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魔法使いの少女、初めての商店街

掲載日:2025/11/08

登場キャラクターは拙作『スカーレットの魔法譚』より、雨夜澪音とミスティー・セラフィン。

物語は本編第25話直後です。

「ねえ、この赤と白のドレス、どう思う?」


 質素な和風の居間で、出かける前のわずかな合間をつかみ、銀髪の少女は豪奢な装いへと着替え、姿見の前で何度も確かめた。

 魔法郷(ベルソウ)――魔法使いだけが存在する世界で生まれ育ったミスティー・セラフィンにとって、今日は初めて肩の力を抜いて現代社会を体験できる日だ。

 外見の仕度を省くという選択肢は、そもそも存在しなかった。


「ステージならいいけど、外出はアウト。撮影勢に囲まれて身動き取れなくなるぞ」


 畳に胡坐をかいた少年――雨夜(あまや)澪音(れいん)は半眼のまま黒い前髪をかき上げ、困ったように少女の提案を退けた。

 現代都市で暮らす住人であり、しかもこの世界で彼女が唯一頼れる相手、正しい外出着についての発言権くらいは、確かに持っている。


「ふん……せっかくのお気に入りなのに。じゃあ、この黒いのは?」


 漆黒のマントに三角帽子――典型的な魔女の一揃い。澪音は一瞥してすぐ眉をひそめ、即座に答える。


「コスプレ扱いだよ。君は平気でも、僕が恥ずかしさで死ぬ。やめて」

「これもダメ、あれもダメって、面倒ね。手元にはもう一着しかないのよ」


 トランクから彼女が取り出した最後の切り札は、白のワンピースとストッキング、宝石飾りのブーツ。

 さっき以上に目立つ選択に、澪音は無言で小さくため息をつき、立ち上がって衣装棚から最適解を取り出す。


「もういい。これ着て」


 青と白のよくある配色、二人が通う高校の制服だった。


 ❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖


 今日向かう商店街は澪音の家から五分。

 大小の店が軒を連ね、平日も休日も人で溢れる繁華な通りで、この街ではちょっとした名所になっている。


「びっくりしたよ。こっちにもこんな賑やかな市があるんだ」


 入口から全長三キロの商店街を見渡し、目を輝かせたミスティーは、さすがに優雅さを保ち切れず感嘆の声を漏らした。

 魔法郷でも似た景色は見たことがある、けれど新しい世界を前にすれば、何もかもが新鮮に見える。

 ただ――


「おい! そこ立つな! 危ないって!」


「すみませんすみません! 彼女をちゃんと見ます!」


 怒るドライバーへぺこぺこと頭を下げつつ、澪音は車道ど真ん中に立ち尽くすミスティーを慌てて歩道へ引き戻した。

 不思議そうな視線を向ける少女の前で、上をさっと指さしながら、


「ほら、あれ、わかるか」

「……魔法占い灯?」

「頭の中、魔法でいっぱいか。あれは信号機。いいか、赤は待つ、青になったら渡る――この世界のルールだ、覚えよう」

「なんだ、待てばいいってことね」


 唇をちょいと尖らせ、ミスティーは素直に青を待った。

 広い車道を途切れなく車が駆け抜けていく。慣れ親しんだ馬車と違い、動物を使わず速く走る仕組みに「おー」と感心して見入る。


「速いわね」

「ふふん、こっちの技術を甘く見るなよ」

「ねえ澪音、あそこの赤いの、一台だけ他よりずっと速いぞ」

「当たり前だよ、赤は三倍速!……なんちゃって。あれはたぶんスピード違反……ん? あれ? いない?」


 気づけば、ほんの瞬きの間にミスティーの姿が視界から消えていた。

 周囲を素早く見回すと、彼女はいつの間にか向こう側の菓子店の前に現れ、ショーウィンドウに張りついて中を覗いている。


「もう、渡るなら一言は欲しい」

「……だって、いい香りがしてきたの」

「犬の鼻かよ。まさか通り一本隔てて嗅ぎ分けるとはなぁ。でも……」


 目を閉じて匂いを嗅いでみると、確かにミスティーの言う通り、甘い香りがふわりと漂ってきた。


「入るか?」

「……」


 澪音が問うと、ミスティーは淑やかぶって小さく首を振り、指先をもじもじさせた。だが、ちょうどそのタイミングで、ぐうう、とミスティーのお腹が鳴る。

 どうやら朝食をろくに取らなかった胃からの抗議らしい。


「ったく、仕方ないな。ここで待ってろ、すぐ戻る」


 肩をすくめ、空腹で彼女の機嫌を崩させないために、澪音は大手を振って菓子店の扉を開いた。


 ❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖ ❖


「ふう……買った、買った!」


 十分後、大きな紙袋をぶら下げた澪音は、人の波をかき分けてなんとか店から抜け出した。少し前、少年の目立つ動きにつられて通行人が特売に気づき、あっという間に店は黒山の人だかり。


 人気の菓子は数分で売り切れた。それでも先頭を切って入った澪音は、混沌を抜けて勝利の帰還。


「どこでも、人は旨いものの誘惑に勝てないんだな……って、大丈夫?」


 息を切らす澪音の姿に、ミスティーは思わず気遣う。


「ふん! こんなの朝飯前! 新作ゲーム発売日よりやさしいってさ!」


 得意げな笑みが弾ける。

 澪音がまず取り出したのは戦利品――クリームの香りが漂い、黄金色に香ばしく焼けた皮と、とろける舌触りの菓子で、ミスティーの目の前に高らかに掲げられた。


「じゃじゃーん! この世界の偉大な創造物のひとつ、いくらでも食べられるシュークリーム!」

「シュークリーム……?」

「おや、セラフィンさん知らないやつだな。よぉーし、特別に先に選べ。いちご、バニラ、プレーン、抹茶、好きなのどうぞぉ」


 色とりどり、聞き慣れない味が並ぶ。

 見た目だけなら全部が一番おいしそうに見えて、できれば全部食べたい――そう顎に手を当てて唸るミスティーは「むむ……」と迷い続け、やがて緑の一つに視線を止めた。


「……じゃあ、この緑。これは?」

「抹茶だよ。いい選択だな」

「まあ、新しいものは嫌いじゃないし」


 そっと口元へ運び、淑女らしく一口。

 程よい甘さが舌に触れた瞬間ふわりと広がり、噛みしめれば柔らかな食感が味蕾を満たしていく。抹茶のほのかな清香が口内を巡り、未体験の美味にミスティーは目を見開いて夢見心地の表情になった――好きになるのに、一口で十分。


「美味しい……ほんとに美味しいよ、澪音! 甘くて、やわらかくて、溶ける!」

「でしょ!」


 異世界の少女が夢中で頬張る姿は、菓子への最高の賛辞だ。

 少し心配だった澪音の顔に自然と淡い笑みが滲み、イチゴ味をがぶりと大きく齧って、同じく満ち足りた表情を見せる。


「うまっ」

「ふふ……」


 ミスティーは口許を押さえ、くすっと笑った。

 振り返ると、澪音の唇の周りがクリームで真っ白――サンタクロースの髭が顔へ移植されたみたいだ。


「なに?」


 夢中になっていた当人はまるで気づいておらず、少女の笑みに首を傾げるばかり。


「まだわからないの? 鏡、見てみ」

「え? ん……」


 細めた目でショーウィンドウを覗く。

 映り込んだ情けない顔に自分でもぎょっとし、今の失態が丸見えだったと想像した途端、頬が一気に沸騰する。慌ててクリームをぬぐっても、耳朶は羞恥でじんじんと熱い。


「ふふ、食べ方、相当ひどいわよ、澪音」

「わ、悪かったよ……」


 紙袋を抱えたミスティーは最後の一個を小さく口へ運び、指先のクリームを舌でそっとすくい、ひと呼吸。

 濃いミルクの余韻はまだ口中に残り、少し喉が渇いてきた。


「喉、渇いた」

「食べ過ぎなんだよ」

「近くに井戸水、ある?」

「古っ! 田舎ならともかく、都市でそれは見ない。ほら、喉を潤すならあれ」


 澪音が顎で示したのは、街角の陰に立つ白い自動販売機。

 パネルの向こうでボトルの水が冷たい光を帯び、ミスティーがガラスに息をかけると薄い曇りが広がる。指先で青いラベルの列をなぞりながら――


「あれ? こっちも定点補給の魔像を使うのね、便利」

「そんなマジカルじゃない。硬貨入れて、押すと飲み物が出る機械だ」

「同じじゃない。補給魔像と」

「え?」


 澪音の呆れ顔をさらりと受け流しつつ、ミスティーは彼から硬貨を受け取り、『Sparkling』と書かれた一本を選んでこくりと頷いた。

 コインを入れると数字がピッと変わり、内部でカタンと音がして缶が落ちる。


「冷たい!」


 取り出し口へ手を伸ばすと、ミスティーは指先を走る冷たさに少しだけ驚く。

 プシュと開けてひと口含めば、喉で弾ける泡の痺れが一気に口内を駆け上がり、遅れて鼻にも抜けていった。


「げほっ、げほっ! なによ、この水!」


 炭酸の刺激に涙がちょろりと滲み、二度ほど咳き込んで肩を震わせる。顔を上げると、笑いをこらえた澪音の目が視界に入った。


「笑うな!」

「声は出してないよ」

「心の中でもダメ! どうせこうなるって知ってて言わなかったでしょ」

「証拠がないから、認めない。でも面白い反応を、ありがとぉう」

「最低!」


 唇を尖らせて意地悪な澪音をにらみ、もう一口。

 今度はこの不思議な感覚に少し慣れたのか、眉目がゆるりとほどけていく。


「でもね、うん……慣れると、悪くない」


 満足げに缶をゴミ箱へ放り、ミスティーは並ぶ飲料の壁を見つめたまま数秒考え――


「へぇ待ってよ、この水の原理がわかれば、水魔法で作れるわよね。そして瓶に詰めて、横に机を出して売れば――」

「何を考えてるの、きみ」


 少女の突飛な思いつきは最後まで言い切る前に、澪音のひと言で霧散した。


「ここは魔法郷じゃない。許可、衛生、表示、納税、いろいろ面倒だ」

「じゃあ水はわたしが供給、残りはあなた」

「それでもダメよ」

「面倒から?」

「倫理的にアウトだ。魔法で作った水を、この世界の人に飲ませるかよ」

「けち……」

「現実ってやつ」


 二人は肩を並べて商店街を歩く。

 風が紙の旗を持ち上げ、看板の灯りが絶えない。たこ焼きの鉄板は湯気を吐き、串を返す音が小さく鳴る。

 クレープの屋台からはバターと砂糖の匂いが漂い、ミスティーは足を止めて深く吸い込み、そして道すがらのスイーツ店に澪音を引っ張っては立ち止まった。


 情報収集の名目で、近場の美味しいものを片っ端から味見する。

 鯛焼き、焼き団子、たこ焼き――魔法郷では食べられないものは優先度が高い、というのがミスティーの理屈。

 そして最後に払うのは、もちろん澪音。


「このままじゃ、僕が先に破産する……」


 分厚いレシートに並ぶ数字と自分の財布を交互に見比べ、澪音は長い嘆息を吐いた。手元の現金はほぼ底をつき、残る小銭は何も買えない額しかなかった。

最後まで読んで頂きましてありがとうございます!

もし少しでも面白いと感じていただけたら、本編『スカーレットの魔法譚』も覗いていただけると嬉しいです。

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