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第7章:鬼哭啾啾

『行かなきゃ。みんなが、私を呼んでる……』

 地下図書館へ近づくにつれ、「姉妹」の気配は確実に濃くなっていた。ヘレーネは「自分」という存在を必死に繋ぎ止めていた。ディビーたちとの会話、夜風に揺れる木の葉の音、そして自分を呼ぶ「名前」。それらすべてが新鮮で、愛おしかった。しかし、その幸福感に浸るたび、組織の精神ネットワークの「残響」が、耳鳴りのように彼女の脳を刺す。

『私は……ヘレーネ……みんなを助け出さないと』

 ヘレーネの瞳には、悲痛な決意が宿っていた。

 

 ディビーらレジスタンス、そして2人の「姉」と共に、彼女は再び、あの忌まわしき地下図書館――組織の本拠地へと潜入した。

 潜入は順調に見えた。レジスタンスが外で騒ぎを起こし、警備を引きつけている隙に、ヘレーネとディビー、そして2人の姉は最深部の儀式の間へと突き進む。

 

 マザーは黒猫を抱えながら、自身のベッドでまどろんでいた。

 久しぶりに、夢を見ていた。

 水色の髪と、金色の瞳が美しい王妃。揺れるラベンダーの香りと赤子の笑い声。それが次の瞬間、髪を刈られ瞳を奪われ、美しい庭も、愛していた人々も、全てを自身で焼き尽くす。一帯は血と焦げた臭いで満ちた、灰色の地獄へと反転する。愛と憎悪が混濁する夢の沼で、彼女は足を取られて身動きができない。だが次の瞬間、古い傷を抱えた剣士の青年、そして生命の輝きを放ち、慟哭する若い娘が、彼女を引き上げていく。

 そこで彼女は目が覚めた。

 体は震えていたが、呼吸は整った。眠っている猫をそっとベッドに残し、魔法で温かな熱を帯びた空気を集めて包む。

 素顔を晒し、白いネグリジェを着ていた彼女が指を鳴らすと、あっという間に紫色のローブと帽子に身を包まれた。そして懐からあのマスクを取り出し、表情を隠す。

 ベッド以外は何もない、寒々とした部屋から彼女は出ていった。

 

 ヘレーネが特別とされた理由。それは、「伝播」の能力が突出して高いことだ。

 調律を始めてすぐ、ヘレーネは思考や心を周囲に拡散する力が非常に長けていることがわかった。

 ヘレーネの「調律」が難航していた時期、しばしば周囲にいる個体にも「故障」が見られ、マザーの手を煩わせていた。

 原因がわかると、まずマザーは「致命的な不良品」に対していつも行うように、ヘレーネを「壊す」ことを考えたが、しばらくして発想を転換させた。

「ヘレーネを最高傑作に仕立て上げて、その内面や能力を『伝播』させれば、周囲の人形たちも全く同じ品質を担保でき、軍団の戦闘力の底上げが出来るはず」と。

 5年という年月は「調律」としてはかなり入念だったが、それもそのはずで「わがまま」が周囲に広がる可能性を危険視したのだ。

 よって、今回はヘレーネを本気で「調律」させてもらい、失敗するようなら彼女も「壊す」ことに決めた。ここまでの歳月は悔やまれるが致し方ないか。

 

 4人が広大な円形の広間に足を踏み入れた瞬間、背後の重厚な扉が音もなく閉まった。

「……待っていたわ。いいえ、あなたは『ヘレーネ』とやらだったかしら?」

 頭上から、氷のように冷たい声が降り注ぐ。壇上には、以前と変わらぬ威厳でマザーが立っていた。彼女の頭上では、あの禍々しい紫の魔導書が、獲物を待つ獣のように拍動している。

『マザー……!』

 その時だった。紫色の爆発が、2体の姉を襲ったのだ。

 あっけに取られるヘレーネとディビー。

「私はね、あなたにだけ興味があるの」

 マザーはその指先から煙を出しながら言った。もはや2体の姉は、倒れこんでいて動かなかった。「壊れた」のだ。

「お姉ちゃん……!」

 ヘレーネの頭が熱くなり、視界が歪みだす。

「感傷に浸っている場合じゃないわよ」

「ヘレーネ、来るぞ!」

 マザーとディビーの声で我に返り、ヘレーネは杖を構えた。しかし、その腕が、自分でも驚くほど激しく震え始める。

 周囲の影から、十数人の「人形」たちが現れた。一糸乱れぬ動作でヘレーネを包囲する。その金の瞳は、鏡のようにヘレーネを映し出し、無言の非難を浴びせているようだった。

『こんなのは間違っている……私の「姉妹」を返して!』

 一方の、闘志に燃えるヘレーネの目。

「我がままばっかり……あなたは本当に『良い子』に出来ないのね。お母さんの言うことは聞くべきでしょう?」

 マザーはそう呟いた。

「裏切り者。不協和音。……排除しなさい」

 人形たちの思考が、ネットワークを通じてヘレーネの脳へ直接流れ込んでくる。ディビーが剣を抜き、ヘレーネを庇うように前に出た。

「ヘレーネ、気を付けろ!」

 紫色の閃光が広間を埋め尽くす。ディビーは弾き飛ばされ、壁に叩きつけられた。

『ディビー……っ!』

 ヘレーネが目を切らせたのを見て、マザーは不敵にほほ笑む。

「周りを心配する余裕があるのね。……では、本当の『調律』を見せてあげるわ」

 マザーが呪文を唱えると、魔導書から無数の紫の鎖が伸び、ヘレーネの四肢を縛り上げた。ヘレーネは宙に吊るされ、逃げ場を失う。

「さあ、戻りなさい。心地よい、完璧な静寂の世界へ。泣きたければ泣いて見せなさい」

 マザーの魔力が、ヘレーネの脳へ直接「楔」を打ち込み始めた。それはかつての時とは比較にならない、暴力的なまでの再洗脳フォーマットだった。

(……痛い。やめて……忘れたくない……!)

 ヘレーネの脳裏で、大切に守ってきた記憶の欠片が、次々と紫の炎に焼かれていく。

 お母さんの笑顔。ディビーに支えられた重み。自分の名前。

 それらが一つ消えるたび、彼女の心から色が失われ、灰色の世界へと戻っていく。

『私は……私は……』

「あなたは、私の最高傑作。意志を持たぬ、美しい『子供』よ」

 マザーの声が、脳内に直接響く。

 ヘレーネの瞳から、意志の光が消えかかる。彼女の意識は、底なしの深い沼に沈んでいくようだった。沼の底は静かで、何の痛みも、悲しみもない。そこへ行けば、もう苦しまなくて済む。

(……そうだ。私は、人形。何も考えなくていい……。ただ、従うだけでいいんだ……)

「お母さんに任せなさい。心がなくなれば、『もう泣かなくていい』のよ」

 冷徹にマザーが語る中、ヘレーネの手から杖が滑り落ちる。彼女の精神が、完全に「静寂」に呑み込まれようとしたその時。

「ヘレーネ! 諦めるな!」

 遠のく意識の向こう側で、血を吐くような叫びが聞こえた。倒れていたディビーが、ボロボロの体で立ち上がり、魔導書を縛る結界へ向かって剣を叩きつけていた。

「お前は……お前は『ヘレーネ』だ! 誰の人形でもない!そう誓っただろう!思い出すんだ!」

 その声が、ヘレーネの精神の深淵に、一筋の光を投げ入れた。

 焼かれたはずの記憶の奥底から、ラベンダーの香りが蘇る。それは組織の色ではなく、かつて家族と過ごした庭に咲いていた、命の香りだった。

「……ああ、あああああああ!」

 ヘレーネの口から、大地を揺るがすような叫びが上がった。

 吊るされた彼女の体から、紫の鎖を弾き飛ばすほどの、白く輝く魔力が噴出する。その姿はまるで純白のドレスをまとった、光の戦士だった。組織の理法を真っ向から否定する、制御不能な「拒絶」の力。

「私は……人形じゃない! 私は、生きている! 心があるの……!」

 ヘレーネの瞳に、再び光が宿った。それは以前よりも強く、激しく燃える黄色い炎だった。

「今の私なら……声が出せる!届けられる!」

 そう叫んで放たれた光の矢が、マザーの防壁を貫き、魔導書の表紙をかすめた。衝撃で、マザーが初めて狼狽の色を見せ、数歩後退する。

「……バカな。『暗い儀式』の封印を、自力で破るなんて……」

 ヘレーネは着地し、落ちていた杖を拾い上げた。その全身からは、周囲の人形たちの心を震わせるほどの、強烈な「感情の波動」が溢れ出している。

「マザー……私はもう、あなたの声には従わない。私の心は、私のものよ」

 ヘレーネとマザー。支配者と反逆者。

 広間を包むのは、かつての死んだような静寂ではない。激しい戦いの予感と、数多の人形たちが抱き始めた「迷い」という名の風だった。

 ヘレーネはボロボロになりながらも、ディビーの元へ歩み寄る。二人の絆が、そしてヘレーネの取り戻した「声」と「意志」が、ついに秩序へ綻びを生じさせたのだ。


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