魔法使いの少女、初めての商店街
登場キャラクターは拙作『スカーレットの魔法譚』より、雨夜澪音とミスティー・セラフィン。
物語は本編第25話直後です。
「ねえ、この赤と白のドレス、どう思う?」
質素な和風の居間で、出かける前のわずかな合間をつかみ、銀髪の少女は豪奢な装いへと着替え、姿見の前で何度も確かめた。
魔法郷――魔法使いだけが存在する世界で生まれ育ったミスティー・セラフィンにとって、今日は初めて肩の力を抜いて現代社会を体験できる日だ。
外見の仕度を省くという選択肢は、そもそも存在しなかった。
「ステージならいいけど、外出はアウト。撮影勢に囲まれて身動き取れなくなるぞ」
畳に胡坐をかいた少年――雨夜澪音は半眼のまま黒い前髪をかき上げ、困ったように少女の提案を退けた。
現代都市で暮らす住人であり、しかもこの世界で彼女が唯一頼れる相手、正しい外出着についての発言権くらいは、確かに持っている。
「ふん……せっかくのお気に入りなのに。じゃあ、この黒いのは?」
漆黒のマントに三角帽子――典型的な魔女の一揃い。澪音は一瞥してすぐ眉をひそめ、即座に答える。
「コスプレ扱いだよ。君は平気でも、僕が恥ずかしさで死ぬ。やめて」
「これもダメ、あれもダメって、面倒ね。手元にはもう一着しかないのよ」
トランクから彼女が取り出した最後の切り札は、白のワンピースとストッキング、宝石飾りのブーツ。
さっき以上に目立つ選択に、澪音は無言で小さくため息をつき、立ち上がって衣装棚から最適解を取り出す。
「もういい。これ着て」
青と白のよくある配色、二人が通う高校の制服だった。
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今日向かう商店街は澪音の家から五分。
大小の店が軒を連ね、平日も休日も人で溢れる繁華な通りで、この街ではちょっとした名所になっている。
「びっくりしたよ。こっちにもこんな賑やかな市があるんだ」
入口から全長三キロの商店街を見渡し、目を輝かせたミスティーは、さすがに優雅さを保ち切れず感嘆の声を漏らした。
魔法郷でも似た景色は見たことがある、けれど新しい世界を前にすれば、何もかもが新鮮に見える。
ただ――
「おい! そこ立つな! 危ないって!」
「すみませんすみません! 彼女をちゃんと見ます!」
怒るドライバーへぺこぺこと頭を下げつつ、澪音は車道ど真ん中に立ち尽くすミスティーを慌てて歩道へ引き戻した。
不思議そうな視線を向ける少女の前で、上をさっと指さしながら、
「ほら、あれ、わかるか」
「……魔法占い灯?」
「頭の中、魔法でいっぱいか。あれは信号機。いいか、赤は待つ、青になったら渡る――この世界のルールだ、覚えよう」
「なんだ、待てばいいってことね」
唇をちょいと尖らせ、ミスティーは素直に青を待った。
広い車道を途切れなく車が駆け抜けていく。慣れ親しんだ馬車と違い、動物を使わず速く走る仕組みに「おー」と感心して見入る。
「速いわね」
「ふふん、こっちの技術を甘く見るなよ」
「ねえ澪音、あそこの赤いの、一台だけ他よりずっと速いぞ」
「当たり前だよ、赤は三倍速!……なんちゃって。あれはたぶんスピード違反……ん? あれ? いない?」
気づけば、ほんの瞬きの間にミスティーの姿が視界から消えていた。
周囲を素早く見回すと、彼女はいつの間にか向こう側の菓子店の前に現れ、ショーウィンドウに張りついて中を覗いている。
「もう、渡るなら一言は欲しい」
「……だって、いい香りがしてきたの」
「犬の鼻かよ。まさか通り一本隔てて嗅ぎ分けるとはなぁ。でも……」
目を閉じて匂いを嗅いでみると、確かにミスティーの言う通り、甘い香りがふわりと漂ってきた。
「入るか?」
「……」
澪音が問うと、ミスティーは淑やかぶって小さく首を振り、指先をもじもじさせた。だが、ちょうどそのタイミングで、ぐうう、とミスティーのお腹が鳴る。
どうやら朝食をろくに取らなかった胃からの抗議らしい。
「ったく、仕方ないな。ここで待ってろ、すぐ戻る」
肩をすくめ、空腹で彼女の機嫌を崩させないために、澪音は大手を振って菓子店の扉を開いた。
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「ふう……買った、買った!」
十分後、大きな紙袋をぶら下げた澪音は、人の波をかき分けてなんとか店から抜け出した。少し前、少年の目立つ動きにつられて通行人が特売に気づき、あっという間に店は黒山の人だかり。
人気の菓子は数分で売り切れた。それでも先頭を切って入った澪音は、混沌を抜けて勝利の帰還。
「どこでも、人は旨いものの誘惑に勝てないんだな……って、大丈夫?」
息を切らす澪音の姿に、ミスティーは思わず気遣う。
「ふん! こんなの朝飯前! 新作ゲーム発売日よりやさしいってさ!」
得意げな笑みが弾ける。
澪音がまず取り出したのは戦利品――クリームの香りが漂い、黄金色に香ばしく焼けた皮と、とろける舌触りの菓子で、ミスティーの目の前に高らかに掲げられた。
「じゃじゃーん! この世界の偉大な創造物のひとつ、いくらでも食べられるシュークリーム!」
「シュークリーム……?」
「おや、セラフィンさん知らないやつだな。よぉーし、特別に先に選べ。いちご、バニラ、プレーン、抹茶、好きなのどうぞぉ」
色とりどり、聞き慣れない味が並ぶ。
見た目だけなら全部が一番おいしそうに見えて、できれば全部食べたい――そう顎に手を当てて唸るミスティーは「むむ……」と迷い続け、やがて緑の一つに視線を止めた。
「……じゃあ、この緑。これは?」
「抹茶だよ。いい選択だな」
「まあ、新しいものは嫌いじゃないし」
そっと口元へ運び、淑女らしく一口。
程よい甘さが舌に触れた瞬間ふわりと広がり、噛みしめれば柔らかな食感が味蕾を満たしていく。抹茶のほのかな清香が口内を巡り、未体験の美味にミスティーは目を見開いて夢見心地の表情になった――好きになるのに、一口で十分。
「美味しい……ほんとに美味しいよ、澪音! 甘くて、やわらかくて、溶ける!」
「でしょ!」
異世界の少女が夢中で頬張る姿は、菓子への最高の賛辞だ。
少し心配だった澪音の顔に自然と淡い笑みが滲み、イチゴ味をがぶりと大きく齧って、同じく満ち足りた表情を見せる。
「うまっ」
「ふふ……」
ミスティーは口許を押さえ、くすっと笑った。
振り返ると、澪音の唇の周りがクリームで真っ白――サンタクロースの髭が顔へ移植されたみたいだ。
「なに?」
夢中になっていた当人はまるで気づいておらず、少女の笑みに首を傾げるばかり。
「まだわからないの? 鏡、見てみ」
「え? ん……」
細めた目でショーウィンドウを覗く。
映り込んだ情けない顔に自分でもぎょっとし、今の失態が丸見えだったと想像した途端、頬が一気に沸騰する。慌ててクリームをぬぐっても、耳朶は羞恥でじんじんと熱い。
「ふふ、食べ方、相当ひどいわよ、澪音」
「わ、悪かったよ……」
紙袋を抱えたミスティーは最後の一個を小さく口へ運び、指先のクリームを舌でそっとすくい、ひと呼吸。
濃いミルクの余韻はまだ口中に残り、少し喉が渇いてきた。
「喉、渇いた」
「食べ過ぎなんだよ」
「近くに井戸水、ある?」
「古っ! 田舎ならともかく、都市でそれは見ない。ほら、喉を潤すならあれ」
澪音が顎で示したのは、街角の陰に立つ白い自動販売機。
パネルの向こうでボトルの水が冷たい光を帯び、ミスティーがガラスに息をかけると薄い曇りが広がる。指先で青いラベルの列をなぞりながら――
「あれ? こっちも定点補給の魔像を使うのね、便利」
「そんなマジカルじゃない。硬貨入れて、押すと飲み物が出る機械だ」
「同じじゃない。補給魔像と」
「え?」
澪音の呆れ顔をさらりと受け流しつつ、ミスティーは彼から硬貨を受け取り、『Sparkling』と書かれた一本を選んでこくりと頷いた。
コインを入れると数字がピッと変わり、内部でカタンと音がして缶が落ちる。
「冷たい!」
取り出し口へ手を伸ばすと、ミスティーは指先を走る冷たさに少しだけ驚く。
プシュと開けてひと口含めば、喉で弾ける泡の痺れが一気に口内を駆け上がり、遅れて鼻にも抜けていった。
「げほっ、げほっ! なによ、この水!」
炭酸の刺激に涙がちょろりと滲み、二度ほど咳き込んで肩を震わせる。顔を上げると、笑いをこらえた澪音の目が視界に入った。
「笑うな!」
「声は出してないよ」
「心の中でもダメ! どうせこうなるって知ってて言わなかったでしょ」
「証拠がないから、認めない。でも面白い反応を、ありがとぉう」
「最低!」
唇を尖らせて意地悪な澪音をにらみ、もう一口。
今度はこの不思議な感覚に少し慣れたのか、眉目がゆるりとほどけていく。
「でもね、うん……慣れると、悪くない」
満足げに缶をゴミ箱へ放り、ミスティーは並ぶ飲料の壁を見つめたまま数秒考え――
「へぇ待ってよ、この水の原理がわかれば、水魔法で作れるわよね。そして瓶に詰めて、横に机を出して売れば――」
「何を考えてるの、きみ」
少女の突飛な思いつきは最後まで言い切る前に、澪音のひと言で霧散した。
「ここは魔法郷じゃない。許可、衛生、表示、納税、いろいろ面倒だ」
「じゃあ水はわたしが供給、残りはあなた」
「それでもダメよ」
「面倒から?」
「倫理的にアウトだ。魔法で作った水を、この世界の人に飲ませるかよ」
「けち……」
「現実ってやつ」
二人は肩を並べて商店街を歩く。
風が紙の旗を持ち上げ、看板の灯りが絶えない。たこ焼きの鉄板は湯気を吐き、串を返す音が小さく鳴る。
クレープの屋台からはバターと砂糖の匂いが漂い、ミスティーは足を止めて深く吸い込み、そして道すがらのスイーツ店に澪音を引っ張っては立ち止まった。
情報収集の名目で、近場の美味しいものを片っ端から味見する。
鯛焼き、焼き団子、たこ焼き――魔法郷では食べられないものは優先度が高い、というのがミスティーの理屈。
そして最後に払うのは、もちろん澪音。
「このままじゃ、僕が先に破産する……」
分厚いレシートに並ぶ数字と自分の財布を交互に見比べ、澪音は長い嘆息を吐いた。手元の現金はほぼ底をつき、残る小銭は何も買えない額しかなかった。
最後まで読んで頂きましてありがとうございます!
もし少しでも面白いと感じていただけたら、本編『スカーレットの魔法譚』も覗いていただけると嬉しいです。




