3-1
黒、あるいは無に包まれた空間。
上下も左右も分からず、一点の光も存在しない異常な空間。
そこに──サナは立っていた。
なぜ自分がここに居るのかも理解できないサナは軽く周囲を見回した後、自らの服と両手を見下ろす。そこにはいつもの地雷系ファッションと二振りのカランビットがあり、軽く振り回された刃はサナの身体を全く傷つけなかった。
サナは気づいていないが、服とカランビットが見えるということは──この空間を包み込んでいるのはただの闇ではないということである。
例えるならここは、黒一色の背景にサナの立ち絵だけがある簡素な動画のような空間である。
改めてサナは周囲を見回してみるが、どこを見ても黒一色なせいで天井や壁がどこにあるかすら分からなかった。
あるいはそもそも、天井や壁なんて存在しないのではないか──そんな馬鹿げた空想すらサナは否定できない。
地面でさえもいま立っている場所以外に存在するのか分からず、なんなら自分は本当に立っているのかすら怪しくなってきて、途方に暮れたサナは前方に目を戻す。
そこに着物の少女が立っていた。
先ほどまでは確かに誰も──サナ以外に──存在しなかったはずの空間に、いつの間にか少女が立っている。まるで一瞬にして姿を現したかのような状況だったが、不思議とサナはこの空間にその少女が存在することがごくごく自然なことのように感じられた。
そして──沈黙。
何も無い空間では時間の進み具合も曖昧である。
先に口を開いたのは、居心地が悪くなったサナの方だった。
「んー……ぁー、その……きみ、だれ?」
遠慮がちな声がこの空間のせいかやけに大きく響く。
その問いかけは確実に少女の耳にも届いたであろうに、彼女は何の反応も見せない。鈴の付いた前垂れで隠れた顔も当然ながら何の表情も見せてくれない。
またしても、沈黙。
だがサナもそこまで我慢強くない。めげずにまた問いかけようと口を開いて──
「そなたは何ゆえに人を殺す?」
まるで機先を制すかのような少女の不意の問いかけに、その動きが固まった。
その声は決して大きくなかったのに、サナはその一言一句をはっきりと認識できた。さりとて何かしらの感情が込められた声でもないのに、答えなければならないという意識がサナの中に生まれていた。
故にサナは──珍しく──真剣に悩んで、本人なりに真面目に解答した。
「その……”なにゆえ”って、どういう意味?」
──鈴の音が響く。
またしても沈黙。
だがそれは先ほどまでとは明らかに種類が違うものだった。
数秒ほどして、少女が酷く気まずそうにゆっくりと言葉を紡ぐ。
「あなたは……なんで、人を、殺すの?」
言葉を選び噛んで含めるかのような問いかけ。
ともすれば馬鹿にした態度と紙一重だが、そういった悪感情が込められていないことをサナは何となく感じ取っていた。
故に──今度はすぐに返答する。
「生きるために決まってるじゃん」
あまりにもシンプル。
ともすれば嘘くさくなる返答だが、その声音にも表情にも嘘は全くない。
サナは、心から自分の返答を信じている。
「でさ、あんただれ? ここは何? あの変な村なのここ?」
少女は何も言わない。サナの言葉を肯定も否定もせずにただ黙って立っている。
だがサナは自らの言葉で確信めいたものを抱いて急に大声を上げた。
「あー! わかったぁ! あんた、”みこさま”ってやつでしょ! あんたがボスかぁ!!」
先ほどまで感じていたはずの足元への不安もどこかへ吹っ飛んだサナは、少女に詰め寄って掴みかからんとばかりにその胸元へ手を伸ばす。
だが──
「……」
鈴の音が響き──ピタリとサナの動きが止まる。
物理的な強制力が働いた訳ではない。もちろん少女が何かを行ったりした訳でもない。
ただここで動いてはいけないという思いが唐突にサナの頭に浮かび上がったのだ。
バカなサナはその考えを適切に言語化できないが、あるいは信心深い人間でもあればこう称しただろう。
──畏れ多い、と。
殺し殺されの現場より緊張しながらサナは静かに、そして──本人にとっては──丁寧に問いかける。
「あなたは……だぁれ?」
少女は身じろぎもしない。
なのに、鈴の音はだんだんと大きくなっていく。
サナは、何もしていない少女からなぜか目が離せない。
そして──
「わらわは、みこさま──村をまもる、かみさま」
◆◆◆
「いや自分に”さま”ってつけるの!?」
目を覚ました──覚醒したサナはそう叫びながらブレーキを踏んだ。
村へ入る直前の道路で、軽自動車はタイヤを軋ませながら停車する。
「……あれ?」
脈絡のない夢のような唐突な場面転換を迎えたサナは、しかしそれ以外の理由で首を捻る。
そして数秒後、サナはポツリと呟いた。
「わたし、わたし──ぜんぶおぼえてる」
初めて村に来た夜、温かく歓待された夕食、そして唐突に始まった殺戮と──着物を着た謎の少女。
だからサナは、バックミラーを覗きながらもそこに何があるかは先に知っていた。
闇、あるいは黒。
道路を、空間を雑にぶつ切りにしたような漆黒の暗幕。
もしかするとこれまでのループでも振り返りさえすればそれが見えていたかもしれない──そんな自分の考えにサナは思わず背筋を震わせた。
だがサナはこんな場所でじっとしているつもりはなかった。
車のエンジンを停めたサナは服のスリットから取り出した二振りのカランビットをそれぞれ両手に握り、運転席のドアを開けて素早く車外に身を乗り出す。
だがふと動きを止めたサナは、改めて車内に体を戻し軽く探索をする。すぐに目当ての物を見つけたサナは、それを回収して服のスリットから隠しポケット内に突っ込む。
サナは今度こそ車を降りると、素早くかつ音も立てずに道路わきの森林へと飛び込んでいく。
そろそろ勝手知ったる暗闇の森を走りながら、サナはふと頭に浮かんだ疑問を口に出した。
「……かみさまってどゆこと?」
それからしばらくして油断なく武器を構えた大勢の男たちがやってきたが、すっかりエンジンも冷えた無人の車だけしかそこには残されていなかった。
◆◆◆
逃走が不可能であり闘争には際限がない以上、サナは苦手なことを自覚していても頭を使って探偵ごっこをする必要があった。
村をぐるりと囲む森林を静かに移動し、時折接近する男たちのグループはどれだけ無防備でも襲わず悟らせずやり過ごしながら──サナは村全体をつぶさに観察した。
だがそもそも村はさほど大きくなく、その面積の大半を田んぼと稲穂が占めている。あとはどこから電力が供給されているかも分からない街灯と、電力どころかその他諸々が供給されているかすら怪しい民家くらいだ。
だが頭を使うことが苦手なサナでも、最初から怪しいと思って観察すればこの村の異常性はいくらでも見つけることができた。
(店も……学校も、交番も、お医者さんも、郵便屋さんも、なにもない……)
いくら山奥に存在する村だからといっても足りない施設が多すぎる。車両が存在しないことも併せると、村全体で自給自足でもしていなければ成立するはずがない。
だが今のサナに必要な情報は村の異常性ではなく、自分が生き延びるため──逃走するために必要な情報だ。
これまでのループでサナはいくつかの民家を強襲しているが、情報に関しては芳しい成果を上げていない。もしもループしても村の状況が大きく変わらないのであれば、これからまた民家を襲ったとしても徒労に終わる可能性が高い。
しかし、サナにはこれまでの記憶で気になっている場所が二つあった。
何度目かのパトロールを難なくやり過ごしたサナは、ほとんど音も立てずに手頃な木にするすると登っていく。しっかりした枝に体重をかけると、生い茂る葉から透かし見るようにしてその場所を観察する。
一つ目──民家。
ひと際高い土地に建てられたその民家は、村に存在する他の民家とは違い豪奢で格式ばっていた。サナのループの記憶の中では、”村長”と呼ばれていた袴姿の男女が向かっていた場所だ。その情報が真実かどうかは定かではないが村で重要な人物である可能性は高く、何らかの情報を持っていてもおかしくない。
二つ目──神社。
田畑と民家くらいしか存在しない村では明らかに異質なものであり、”みこさま”というのが本当に”かみさま”であるならばそこを調べるのは当然の流れだろう。
豪奢な民家と神社。その二つを気にしているサナの推論の正しさを証明するかのように、一見バラバラにパトロールしているように見える男たちはその二点の周囲に偏って捜索をしている。
(ふ~む……)
しばし、サナは木に登ったままで考え込む。
当然サナの第一目標は戦闘ではなく情報である。であれば、警戒の厳しい捜索候補二か所に対して村人たちにバレずに潜入するのが得策である。だがこれまでのループで暴れ過ぎたせいか、村人たちの警戒心は最大限に上がっている。
潜入のためには何らかの手段が必要だろう。
そして、その当てがサナにはあった。
(なんか使えそうだから持ってきてよかったぁ……)
自動車から回収して懐に隠しているソレの重さを感じながら、サナは静かに木から降りて闇と静寂の中を素早く動き出す。
そんなサナが向かう先は”村長”の家……ではなく、神社……でもない。
そのどちらからも離れた民家に、サナは静かに接近していった。




