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警戒が厳しい場所があるということは、裏を返せば他方に警戒が薄い場所があるということである。
サナが侵入する対象に選んだ民家は”村長”の家と神社の双方から離れた場所に建っており、ぐるりと塀で囲まれているで侵入するのは少し難しいが入ってしまえば発見される危険性はぐんと下がる。
そして何より照明が点いていない。
闇と田畑を利用して民家に近づいたサナは、慣れた様子で誰にも見つからないように裏手の塀を軽く乗り越える。そして時間を無駄にせず土足で家屋に上がり込むと、素早い動きで全部屋を捜索し誰も居ないことを確認した。
こうしてあっさりと民家を掌握したサナだが、今回の目的は逃走手段の確保でも情報収集でもない。
この民家はあくまでも過程だ。
サナはまず和室に入るとそこにあったタンスを開け、中に入っていた衣服を次々と畳に積み上げていく。そうして文字通り衣服の山を完成させたサナは、しかしそちらには目もくれずに台所へ向かう。
台所を軽く漁ったサナは目当てのもの──サラダ油のボトルを両手に一つずつ持つと、それを和室に持ち込んで衣服の山の上に置き、蓋を開ける手間を省いてカランビットの刃先をボトルに突き立てていく。
あっという間にボトルがほぼ空になると、油が染み込んだ衣服の山という危険物がそこには出来上がった。
しかしこの危険物にはまだ──火種が足りない。
サラダ油は灯油よりも引火点が高く──なおサナは引火点と発火点の区別が曖昧である──マッチやライターで火を点けたとしてもうまくいかない可能性がある。
そのためにサナは、車から持ってきた物を取り出した。
服の隠しスリットから出てきたのは赤い円筒形の物体。
発炎筒。
サナは発炎筒のキャップを外して油まみれの衣服の山に突っ込むと、発火の瞬間を外から見とがめられないよう──論理でなく直感で──そのままキャップで発炎筒の先端を擦った。
眩い炎を上げる発炎筒を油まみれの服で覆い隠すと、サナはそのまま入ってきたのと同じように素早く静かに家を飛び出し、誰にも見とがめられずに塀を乗り越えて田畑を利用して離れていった。
サラダ油の引火点は二五〇度だが、発炎筒の炎は六〇〇度でそれを優に凌駕する。
少しの間は炎も煙も衣服の山の下で燻っていたが、水中でも簡単には消火されない発炎筒は構わず燃え続ける。
衣服の山それ自体が炎を上げるようになるまで大した時間はかからなかった。
民家に立ち込めた煙はあっという間に空間の許容量を超えて、派手に燃え上がる炎と共に夜の外気に吐き出される。
村をパトロールする男たちがそれに気づいた頃には、もう手の施しようがないほどの火事へと発展してしまっていた。それでも男たちは火を何とかしようと、そしてその付近に居るであろうサナを探すために次々駆け寄っていく。
サナの狙い通りに。
もはや火災の様相を呈している民家と騒ぐ男たちに背を向けたサナは迅速に動き出した。
狙いは、”村長”の家。
◆◆◆
”村長”だというのが真実かサナには分からないが、そう言われるだけあって他の民家よりかなり手がかけられた邸宅だった。だがサナにとって一番の問題は、邸宅をぐるりと囲む塀の高さが三メートルほどもあって容易には侵入できないことだ。
本来なら選ばない手段だが玄関と裏口を確認してみるサナだったが、当然のことのように閉め切られた重厚な門と扉が行く手を阻んでいる。
だがそれを確認する間に、サナは侵入手段に目星を付けていた。
自然と調和するように建てられたその邸宅の周囲には、その邸宅より古くからそこに立ち続けていそうな大木が点在していた。そしてサナにとっては運が良いことに、その内の一本の木から張り出した枝が塀のすぐ傍まで伸びていた。
十秒たらずの後、サナは枝から飛び降りて人けのない庭に潜入を果たした。
邸宅の外見と同じように庭もセンス良く整えられており、広く深そうな池の周りに手入れの行き届いた植え込みが点在している。
家主や訪問者の目を楽しませる庭だが、サナにとって重要なのは隠れる場所が充分にあるということだ。
そんな抜群の遮蔽物を活かしながら、サナは邸宅を観察する。
二階建ての家だが照明が点いている部屋は一階ばかりで、人影もチラチラ動いている。だがまさかサナが既に足元に入り込んでいるとは思っていないようで、異常を思わせるような声や動きは見受けられない。
故にサナは大胆に動き始める。
塀に囲まれていることで安心していたのか、鍵がかかっていなかったガラス戸を静かに開けて邸宅内に侵入。土足だから気休めにしかならないが一応ガラス戸を閉じた後、ブーツを履いているとは思えないほど静かな足音でサナは廊下を進む。
一階の人の気配は固まっていたので、自然とサナの足もそちらに向かっていく。その廊下の先で、前触れなく引き戸が開き──エプロンを着けた中年の女性とサナの目がばっちりと合った。
「ぁっ──」
一瞬硬直した女性は叫び声を上げようと息を吸い込んで──その時にはもう一気に間合いを殺したサナが、その喉に右のカランビットを突き刺して物理的に口封じをしていた。
だがサナはそれだけで止まらず、女性の首に突き刺したカランビットにハンドルのように力を込めて、まだ開いたままだった引き戸にその身体を押し込むようにして強引に入室。
「えっ!?」
「っ!!」
引き戸の先は台所と繋がった居間で、そこにはいままさにサナに殺されかかっているのと同じような年恰好の中年女性二人が立っていた。だが二人とも突然の闖入に対応できず硬直してしまっている。
サナだけが能動的に動く。
カランビットを振り切って女性を床に振り落としたサナは、狙いを二人の女性に変える。
標的にされた二人の反応は対照的で、片方はシンクに置かれた包丁に向かい、もう片方は部屋から逃げ出そうとする。
普段なら武器を取るのを妨害するべきだが、この状況では逃げた女性に助けを求められる方がまずい──そう考えてサナは逃げる女性に背後から襲い掛かり、エクステンデッド・グリップで首を切り裂いてすぐ背後に向き直った。
二人の犠牲のおかげで、最後に残った一人は包丁を手に取る猶予を得られた。威嚇するように両手で構えたそれの切っ先はサナに真っすぐ向けられている。だが向けられた方はそんなことまったく気にせず、まるで世間話でもするくらいの気軽さで問いかける。
「ねぇ、”村長”はどこ?」
届いているはずの質問は、しかし分かりやすく黙殺される。
「はぁぁ……」
いい加減この村に辟易していたサナは、これまた分かりやすくため息を吐いて無造作に女性の方へと歩き出す。
まるで包丁なんて存在しないかのようなその無防備さに、女性は包丁をそのまま突き出すべきか引くべきか逡巡してしまう。
その一瞬だけでサナには充分だった。
素早く動いた左手のカランビットが、刃を上向きにして女性の両手首を深く切り裂く。
「ぎぃっ──がぼっ」
激痛に悲鳴が上がりかけるが、踏み込んだサナの右手のカランビットがその喉を切り裂き、女性はうがいのような不愉快な音しか立てられなくなる。
これで助けを呼ばれることはなくなったが……サナは自らの不手際に気づいてその顔を歪めた。
「やっちった。これじゃ”村長”の場所わかんないじゃん」
サナは先に無力化した二人の方を見るが、そちらもとうに意識を失っている。
だがそうして静かになったことで、サナの耳は足音を捉えた。
廊下を小走りするその足音は、急ぎ足だが警戒は見受けられない。人が倒れる音などで異変を感じて確認しに来たが、サナが既に侵入しているとは気づいていないようだ。
そしてその誤認識は明らかに致命的だ。
サナは近づいてくる足音にもなんら慌てることなく、開いたままの引き戸の脇に片膝を立ててしゃがみ、その時を待つ。
そして目の前に足が現れた瞬間、サナは顔を確かめることなどもせず死角から脛にカランビットのリングを叩き付けた。
「っぅぅ──!」
足音の主──やはり中年の女性──は突然の激痛に声にならない声を上げながら倒れこむ。
だがサナは全く容赦せず、女性がまだ奇襲の衝撃から立ち直れていない内にその髪の毛を片手で引っ張り上げ、さらけ出された首元にもう片手でカランビットを突き付けて強く短く問いただす。
「”村長”はどこ?」
予想できない事態となお続く激痛に女性は声を上げることすらできないが、その目は口ほどに物を言っていた。あちこちさ迷っているように見えて、その目が天井──その先を見ていることにサナは気がついた。
「……二階?」
サナの言葉に女性がビクリと震える。それが何よりの答えだった。
それでも女性は何とか抵抗しようと、痛みに悶えながらもその口を開く。
「み、みこ、さまの──」
「あっ、それもういいから」
だがサナは必死の言葉をあっさり切り捨てると、その言葉以上の簡潔さで女性の首を切り裂いてしまった。
倒れ伏す女性。だがサナはそちらには興味をなくして天井──二階を見上げる。
そこに、”村長”がいる──サナはそう確信していた。




