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着陸あるいは墜落した軽自動車は、民家の壁を突き破るようにしてフロント部分を大破させていた。それでもエンジンはまだ生きていてタイヤが空転し続けているが、当然ながらもう走行は不可能だろう。
フレームが衝撃でひしゃげたせいか運転席側のサイドウィンドウも割れ、開いたエアバックの白さが星明りの下でも目立っている。
そのエアバッグに──カランビットの刃が突き立てられた。
「あぁっもう! さいっあく!」
手早くエアバッグとついでにシートベルトを切り裂いたサナは、文字通り蹴り飛ばす勢いでドアを開けて車から脱出し、自分の状況を確認する。
一方的な銃撃を受けて重大な交通事故を引き起こしたばかりとは思えないほどサナは壮健さを見せていた。いましがた脱出に役立った両のカランビットも無事で、リングに人差し指を通したそれは持ち主をいささかも傷つけることなく回転させられる。
つまり──まだ戦える。
数秒かからず自らの無事を確認したサナは、すぐさま周囲を見回す。
今しがた突き破ったばかりの生垣の向こうから、殺気だった足音と気配が急速に集まってきている。予想される人数の多さに、サナはこの場での迎撃という選択肢を本能的に捨てて急速に走り出した。
民家をぐるりと回るようにして、庭へと飛び出すサナ。
その横っ腹を狙って──白刃が突き出される。
「うひゃっ!?」
サナは素っ頓狂な悲鳴を上げながら奇襲の刃を軽やかに回避。
「死ねぇっ!」
白刃と共に突っ込んできた影──縁側から右手に包丁を握りしめて飛び出してきた中年の女性は、殺意に満ちた叫び声を上げながら包丁を大振りに振り回す。サナはその刃を左のカランビットのバックハンドで受け止めながら踏み込み、右のカランビットで女性の左鼠径部と左腋窩──どちらも止血が困難──を一気に切り裂いた。
「ゥぐぅぅ……」
激痛と出血に女性の力が抜け、包丁を取り落として膝から崩れ落ちる。
奇襲をあっさりと返り討ちにしたサナだったが、ひと息つく暇もなかった。
「おいこっちだ!」
背後からの声と近づいてくる気配。
サナは躊躇なく女性を置いて、こちらと隣家を隔てる塀へと走り出す。
「おい大丈夫か!?」
「てめぇ待てや!」
ようやく追いついた男たちの叫び声にも振り向くことすらせず、サナは自分の背丈ほどはありそうな背の高い塀をまるで体操選手のように軽々と飛び越えてその向こう側へと姿を消した。
武器を手にサナを追っていた四人の男たちは、倒れている女性にはほとんど目もくれずに顔を見合わせて頷き合い、自然な形で二人ずつ二手に分かれる。
二人はサナの逃げ道を塞ぐか先回りできるように塀を回り込もうと走り出す。残った二人はそれを見送るとまた視線を交わして頷き合い、目の前の塀にほぼ同時に両手をかけ体を引き上げようとする。
その上体が塀を乗り越えた瞬間──突然下方から伸びてきた手が片方の男の胸倉を掴んだ。
「っ!?」
驚愕する男は何か対処する暇もなく掴まれた手に勢いよく引っ張られ、取り落とした剣鉈と一緒に頭から地面に落下、骨が砕ける音が響いてその首があらぬ方向に捻じ曲がる。
そして男を落下させたその反動を利用して、塀に張り付いて待ち伏せしていたサナは勢いよく立ち上がる。
一方、仲間がいきなり落下死したことに衝撃を受けたもう一人の男は、塀を乗り越えるかどうかの中途半端なところで固まってしまう。
もちろんサナはその隙を見逃さず、がら空きの首筋に横からカランビットを突き刺し、あっさりと引き裂いてしまう。
頸動脈を切断された男は塀に少しの間体をじたばたさせるが、すぐに意識を失い早贄か血抜きされる動物かのように塀に引っ掛かる肉塊になり果てた。
意識を失っても当然止まることのない出血が、地面に転がる剣鉈を紅く染め上げていく。
塀を回り込んできた二人の男は、首の折れた死体と塀に引っ掛かってピクリとも動かない死体を目にして何が起きたかをおおよそ察した。だがそこにそれを引き起こしたサナの姿は無い。
それぞれの武器──鎌とナタ──を構えて油断なく周囲を見回していた二人は、足元の血だまりから点々と延びていく血痕に気が付いた。星明りの下でも目立つその痕跡は、家屋と小さな納屋の間を通って庭の方に続いている。
返り血か、もしかすると怪我を負ったのか──二人の男は口角を上げて、その血痕を辿ることにした。
二人は待ち伏せを警戒しながら、家屋と納屋の間を通って庭へと出る。民家の照明は消えていたが彼らにとっては文字通り勝手知ったる庭であり、星明りの下でも不安はなかった。
血痕が続いている先には、家屋と同じくらい大きな老木が立っていた。年月を経ているが若々しい葉っぱが青々と茂っており、星明りに照らされてどこか禍々しい雰囲気を漂わせている。
男たちは子どもの頃にこの木に何度も登ったことがあり、今でもその幹や枝は健在であることを把握していた。
その気になれば大人でも登れるだろう。
男たちはゆっくりと老木へ、見上げる姿勢で近づいていく。
ピチャン──微かな、しかし確かに響いたその音に男たちは視線を向ける。
老木の根元に、赤く小さな水たまりができている。
男たちが見つめる中、そこに今まさにまた赤い雫が落ちた。
彼らは反射的に上を──雫の出所を探して老木を見上げる。
そして彼らは、微かな星明りに照らされるソレを見つけた。
老木の幹に投げつけられて刺さった血まみれの剣鉈を。
その意味に気づいて男たちが周囲を警戒──するより早く納屋の陰から飛び出したサナが音もなく、素早く奇襲を仕掛ける。
まだ上を見上げていた男の背中に両のカランビットを突き刺し、斬り上げる。両の腎臓が両断されるほどの深い傷を負わされた男はそのまま後方に転倒するようにして意識を失っていく。
だがその犠牲のお陰で残った男は貴重な時間を与えられた。
「きっ、さまァ!」
奇襲に気づいた男は振り向きざまに、バックハンドのナタを勢いよく接近するサナの頭目掛けて振るう。速度が乗った重厚なナタの刀身、まともに当たれば頭蓋骨でも叩き切るか叩き潰すであろうその一撃を、だがサナは接近する勢いはそのままにギリギリまで引き付けて僅かに体勢を低くすることで回避。
そして自らの攻撃の勢いで体勢が崩れた男の懐に飛び込み、
「っ──」
男が何かを言う暇すら与えず一瞬で全身をズタズタに切り裂く。
全ての血液を放出する勢いで出血しながら、男は膝から倒れ伏した。
四人の男たちによる襲撃をほぼ無傷でやり過ごしたサナは、だが小さく息を吐いただけで僅かな休憩すらせずにすぐ動き出す。
塀から頭が飛び出さないよう注意しながら音もなく、しかし素早く動き周囲の気配を探りながら、だがサナの頭はやはり混乱していた。
(──いやこれどういう状況? 海外には麻薬村があるとか聞いたことあるけどこんな感じなの?)
個人や小規模な集団ではなく、村のような大きな集団で犯罪を犯し隠蔽し、その利益を守るためならば余所者に対する実力行使も辞さない共同体。
サナは知らないが、日本の歴史でも密造酒等に絡んでそういった事例は存在している。
だが──
(それならなんで、わたしにご飯くれたの?)
周囲の気配が薄い場所で塀を乗り越え、静かに目立たず田んぼの中を突き進みながらサナの思考は迷走する。
この村が村ぐるみで犯罪を犯し隠蔽しているのであれば、サナのような余所者は追い出されこそすれ歓待されるはずがない。
ならば──
(わたし、変なものでも見ちゃった?)
一時安全だと判断したサナは田んぼのただ中で立ち止まり、今夜とこれまでの今夜の記憶を思い返す。だがサナの記憶に残っているのは、せいぜいお米とお酒といま潜んでいる田んぼくらいのものだ。そのお米とお酒だって見せてきたのは村人からと言っていい。
しかし──
(……なにか、変?)
理由の分からない襲撃と繰り返される一夜という異常事態に気を取られてサナはすっかり忘れていたが、この村に入ってからずっと頭に引っ掛かるものがある。
──違和感。
その違和感が襲われる理由に関係するのか、それともしないのか──
「あーもうめんどくさい……!」
思わず小声でぼやいてしまうサナ。
こういった分析は得意ではないことをサナ自身も理解している。
だからサナはひとまず、全てをうっちゃって動き続けることにした。
(とりあえずぅ、どっかでクルマ奪ってこんなとこから逃げてからかんがえよっと)
楽観的に短期的な目標を決定したサナは、また素早く静かに闇と稲穂に紛れて動き出した。
──その考えが本当に楽観的過ぎたことも知らずに。




