第10話 見えない攻撃
それは、音のしない攻撃だった。
朝、市場の掲示板に新しい為替相場が貼り出される。
銀貨の対ヴァルドレア通貨比率が、さらに下がっていた。
「またか……」
両替商が低く呟く。
売りが増えている。
買いが減っている。
数字は冷静に、国の信用を削っていく。
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財務局の報告は簡潔だった。
「統合圏内の銀行が、当国通貨の売却を加速しています」
「意図的か」
「証拠はありません。ただ、同時期に集中しています」
証拠はない。
だが、偶然ではない。
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議場は緊迫していた。
「通貨防衛を強化すべきだ」
「準備金を投入しろ」
「それでは持たない」
声が荒くなる。
「統合圏に入れば止まる」
若手議員が言う。
その言葉は、もはや少数ではない。
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ルシアンは穏やかに述べる。
「市場は自由です」
微笑を崩さない。
「投資家は安定を選びます」
安定。
速さは安定に見える。
分散は、不安に見える。
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夜。
彼女は机に広げた地図を見つめる。
港。
内陸交易路。
地方工房。
銀貨が流出するなら、
価値を別の形で支えるしかない。
「地域決済網の拡張を」
財務官に命じる。
「銀に依存しない信用取引を増やします」
「時間がかかります」
「ええ」
いつも通りの返答。
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扉が強く開く。
アルトだった。
「もう限界だ」
声は低いが、怒りが混じる。
「市場が崩れれば、軍も動けない」
「ええ」
「剣も守れない」
「ええ」
「なら、なぜ統合を拒む」
初めて、感情が前に出る。
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彼女は立ち上がる。
「拒んでいません」
「保留しているだけか?」
「選んでいないだけです」
静かな声。
だが今日は、わずかに硬い。
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「守れない理想に意味はあるのか」
アルトの言葉は鋭い。
彼女は一瞬、言葉を失う。
堤防。
通貨。
離反。
速さがあれば、違ったかもしれない。
その考えが、胸を刺す。
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「……意味はあります」
ゆっくりと答える。
「守るために奪う形は、戻せません」
「だが守れなければ終わりだ」
「終わりません」
視線がぶつかる。
「修正できます」
「市場は修正を待たない」
正論だった。
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沈黙が落ちる。
互いに、正しい。
互いに、譲れない。
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「俺は、賛成に回る」
アルトが言う。
空気が凍る。
「軍として、統合案支持を表明する」
それは決定的だった。
軍が傾けば、議会は動く。
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彼女は、わずかに目を閉じる。
止めるか。
止められる。
だが。
「……分かりました」
静かな声。
「あなたが選ぶなら」
アルトの胸が締めつけられる。
止めない。
信頼だ。
だが同時に、突き放しでもある。
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夜。
市場はさらに揺れる。
為替は下がり続ける。
通貨は数字で削られる。
そして、国の形もまた、試されている。
剣では見えない戦場。
見えない攻撃は、静かに続いていた。




