1-2
完璧な奇襲。
あまりにも手馴れていて熟練した動き。
サナですら全く予測できていなかった。
だが──予測できないことと対処できないことは違う。
サナは腕を掴む男の力を逆に利用して、腰を一気に落として自らの足を滑らせる。男の肩を支点に、腕を糸に見立てた振り子運動のようにサナが滑って男の股の間をすり抜ける。両者の体格差を活かした離れ業でサナは絶体絶命の包囲から一気に抜け出した。
「がっ!?」
サナの腕を掴んでいた男が短い悲鳴を上げて腕を離す。それはサナの急激な動きに耐えきれなかったからではなく、サナの左手がいつの間にか抜いていたカランビットに鼠径部を切り裂かれていたからだ。
とめどなく溢れ出す血に成す術なく、サナの腕を掴んでいた男は頽れる。
男たちは──サナの敵は残り三人。
「てめッ……!」
仲間の惨状に色めき立つ男たち。
それぞれの武器を手に一斉に襲い掛かろうとする男たちを前にして、サナは落ち着き払って腰を落とすと目の前でうずくまる男の尻を一気に蹴り上げた。
半死半生だった男は突然の衝撃に前方へつんのめり、三人の内真ん中にいた男に縋り付くようにして諸共倒れこんでしまう。
サナはそちらを軽く一瞥して残り二人の内の左側の男、その左側にさらに回り込むようにして疑似的に一対一の形を取る。
「このぉ!」
サナと相対した男は振り上げていたナタをやや袈裟切りに近い角度で勢いよく振り下ろす。それに対してサナはフォアハンドのカランビットを合わせて振り下ろされようとする腕に深々と刃を突き立てて軌道をずらし、さらに刃が抜けない絶妙な角度でカランビットを振り抜く。勢い、サナに当たることなくナタが振り抜かれて男のバランスが崩れ、やや前傾姿勢になる。
その下がった首筋をサナは──いつの間にか抜いていた──右手のカランビットでそっと撫でるように切り裂く。
切断された頸動脈から噴水のように血をまき散らしながら、男は悲鳴を上げることすら忘れて倒れ伏した。
まだ無事な男は二人。その内の一人は縋り付くようにして死んでいく男をようやく引き剝がして立ち上がろうとしており、もう一人は回り込むようにしてサナに向かおうとしている。
サナは立ち上がろうとしている方の男の頭を思いっきり蹴り飛ばして昏倒させてから最後の一人と相対する。
男が順手に構えるナタはサナが逆手に構えるカランビットより刃が長く、リーチも長い。それを分かっている男はナタをやや前方に突き出すようにしてサナをけん制する。
だがサナはいきなり手首を返すようにして右手のカランビットの握りを変えた。
「!?」
フィンガーリングに通した人差し指だけでナイフを保持し、中指と親指でリングを固定する握り方──エクステンデッド・グリップ。
一瞬にしてグリップ分のリーチが伸びたカランビットの刃がナタを持つ拳をこじ開けるようにして突き刺さる。
男が悲鳴を上げるより早くサナは腕を引き、男の手のひらに食い込んだ鎌刃が傷口を広げながらナタのグリップに引っ掛かって吹っ飛ぶ──ディスアーム。
「ぁっぎゃぁぁぁ!」
武器を失ってようやく状況と痛みを認識した男は手のひらを押さえながら跪く。
「──ハァ、それでさぁ」
たった十秒足らずで四人を無力化したサナは、跪く男の前に立って言い放つ。
「あんたらいったいなに? なんで襲ってきたの?」
両の逆手に握ったカランビットをチラつかせて威嚇しながらの質問──尋問。
男はサナの質問を聞いているのかいないのか、手を押さえて呻くばかりである。
だが──
「誰かに雇われたの?」
サナのその言葉に──男の顔つきが変わった。
「……こ……の……に」
「え? なにゆってんの? もっとハッキリゆえない?」
サナには圧倒的な余裕があった。
この時までは。
「みこ……まの……」
「だからなにを──」
声を聞き取ろうと無意識に顔を近づけたサナに、男はまるで痛みが消え去ったかのように毅然とした顔つきで詰め寄り叫んだ。
「みこさまのためにぃぃィッ!!」
「っ──!?」
突然の絶叫とあまりの形相にサナは我知らず一歩下がる。
だが男はその一歩を打ち消すかのように、血だらけの両手を突き出してサナに迫る。
そして男の両手がサナに──
「……!」
触れる前にカランビットに切り裂かれる。
だが指が何本か吹き飛んでも男は止まらない。グロテスクな見た目になった拳をまるで見せつけるようにして更に詰め寄る。
サナはさらに一歩下がる──と見せかけて逆に男の懐に飛び込む。
まさかの行動に男は一瞬驚愕しながらも捕まえようとするが、サナはその腕をすり抜けるようにして背後に回り込む。
だがそれくらいで男が諦めるはずもない。
「みこさまのためにぃぃ!!」
振り向いてなおも詰め寄ろうとする男。
だが──男の足が、動かない。
キョトンとした表情を浮かべた男は、自分の下半身に目を向ける。
男の下半身は……腰から太腿にかけて、ズタズタに切り裂かれて血まみれになっていた。
サナがすれ違いざまにそれだけの斬撃を食らわせたということを、男は理解できていたのだろうか。
地面に血だまりができるほど大量に出血して、男はキョトンとした表情を浮かべたまま急速に意識を失って自身の血だまりに倒れ伏した。
「ハッ……ハァ……」
ようやく倒れ伏した男を見て、サナは血にまみれたカランビットを握りしめたまま大きく息を吐いた。
男たちに無残な傷を負わせたのとは対照的にサナ自身はほぼ軽傷だった。服に飛んだ鮮血もあくまでも返り血だ。
だがその精神状態は、肉体とはやはり対照的だった。
「マジでっ……なんなの、こいつら……」
サナは自他ともに認める殺し屋であり、バカである。
それでもこんな状況は、これまで体験したことがなかった。
なぜ殺すのか分からない。
なぜ殺されるのか分からない。
そして、体験したことが無いはずなのに──この状況に既視感がある。
冴え渡るカランビットとは対照的に、サナの思考はずっと混乱の中にある。
精神的に追い詰められたサナは、闘争と逃走の選択肢から後者を選んだ。
「とりあえず、車で……」
サナはまるで、帰る家を見失った子どものような不安定な足取りで車の方へ戻ろうとして──
突然地面にバタリと倒れ、闇を切り裂くように銃声が響いた。
◆◆◆
星明りの下で百メートル以上離れていようとも、最後に立っていたのが同じ村人か余所者かは分かるものだ──水平二連の猟銃を肩付けに構えた男は、そう考えながら躊躇なく一発分の引き金を引いた。
確かな反動を残して絞りの効いた銃身から飛び出した散弾が、銃声と共に夜闇を切り裂く。
直後に人影が倒れるのを見届けて、男は知らず張り詰めさせていた息を漏らした。
むしろほぼ同時か、それともあり得ないが銃声より早く倒れたか──そんな微かな違和感は、ようやく”獲物”を仕留めた満足感で男が認識する前に消え去ってしまった。
それでも頭の中の冷静な部分はまだ仕留め切れていない可能性を警告してきたので、男は一発残った猟銃をそのまま構え続ける。夜闇を差し引いても倒れた村人たちや背の高い稲穂のせいで射線は満足に通っていないが、動きがあれば即座に残弾を発砲する心構えでいた。
時間にすれば数秒──弛緩しかけた意識を再び引き締めて警戒していた男だが、その銃口の先で何かが動くことはない。
その様子に男はまた息を吐き出し、引き金から人差し指を外して銃口を下げる──瞬間、視界の先で人影が急に立ち上がった。
男は慌てて猟銃を構え直し、引き金を引くと同時に──その人影が仲間のものだと気づいた。
銃声からワンテンポ遅れて人影がどうと倒れ伏し──直後、小柄な人影が森へと向けて爆発的に走り出した。
「くっ!?」
もはや人ではなく四つ足の獣のように駆け抜ける人影に、男はうめき声を上げながらもなんとか銃口を合わせて引き金を引こうとして、そこでようやく残弾が切れていたことを思い出した。
慌てて猟銃を折り排莢を行うが、再装填の為の弾を取り出す暇さえなく人影はあっという間に森の木々のなかへと消えてしまった。
「……はぁ」
仲間を誤射して”獲物”も取り逃がしてしまった男だが、そこまで気落ちした様子も見せずため息を一つだけ漏らすと、ズボンのポケットから二発のショットシェルを取り出して薬室に送り込み、猟銃をまた撃発可能な状態に戻した。
その背中に、声が掛けられる。
「今回の供物はずいぶんと活きが良いですね」
振り向いた男の視線の先に、袴姿の男──”村長”の姿があった。
彼の三歩後ろには、同じく袴姿の女性がいつもと同じように黙って佇んでいる。
二人の姿を認めた男は、猟銃の銃口を空に向けた控え銃の形にしてから礼儀正しく頭を下げる。
「すみません、仕留め切れませんでした」
「気にされなくて大丈夫ですよ。どうせ逃げられる訳がないのですから」
”村長”の言葉には裏表がなく敬意も籠っていたが、それでも削ぎ切れない威厳がそこにある。
だが──もし、村と全く関係ない第三者がこの会話を聞いていたら不思議に思っただろう。
二人は、先ほど撃たれた村人の事を全く気にしていない。
そんな風に不穏で異常な会話をしていた彼らの下に、大勢の男たちが近づいてくる。
彼らはそれぞれナタや鎌、ノコギリからこん棒、中には日本刀から槍のようなものまで手に携えて集まってくる。その中の数人は、やけに古めかしくて大型の懐中電灯ももう片手に持っていた。
その物々しい様相とは裏腹に、彼らの表情には不安も焦燥もなくどこまでも平坦で──まるで、これから畑仕事にでも向かうかのような自然さだった。
「みこさまのために」
「みこさまのために」
そうして彼らは、異口同音に呟きながら森へと向かっていく。
獲物を──供物を──サナを、狩るために。
◆◆◆
「いやあいつらマジでなんなのよ……」
明らかにヤる気満々で向かってくる男たちを木々の間から透かして見ていたサナは、思わず小声でそう呟いていた。
カランビットを握ったままほとんど四つん這いに近い格好で走ってきたサナは、服のあちこちが汚れ擦り切れているが身体はほとんど擦り傷程度しか負っていない。
それが明らかに幸運によるもの──頭を蹴り飛ばされて昏倒していた男が銃声で起き上がって誤射を食らったこと──であることはサナも理解していた。
だがここからは幸運を当てにしてはいられない。
サナはできるだけ草木を揺らさないように後ずさりして、男たちからの視線──射線が完全に切れたところで振り返り一気に走り出した。もちろんそれでは気配を隠せないが、何をするにしてもまずは距離を離さなければならない。
ここが敵のホームグラウンドであればなおのこと。
サナは待ち伏せやトラップを警戒しつつ、最大限の速度を発揮して追手との距離を稼ぐ。その向かう先は道路──ではない。星明り以外存在しない森のなかを突き進むのは敵の存在が無かったとしても危険な行為だが、それ故に道路に向かうという行動は読まれやすくましてや敵が車を持っていれば先回りされる危険性すらある。
だからサナは感覚頼りながら道路とは逆──森の奥へと走っていく。
木々の隙間から差し込む微かな星明りだけが頼りの強行軍。スマホをライト代わりに使う選択肢はあるが、そんな行為は松明を掲げながら逃げ回るくらいの愚行だということくらいはサナも知っている。
もはや自分の身体を使って山を切り開くような逃走劇に、お気に入りだった服はどんどん汚れと傷が目立ってボロボロになっていく。
(あいつら絶対コロす! ……でも、どうやろうか)
ほとんど自動的に身体を動かしながら、サナは足りない頭で思索する。
武器と練度はともかく数では圧倒的に敵の方が上。そして接近戦においてそれ以上に怖い強みというものもなかなか存在しない。
もちろんサナに負けるつもりはないが数が多い以上、勝つなら勝つで楽に勝つことが必要なのだ。
そしてサナの足りない頭にも具体的な計画が浮かんでくる。
(とりあえず何人か減らしてぇ……テキトーに車も奪えばカンペキ、かな?)
我知らず、サナはほくそ笑んでいた。
つまるところサナもまた──状況を楽観的に捉え過ぎていた。




