8-3
背後からの奇襲に対して避ける暇も受ける術もなく──故にサナは自ら前方に転ぶようにしてギリギリのところで命を繋ぎとめた。
臓器や太い血管さえ外してしまえば人間の背中というものは意外と頑丈であり、背骨や肋骨は刃物に対して効果的な防護となる。
「──はっ、く、っそがぁ!」
それでも決して浅くない傷。
サナは痛みを誤魔化すように咆え立てながら、カランビットを構えて背後の敵に向き直る。
その目が、驚愕で見開かれた。
その視線の先にいたのは、存在しないはずの者──先ほどサナがその手で殺したはずの”神”。
”神”は、傷も血もまるで存在しかなかったように綺麗な姿のままで、何事も無かったかのように淡々と言葉を紡ぐ。
「完全に不意を打ったと思ったのだがな、あの法術を破るだけのことはあるようだ」
「ぁ、んたっ、なんで、生きてんの……!」
痛みと動揺によるショックで声を震わせながらも、サナはなんとかカランビットを構え続ける。
重要な血管が無事であったとしても大量の出血は生命の危機をもたらすが、背中の怪我は一人で止血することはほぼ不可能だ。
故にサナは開き直って前方だけに意識を集中させる。
そんなともすれば痛々しい姿を見ても”神”は何の感慨も見せず、ただ淡々と事実だけを告げる。
「阿呆が。矮小な人間のなまくら如きで我を殺し切れると本気で考えていたのか? 仮初の血肉とはいえ、この肉体に傷を負わせられるだけでも栄誉なことだぞ?」
「イミ……わかんないっ……!」
「何が不思議なんだ、神々の武具もなしに神々を殺せるはずがないだろう? そこの我を殺せたのは……やはりそれほど弱っていたのだろうな。過去の我ながら情けないことだ、あの依代には感謝せねばならん」
勝手にな徳して勝手に感謝する余裕たっぷりの”神”に対して、サナは指し示られた過去の”神”すら確かめる余裕がない。それはもちろん目の前の”神”から目を離すことが危険だというのもあるが、今のサナにはただ首を動かすだけでも全身全霊の力を込めないと難しいのだ。
幸運にもそんな状態でまだカランビットを構えていられるのは、カランビットに特有のフィンガーリングのおかげだった。だがそれくらいしか幸運な要素がない。
(考えろ……考えろ……ここからどうすればいい……)
サナは必死になって考える。考える。これまで考えたことがないほど考えに考える。
そして──
(……いやわかるわけないじゃん!!)
当然の──そして最悪の結論に至る。
サナがそんな風に混乱している一方で、対峙する”神”もまた──実は少し混乱していた。
首を斬られた程度では死なないとはいえ、本来なら人の身で仮初ながら肉体の傷をつけてくるという状況がおかしいのだ。
”神”はしばし考えて、妥当な推論をサナに投げかける。
「貴様、それほどの能力を──どうやって依代から奪ったのだ?」
「…………は?」
妥当な推論は、しかしあまりにも的外れだった。
だが”神”はそれを理解できない。”神”故に理解できない。
「卑小な人間如きがその身ひとつで我を傷つけられるはずがないだろう? いったいどのような能力をあの少女から引き出したのだ?」
「……はぁ? わたし、みこっちからもらったものなんてなにもないんですけどー? あんた、やっぱり死んでてボケてんじゃないの?」
重ねられた質問に、サナは思わず痛みも忘れて捲し立てる。
それほどまでにその推論は的外れであり、
「な、に……?」
サナの反応で”神”もようやくそれを理解した。
「どういうことだ……まさか、天然……あるいは神の戯れ……」
もはや威厳を取り繕うことも忘れてブツブツ呟いていた”神”は、一拍置いてサナに視線を戻す。
だがその視線はこれまでのものとは違い、サナ自身ではなくその背後にあるものを見るような──サナの全てを丸裸にするような、全てを見通すようなものだった。
「ちょっと、なにその視線……やーらしぃ」
その視線の変化にはさしものサナも気づいて、嘲り一割に痛み九割ほどで顔を歪めて軽口を叩く。
だが”神”は向ける視線をそのままに、片手間とばかりの言葉を紡ぐ。
「貴様の源──これまでの刻、歴史を全て見てやってるのだ。しかし見れば見るほどに貴様の経歴は鮮血で塗布されているな、いったいどれほど同族を殺してきたのだ?」
一瞬サナは呆けたような表情を見せるが、すぐに気を取り直して忌々しそうに吐き捨てた。
「……ハッ、神様のくせに、そんなことも知らなかったの?」
「貴様は路傍の石くれがどれだけ雨粒に打たれてきたか、わざわざ知ろうとするのか?」
”神”はそうして観察を続ける。
その立ち振る舞いは隙だらけでサナにしてみれば絶好の攻撃チャンスだが、深手を負ってしまっている現状ではいくらバカでも躊躇が生まれてしまう。かといってこのまま相手の出方を待つだけではいずれ失血で時間切れ。
なんとかカランビットだけは構えたままじりじりと追い詰められているサナに対して、ずっと観察を続けていた”神”はふと、唐突に──
「っ……く、クハハハハッ!」
笑い出した。
まるで世界全体に響かせんほどに笑い出した。
「な、なんなの……」
「ハッハハハハハッ! なるほどそういうことか! 永き刻でもこれほどの逸材は見たことも聞いたこともないぞ!」
息も絶え絶えに困惑するサナをまるで無視して”神”は一人で納得し、笑っていた。
「なぁおい、貴様は本当に生まれる時代を間違えていたぞ!」
「…………ぁ?」
もうサナには生返事くらいしかできない。
”神”が今さら何を言おうと、これ以上の衝撃などあるはずがない──そんなサナの考えは、あまりにも浅はかだった。
「分からぬか? 分からぬか! ならば……我を傷つけた褒美として特別に教えてやろう! 貴様をこれまで生かしてきたのは──
貴様が憎悪しその手に掛けた両親の賜物だ!」
「っ──」
ヒュッ、とサナが息を呑む。




