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第十六譜 『僕の――』『私の――』

 手が離された瞬間、アッシュは即座に体を反転させ、反対の手でエトナと手を繋ぎ直す。

 決して離さない。

 その一心で動くアッシュに、木剣を拾った下手人は修練場に響くほどの舌打ちをして、二人に近づいていく。


「やぁ、ムンドにネルン。随分な挨拶じゃないか。やけに怒ってるみたいだけど、僕らがキミ達に何かしたかな?」

「現在進行形でやってんだろうが。ここは、【隷獣】を倒すために鍛錬する場所だ。お前らみたいなのがいたら邪魔で仕方ないんだよ」

「そうそう! お遊戯会をやりたいならヨソでやれば!?」


 ムンドと呼ばれた燻んだ金髪の男子が頭をかきながら、童顔な顔に不釣り合いな鋭い眼光でエトナ達を睨みつける。その隣には、長杖を持った亜麻色ショートヘアの女子――ネルンが、そばかすの目立つ頬を二人への嫌悪感で歪ませていた。

 

「お遊戯なんて酷いね。これでも僕らは〈英雄〉になるために頑張ってるんだけど」

「邪魔だって言うなら、私たちに口出ししてきたアナタ達こそ邪魔なんだけど? 自覚ある?」


 先程までの『楽しい』を邪魔されたせいか、二人の語気も少し強い。

 それがまた、より一層ムンドをイラつかせた。


「調子に乗ってんじゃねぇよ【隷獣女】。お前らなんて、いるだけで人様の邪魔になってるってのが分からないのか?」

「大体、No..3に教えを請うなんて図々しいと思わないわけ? 〈英雄候補〉の時間を奪うなんて、あたしだったら申し訳なさすぎて皆の前に顔を出せないわ」

「別に、イリーナ達が了承してくれたんだから良いじゃない。私たちのアレにケチつけるってことは、イリーナ達にもケチをつけてることになるけど?」

「っていうか、そんなにイリーナ達に教えてもらいたいんだったら、キミ達も教えてもらえば良いんじゃない? 僕達より〈合力〉を扱えるんだし、報酬渡せば簡単に教えてくれるよ?」


 ウチらを巻き込まないでくれる? と言わんばかりに、嫌気たっぷりの表情でアッシュを見るイリーナにアッシュは軽く謝る。

 と、そこで彼女達の『余裕』な姿を見て、アッシュは気付いた。

 目の前の喧嘩を売ってきた二人の表情が、どこか見覚えのある焦燥感を浮かべていることを。

 だから、思い浮かんだ言葉をポロッと言ってしまう。


「なるほどね」

「……なに勝手に納得してんだお前。なにに気付いたってんだ?」

「いや、僕たちが『上』に行ったら、キミ達が悔しいもんね。うんうん、分かるよその気持ち」

「あぁ、そういうこと? まぁそうよね。プライドなんか、簡単に捨てられるわけないもの」

「「――――」」


 その無遠慮な『答え』に図星を突かれたのか、ムンド達の顔が真っ赤になる。

 そう、ムンド・アーデンスとネルン・アーデンス。彼らの成績は〈グロウズ(16歳組)〉の中でも下から2番目。アッシュたちがいなければ最下位だ。

 下から追い上げられる焦り、最下位に転落して惨めな気分を味わう恐怖。そんな状態になることが嫌だったからこそ、『主役』になりかけたエトナ達の邪魔をしたわけだ。


「黙れよ! ちょっと〈合力〉が成功したからって、なに『上』に行けるって勘違いしちゃってんだ!? お前らが何をしようが、お前らは俺たちより下なんだよ!! この構図は一生変わらねぇ!!」

「ムンドの言う通り! そもそも、エトナがあたし達より『上』に行こうだなんて、烏滸がましいって思わないの!? 〈アーデンス〉の名前も貰えなかったくせに、まだ自分が何かになれるとか思っちゃってるわけ!?」

「ッ……!」

「アーデンス?」


 聞き返すアッシュに対し、エトナの体が更に強張った。

 怯えるエトナを見て気分が良くなったのか、ムンドはニヤニヤと口角を上げて講釈を垂れていく。


「なんだ伝えてなかったのか。愛だのなんだの言っておいて隠し事たぁ、アッシュも可哀想だな。そんな裏切りあるか?」

「知らないなら、教えてあげる。〈アーデンス〉が孤児院なのはアンタも知ってるでしょ? あたし達はそこ育ちなのよ。そう、エトナもね」

「孤児院出身の奴らは『家族の証明』として、孤児院の名前をファミリーネームとして与えられるのが通例だ。聞いたことないが、お前の〈ヴェンタス〉もそうなんだろ? けど、そいつの後ろについた名前は『アンデルシアン』! これが意味することを、お前なら分かるだろ!」


 嘲笑まじりに真実を明らかにしていくムンドに、消えない過去が顔を出してエトナの心を冷やそうとしてくる。

 だが、それを許すアッシュではない。俯きそうになるエトナの頭をそっと撫でる。


「大丈夫だよエトナ。そのことを隠していたことは知ってたから」

「アッシュ……」

「だってそうでしょ。僕が愛する人のファミリーネームを知ろうとするなんて当然だと思わない? 『アンデルシアン』なんて孤児院がないことはすぐに気づいたさ」


 なんでもない、普通のことのようにアッシュは語りかける。そこに動揺も責める気持ちも何もない。

 あるのは、エトナに寄り添う気持ちだけ。そして、今のエトナなら、隣にあるその温もりだけで十分だった。


「言わないことは、裏切りじゃない。それだけ仕舞っておきたいことなだけ。誰にでも扉を開くってのは人間のやることじゃないと思ってるよ。ま、ちっとも踏み込まなかったのは悪いと思ったけど」

「……ううん、アッシュは悪くない。私に勇気がなくて閉ざしてただけ。でも、アッシュにはその扉を開いて(勇気を)貰ったから、今なら正面から教えられる。ムンド達の言った通り、院長は私に〈アーデンス〉をくれなかった。代わりに色付きのメガネをくれたけど、それが体裁ってことは幼い私でもすぐに分かったよ」

「エトナ……。どうしよう、今すぐにでもその院長を殴りに行きたいんだけど」

「それは止めてね。それに、もう折り合いもつけたから気にしないで。私にはアッシュがいるし、この眼を好きでいてくれるっていうなら――」


 ぐしゃりと、色付きのメガネを砕く。

 あっさりと、なんの躊躇いもない、過去との決別。その無感動さが、今のエトナの気持ちだった。


「私はもうこの眼を隠さない。アッシュにはこの眼を見させてあげたいし、私も大好きな人を、この眼でちゃんと見たいしね」

「エトナッ……!」


 頬を赤らめ、はにかむエトナにアッシュは感極まって思わず抱きしめてしまう。

 完全に二人だけのムード。ムンド達はもう置いてけぼりだった。

 それを面白く思わないわけがない。


「名前も貰えなかった捨て子女が、良い気になりやがって……! 気色悪い! 『家族』もいねぇお前は、一人どっかで引きこもってろよな!」


 皮肉混じりの侮蔑。

 それを誰も咎めない。暗にそう思っていると言っているも同然だ。

 そんな空気感が、今のアッシュには受け入れられなかった。


「随分とまぁ好き勝手言ってくれるね。エトナに家族がいない? だったら僕がなるよ。そうすればキミの言い分は一瞬で覆せるよね」

「ッ!!」

「ほら、もう何も言えない。『そこ』でしか戦えないことを証明したね」


 いつもより攻撃的な正論。明るさは無く、皮膚を突き刺すような鋭さがある。


「直接突っかかりたいなら正当な理由がないとさ。キミが()()()()()()()()()()()()()のは勝手だけど、違うのはそういうところだよ。ハスタみたいにやるなら、僕も何も言わないのに――」

 

 ハスタもエトナを蔑んではいるが、攻撃的になるのは決まって『こちら』がやらかした時だ。暴走による被害、迷惑。怒る権利とそれを受け入れる義務がある。

 けれど、『今』はそうじゃない。客観的な事実として、自分勝手な感情で中傷を繰り返しているのはムンドとネルンだ。

 淡々とその事実だけを突き刺していく。


「理由もないのにごちゃごちゃごちゃごちゃ。ああ、これが腹が立つって気持ちか。人に対して怒るってことは無かったからさ、教えてくれたことには感謝してあげる」


 一歩、一歩。ゆっくり進むたびに、押されるようにムンド達は後ずさる。

 ムンド達の胸中にあるのは、先ほどとは違う焦燥感。今にも自分が殺されるのでないかという、命が終わることへの焦燥《恐怖》だった。


「けど、それとこれとは話が別だ。名前を与えられなかったとはいえ、その後に名を付けたことは自分の力で生き抜いていくことの決意の表れ。その高潔さがキミ達に分かるかい?」

「あ……あ……」

「――あんまりさ、僕のエトナを傷つけるなよ」


 ――今の僕は多分、加減出来ないからさ


 その瞬間、修練場にいた全員がたたらを踏み、咄嗟に戦闘態勢に移る。その中には当然――であってはならない、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 〈合力〉が発動し続けているのもあるのだろう。今まで溜め込んでいたモノが爆発するように、心の動きに呼応して、圧が物理的な重さとなって荒波のように駆け巡る。

 その『凄味』を間近で浴びたムンド達の心は今にも砕かれそうだった。


「うわぁぁぁぁ!!」


 恐慌したムンドが、木剣に〈合力〉を纏わせてアッシュの頭を叩き割ろうとする。

 だが、その未来は訪れない。

 アッシュの手を引き、エトナが前に出る。その動きにアッシュが逆らうことはない。先程までの舞踏と同じ、やりたいことを察知したアッシュが身を委ね、エトナに任せる。無理やり止められる前の続きだ。

 前に出た勢いとアッシュが後ろに引いたその『慣性』が、動きを加速させる。

 エトナは〈合力〉を纏わせた右脚で、振り下ろされる木剣を粉砕した。


「へ……?」


 粉微塵になった木剣に呆然となるムンドに、エトナがその赤目を合わせながら強く、一言突きつける。


「あんまり、私のアッシュを傷つけようとしないでくれる?」

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