第9話 離反の商会
港の大倉庫に掲げられていた紋章が、静かに降ろされた。
古くからこの国で商いを続けてきたラディア商会。
その代表が、統合圏への本拠移転を発表したのだ。
「苦渋の決断です」
記者の問いに、代表はそう答えた。
「統合圏内の関税優遇と共通通貨の安定性を考慮しました」
非難はしない。
だが言外に、こう告げている。
――この国は、不安定だ。
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議場に重苦しい沈黙が落ちる。
「離反だ」
誰かが呟く。
「裏切りではない」
別の議員が返す。
「合理的判断だ」
合理。
その言葉が、刃のように刺さる。
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港の取引量はさらに落ち込む。
統合圏向けの船は満載で出港し、
こちらへの船は空きが目立つ。
数字は嘘をつかない。
だが数字は、恐怖も増幅する。
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財務局の若手が言う。
「このままでは通貨防衛資金が尽きます」
「どのくらい持つ」
「数か月」
短い。
市場は待ってくれない。
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アルトは拳を握る。
「統合すれば止まる」
声は低い。
「離反は止まる。通貨も安定する」
事実だ。
速さは、結果を出す。
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夜。
彼女の執務室。
机の上には帳簿と地図。
港、農地、工房、内陸交易路。
この国の強みは何か。
速さではない。
だが、何だ。
「……分散」
小さく呟く。
中央資本に依存しない。
地域ごとの産業。
多様性。
それが強みのはずだった。
だが今は弱みに見える。
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扉が叩かれる。
「入って」
アルトが入る。
表情は硬い。
「ラディア商会が移る」
「ええ」
「止めないのか」
「止めません」
即答。
アルトは眉をひそめる。
「放っておけば、続くぞ」
「ええ」
「それでもか」
彼女は静かに言う。
「依存していたのです」
アルトが目を細める。
「中央資本に?」
「ええ。速さに」
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「理想論だ」
珍しく強い声。
「人は飯で動く」
「ええ」
否定しない。
「だからこそ、対抗策を打ちます」
初めて、彼女の声に硬さが宿る。
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翌日、緊急経済会議が開かれる。
「地域信用保証制度の創設を提案します」
彼女が議場で言う。
ざわめき。
「小規模商会に対する分散型保証網」
「中央が一括で保証するのではなく、複数地域で支え合う形です」
「非効率だ」
若手議員が言う。
「はい」
認める。
「ですが、一点が折れても全体は崩れません」
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「時間がかかる」
「かかります」
「市場は待たない」
「ええ」
沈黙。
彼女の声は静かだが、揺れていない。
「速さで勝てないなら、崩れない形で耐えます」
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ルシアンが微笑む。
「興味深い発想です」
だが目は笑っていない。
「市場は、理想では動きません」
「ええ」
彼女は応じる。
「だから、信頼で動かします」
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夜。
市場では再び両替の列ができる。
だがその一角で、小さな商会同士が集まっている。
「保証網に参加するか?」
「中央保証はないぞ」
「だが自分たちで支える」
小さな動き。
遅い。
だが、芽は出た。
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城壁の上。
「賭けだな」
アルトが言う。
「ええ」
「失敗すれば?」
彼女は一瞬だけ目を閉じる。
「そのときは、別の方法を探します」
修正。
それが、この国の形。
離反は痛い。
だが崩れてはいない。
経済は、まだ戦場の途中だった。
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