第5話 傾く天秤
草案は、予想より早く議題に上がった。
若手将校と数名の議員が連名で提出した
「危機時統合指揮権受諾案」。
条件は三つ。
一、発動は議会承認のもと。
二、期間は限定。
三、平時の独立は維持。
文面は慎重だ。
だが方向は明確だった。
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「現実を見よ」
若い議員が言う。
「強国に囲まれている。我々は速さで劣る」
「劣ることが即ち滅びか」
年配の議員が返す。
「滅びる可能性を減らすべきだ」
言葉が強くなる。
議場の空気が重い。
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傍聴席には商人や兵士もいる。
市井の声は、分かれ始めていた。
「速い方が安心だ」
「だが、従う形ではないのか」
ささやきが広がる。
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ルシアンは静かに見守っている。
焦らない。
急がない。
速い国は、待つこともできる。
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議論は夕刻まで続いた。
投票は、次回に持ち越し。
だが天秤は、わずかに傾いている。
速さへ。
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城の廊下で、若手将校がアルトに声をかける。
「団長、あなたが賛同すれば決まります」
「俺は賛同したとは言っていない」
「だが反対もしていない」
痛いところを突く。
「守るためです」
真っ直ぐな目。
アルトは一瞬、言葉を失う。
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その夜。
彼女の部屋の扉を叩く音。
「入って」
アルトが入る。
無言のまま、少し距離を置いて立つ。
「お前は、止めないのか」
低い声。
彼女は書類から目を上げる。
「何をですか」
「統合案だ」
静かな緊張。
「止められます」
彼女は言う。
「ですが、止めません」
アルトの表情が変わる。
「なぜだ」
「選ぶのは、あなたたちです」
「間違えたら?」
「修正します」
迷いのない声。
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「修正できない形になったら?」
問いは鋭い。
彼女は少しだけ沈黙した。
初めて、わずかな迷いが走る。
「……それでも、私が決める形にはしません」
その言葉に、アルトは胸が締め付けられる。
彼女は、前に立たない。
守るためでも、支配しない。
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「俺が、賛成に回ったら」
アルトは言う。
「止めるか」
長い沈黙。
灯りが揺れる。
「止めません」
静かに。
「あなたが選ぶなら」
それは、信頼だ。
だが同時に、重い。
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翌日、街では噂が広がる。
「統合すれば安全だ」
「いや、誇りを失う」
市場の声も二分する。
商人の一人が言う。
「速さは利益だ」
農民が返す。
「だが、命令一つで畑を変えられたら困る」
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議会再開。
投票の準備が進む。
空気は張り詰めている。
アルトは席に着き、目を閉じる。
守るために速さを取るか。
迷いを抱えたまま立つか。
天秤は、まだ完全には傾いていない。
だが、どちらに落ちても、戻れない。
選択の刻が近づいていた。




