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脱出する術も状況を改善する情報も入手できなかったサナは、侵入した時と同じように静かな素早さで塀を乗り越え、村の中に潜んでいた。
村人たちは最初の襲撃地点から既に離れているが、特に痕跡を見つけられなかったようでまた最初のように適当な間隔で捜索を続けている。先ほどの女性の悲鳴等は他の村人の耳には届かなかったらしい。
本来であれば、数人単位の集団が適度に散らばってパトロールをしている現状はサナにとって厄介な状況である。だが今回の場合、たかが数人程度ではさしたる障害にならないのでむしろ一纏めにならない方が各個撃破可能になるし、数人程度のお粗末な索敵なら隠れ続けることもできる。
今も、草むらと田んぼの畔を利用して身を隠しているサナに対して、十メートルほど先の街灯の下に集まって何やら話し込んでいる数人の男たちは、ほんの毛ほども存在を察知できていない。
彼らがまだ無傷でいられるのは、サナがやり過ごすか無力化するか悩んでいるからに過ぎない。
そんな有利な状況だが……サナの頭には、ずっと何かが引っ掛かっている。
(なにか変)
それは今だけでなくこの村に来た時からずっと──ループする前から抱き続けた違和感。
目に映る光景がおかしいと本能が訴えかけてきているのに、決して高くないサナの知能はその理由を論理付けて説明できない。
もちろんサナは自分がバカだと自覚している。違和感や疑問に答えを見いだせないことなど日常茶飯事と言ってもいい。だがこのような殺しの現場で違和感の正体すら分からない──何に違和感を覚えているかすら解らないというのは体験したことがなかった。
だからいまサナは、苦手な観察をして、答えを見つけようとしている。
男たちは自分たちの生死が紙一重のところにあることも知らない様子で顔を突き合わせ、談笑とまではいかずともいささか緊張感が欠けた風に話し合っている。
──そのだらしなさが違和感の原因か?
(違う)
確かにその雰囲気は殺し殺されの現状に似つかわしくないが、先ほどの女性のような例からも分かるとおり村人たちは殺されること──死に対してあるはずの絶望が存在しない。そしてループが起きれば無かったことになるのであれば、そのだらしなさにも説明がつく。
(それならなにが……)
サナが考え込んでいると、別のグループが街灯へと近づいて来た。彼らの目が節穴に過ぎないとしても目の数が増えることは脅威なので、サナはできるだけ草を揺らさないようゆっくりと後ずさりする。
(虫がいなくてよかったぁ、変なのに刺されたらそっちの方が…………あれ?)
虫がいない──こんなに自然が溢れた山奥の村で?
あるはずのものがない。
気づいた瞬間、サナの背筋に寒気が走った。
サナの本能が先に気づいてしまった。
あるはずのものがない──それは虫だけの話ではない。
気温と関係ない汗がサナの全身から噴き出してくる。
サナは何とかして答えを得ようと、目の前の光景を一つひとつ分解していく。
自分を探す男たち、その手にあるのは刃物や鈍器、何人かが持っている懐中電灯はやけにごつくて古めかしい、服は農作業でもするような軽装、そんな彼らを照らしているのは田畑の中にポツンと点在している街灯──
──街灯。
あるはずのものがない。
あるべきものがない。
その答えに至った瞬間、サナは思わず声を上げかけた。それを喉の奥に押し込められたのは、これまでの経験の賜物だった。
サナは、この村に恐怖していた。
襲い掛かって来る村人たち、ループする時間、そういったことを抜きにしてこの村はおかしい。
(逃げなきゃ──)
すぐ近くでサナがそんな風に混乱していることなど知らない男たちは、また二手に分かれて別方向へ歩き始めた。
敵が居なくなった理想的な状況なのに、サナにはその光景が恐怖の対象だった。
サナは震えが隠し切れない足取りで、周囲を警戒するより速さに比重を置いてその場を離れていく。
後に残されたのは──街灯だけ。
◆◆◆
今のサナは脱出手段を欲していた。
情報や理由なんてどうでもいいと考えていた。
だがサナの本能は、脱出手段なんて存在しないのではないかと訴えかけてくる。
それを振り払うようにして、サナはいくつもの民家を襲撃して──そして、その度に打ちのめされていた。
そしてサナは今、これまでより少し大きな屋敷の二階、その和室で傷だらけだがまだ命に別状はない女性に詰め寄っていた。
「教えなさいよっ!」
階下では既に三人の女性が血の海に沈んでいるが、サナはこの女性だけはまだ殺したくなかった。胸倉を掴みながらも、カランビットの刃が女性を傷つけないように注意している。
「だまってんじゃねぇよ!」
肉体的にはサナが優位なのに、精神的には完全に追い詰められていた。
「この村のどこに車があるの!!」
車両が存在しない。
どの民家を探しても車両が存在しない。
村のどこにも車両が無い。
山奥の村ぐるみで、車の無い生活なんて可能だろうか?
だが存在しないものはそれだけではない。
「電気があるのにテレビも電話もない! でも冷蔵庫も水道も使える! いったいどうなってんのこの村は!!」
サナが村に訪れた瞬間、憶えた違和感の答え。
この村には電線が──電柱が存在しない。
ループという異常事態を抜きにしても、この村は成立するはずがない異常な村だったのだ。
「──っ、なんか言えよ! 黙ってんじゃねぇよ!」
恐怖と焦りでサナの声が上擦っていく。
対して、女性はただ一言、静かに答える。
「…………みこさまのために」
それはサナがこの村に来てから何度も聞いた言葉。
だが今のサナにはそれが無性に癪に障った。
「ふざけんなよみこって誰だよそいつ連れてこいよいますぐ連れてこいよ!!」
怒気と過剰な殺気が込められたサナの叫びに、しかし女性はやはり無表情で同じ言葉を返す。
「みこさまのために」
その言葉に──サナの頭が真っ白になる。
「だから誰だよみこさまって! ふざけんなよ!」
「みこさまのために」
「やめろやめろそれやめろ!!」
もはやサナは声を押し殺すことすらできない。
明らかに戦術的に間違った行動。
もはや、この場で優位に立っているのは女性だった。
「みこさまのために」
「やめろって!!」
だが限界は訪れる。
「みこさ──」
何度目かの繰り言はサナのカランビットによって途切れた。
振るう、振るう、振るう──カランビットが振るいに振るわれる。
カランビットが、両手が、地雷系ファッションが、部屋中が血に染まっていく。
もはや女性の言葉どころか呼吸すら聞こえなくなってもサナは鬼気迫る形相でカランビットを振るい続ける。
その肉体──もはや肉塊がズタズタになって、カランビットの刃先から肉を切る抵抗すら感じられなくなったことでサナはようやくその手を止めた。
だがその思考は未だにグルグル回り続けている。
サナの荒い呼吸音だけが部屋に響く。
もしこのまま何も起きなかったら──サナは発狂すらしていたかもしれない。
だがこれだけ混乱して大騒ぎしたことが逆に幸いした。
「こっちだ!」
「おい階段だ! 逃がすな!」
外から響いた声と近づいてくる気配にサナは正気を取り戻した。
サナは周囲を見回すと見つけた窓に素早く駆けより、ロックを外してガラス戸を開けると何の躊躇もなく飛び出し──家をぐるりと一周するほど長いひさしに難なく着地する。その足元では武器を手にした男たちが続々と集まってきているが、彼らは頭上で起きていることに全く気付いていない。
だからといってこのまま男たちの只中に飛び込むのはあまりにも芸がない。
「すぅぅ……ふぅっ」
一呼吸ついたサナは、両手のカランビットを素早く服のスリットの中に収納。そして何の準備運動もなくひさしの上を走り出す。
僅かな距離で短距離走ばりの速度を出すサナだったが当然ながらひさしはすぐに途切れる。だがサナは速度を緩めるどころかさらに加速して、ひさしの端に到達したところで躊躇なく──跳躍。
星明りの下、綺麗なフォームで地雷系ファッションが宙を舞う。
そして庭どころか塀すら飛び出したサナは地面を転がるようにして衝撃を殺し、まだ残る勢いを殺すどころか利用して立ち上がると一気に道路を走り出す。
そしてその両手にはもうカランビットが握られている。
「おいこっちだ! こっちから逃げたぞ!」
二階の死体と開いている窓に気づいた男の声が背後から響くが、もはやその声すらサナの耳には届かなかった。
◆◆◆
もしもサナが車両を見つけていたらどうしたか?
それはもちろん、この村に来た道を逆走して逃げ出していた。
実のところ、サナの体力であれば村から逃げ出すのに車両は必須ではなかった。だがいくらサナでも道路を使わずに森を走破するのはリスクが高く、走りやすい道路を使ってしまうと村人たちが車を使った場合──杞憂だったが──逃げきれない。
だが村の異常さが分かり、同時に都合の良い車両が存在しない可能性が高まったことで、サナは道路を使って村から脱出する心積もりでいた。
だが心の中ではサナも分かっていた。
──自分はこの村から逃げ出せないのではないか?
しかしそんな予感を抱えていたサナですら、目の前の状況にはもはや呆然とするしかなかった。
「な、なん、なの……これ……」
サナの目の前は真っ暗になった。
物理的にも。
サナが立っているのは、村の外へと続く舗装された道路である。
そして当たり前の話だがその道路は別の町まで続いていたはずである。
なのに、無い。
道路が、無い──否、空間が無い。
地滑りで道路が堰き止められたとかそんな次元の話ではない。
ただ一色の黒、あるいは闇。
道路だけでなく路肩も、さらには両脇の森林も、果ては空の彼方まで、村の外へと続くはずの何もかもが全て闇で切り取られている。
まるで暗幕が下りているような、あるいはゲームで「ここから先は何もありませんよ」と示されているかのような。
その闇には何も、光の反射すら存在しない。
まるで、世界には最初からこの村しか存在しなかったと思わせるほどの圧倒的な状況。
「…………」
しばしその闇の近くで佇んでいたサナは、ふと足元に転がっていた小石をブーツで蹴り飛ばした。
その小石は真っすぐ闇へと突っ込むと……消えた。
消滅した。
少なくともサナにはそうとしか思えなかった。小石が闇に触れても何も反応せず、向こう側で地面か何かにぶつかったような音も手応えもない。
まるで、本当に向こう側なんて存在しないかのように。
「なんなの……なんなの……」
サナももはや繰り言を述べることしかできなくなった。
だが……サナには絶望している時間すら無かった。
なりふり構わずに村の外へ出ようとしたサナはあまりにも目立ちすぎていた。
いくつもの気配が、まるでサナを闇と挟み撃ちするかのように囲んでいく。
理由すら教えずに襲ってくる村人たち。
何もかもが異常な村。
そしてループする時間。
もしも──もしもサナの頭が良かったなら。
「……んな……」
この事態を前にして心が折れて諦めていたかもしれない。
「ふざけんなよ……」
だがサナは──
「ふっざけんなよマジで!!」
──バカだった。
異常な絶望を吹き飛ばすかのように雄叫びを上げて、サナは目を離せないほど漆黒の闇に背を向けてカランビットを構える。
「そんなに切られたいなら来てみろよ! ってかこっちから行ってやんよちくしょう! 殺し屋なめんじゃねぇぞ全員全部なにもかも──ぶっ殺してやらぁぁぁぁッ!!」
そうしてサナは走り出した。
三度目の、三夜目の殺戮劇
ループは繰り返されて韻を踏み
だが、やがて
鈴の音が
響いて
世界は──流転する




