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「……やりすぎちゃった?」
スカートがまくれ上がるのも気にせず大木から逆さまにぶら下がっていたサナは、自分の顔にまでかかった血飛沫に若干引いた顔をしてそう呟いた。
だがすぐに気を取り直して、ほとんど空中で回転するような形で綺麗に地面へ着地する。
そんな激しい動きをしていてもナイフを取り落とす心配が無いのは、カランビットに特有のフィンガーリングのお陰だろう。
(あぁ……だるっ)
だが落ちないカランビットと違ってサナのテンションは分かりやすく落ちていた。
森を走り回り、目についた草を片っ端から結んでトラップを作り、追跡してくる男たちを襲撃したり回避したり襲撃したり……その運動量はもはや常人のそれではなく、殺し屋としてもなかなかハードな仕事量だった。
(とーりーあーえーずー、銃だけ持ってこっかな)
パッと目に付いたのが猟銃だったので、サナは気まぐれにそれを持っていくことにした。普段は銃を武器にすることは滅多にないが、基本的な銃の扱い方は知っていたし──情報源はネットに転がる動画だ──使いこなせなかったとしても別の敵が拾って再利用するという可能性を潰すことができる。
サナはカランビットを人差し指に通したまま──こういったながら作業ができるのもカランビットの強みだ──男の死体から猟銃を取ろうとしたが、既に死んでいるはずなのに銃をしっかり抱えてしまっているようで、サナが危なっかしく銃身を掴んで引っ張ったりしても体から離れてくれない。
しばし猟銃と格闘して唸っていたサナだったが、さすがに面倒くさくなって八つ当たり気味に男の死体を思いっきり蹴り飛ばす。
ごろりと転がった死体の顔を、木々の隙間から差し込んだ星明りが照らす。
その顔を、サナが視認する。
瞬間──サナの脳内がスパークした。
「はっ? あ──えっ?」
反射的に頭を抑えるサナ。
その脳裏にあるのは既視感と違和感。
──自分はこの男を知っている。
──自分はこの男を知っていない。
「ぇ、うそ、だれ? いや、え?」
相反する二つの思考がサナの中で嘘偽りなく同居している。
それこそがまさに矛盾。
そして朧げながら頭に浮かんでくるのは、知らないはずの記憶。
談笑
白いご飯
美味しいご飯
濁ったお酒
飲まなかったお酒
殺戮
殺戮
母親
殺戮
殺戮殺戮殺戮殺戮殺戮殺戮──
グルグルグルグル──白と赤といろんな色がマーブル模様のようにサナの中で混ざり合う。
「ぁっ、ぁぅぅ……」
バカであることを差し引いても常人では処理しきれない情報で溢れてしまった脳内に、サナはうめき声を上げよろめきながら大木に両手をつく。
肩で大きく息をしているのは、決して肉体的な疲労からではない。
その様はあまりにも無防備で──
──故に隠れていた男は一気に飛び出した。
両の順手で握りしめた剣鉈を腰だめに構え、サナの無防備な背中へと向けて爆発的に疾走する。
星明りに鈍く照らされた白刃の鋭い切っ先が、サナの背中に突き刺さる。
──男がそう確信した瞬間、切っ先がサナをすり抜ける。
「ぇっ──」
少なくとも男にはそうとしか思えなかった。
実際は、まるで背中にも目が付いていたかのようにサナが半歩脇にずれただけだが。
勢いを殺しきれず剣鉈の切っ先が大木に突き刺さり、その衝撃で男の両手が刃の方へとズルリと滑った。
「ぁっぎゃあぁぁぁぁぁ!?」
男は悲鳴を上げて、自らの刃で傷ついた両手を押さえながら地面にうずくまる。
だがその悲鳴はすぐに止まった──男の首筋に突きつけられた刃の冷たい感触と、続くサナの殺気を微塵も隠さない声によって。
「はぁぁっ……それで、あんたらいったい何なのよ。誰に雇われてるの? あとどっかでわたしと会ったことある?」
明らかに優位な状況に立っているはずのサナに対して、男は顔を上げる……その顔はまるで能面のようで、
「みこさまの、ために」
男の言葉と同様に人間味が全く無かった。
「──あぁ、もうっ!! バカにしてんの!?」
もはやサナは苛立ちを隠そうともせず、我知らず大声で怒鳴りながら男の手を踏みつけ、さらに体重をかけてブーツで踏みにじるように追撃した。これには男もさすがに顔を歪ませて苦痛の悲鳴を上げる。
「ちょっと答えなさいよ!」
そう怒鳴りながらもサナは追撃の手──足だが──を緩めない。
その無茶苦茶ぶりに、男は何とか悲鳴を押し殺して息を大きく吸い、
──言ってはならない、致命的な一言を言ってしまった。
「ぅるせーよ……! 男のくせに、そんな恰好しやがって……!!」
「なに言ってんのよっ、たよーせいって、もん、を……ぁ、ぁぁ……?」
自他ともに認めるほどのバカなサナでも、その決定的な違和感は無視できない。
なぜこの男は──自分が男だと知っている?
「ぁ、あ、あんた、は……」
そしてようやくサナは思い出した。
目の前の男の顔も。
先ほど殺した男の顔も。
今夜、これまで殺してきた男の顔も全て──
──自分が一度殺した男の顔だ。
それに思い至った直後、サナの思考は限界を迎えた。
「あ、あぁぁ、あぁぁぁぁァァァァッ!?」
あまりにも意味不明。
あまりにも異常。
半ば崩壊したとも言える精神でサナは両のカランビットを目茶苦茶に振るう。
男の体が、手足が、そして顔が幾度も幾度も斬り刻まれる。もはや鮮血どころか男の肉体の一部が飛び散るほど執拗で、決していつものサナらしくない攻撃。
だが、それほど苛烈な攻撃を食らってもなお、
「…………」
男はほんの少し無事な口元だけで、
笑ってみせた。
「っ!?」
その口元まで斬り刻んだところで……サナはようやく我に返り、疲労困憊とばかりに大木に寄りかかる。
それはまるで、ズタズタに切り裂かれたのはサナの方であるかのようで。
顔の返り血を拭うことすら忘れて、サナは殺したばかりの男の死体を警戒の目つきで凝視する。
まるでその死体が、今にも蘇って襲い掛かって来るとでも言うかのように。
──だがサナにそんな時間的余裕は無かった。
「おい、大丈夫か!」
「こっちだ!」
仲間の死体を見つけたのだろう男たちの声が響き、そしていくつもの音と気配がサナに近づいてくる。
サナは胡乱な目つきのまま、しかし染みついた経験頼りの機敏な動きで夜の闇に駆け出した。
◆◆◆
森は地獄絵図となっていた。
否──もはや地獄そのものだった。
地面はもはや葉っぱの緑や土の茶色ではなく、男たちの血液と更には肉片で赤く染め上げられてる。
一人の男が、木の上から音もなく降ってきたサナに踏みつけられて首の骨を折る。
男たちにとっては自分の庭と言ってもいいほどの慣れた森、だがサナはそんな男たち以上に森という環境を利用して姿を隠し、奇襲し、そしてまた姿を隠す。
また一人が、草むらから突き出されたカランビットに斬り刻まれる。
運の悪い男たちは自分たちの力を発揮するどころか、サナの姿すら視認できずに一方的に無力化──殺害される。
また一人、仲間の死体に気を取られた一瞬で懐に潜り込まれて腹部を掻っ捌かれる。
少しばかり運と頭の良い男たちはできるだけ固まり、周囲を最大限警戒しながらサナを追い詰めようとするが、そんな彼らですらほんの少しの隙を突かれて切り崩されていく。
あまりにも一方的な殺戮。
だが、追い詰められているのはサナの方だ。
──今回も。
男たちは、どれだけ仲間が倒れようと決して諦めない。
否──自分たちが倒れたとしても諦めるつもりがない。
「みこさまのために」
彼らは死ぬ間際であってもそう呟きながら、文字通りの死地に向かい、死地を踏み越えていく。
対照的に、サナにはそのような精神的な余裕は全く存在しない。
今もなお、いや時が進むごとにさらにサナの精神はぐちゃぐちゃになっていく。
──いま殺した男と仲良く談笑した記憶がある。
──そして殺し合った記憶もある。
既視感という言葉では説明できない異様な状況に、サナの思考はもはや焼き切れる寸前だった。
それでも、体に染みついた経験がサナを生存させる。
生存させられ続けている。
もはやサナは自分が生きているのか、生かされているのかすら分からなくなってきた。
殺戮の夜は続く。
そして
どこからか
鈴の音が
響いて
世界は──流転する




