眼が、とんでもない調子で睨め付けてきた。
「ごめんなさい。僕はコイツの知人です」
スミレを指さして真面目に答えると、少女は納得したのかナイフを仕舞った。
「まぁ、事情は知らねぇが、とりあえずアンタらを治療できる場所に連れて行くヘルプをされてな。スミレんちに連れて行こうとしてた処だ」
「必要ありません」
ふらりとよろつきながら、眼帯の少女が言い捨てる。
ニットのセーターの破けた箇所から覗く傷の、なんと痛々しい事か。
「……どうして?」
「嫌いだからです。……そういう、生温い水底の様な、雰囲気が」
一戸建ての塀に寄りかかり、空を見上げる少女は、身に走る激痛に顔をしかめた。
スミレの小柄な身体を肩に背負い、カナタは立ち上がり少女に歩み寄る。
「……何ですか?」
問う少女の瞳に浮かぶ憂いを見たカナタは、そっと囁く。
「……分かった。だったら、せめて応急具だけもらってってくれないか?そのくらいなら別に構わないだろ?」
それだけ呟くと、カナタは歩きだした。ただし、スミレと歩いていた時よりも幾分ゆっくりと。
と、不意にカナタは振り向きながら、
「アンタの気持ち、ちょっとだけ分かるよ」
少女の隻眼を見つめながら、続ける。
「僕も昔、そう思っていた。幸せが分からなくて、楽しみを知らなくて、自分の生かし方すら見当たらずに、暗く冷たい水底みたいな思いしか持てなかった」
苦虫を噛み潰した様な怪訝そうな表情で視線を返してくる少女に向けて、静かに微笑むカナタ。
「でも、」
「……」
「少しだけ、振れてみなよ。そういうのに。きっと笑える」
その言葉に、少女がハッと顔を上げた。
目を見開き、口は半開きで、声も出せないといった様子で呆然としている。
まるで雷に撃たれたみたく、微動だにしない。
「……なんて。ちょっと、僕の嫌いな友人の受け売り」
照れた感じでカナタが笑うが、少女はまるで聞いていない。ただ、虚空を見つめている。焦点が微妙に合っていない。
「スミレんちに案内するから、ついてきてくれないか?……ってオイ、大丈夫か?」
惚けている少女の顔を覗くと、ようやく目を合わせる事が出来たが、即座に顔どころか身体ごと背かれた。
(う〜ん……嫌われてんのかな?)
ため息を吐き、空を仰ぐカナタ。そこには、とても綺麗な満月が浮かんでいた。
だからこそ、カナタは、少女が顔を真っ赤に染めていた事に、気付きはしなかった。
[Jan-08.Sun/22:55]
「事態はどうにか収まったみたいだな」
眉根を寄せた神官槍が、いかにも不機嫌ですと言わんばかりに呟く。
「これからどォするつもりなんだよ、雪針槍。ウィックの出方でも覗いてるつもりかよ?」
タバコを灰皿で押し潰しながら、真闇槍がヒヒッと笑う。こちらは神官槍とは真逆に、心底から満足したと言わんばかりに。
「そうだね。どうしよっか」
ニヘラとにやつく雪針槍に、無表情の雹月槍がキラリとメガネを輝かせ、抑揚なく言う。
「まさかこのまま、神殺槍の時の様に、聖骸槍の監察下に置くつもりではないですよね?」
「まさか。流れの対魔処刑人である殺戮狩人やただの吸血鬼である漆黒真祖ならともかく、彼女は立派に別組織の者だ。そんな簡単にはいかないよ」
だが、言葉をものともせずに微笑って答える雪針槍。
「……アンタ。一体、何を考えている?」
両刃槍はタバコの煙を吐き出しながら訊ねた。
「そうだね。……強いて言うなら、この国の行く末かな」
[Jan-08.Sun/22:50]
「あぁ。居たの、アンタら」
クシャクシャと髪を手でかき乱しながら、悠久天使が呟く。彼女が不機嫌そうな表情をするだけで、妖艶と形容出来る、コートのボタンを開け広げた格好は、とたんにラフに見える。
もっとも、彼女はどんな格好をしていても、それはファッションと呼べる程に美麗な容姿の持ち主なのだが。
「どうしたんだよ、悠久天使。お前らしくもないな」
身長一五〇前後、しかし逆立った髪によって一六〇ぐらいまで嵩ましした少年は、火焔天使。呼んで字の如し、火を司る天使である。
「うるさいよ。今、あたしに話しかけるな。殺すぞ」
指定された自らの席に座り、コートのポケットから砕かれたヘアピンを取り出し、彼女は穴が開きそうな程それを凝視する。
「行灯陰陽と百鬼夜行の件はどうなったんだい?」
肩まで掛かる長い茶髪の烈空天使が問うと、凄まじい形相で悠久天使が睨み付ける。烈空天使は肩をすくめ、余裕のある笑みを浮かべた。
「……アレはもういい。あたしが殺す」
ギリッ、と美麗な顔を歪める程に歯を食いしばり、悠久天使が呟く。手にしたヘアピンを握り潰す。
「おい。大地天使がどこにいるか分かるか?」
「さぁな」
「あの鬼……それと陰陽師にワイヤー使い。この三人はあたしが確実に殺す。もし大地天使がここに顔を出したら、その旨を告げておけ」
吐き捨て、悠久天使はヒュンと姿を消した。まるで瞬間移動の様に。
「……鬼と陰陽師ならともかく、」
「……ワイヤー使いってな誰だ?」
怪訝な表情のまま、烈空天使と火焔天使が呟く。場に直面せずに、内情を知らない二人を相手にするには、悠久天使は言葉足らずだった様だ。
[Jan-08.Sun/22:50]
「『隠蔽』の魔力を確認。……流れや癖は『式神』の魔力にそっくりだが、別人だなこりゃ」
ルーナをベッドに放り投げて強制的に寝かせつけた後、アキラは一人でテレビをぼんやり眺めていた。特に画面を見ている訳ではなく、ニュースを聞いている訳でもない。ただ電源をつけているだけだ。
タバコに火を付け、一口、深く深く吸い込む。頭がクラッとする感覚を恍惚に酔いしれ、その感覚が抜けるとすぐに思考を戻す。
「アレンジが利きすぎて原型が分かりづらいが……間違いなく陰陽術だな」
だとすれば、この街に侵入してきたウィックの魔術師は二人いるという事だろうか?
(……違うな。ウィックの監視者は審判者も兼ねて行動する。仲間とは慣れ合わない、故に、常に一人で行動する)
考えられる可能性は、二つ。
偶然にも自分同様の流れの魔術師が紛れ込んだのか、それとも別組織の構成員の仕業か。
(……前者の確率は天文学的、故に考えにくい。だとすれば後者という事か)
アキラは、執行者・殺戮狩人としての思考をフルに働かせる。
(後者だとすれば……考えられる組織は一つ)
《神ノ粛正ヲ下ス使徒》。
聞いた話では、十一の天使の中には魔術を得意とした奴もいるのだとか。曰く、魔術天使もその一人。
だがこの場合、魔術天使とは考えにくい。彼が得意とする魔術は召喚術。だとすれば別の天使という事になる。
(ったく、厄介な連中だ。どんだけの切り札を隠し持ってんのか、想像もつかねぇ)
彼が知っている情報は四大天使の特技のみで、他の天使を知らない。顔に至っては、伝聞役として頻繁に会っていた烈空天使の顔すら知らない。
(……なかなかやりよるわ、奴ら。正直な話、お手上げだ)
一切の情報もリークせずに、常に合理的に動く。ほんの二週間前のアキラはその抜け目ないやり口に感心していたものだが、敵に回すと厄介だなと心中で嘆息する。
「……少し、動いてみるか」
主流煙を吐き、アキラは静かに呟く。