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「いつまで寝てやがんだ××!」
そう呼ばれたことでサナはこれが夢だと確信したが──同時に不思議な既視感も覚えていた──直後に響いた乾いた破裂音と、足に感じた熱とも痛みともつかない衝撃に驚いて目を覚まし、上体を起こした。
目の前にいた男──サナの父親はその手に拳銃のようなものを握っていたが、それが本物ではないことにサナは一目で気づいた。そしてそれが先ほど足に感じた衝撃の正体だということにも。
サナの父親は、その手に握ったモデルガンの銃口をサナの太腿に押し付けて引き金を引いていたのだ。もちろん火薬を使っているとはいえモデルガンは弾丸を発射したりはしない。せいぜい撃たれた箇所に軽い火傷をする程度だ。
(昔はよくエアガンで起こされてたっけ……あーやだやだ、なんでこんなユメばっか──あれ? ユメ?)
夢の中で衝撃を感じて起きるという不可解な現象を、サナは今さらながら認識した──ちなみにサナはモデルガンとエアガンの区別がついていない。
「なにすっとぼけてんだ××!」
父親は困惑するサナに理不尽な怒りをぶつけると、そこら中に転がっているゴミの山の中からナイフ──バタフライナイフを探り出して器用に展開すると、逆手に握り直したそれをサナが座っていた床のすぐ傍に勢いよく突き立てた。
だがそのバタフライナイフにはヒルト(鍔)が無かった。そんなものを素人が力任せに突き立てたものだから、父親の手はグリップから滑り落ちて刃の部分に到達してしまった。
「いっ、でぇぇぇ!」
自業自得の帰結として、父親は血まみれの手を押さえながら悲鳴を上げる。
だがサナはそんな無様を晒した父親ではなく──床に突き立ったままのバタフライナイフ、そのブレードに滴る鮮血に目を奪われていた。
まるで何かに導かれるように、サナはそのバタフライナイフを手にする。
立ち上がったサナの服はいつものフリルだらけのファッションで、そして手にしていたバタフライナイフはいつの間にかカランビットに変わっていた。
「──だよねっ! ユメはやっぱりこうでなくっちゃ!」
ご機嫌にカランビットを回転させてサナは前方へ一気に踏み込んだ。
サナの文字通りの豹変に目を丸くしていた父親を、カランビットの刃が容赦なく斬り刻んでいく。
防御しようとした拳から指を何本か斬り飛ばし、それでも飽き足らず手首から肘にかけて刃を走らせ、
もはや用を成さなくなった腕でそれでも上半身を庇おうとしているのを無視して、太腿から鼠径部、下腹部に至るまでズタズタに斬り刻み、
力なく腕と姿勢が下がったところに胸部から鎖骨、首から喉、そしてついでとばかりに顔までグチャグチャにして──
「むっふぅぅ……」
そうしてもはや肉体ではなく肉片になった父親が倒れたところで、サナは満足げに蠱惑的な吐息を漏らした。
顔もフリルだらけの服も返り血に塗れているが、その風貌はまるで絵画か何かのような美しさを醸し出している。
そして、サナは不意に──向き直る。
「で、あんただぁれ?」
そこに、着物の少女が立っていた。
鈴が揺れる前垂れに隠されて少女の表情は見えない。
ふとサナが気がつくと、そこはいつの間にか二人以外に誰もいない──何も存在しない、黒より濃い闇に包まれた空間に変貌していた。
不可思議な空間でもなぜかはっきりと目立つ黒い着物の少女と、いつの間にか返り血がすっかり消えてしまったフリルの服に身を包み汚れ一つないカランビットを握る殺し屋の青年。
奇妙な取り合わせの二人が、奇妙な空間で相対する。
そして不意にサナは──思い出した。
「あんた……カミサマ?」
その言葉に、着物の少女がピクリと震えて鈴の音が鳴る。
それはまるで、相手が知らないはずの──憶えていないはずのことを口にした驚きのようで。
だがすぐに少女は、前垂れ越しでも分かりやすいほど大きく頷いた。
──サナの誰何を肯定した。
サナの疑問が解消され、そして新たな疑問が次々と生み出される。
半ば思考が停止したサナに対して、また鈴の音が鳴る──少女の口が、動く。
「そなたは──」
鈴の音が
響いて
◆◆◆
サナは──また車を走らせていた。
意識ははっきりしているのに、まるでつい今しがたまで夢を見ていたかのような不可思議な気分。
同じ道を走り、同じ幻覚のようなものを見て、同じように道路の舗装に気づき、同じように星明りの下の”黄金の海”に圧倒される。
夢うつつのような意識に相反して肉体だけが自動的に動く。
そして遠くからこちらに歩いてくる男たち──畑仕事の帰りのような雰囲気なのに村の外へと向かう、サナを待ち構えていたかのような男たちの姿を見たことでサナはようやく確信した。
「これやっぱ──ぷ、プールしてるじゃん!!」
ループである。
言葉は間違えても状況は間違いなく認識したサナは、素早く──サナなりに──思考を巡らせる。
このまま車を走らせれば釘──明らかに作為的なトラップ──によってパンクさせられることになるし、それではまた同じことの繰り返しだ。
ならば最適解は撤退、後退しかない。
故にブレーキを踏んでハンドルを切ろうと──
「ちょっ、嘘!?」
──切ろうとしたサナの目の前で、男たちが次々に猟銃を構えた。
連なった銃声はもはや一発の号砲のようであった。
男たちはもはや容赦も油断もなく車ごと獲物を潰すつもりで発砲、フロントガラスにボンネット、片方のヘッドライトまでもが威力の高い散弾で削り取られる。サナはなんとかボンネットの陰に隠れ、粉々になったガラスが降り注ぐ。
男たちの予想では車は停車するかバックで距離を取ると思われた。停車するなら袋のネズミ、バックするにしても速度が緩んだ隙にタイヤを狙う等いくらでも対処できる。
だからサナはアクセルを床まで踏み込んだ。
甲高いエンジン音と共に軽自動車が男たちへ向けて急加速する。
予想外の挙動に男たちは一瞬驚愕するが、すぐにまた猟銃を発砲する。最初の一発と違って統率の取れない射撃だが、散弾は圧倒的な威力で車体を削っていく。
だが車は停まらない。むしろますます速度を上げて男たちへと猛進する。
自らへ突進してくる鋼鉄の獣に男たちは引きつった表情を浮かべるが、それでも射撃を止めない。
そしてとうとう散弾がタイヤを捉えた。タイヤがバーストしてホイールが地面と接触してガリガリと音を立てる。
車の足を潰したことで男たちが笑みを見せ──だが尚も停まらない車にその笑顔が凍り付いた。
「こんっ、じょぉぉぉぉっ!」
隠れたまま雄叫びを上げたサナは奇跡的なハンドル捌きで車体をコントロールし、見えないままなのに野性的な直感で男たちへと向けて進路を最終調整。
「に──」
逃げろ、と男は言いたかったのだろうか。
男たちを軽自動車が容赦なく蹂躙した。
肉が弾け骨がひしゃげる轟音が響く。
全身をぐしゃぐしゃにして田んぼまで跳ね飛ばされる者。
地面に突き飛ばされてまだ無事だったタイヤに轢かれる者。
サイドミラーで肋骨を砕かれて呼吸困難になる男。
集団を突破するまでの僅かな時間で軽自動車は地獄絵図を道路に作り出す。
だが無数の散弾に穿たれた上に数人の男たちにぶつかった軽自動車は、もはやまともに制御できる状態ではなかった。
ブレーキすらろくに利かなくなった車は道路上を暴走するがすぐに道を外れ、突っ込んだ田んぼの稲穂をなぎ倒しながらも尚停まらず、畔に対して斜めに突っ込み──
──車が宙を舞った。
僅かな高度の飛行は、だがすぐに終わりを迎える。
田んぼの脇の民家の生垣をなぎ倒しながら車が消えた直後、凄まじい衝突音が響いた。




