6-1
闇すら存在しない虚無の空間。
その空間に存在するのは、着物を着て前垂れで顔を隠す少女──”みこさま”。
変わらず感情を表に出すことがない”みこさま”だが、よくよく見れば纏う雰囲気が変わっている。あるいはもしこの場にサナが居れば、直接”みこさま”に問いかけていただろう──「なんかキョドってる?」と。
”みこさま”がそんな風に動揺しているのはサナが居ないから……ではない。
その代わりとでも言うかのように、現れた者たちのせいかもしれない。
「もういやだ……殺されたくない……」
──恐怖に震えながら嘆く若い男性。
「なんであんな奴が来たんだよクソッ!」
──虚空に悪態をつく中年の男性。
「あぁもうやんなっちゃう。これで村もおしまい!」
──毒づきながらもどこかせいせいとした様子の壮年の女性。
「うちの人まで、あんな訳わかんないのにいいようにされて!」
──他人事のように嘆く中年女性。
彼らは──サナに殺され続けて心が折れ、諦めてしまった村人たち。
”みこさま”の前に現れる村人たちは、そんな風にそれぞれの想いを言いながら本来あるべき場所へと……虚無に溶けるようにして消えていく。
その言葉は懺悔、嘆き、恐怖、怒りなど、まさに十人十色といった内容だがただ彼らは決して──怒りも嘆きも、目の前の”みこさま”にはぶつけようとしなかった。
そして虚無に消える直前、まるで申し合わせたように彼らは”みこさま”への言葉を紡いでいた。
「これまでありがとう、みこさま」
「みこさま、ごめんなさいね」
感謝、あるいは謝罪の言葉。
言葉は違えど皆がそうして”みこさま”を労い、労わっていた。
誰からも、ただの一言も、恨み言の類は紡がれず──
いつの間にか、”みこさま”は一人になっていた。
そうして、鈴の音が響き始める。
だがこれまでとは違い、その音が示すのは”繰り返し”の始まりではない。
村の終わり。
百年という刻を越えて見守ってきた村の終わりに、しかし”みこさま”はほんの少し安堵した。
もちろん”みこさま”は、村や村人たちの終わりを喜んだりはしていない。
ただ、サナによる殺戮劇をほぼほぼ見守ることしかできなかった”みこさま”にとって、そんな拷問のような時間が終わりを迎えたことだけは慰めだったのだ。
そうして村人たちは”みこさま”の前を過ぎ去っていき、虚無の空間も終わりを迎えようとしている。
ただ、”みこさま”は僅かに疑問を抱いていた。
擦り切れた記憶が、まだ何かが──誰かが足りないと伝えてくる。
そして──
◆◆◆
「およっ?」
サナは運転席で覚醒した。
バカであることを差し引いてももはや何度目か分からないほどにサナが味わってきた感覚だが、それでも慣れることはなかった。
しかしそんな思考とは裏腹にサナの足は慣れた動作でブレーキを踏み、いつものように車を停車させていた。
その頃にはサナの思考も切り替わり、さて今回はどんな風に殺そうかと考えながら習慣づけられた行動としてバックミラーに視線をやって──
「およよっ!?」
驚きの声を上げてバックミラーを二度見し、それでも足りずに体ごと振り返るようにして後方を確認する。
サナの目に映るのは──ごくごく、普通の光景。
村へと続く道路がだんだんと小さくなり、木々の緑に遮られて途中で見えなくなっている。
サナが一番最初にこの村に来た時と同じ光景。
何も遮断されていない空間。
「…………あれ?」
たっぷり三秒ほどかけてから、サナは首を傾げることも忘れて間抜けな声を漏らした。
つぶらな瞳をパチパチと瞬きさせて、わざわざ車から降りて、さらに目を擦ってみたりしても当然ながら風景は変わらない。
道路を──空間を遮断していたはずのあの虚無はどこにも見当たらない。
それは、つまり──
「…………帰れる?」
そう実感した時、サナが感じたのは達成感でもましてや徒労感でもなくなぜか……どこか空虚な、胸にぽっかりと穴が開いたかのような感覚だった。
サナはそんな風に道路に立ち尽くしていた。
その周囲からは、虫の声が聞こえてくる。
ループの終わり
殺戮劇の閉幕
ゲームクリア
「…………」
サナは静かに車に乗り込み、改めてエンジンをスタートさせた。
このまま車を転回させて村から離れるという選択肢がサナには存在した。
そもそもそれ以外の選択肢を選ぶ意味がなかった。
得体の知れないループからようやく脱出することができたのだから、得体の知れない村に入る必要性は全く存在しない。ともすれば、村に入ることでまたループに囚われる可能性もある。それより異常な現象に巻き込まれる可能性も否定できない。
そんな危険を避けるためには一刻も早く、村から離れる必要がある。
それが賢い人間の考え方だ。
「ちょっと文句ゆってやる」
そしてサナはバカだった。
こんな意味不明な事件(?)に巻き込みやがった奴らに文句言ってやる──その思いだけで、サナはアクセルを踏み込んだ。
甲高いエンジン音が、夜闇を切り裂いていく。
◆◆◆
降り注ぐような星明りだけは、ループという異常事態が終わっても何も変わらなかった。
だが今やその村──あるいは村があったであろう空間を照らしているのは、星空以外にはサナの車のヘッドライトだけだった。
街灯も、家々から漏れ出す照明も、そして黄金の海のように煌めいていた稲穂も、もうそこには存在していなかった。
「……」
サナは車を徐行させながら周囲を注意深く警戒しているが、もはやそこには見るべきものが何も存在しなかった。
人の姿どころか、そこに村があったという証すら探すのが難しいほどだ。
森の中に現れた不自然な空き地──そんな表現がぴったりなほどに、この空間には何も存在しない。
そしてそれが当然であるかのように……ヘッドライトが切り裂く闇のなか、道路が唐突に途切れてしまった。
「っ……」
サナは車を停車させ、前方を透かし見るように目を凝らす。
途切れた道路の先は、獣道の方が上等なほどに荒れ果てていた。倒木や大小様々な岩が、車を拒むように転がっている。
そんな空間を睨みつけるようにして観察していたサナだったが、不承不承といった様子でエンジンを停め、降車して歩き出した。
ヘッドライトも消えたことで光と言えそうなのは星明りくらいだが、サナは全く気にせずに軽い足取りを見せる。
不思議とサナは、危険そうな雰囲気は感じていなかった。
荒れた地面を踏みしめるブーツの足音は、響き渡る虫の声にほとんどかき消されている。
そうしてしばらく歩いたところでサナは──前方に、人影と思しきものを見つけた。
「……」
サナは素早く二振りのカランビットを抜くと、それを自分の腕や体で隠すようにして歩き続ける。
だがそうして警戒しながらも、そのカランビットが必要になることはないという奇妙な予感をサナは抱いていた。
そうして──お互いがはっきり見える距離まで近づいたところで、サナは足を止めた。
前方の──二人分の──人影。
袴姿の男女。
女装した殺し屋と時代錯誤な格好をした男女が、星明りに照らされる謎の空き地でただ静かに対峙する。
あるいは異常な光景。
だがサナはそんな異様さを気にすることなく、二人だけでなく周囲まで警戒する。袴姿の男女は敵意のようなものを見せたりはしていないが、もしかするとそれは囮であり村人がどこかに潜んでいるかもしれないからだ。
──実のところそんな警戒は的外れだったのだが。
そんな奇妙な静けさが漂うなか、袴姿の男が口を開いた。
「む……いや、みこさまを──」
また”みこさま”か──とサナは一瞬身構える。
だがこれまでのサナの記憶とは違って、男の声音に狂気のようなものは混じっていない。
そこにあるのは、ただ誰かを案じる感情。
その落差はまるで不意打ちのようで、サナは動くことができなかった。
それをどう受け取ったのか──男は改めて、途切れた言葉を紡ぎ直した。
「みこさまを──よろしくお願いします」
そうして男は、隣の女性と共にサナに向かって深々と頭を下げた。
その言葉と動作の意味が理解できず、サナは目をパチクリとさせる。
そうして二人は消えた。
「……はぁ?」
間抜けな声を上げたサナが目を瞬かせたその一瞬で、そこに存在したはずの袴姿の男女の姿が消えていた。
困惑したサナは周囲を見回すが、どこにも人影はなく、人の気配も感じられない。
全力疾走でもホログラフィックでも説明できない消失現象──まるで、最初からそこには誰もいなかったかのような。
サナは、我知らず体の前に構えていたカランビットを所在なさげに漂わせながら独り言ちる。
「よろしく、って……どうしろってのよ……」
そんな当然の疑問に対して、答える者は誰もいない。
サナの耳に届いてくるのは虫の鳴き声ばかり。
もちろんサナにそんなお願いを聞いてあげる必要はないし、そもそもどこに行けばいいかも分からない。
首を傾げながら踵を返そうとしたサナの耳に──微かな異音が届いた。
涼やかなそれは虫の声にも思えるが、サナが幾度も繰り返されたループの中で刷り込まれるほどに聞いたその音色を聞き間違えるはずがなかった。
凜とした、鈴の音。
まるで誘い込んでいるかのようなその音色にサナは口元を引き締めると、両のカランビットを構えて歩き出した。
鈴の音が響く方向、闇の奥へと。




