9-1
むかしむかしあるところに、小さな村がありました。
大人も子ども老人も、みんな仲良く暮らしていて、毎日ご飯をたくさん食べて過ごしていました。
ですがいつ頃からでしょうか。
村人たちは、だんだんと元気をなくしていきました。
家から田んぼや畑まで歩くだけでもう疲れてしまいます。
それでも何とか作業を終えて帰ってきたら、今度はお腹が空いているのにご飯を食べられません。
そうしてだんだんみな床に臥せって、起き上がることもできなくなってしまいました。
たった一人だけのお医者様もどうすることもできず、村人たちと同じようになってしまいます。
その村は、まるで死んでいくように静かになっていきました。
そんなある日。
着物を着た小さな女の子が、すっかり人けのなくなった村のなかをさ迷い歩いていました。
彼女のお父さんとお母さんも他の村人たちと同じように臥せっていて、幼い身で看病や家事をしていましたが、それでも好転しない状況に急き立てられて彼女は家を飛び出していました。
ですが──もちろん──そんなことをしても、何も変わりません。
彼女の歩幅はだんだんと小さくなり、顔はうつむきがちになり、そしてとうとう、地面を見つめて立ち止まってしまいました。
村を覆い、少女を襲っているのはまさに──絶望。
しかし──
「……?」
少女は──何かが聴こえたような気がして、顔を上げた。
小さくか細いが、確かに凜と響くそれは……鈴の音。
まるで誘われるように、少女はその音へと向けて歩き出しました。
一定の感覚で響き続ける鈴の音は、少女の歩みとともにだんだんと大きく聞こえてきます。
そうして彼女はとうとう──出会いました。
村の外へと続く道。
そこに立っているのは、どことなく不思議で、ボロボロな格好をした人。
しばしの間、二人は何も言わずに見つめ合っていました。
そして少女が遠慮がちに、舌ったらずな声で尋ねます。
「あなたはだぁれ?」
問われたその人は──数秒目を瞑り、そして開いた視線を真っすぐ少女に向けて答えました。
「私は──神様」
◆◆◆
太陽が高く昇った晴天の下、サナはいつかと同じように車を走らせていた。
少し経年劣化は見えるがしっかり舗装された道路に、白さが目立たなくなってきたガードレール。
時折反対側から走ってくる車とも、余裕をもってすれ違える。
サナは、デジャビュともメジャビュとも取れない謎の感覚を抱いていた。
そうして、サナの目の前が──また──開けた。
「ぉ……おぉ」
山道を抜けた先にあるのは、稲穂の波に埋め尽くされたさながら黄金の大海──ではない。
あの時よりも緑が多く、建物ももっと多いまさに──どこにでもある、普通の村。ところどころにはビニールハウスのようなものも見える。
そもそも今は米の時期ではないということすらサナは知らなかった。
「おぉ……ちゃんと車がある……」
聞く者がいればその精神を心配するような呟きがサナの口から漏れる。
見たことがあるはずなのに見たことがない、見たことがないはずなのに見たことがある──あるいはサナ以外に実感できる者が存在するか分からないその感覚を味わい、物珍しそうに周囲を見回しながら車を走らせ続ける。
故にサナは──本当に珍しく──油断していた。
車が走る先、ちょうどタイヤの親露上に落ちている折れた釘。
周囲に気を取られていたサナの車はそのまま──
「わぁっ! とまれとまれ!」
進むかと思われたところに、路肩を歩いていた男たちの一人が車の前に飛び出すようにして制止した。
「なっ──なになに!?」
サナは慌ててブレーキを踏み、車を停車させる。
一瞬、サナの手が服の下のカランビットに伸ばされたが……釘を見せつけるようにしながら邪気の無い笑顔を浮かべる男に毒気を抜かれて思い留まり、窓を開けた。
「どうしたんですかー!」
「おぅ、道路にこげなもんが落ちとった! あぶながったな!」
男は笑顔のまま、きつい訛りで状況を説明する。
またしても謎の感覚に襲われるサナだったが、男が気を利かせて道路からどいたので車を徐行で発進させ、男たちの傍で改めて停車させる。
「ありがとーございます! 畑仕事ですか?」
「そーそー! いまからまた一仕事だい! おじょーちゃんはこげなところでなんで来たと?」
聞き返されたサナは──顔色一つ変えずに──人差し指を顎の下に当てて、少し考える。
「うーん……人捜し、は終わったし過去探しというか……ん? 自分探し? まぁそんな感じです!」
「どんな感じだい?」
要領を得ない返答だったが男たちは気にした様子も見せない。
たったそれだけのやり取り。
サナは、彼らの顔に見覚えがある気がした。見覚えがない気もした。
あるいは、それは──
「どうしたと?」
考え込んでしまったサナに、男が訝し気に声をかける。
サナは──少し首を振ると、笑顔で彼らにこう問いかけた。
「ここら辺にレストランってありますか?」
◆◆◆
「こんにちはー!」
「お、おぉ……元気でえぇねぇ……」
男たちから「レストランなんてこじゃれたもんでねぇが」と教えてもらった食堂に、サナは元気よく挨拶しながら入店する。珍しい格好の客人を出迎える形になった割烹着の中年女性は、少し引き気味になりながらも快く出迎えた。
その食堂は錆びれているような雰囲気はないが時間帯のせいか他の客はおらず、適当に選んだ卓についたサナに対して女性は手際よくお冷と手描きのメニューを渡し、少し馴れ馴れしげに問いかけた。
「なにしにこんなとこまで来たと?」
「自分探しみたいなもんです! あ、これください」
「”みたいな”?」
先ほどと同じようなやり取りをしながら、サナはメニューを指さして注文する。女性は少し腑に落ちない様子を見せながらも、店の奥へと引っ込んだ。
一人残される形になったサナは卓に両肘で頬杖をつき、椅子から浮いた足をプラプラさせながら料理を待ち焦がれる。
開け放たれた食堂の扉、その向こう側をまだ小学生にも満たない子どもたちが毒に意味のない歓声を上げながら横切っていく。その内の少女が立ち止まって食堂の中──料理を待ち焦がれるサナの姿を見つめたが、他の子どもたちの流れに押されるようにしてまた走っていった。
サナは、料理のことで頭がいっぱいで気づいていない。
「おまだせ」
それから少しして、女性が料理を載せたお盆を持ってきてぶっきらぼうながら親し気にサナの卓に置いた。
「わーい!」
サナは両手を打ち合わせて箸を手に取ると──しばし、目の前の料理を眺めた。
大きな皿では豚の生姜焼きが山盛りのキャベツの傍で湯気を立てていて、見た目だけでなく匂いまでもが食欲を掻き立てる。
メインの生姜焼きの大皿の脇では同じように湯気を立てる味噌汁が芳しい香りを漂わせ、さらにその脇には白や黄色や紫色の漬物が詰まった小皿。
だが何よりもサナの目を惹いたのは──熱々の湯気を立ち昇らせる、白と茶色とその中間くらいの三色が混じったご飯茶碗。
サナはその茶碗を行儀悪く箸で指して質問する。
「おねーさん、これなにー?」
「あらやだ──じゃなくって、白米と、玄米と、もち麦ね」
「なんでこんなにまぜちゃうの?」
「あー……わけぇから知らんだろうけど、むかーし脚気っていうごわーい病気があってね」
その言葉に、サナは目を輝かせた。
「あー! 知ってる知ってる、脚気でしょ脚気! 私も大変だったなんだぁ」
「えぇ……わけぇのに大変だねぇ……」
見た目は若い女性が脚気などという病気にかかっていたことに女性は驚きの声を漏らすが、気を取り直して説明を続ける。
「この村さ米どころなんだけど、米ばっか食ってて脚気にやられたんだわ。でもまだビタミンだとかわかんねぇから米だ粥だと食ってて、当然治らねんだな。そんである日、おっとぅとおっかぁが倒れてどうしようもねぇ娘っこが村の外さ行こうとしたらなんと──神様が現れたって」
神様。
あまり良い思い出が無いその言葉に、サナは我知らず声を潜めて先を促した。
「それ、どうなったの」
「そしたらその神様が言ったんだって」
サナに釣られたように声を潜めた女性は重々しい奮起を醸しだした後──破顔した。
「”玄米を食え!”、だって。そんただことを何度も何度も泣きながら繰り返したってさ。その娘っこ、半信半疑だったけどどうもその神様が他人に見えねぇもんだから、信じておっとぅとおっかぁに教えたら、そしたら──」
その先は……バカなサナでも明白だった。
「治ったんだね」
「そ! ありゃぁきっとほんとーに神様だったか、もしかすると未来人だったかもしれねーだな!」
冗談めかしてそんなことを言う女性に、サナも釣られたように笑い出す。
実は神様か未来人かではなく神様であり未来人でもあった──そんな嘘のような真実を知る者は……おそらくもう、サナしか存在しない。
ふと寂しさを覚えて、サナは目の前の茶碗をじっと見つめる。
その様子に、女性が不安そうに問いかけてきた。
「わけぇから苦手か? 白米にかえよか?」
その言葉にサナは──満面の笑顔で首を横に振る。
「うぅん──いただきます!」
◆◆◆
いつの間にか日が暮れようとしている。
夕日に照らされる道を、サナは車で引き返す。
サナはふと、バックミラーに目をやる。
そこには──普通の村があった。
サナは前方に視線を戻し、アクセルを軽く踏み込む。
そして、振り返らなかった。
鈴の音は──もう、聴こえない。
◆◆◆
「あっ……忘れてた」




