8-1
はじまりの日。
村そのものが病に臥せ、まだ”みこさま”と名乗る前の少女が絶望し、戦いに敗れた”神”が救いという名の呪いをもたらす日。
そんな村の外れ、人けのない森の中。
突如、何の前触れもなく景色が──空間が、真夏の陽炎のように歪み、ねじくれる。
そして渦巻く虚空から、人影が現れた。
それは、刻を逆行した──”神”。
”神”は周囲を見回すと、無貌の顎に手を当てて誰ともなく独り言ちる。
「ふむ、少々ズレたか。戯れが過ぎたかな」
そんなことを言いながらも”神”は何ら焦ることなく、悠々と歩き出した。
”神”にとっては、この始まりの日に村を訪れてからこうして刻の流れを遡るまでほぼ全てが計画通りだった。こうしてほんのすこし発生したズレも、その計画に支障を来たすほどではない。
故に”神”の足取りは自信に満ちていて……一度も振り返ることはなかった。
その姿が木々の狭間に消えた頃──空間が、また歪み始めた。
黄金の波と見まがうほどの稲穂に満ち溢れ、しかし活気がほとんどない村を木々の隙間から横目に見ながら、”神”は村の外へと続く道に向けて歩き続ける。
世話になった村だが、”神”には特に感慨もない。
そんな”神”の目が、一人の童を捉えた。
遠すぎて顔どころか性別も分からないくらいだが、それでも”神”にはとても見慣れた存在──依代の少女。
「ふっ」
村の行く末と両親の病を気に病んであてどもなく歩く少女の姿を、”神”はただ──鼻で笑った。
そしてもう、そちらを見ることもなかった。
入った場所から出る──それが理である。
一度だけ見たことのある風景を逆向きに見ながら、”神”は村の外へと向けて歩き続ける。
始まりの日に通った道を、始まりの日に戻って逆行する。
人の身であれば理解すらできないであろう所業を、上位の存在はこうしてあっさり成し遂げる。
そんな”神”の前方から、人影が近づいてくる。
その人影は、漆黒を通り越して虚無のような狩衣に身を纏い、腰には日本刀を提げ、顔は無貌の男性。
刻を逆行した”神”と同じだが、しかしどこか薄汚れた服装をしている男。
始まりの日の──自分自身。
二人、あるいは一人の”神”がお互いにお互いの姿を認識して、だがそれがまるで自然かのごとくただ歩き続ける。
過去に戻った者が過去の自分自身と出会う。
矛盾。
タイムパラドックス。
だが神はそのようなものに縛られない。
驚きもなく、逡巡もなく、会話すらなく。
二人、もしくは一人は何の感慨も抱かずにすれ違った。
こうして、村へと向かう”神”は依代となる少女に出会い、救いという名の呪いの力を彼女にもたらす。そして”神”は隠れ潜み、力を蓄えて始まりの日に戻る。
それが定められた物語。
誰にも覆すことができない予定調和。
全ては”神”の計画通りだった。
これまでは。
ふと──村の外へと向かっていた”神”は、この始まりの日に戻って初めて振り返った。
その視界に映るのは、先ほどすれ違い村へと向かう自分自身の背中──ではない。
それは、この始まりの日には存在しないはずの存在。
神の予定調和から外れた存在。
「……あれ? なんでもう一人いんの?」
サナが、神の背中に追い付いた。
◆◆◆
”神”が歪めて逆行させた刻をそのまま利用する形で始まりの日へ戻った”みこさま”は、先を行ったサナの後を追う形で歩き出した。
負った傷は軽くないが、その足取りは力強い。
(許されるなら──村に、行きたい。せめて、両親を一目だけでも──)
そんな甘い誘惑を、”みこさまは切ない未練と共に切り捨てる。
”神”が歩き、サナが走っていった道を、傷だらけの”みこさま”は半ば足を引きずりながらも歩く。
だが、”みこさま”の目的はサナとは違う。
”みこさま”はただ、村を救いたかった。
その思いだけは──この日から何も、変わっていないものだった。
◆◆◆
「あんた双子だったの? 双子の神様?」
「……蒙昧もここまでくると称賛したくなるよ。あれは──貴様がたったいま斬り捨てたのは、過去の我自身だ」
人の身では想像もできないような異常事態であることを差し引いてもなお的外れなサナの言葉に、”神”ももはや呆れより感嘆が勝るような声を出しながらその足元を指さす。
そこに血まみれで倒れているのは──村に向かうはずだった”神”。
「貴様如きに殺されるとは、この日の我は思ったよりあの忌まわしき神々どものせいで弱り切っていたようだ。ふむ、やはり依代の少女には感謝しないとな」
過去の自分自身が殺されたというのに”神”には焦りどころか怒りすらなく、ただ感心したといった様子で淡々と状況を確認する。
サナもサナで、いましがた人──神?──を殺したばかりだというのに世間話くらいの雰囲気で話に乗る。
「へぇ~、こいつって昔のあなただったんだ。どうりで同じ顔出し同じ服装だし……ん? あれ? んん? 昔のあんたを倒したのに、なんであんたはまだ生きてるの?」
「お、おぉ……よもやよもや、そこに自力で辿り着くとは……!」
首を傾げながらもタイムパラドックスという理論に到達したサナに、”神”は不覚にも謎の感動を抑えきれず声を漏らした。だがすぐ気を取り直して、また侮蔑とも嘲弄とも取れない声で告げる。
「言っただろう? 卑小な人間如きが考える理で我を束縛できると思い上がるな。過去を消滅させたところで我はここに存在する、それだけのことだ」
その言葉にサナはうんうんと──あからさまに適当に──頷いてみせる。
「ゼンゼンなにいってんのかわかんないけど──あんたを殺せばいいってことね!」
言い切ると同時に両のカランビットを構え直したサナに、”神”もまた腰の刀に手を伸ばす。
そして、その姿がまた──ブレる。
ブレたまま”神”は流麗な動作で刀を抜き、自信に満ちた声で口上を述べる。
「やはり愚鈍な人間よ、矮小な身で──」
「シィッ!」
しかし尊大な口上は言い切られない。
”神”が刀を抜くより早く、サナが踏み込んでカランビットを振るったのだ。
思い切りのいい攻撃はしかしブレた刀で受け止められる。
だが──サナの攻撃はそこで終わらない。
「しゃぁっ!」
「ッ!?」
両のカランビットを同時に左右から振るったかと思うと両腕が別の生き物かのように動いて絡みつき、さらには隙を見てブーツ越しの直蹴りまでもが織り交ぜられる。たった一人で行っているとは思えないほどの圧倒的な連撃は、しかしブレた”神”たちに受け止められた。だがそれでも構わず攻撃を続けるサナに対して”神”は反撃する暇が存在しない。
「貴様……! まだ力を隠していたのか!!」
「セイッ!!」
右上から振り下ろされるカランビットにその腕を切り落とさんとばかりに刀が合わされ、しかし強引に軌道修正されたカランビットがその彼方を引っ掛けて逸らし、空いた空間を狙って突き出される左のカランビットを無視して上半身を狙う刀の刺突を左の蹴りで逸らしつつ距離を離し──それでもまるで食らいつくようにサナは距離を詰める。
乱暴な攻防は両者を負傷させる。”神”の腕や肩にはひっかき傷のような裂傷が無数に走り、だがそれ以上にサナは全身を自分の血で濡らしていく。人の身体と神の身であることを差し引いてもサナの方が明らかに分が悪い。
「死ね死ね死ね死ねェッ!」
だがそれでもサナの勢いは衰えない。むしろ痛みが怒りに変換されているのかますます攻撃に苛烈さが増していく。
”神”は──永き刻のなかでも珍しく──困惑していた。
目の前の殺し屋が、なぜここまでして神殺しなどという酔狂に挑んでいるのか、それが全く分からないからだ。
サナの猛攻をなんとか刀で凌ぎながら、とうとう我慢がならなくなった”神”は声を荒げて疑問をぶつけた。
「なにがしたいんだ貴様は! なぜあんな少女のためにそこまでして戦う!!」
その言葉に一瞬──あまりにも一瞬過ぎて”神”がその隙を突けず逆に挙動不審になるほど──サナの動きが止まる。
そして──
「はぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
もはや雄叫びの如き感動詞がその口から飛び出し、さらに攻撃が苛烈になるとともに脳を通したとは思えないほど直接的な罵倒がマシンガンの如く後に続いた。
「あんたバカじゃないのバカなのバカだろ! みこっちまったく関係ないんですけどぉ!?」
「な……!? ならばなぜ貴様は戦う! あの村にも少女にもなんら寄る辺のない貴様がなぜ!?」
傷つくことすら厭わず攻撃してくるサナよりもその言葉の方に驚いて、”神”は反射的に問い返す。
だがサナの答えはとうに決まっていた。
「あんたのせいでこんなイミわかんないことに巻き込まれてスマホも通じない時代に飛ばされちゃったからなんですけどぉ!?」
「なっ──」
「こんな時代のお金なんてもってないしどうしてくれんのよ! 全部ぜんぶあんたのせいじゃない! だから死んでもお前だけは──殺す!!」
つまるところサナは、もはや自身の生存を考慮に入れていない。
高い戦闘技術と数多の戦闘経験を持った殺し屋が死を厭わず戦うとどうなるか。
その実例がまさにこれである。
次第に……次第に”神”は圧されていく。
そして──




