7-1
その空間は、これまで二人が体験してきたどんなものよりも異様だった。
光源によって空間全体がぼんやりと照らされているのに壁や天井が全く見えないほど広く、高く──あるいはそもそも、壁も天井も存在しないのではないかという荒唐無稽な妄想すら現実味を帯びてしまうような、広大な空間。
そんな風に考えて圧倒されていたのは”みこさま”だけで、サナは単純に(うわ広……)としか思っていなかったが。
異様なのは空間の広さだけではない。
壁や天井と違って容易に視認できる地面は、これまで二人が歩いてきた岩肌や荒れた地面とは違ってとても滑らかで、細かく正方形に区切られている。
石畳だ。
どこまで続くか分からない空間なのに、地面は見渡す限り整えられた石畳。
そして肝心の光源は──逆さまになって宙に浮いている無数の石灯籠なのだ。
もしも、そこで二人が振り向いていれば気づいただろう。
潜り抜けた通路に半ば埋め込まれるように、逆さまの鳥居が建っている。
そして敏い者なら気づいただろう──もし、普通の背丈の大人がその通路を歩いてきてこの空間に入ろうとしたら、自然と頭を下げて逆さまの鳥居をくぐるということに。
そんな異様な状況を半ばほどしか理解できぬまま、二人は石畳を踏みしめながら導かれるようにして空間を歩いていく。
サナのブーツがカツカツと甲高い音を、”みこさま”の素足がペタペタとか細い音を立てる。
そうしてしばらく歩いたところで、二人は前方に人影を見つけた。
その人物はこの謎の空間にただ一人、あぐらをかいて座っていたようだが二人の視線に気づいてかすっくと立ちあがる。
その人物──男性の姿もまた、この空間に負けず劣らず異様だった。
一見したところ黒い狩衣に身を包んだ細身の男だが、その狩衣の黒は単なる黒ではなく周囲の光を飲み込むブラックホールのように一点の反射もない黒色でありながら、しかし星の無い夜空を思わせるほどに──有機的だった。
それはまるで、夜闇そのものを纏っているかのようだ。
そんな男の左腰には、鞘に収まった日本刀が提げられている。だがその柄も鞘も通常の日本刀のようなものではなく、一点の飾り気もないダークグレーと直線で構成されている。
しかし、サナと”みこさま”が目を奪われたのはそんな狩衣でも刀でもない。
男の顔だ。
男の顔もまた闇に包まれていた。
正確に言うなら、男の顔が闇そのものだった。
目鼻立ちは分かる。表情筋の動きも分かりやすい──なのにその顔は闇を集めて粘土細工のように固めたかのような代物なのだ。
あるいは、敏い者ならばその男の顔をこう評しただろう。
──無貌、と。
サナと”みこさま”、無貌の男が数メートルほどの距離で対峙する。
口火を切ったのは無貌の男だった。
「二度と合わせぬ顔かと思っていたが、まさか此度相まみえることになるとはな。さりとて別離ともなれば挨拶くらいはしてやるのが義理か」
”みこさま”に向ける男の顔は、無貌のはずなのに口がハキハキと動き口角もほんの少し上がっている。その声音は若々しさと厳粛さが混在するどこかアンバランスなものだったが、サナは何となくそこに嘲りや見下しも含まれているような気がした。
サナは顔を横に向け、なんとなく声を潜めて”みこさま”に尋ねる。
「こいつ、だれ? みこっちの知り合い?」
この場にも二人の関係としても相応しくない馴れ馴れしい問いかけだったが、”みこさま”は無貌の男の顔を見たまま反応を示さない。
否──その顔から目を離せないでいた。
「……みこっち?」
サナの怪訝な声に、”みこさま”がようやく反応する。
「し……知らな、知って、いや、でも、知らない、知ってる、知らない! 知らないのに知ってる!」
「み、みこっち!?」
明らかに取り乱した様子を見せる”みこさま”に、状況を理解できないサナもまた戸惑いを見せる。
だが、そんな”みこさま”を見る無貌の男は──顔も無いのに──訳知り顔で頷いた。
「ふむ。再会を考慮していなかったからな、こうして相まみえてしまうと不具合も起きるというものか」
「ちょっとあんた、なにわけわかんないこと言ってんの!? もすこし分かりやすく説明してよ!」
まるで独り言のような呟きにサナが食って掛かるが、無貌の男は気にした様子も見せず──スッと上げた右の掌を”みこさま”に向けた。
「これでは別離の挨拶も無理というものか。曲がりなりにも長らく世話になった身ではある、褒美を取らせてやろう」
無貌の男の手は”みこさま”に触れておらず、ましてやその手から光や何かが出てくることもない。
それなのに、無貌の男の言葉が終わった瞬間──”みこさま”はまるで見えない何かに撃ち抜かれたようにビクンッと体を震わせた。
「ちょっ、みこっち!?」
「……思い、だした」
焦るサナと対照的に、”みこさま”の声音は──
「ずっと忘れてた。ずっとずっと忘れてた!」
歓喜に満ちていた。
「あなたは神様! 村を助けてくた、あの日の神様!」
そう言われた無貌の男──”神”は、まるで照れているかのように指で頬をかきながら”みこさま”の言葉に答える。
「想起してくれて喜ばしいよ。忘却の彼方におしやられるのは複雑な感情になるからね」
目を輝かせる”みこさま”と、言葉とは裏腹に淡々とした口調の”神”。
蚊帳の外といった状況のサナは二人の顔を何度か見やると、ハテナマークが浮かんでいそうなほど分かりやすい疑問の表情を見せる。
「みこちゃんは神様で村を助けてて、こっちも神様で村を助けてて……あれ?」
「ちゃんと聞いていなかったんですか……」
困惑と歓喜からようやく落ち着いた”みこさま”は、そんなサナの言葉に呆れた様子を見せ、また同じように説明する。
「昔、この村に病が流行ったときに訪ねてこられて、助けてくれたのが神様なんです! あのとき助けてもらえなかったら、村は……」
「へー、神様ってほんとにいたんだ。どっちかっていうと悪人に見えるけど」
疑問が解消されたサナは、”神”の顔──らしき場所──を興味深そうに観察する。
そこで”神”は……まるで初めてサナの存在に気づいたかのように、顔を向けて言い放った。
「なんだ、コレは?」
──空気が冷える。
声音は変わっていないのに、男の纏う雰囲気は一変した。
そこにあるのは蔑みや侮蔑ですらない。
無関心だ。
そんな空気を感じ取れていないのか、”みこさま”は恩のある存在に再会できた喜びとそうして助けてもらった村が滅びた哀しみ、そしてそれを行ったのがいま隣で間抜けな顔をしている殺し屋であるという複雑な感情を隠しもしない声音でサナを紹介する。
「この人は……えっと、村に来て暴れ回った……殺し屋?」
「どうも、村を潰しちゃった殺し屋です」
サナにしては丁寧な自己紹介だったが頭を下げたりはせず、その目はしっかりと”神”を見据えている。それは相手が刀で武装しているというのも理由だが、そうでなかったとしてもサナは警戒していただろう。
外見的特徴を無視しても、この”神”には何をしでかすか分からない、得体の知れなさがあった。
そんな警戒心を直にぶつけられても”神”はたじろぐどころかこゆるぎもせず、むしろサナへの関心が少し沸いた様子で感嘆の声を漏らした。
「ほぅ。血塗られた生贄如きが流転の法術を理から破壊したのか。まったく侮れぬものだな」
「はぁどーも」
心も動作も伴っていないサナの返答だが、”神”は気にした様子も見せない。
そして──沈黙。
サナは何かを考え込んでいる様子で、視線は二人から外さないが心ここにあらずといった様子。
”神”は、ただその場に立っているだけ。話を促す訳でもなく、しかして追い返すような雰囲気もない。ただその場に存在する──ただそれだけで言い知れぬ威圧感を漂わせている。
そして、
「……っ、ぅぅ……」
”みこさま”は、迷っていた。
先ほどから頭に浮かんで離れない疑問。問いかければ答えてくれるかもしれないが、しかしそれを聞いたら何かが壊れるような漠然とした予感が、”みこさま”に二の足を踏ませている。
もはや村は滅び、自らの命も無意味なものとなったのに──それでも迷っている。
だが結局のところ、その迷いは徒労に過ぎなかった。
「そういや、あんたはなんでこんなところにいるの?」
”みこさま”と同じ疑問をやっと言語化できたサナが、逡巡も遠慮もなしに直球の質問で”神”に投げつけたからだ。
サナの奇襲にその標的ではない”みこさま”は半端に口を開けたまま凍り付き、”神”は一驚したかと思うと──口角が限界まで吊り上がっていそうなほどニンマリとした笑みを、”みこさま”に向けた。
「不躾な質問だが、そうさな、そこな依代の少女も同じ疑問を抱いておるようだから許してやろう。さて、我がなぜこの村に逗留しているか──」
そうして”神”の口から、全ての──本当の始まりが告げられた。




