3-3
家の広さに見合わず狭くて急な階段を、サナはカランビットを構えたまま油断なく一段ずつ上がる。
上がった先はフローリングの廊下で一面が襖になっており、サナはその一枚に手をかけて少し力を込めた。それだけで手入れの行き届いた襖は音も引っ掛かりもなく開き、その先には照明が消えているが片側一面を占める窓から夜間なのに光が差し込む広々とした無人の和室が存在していた。
窓からの光に赤っぽい色が混じっていたので、サナは「まだ火事のままなのかな?」と他人事のように考えながら和室に足を踏み入れる。
ほとんど家具もない殺風景な部屋だが、生活感が無い訳ではない。村人たちが集まったりしているのだろうかとも思いながら、サナはブーツで気にせずに歩く。
ミシリという軽い音が、サナにはどこか大きく聞こえた。
そしてあっという間にサナは和室の反対側に到達した。だがそこにあったのは壁ではなく、先ほど開いたものと同じような襖だった。それが反対側の一面を区切っている。
まるでそこにある何かを隠すように。
襖自体は何も変わらないのに、サナはそれがまるで爆弾か何かでできているかのように慎重に手をかける。
そして力を込めようとして──突然後方に転がるようにして飛び退る。
その目の前で襖が爆砕した。
正確には長大な刃で斜めに切り裂かれた襖が、それでも衝撃を吸収し切れずに枠から吹っ飛んだのだ。骨組みと紙という脆そうに見えて実は刃物にとって厄介な襖をあっさり切り裂いた白刃を、サナはすんでのところで回避していた。
そして切り裂かれた襖の向こうには──長大な日本刀を袈裟斬りに振り下ろしたまま静止している、袴姿の男。
──サナが”村長”だと紹介された男。
すんでのところで襖ごと切り裂かれるところだったサナは、しかしそんなことを微塵も感じさせない笑顔で挑発的に声をかける。
「あんたが”村長”? それとも”かみさま”とか? ぜーんぜん出てこないからぶるっちゃってるのかと思ったけど、やる気でギンギンじゃん」
分かりやすく煽るサナに対して、”村長”は何も答えない。構えを解いて踏み出し、残った襖を邪魔にならないように両脇に開け放つと、改めて日本刀を中段に構えてサナに真っすぐ相対した。
ヘラヘラした笑みを浮かべていたサナも、それに応えるように両手のカランビットを構え直す──笑みは貼り付かせたままで。
日本刀を構えた”村長”は、軽く腰を落とし重心を安定させている。その刀の切っ先はまるで宙に固定されているかのようにピタリと静止して、使い手と敵双方がどのように動いたとしても対応できるようになっている。
対してカランビットを構えたサナは、重心の低さは”村長”と同じだがブーツを履いた足とカランビットを構えた両手はゆらゆらと不規則に動き続けている。それはまるで下手なダンスのようで、しかしそれ故に先の動きが読めない。
片や”村長”の引き締まった表情、片やサナの軽薄な笑み。
得物も動きも表情も、何もかも対照的な二人はしかしどちらも相手をしかと見据えて動きを探っている。
真偽は不確かだが”村長”と呼ばれる男と来訪者の殺し屋、立場の違う二人が同じことを考えている。
──相手を殺すこと。
空気までもが凍り付いたように動きを止める。
そして何かが爆発したのか一瞬窓から強い光が差し込んだ瞬間──二人は爆発的に距離を詰める。
刀の切っ先がサナの上体に向けて突き出される。その速度と力は人間の胴体くらい楽に貫通できるほど強力なもの。
だがサナは臆せず踏み込みを緩めもせず、ギリギリの瞬間に半歩だけ体の軸を左にずらして回避。刀の切っ先はサナの右肩を掠めて虚空に突き出される。
刺突を回避したサナはそのまま”村長”との距離を詰めようとする。だが武器のリーチの差で”村長”にはまだ攻撃のチャンスがあった。
刀を握る手首が返されてサナの胴を横薙ぎにしようとする。だがサナは身体と刀の間に左のカランビットの刃を挟み込むようにして受け止め、そのままカランビットを刀に滑らせるようにして”村長”の手を狙う。
「っ!」
”村長”は顔を歪めて、腕を畳むようにしてカランビットの刃から刀を解放し、さらに後方に下がることでサナとの距離を取る。そして下がった勢いをそのまま溜めの動作に応用して、体全体をバネのように活かして強力な刺突を放つ。
ここでサナは無理をせず後方に小さく跳躍、刀の攻撃範囲から外れて構え直す。
両者、無傷──仕切り直し。
一瞬で命を伴うやり取りをしたのにほとんど息も切らしていない二人は、また図ったかのように同時に動き出す。
長大さに似合わず軽々と振り回される刀が袈裟に落とされ、それをバックハンドで振るわれたカランビットがブレードバックで弾き流す。”村長”は僅かに下がりながらも、弾かれた勢いまで利用して振り上げた刀を縦一文字に斬り下ろす。
刀が頭を割る──その寸前にサナはするりと右足を斜め前に出し、体を開きながら右のカランビットのリングを刀に叩き付ける。
縦一文字の途中で力の向きを強制的に変えられた刀はサナの身体に触れることすら叶わず、勢いを殺しきれずに畳に深々と突き刺さる。
好機とみたサナは右のカランビットをバックハンドに構えて”村長”の懐に潜り込む。距離が詰まればリーチの長短は有利不利が一気に逆転する。
だが間近のサナに対して”村長”は刀に拘らず、ほとんど予備動作なく左の蹴りをサナに叩き込んだ。
「ぐぅっ!!」
サナは大きく後方に──やや大げさに吹き飛んで、畳の上を後転するように転がって距離を取らされる。カランビットを握る手を畳に付けてなんとかバランスを取っているが、あまりにも大きな隙を晒してしまっている。
しかし──
「……」
千載一遇のチャンスのはずなのに”村長”は追撃をせず……ただ痛みに顔を歪める。
”村長”の足元の畳が血に染まりつつある。その血の源はもちろん刀ではない──足である。
そしてその傷の原因は……サナの手元で血に染まるカランビットの刃が、何よりも雄弁に物語っていた。
「どう? ソンチョーさん? 刺激的でしょ?」
蹴りを食らって吹き飛んだ──ほとんど自分から後方に跳んだサナは、大したダメージも無かったかのように笑って立ち上がる。
痛み、あるいは怒りで歪んだ顔を震わせていた”村長”だったが、スッとその表情を消して刀を中段に構え直す。
サナも改めてカランビットを構え直すが……
「お前は……」
薄暗い和室に響いた”村長”の声に、サナは場にそぐわないきょとんとした表情を浮かべた。
「お前はいったい、何者なんだ?」
その単純なようでいて難しい質問に、サナはしばし動きを止めて考え込む様子を見せる。
そしてひとつ長い息を吐くと、一旦構えと緊張を解いて大げさに肩をすくめた。
「みんな”みこさま”がどーたらうるさかったけど、よーやくマトモな話を聞けた気がするわ。イミはあんまりわかんないけど」
「答えろっ! この村を滅ぼしにでも来たのか!!」
”村長”はなおも怒声を上げる。その足からはまだ血が流れ続けていて、時間をかければ不利になるのは明らかだ。それが分かっているからか、サナはどこか余裕そうな雰囲気だった。
──そんなサナを、背後から見つめる影がひとつ。
「ほ──滅ぼすぅ? こんな村をわざわざ殺し屋で滅ぼしちゃう意味って……えっ、なんかあったりする? みんなすっごい殺気だけど、なんかヤバい奴殺しちゃったりした?」
「……確かに、お前のような血塗られた罪人こそが我々の村に呼ばれて引き寄せられる。そして我々はその罪人を”みこさま”への贄として捧げ、それによって栄えてきた……だが余人がこの理を知る由もない! ならばお前はいったい──」
「ちょ、ちょっとストップストーップ!!」
捲し立てられた言葉をサナが焦った様子で制止する。その勢いに”村長”も気圧された様子で口を閉じる。
命のやり取りをしている時よりも真剣な表情を浮かべて、サナは何の気負いもなく言い放った。
「むつかしい言葉を使うな! ちょっと頭がいいからってバカにすんなよ!」
──場を沈黙が支配する。
少し居心地の悪い表情を浮かべた”村長”は、一つ咳ばらいをすると言葉を選んで話し出した。
「犯罪者を、神様への、生贄にする」
「おーけー分かった。分かりたくないけど分かった。ところでちょっと聞いていい?」
殺し合いをしているとは思えないほどサナの口調は軽い。
”村長”は日本刀を構えたまま何も答えないが、気にせずにサナは続ける。
「その、”みこさま”ってのが神様なの? この村の神様ってやつ?」
「……その通りだ」
不承不承といった様子で”村長”は肯定の頷きを返した。
だがここでサナは思い出した──村人たちに聞いた昔話を。
「え? でも、この村を助けたのは外から来てくれた神様なんでしょ? じゃあこの村の神様って役立たずじゃん」
「──! ”みこさま”がこの村を護ってくださっているのだ!」
サナの不敬な言葉に”村長”が激昂する。
だがサナが抱いてしまった疑問はその返答では解決されていない。
「え? じゃあ”みこさま”っていう神様が外から来たの?」
「”みこさま”は我らの村の神様だ!」
「じゃあ救ってくれたのは”みこさま”じゃなくて外の神様でしょ?」
「”みこさま”が村を護ってくださっているのだ!!」
「いやさっき外から、って……」
バカな頭でも分かる明らかな矛盾にサナは疑問の声を上げ続けるが、”村長”の様子に言葉が詰まった。
先ほどまで──内容は別として──理知的に話していたはずの”村長”は、いまはサナ以上に混乱した様子で何事かを呟き続けている。あまりにも早口で誰かに聞かせることを考えていない声量だったが、サナはすぐに”村長”が同じ言葉を繰り返していることに気が付いた。
「みこさまのためにみこさまのためにみこさまのためにみこさまのためにみこさまのために──」
「うわぁ……」
サナはドン引きしながらも、曲がりなりにも会話できていたことで忘れかけていた事実を再認識した。
──この村は狂っている。
だが、そんな”村長”の繰り言がピタリと止まる。
ひとり言を呟き続ける男も怖いがそれが突然止まっても怖い──そんなことを考えながらサナはカランビットを構え直す。
”村長”は日本刀をゆっくりと上段に構える。サナはその動きを注視しながら、腰を落として低い姿勢を保つ。
そして──男が爆発的に動いた。
同時に、サナの背後から袴姿の女性が包丁を腰だめに構えて走り出す。
日本刀を上段に構えて走り出した”村長”、包丁を腰だめに構えて突っ込む女性。
挟まれた形のサナは”村長”に相対したままその場を大きくは動かない。その顔も目線も”村長”の方を向いていて背後の脅威に気づいているようには見えない。
”村長”は日本刀をさらに高く掲げる。女性は包丁を持つ両手に力を込める。
そして刀と包丁が同時にサナの身体を貫こうとした瞬間──
サナは何の予備動作もなくスッと左に倒れこむように姿勢を低くした。
「ッ──」
想定外の行動に女性は対処できず、包丁はサナの右脇を掠めるようにして外れる。だがサナはさらに女性に対して足払いをかける。
文字通り足元を掬われた女性は突進の勢いそのまま前方につんのめる。だがその先には日本刀を振りかぶる”村長”がいた。
「っ!?」
”村長”はあわやのところで刀を留め、女性は包丁を逸らす。だがそうして自分の武器ばかりに気を取られていたせいで二人は衝突し、もつれ合って転がる形になってしまう。そんな状況では自分の武器がどこにあるかすら分からず──サナにとっては決定的な隙になった。
サナは素早く体勢を立て直し、”村長”に縋る形の女性の背中をズタズタに切り裂いていく。
「きさまぁっ!」
”村長”が怒号を上げて立ち上がろうとするが、その腕の中で力が抜けていく女性に引っ張られる形で妨害されてしまう。そうなってしまえば背の低いサナでも”村長”の急所──首を簡単に狙えた。
カランビットの刃が、あっさりと”村長”の頸動脈を切断する。
致命傷を負った二人はそれでも離れることができず、お互いの血に塗れながら畳に倒れる。女性の方はすぐに意識を失ったが、”村長”の方はまだもがいていた。だが自らも致命傷を負っている状況では自らに覆いかぶさる女性の身体をどけることすらできない。
”村長”はそれでもサナを睨みつけている。その口元が歪んで、血の泡が混じった声が発せられる。
「にげ……られん、ぞ……」
その言葉に、サナは露骨に顔を歪めて吐き捨てた。
「うっせぇ死んでろ」
そうしてサナはもう二人を放置して、光が入り込んでくる窓の方へと近寄った。
星明りの下でも空を覆わんとばかりに立ち昇る黒煙は目立っており、その煙の向こう側では燃え盛る炎が赤い触手のように暴れ散らかしている。
”村長”の家は高台にあるので、サナにはその全ての光景が手に取るように分かっていた──火災の周辺で右往左往している村人たちの姿も。
背後の二人に聞こえるくらい分かりやすく、サナは眼下の様子を鼻で笑った。
「火事も消せないくらいでなーにが”村をまもる”だっての、あんたんとこのカミサマとやらはゴミのやくた……た……」
だが……サナの余裕は、すぐに消えた。
それは雨雲だった。
雨雲のはずだった。
そう考えられるのは、黒くもやもやした物体から大量の水の粒が降っているからだ。
だがそう考えられないのは、その雨雲がサナの目の高さ──”村長”の家とほぼ同じ高さ、火災が起きた民家のほぼ直上に存在しているからだ。
天気予報は晴れと雨と曇りくらいしか知らないサナでも、それが異常気象という言葉では説明がつかないほどの異常な現象だということが理解できた。
そしてその雨雲が降らす雨粒──推定──もまた異常だった。
異常な量だった。
文字通り、バケツをひっくり返したかのように降り注いだ雨粒──水の粒──いや洪水が、火災をあっという間に消してしまう。
そして周囲の村人たちが歓声を上げる中、雨雲は現れたのと同じように何の前触れもなく消え去ってしまう。
「…………」
サナは絶句していた。
あるいは今まさに、サナは神の奇跡を分かりやすく目にしたのだ。
「逃げられんぞ」
背後から響いた声──今度ははっきりとしていた──にサナは弾かれたように振り返る。
だが”村長”も女性も既に意識を失っており、もう微動だにもしていない。
「…………うっせぇ、死んでろ」
サナは先ほどより覇気のない声でそう吐き捨てると、窓を開け放って外に飛び出した。




