始 壊れた世界
そこは『無策』で降り立てば、一秒も経たずに生物が息絶える死に冒された大地。
息を吸えば、空気中に漂う【邪気】が毒のように心身を蝕み、あらゆる組織を破壊する。仮にその高すぎる生の試練を乗り越えられたとしても、今度は無数の【災害】がその身を破壊した。
「いや……!! なんで私たちがこんな目に……! あんな子さえいなければ……!」
「そんなこと言ってる場合か!! 口を開く暇があるなら足を回せ!! こんなところに援軍なんて来ないんだぞ!!」
「分かってるわよ!!!」
枯れた大地を走る、ボロボロの壮年の男女。紫斑がかった戦闘衣はズタズタに裂かれ、肉体は傷がないところを探す方が難しく、二人とも片手が吹き飛んでいる。
彼らは互いに残った手を力強く繋ぎながら、生き延びるために必死に足を回していた。
「クソクソクソ……! まだ〈燼火級〉にもなれてないってのに……! こんなところで死んでたまるかよ……!」
稲妻が空気を裂き、竜巻が空間を蹂躙し、大雨が全てを洗い流す。かと思えば、唐突に雲が晴れて日光が辺りを癒やしていく。
【邪神】と〈善神〉、世界を破壊する二柱の戦いが残した爪痕。無秩序で無慈悲な自然の極地。
――それだけだったら、どれだけ楽だったことか。
「ッ……!? 来るわよ!」
「分かってる! 右後ろ! 避けるぞ!! 息を合わせろ!!」
ガシャガシャガシャガシャガシャと、金属が擦れ合う音を何倍にも膨らませた耳を擘く不快な足音。空気を空間ごと押し潰しそうなプレッシャーが絶え間なく二人の恐怖を掻き立てる。
回す足が震えているのは死の恐怖か、それとも【ソレ】が大きく揺らす地響きか。
涙、鼻水、涎、汗、尿。脳が恐怖を焼き付け、あらゆる体液が漏れ出して二人の全身を汚辱に濡らす。
どうしようもなく、辿り着いてしまった生の終着点。
それを悟った時、男が隣でずっと感じていた『重み』が消失した。
「あ……あ……あ……! アンナァァァ!」
息も絶え絶えで破れそうなほど激痛が走る肺から吐き出される、悲嘆の鳴き声。
頭は沸騰し、嘔吐と発狂が同時に発生しようとしたけれど、そんな暇すら【ソレ】は与えてくれなかった。
「――――――あ」
重たすぎる地響きを立てながら、眼前に【ソレ】が降り立つ。
体長はおよそ四m強。幻想的すら思わせる紫白銀の体色。鋭く、何物も貫きそうな硬質な八本の脚は関節を曲げながら荒れた大地を踏みしめている。
とりわけ特徴的なのが、男を睨む血よりも濃い赫い【六ツ眼】。こちらを嘲笑うようにも見えるし、無感動になにも思っていないようにも見える。
けれど、そんなことを考えるだけ無駄だ。
「し……」
男の顔が消失。
次いで手足を紫銀の【糸】で貫き、ぷらぷらと持ち上げて【ソレ】は屍体を弄ぶ。
やがて満足したのか、糸を解いて鋭く尖った歯で屍体を喰らおうと――
「――気色悪い虫ケラが。神の眷属ごときが、人様の身体を弄んでんじゃねェよ!!」
上空。女性の憤怒の声と共に放たれた〈閃光〉が硬質な【ソレ】の身体を容易く貫き、動きを停止させる。
次いで、女性の隣で落下する偉丈夫が片手で持つ大斧に〈力〉を注ぎながら、狙いを【ソレ】の頭に定める。
「【アラクネア】か。【六ツ眼】がこんなところにいるとは、予想外ではあったが……。ここで儂等と遭遇したことが貴様の運の尽きと知れ!!」
全身から放たれる〈力〉の奔流。落下中に更に加速し、そのまま男は一刀で四m強の異形を五枚に下ろした。
衝撃が突き抜け、荒れた大地に五本の爪痕を残したところで二人は音もなく着地する。
一房だけが漆黒色の鬣を思わせる黄金色の髪を靡かせながら、大斧を担いだ偉丈夫は黄金色の鋭い瞳で辺りを警戒する。
それもすぐに終わり、偉丈夫は肩の力を抜いた。
「こやつ以外には【隷獣】はおらんようだの。ルシア、そっちはどうだ?」
「……範囲内にはいないわ。あるのは、女性の手と頭を失った男性の遺体だけ。貴重な命が……。また、間に合わなかったわ……」
さっきまでの猛々しい口調からは程遠い、弱々しさすら覚える声色。ルシアと呼ばれた女性は男の遺体を優しく抱き留める。
一房だけ黄金色が混じる漆黒の髪をだらりと前に垂らし、藍色の瞳に涙を浮かべながらルシアは己の後悔を吐露した。
「お主が気にすることではない。確かに命が失われたことは悲しいが、こんな世の中なのだ。死ぬこともあるわい」
「でもルーカス……」
「それに、其奴の胸に付いたバッジを見てみよ。琥珀色のランタン模様――〈伝火級〉の証だ。英雄未満の奴が、この三十区画に来られる実力ではない。端的に言えば、身の程知らずが死んだだけであろう」
「〈伝火級〉……。じゃあ尚更、私は悲しいわ……。ここが危険だって分かってるのに、なんでそんな過ちをしてしまったの……。〈アルカ〉は何を教えてるのよ……」
「さての。単純に自分の実力を過信しただけということも――」
――――ァ
その瞬間、二人の意識が即座に戦闘態勢に入る。
男への考察も、悲しみも全てシャットアウト。二人は一瞬だけ手を繋ぎ、ルシアは聞こえてきた『音』を鋭く睨む。
「ルーカス、聞こえたな」
「あぁ。あっちは確か廃墟の方だ。行ってみるぞ」
遺体からバッジを抜き取り、二人は『音』の方へとひとっ飛び。
一秒もかけずに廃墟へとやってきた二人が目撃したものは――
――オギャアアア オギャアア
布に包まれ、元気に泣き叫ぶ赤子だった。
「んなっ……!? なんで〈外界〉にガキがおる!?」
「もしかして……」
頭の中に広がる疑問。それに対する解答を、ルシアは赤子を抱いて推察する。
腕に感じる重み。温かさ。命の鼓動。紛れもない人間だった。
「先の身の程知らず、このガキをここまで捨てにきたということか? だが、なんでわざわざ命の危険を冒してまで……」
「理由は、これでしょうね。誰にも見られたくなかったんでしょう」
「これ? ッ……! あぁ、確かにコレは……」
思わず眉を顰めてしまった彼が見たのは、赤子の『瞳』。
先ほど多大な恐怖を撒き散らしながら二人の命を枯らしたケモノと同じ、【赤】の瞳だった。
「なるほどの……。胸糞悪いことではあるが、捨てる気持ちも分からんでもない」
「えぇ、そうね。でも……」
ルシアが優しく布を巻き直し、抱いたまま歩き出す。
「……連れて行くんか?」
「こんなところで置き去りに出来ないでしょう。〈アルカ〉に戻って孤児院に預けるわ。文句ある?」
「いいや、お主の行為そのものにはない。だが、預けたところでこのガキの苦難は変わらんぞ。むしろ酷い人生を歩むに違いない。【隷獣】と同じ赤の瞳を持った人間なぞ、生きづらいだけであろう」
「それでも、よ。ルーカス。アナタ、子供がいることに驚いて自分がいるところを忘れたのかしら? ここは、どこよ」
「――――」
言われて、冷静になった頭が今の居場所を思い出す。
――ここは『無策』で降り立てば、一秒も経たずに息絶える死に冒された大地。
赤子が生きられるわけがない。
「【邪気】だらけの中で生きていた屈強な身体。災害に見舞われず、【隷獣】にも見つからずにこうして助けられる幸運さ。それだけで生かすには充分よ。神殺しが出来そうな〈英雄〉は、一人でも多い方が助かるもの」
「そうだな。ああ、儂はお主の行動を全て肯定しよう」
その言葉で、ルーカスは赤子の未来を切り離した。
同情以上にある打算な思考。
今の過酷な世界を正しく見極められる人類最強たる彼らだからこそ、赤子の有用性だけを考慮に入れたのだ。
「ごめんね。これからアナタには過酷な運命が待っていると思うけど、私たち人類にアナタを気遣う余裕なんて残されていないの。使えるものはなんでも使う。恨んでくれていいわ」
温かさと冷たさを内包した様な謝罪の言葉。
どこか遠くにいる人たちにも向けた言葉を投げながら、人類最強と評される現代の英雄〈道導〉は歩いていく。
――煌歴四二〇年。邪神【テュフォネ】が復活するまで、残り四十年を切っている。
人類が生き残る準備は、全く整っていない。
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