UMO
5分企画参加作品です
道端にダンボールが落ちていて、中からみぃみぃと音がすれば人が思い描くものはただひとつだ。
ただひとつのはずだった。
「猫ですにゃ」
黙ってダンボールを閉じる。しゃべる猫などこの世に存在しない。立ち去ろうとすると、ばこっと良い音がした。
「ヒトが困っていたら助けるものですにゃ」
「黙れ化け物」
「にゃんは可哀想な捨て猫ですにゃ」
突き出る2つの三角形の耳、ほほの部分から扇状に広がるひげ。ちょこんとダンボールのふちにおかれた手はどうみても猫の手だった。
ただ、何かが違う。ぎょろりとした2つの青い目がまっすぐ睨みつけており、鼻はプラスチックをはめこんだような黄色の逆三角形。それらが乗っている丸い物体、すなわち頭部の大きさは、明らかに人間と同じほどあったのである。さらにいえば、ヒゲと呼ぶべき物体の間には薄い膜が張られていた。ヒゲではなく、ヒレとでも呼ぶべき物体だ。
ダンボールのふたを閉じた。今度はきっちりと。この場にガムテープがあったなら二重三重に巻いてやったに違いない。
踵を返すと今度はしくしくとすすり泣く声が後ろ髪を引いた。
「流れに流れて幾星霜、ダンボールの家を背負って津々浦々。にゃんも年ですにゃ。腹ぺこですにゃ。もう閻魔様のところしか行くアテがないですにゃ」
猫を名乗るその不可思議生物は、3日とたたないうちにアパートの一室にすっかりなじんでしまった。一か月もたてば立派な同居人だ。
居候らしく、猫はよく働いた。
後ろの足でひょいと立ちあがり、2つの丸い前足で器用に包丁を操り、チャーハンくらいのものであればいともたやすく作り上げてしまうのだ。おかげで食費はずいぶんと浮いた。猫が来る前に比べて黒字会計。これには絶句するしかなかった。
見送る時など、あれやこれやと食材を注文していく。時にはクーポン券やらポイントカードやらをしっかり持たせて。立派な主婦である。
「たまにはにゃんが買い出ししますにゃ」
猫は小さく折りたたんだカバンを尻尾にひっかけて、ガマ口サイフを首から下げていそいそと玄関に向かった。
「ああ助か……ちょっと待て」
「なんですにゃあ?」
同居人としてはすっかり慣れてしまっていたが、普通に見ればおかしな生物である。こんなものが出回ってもらっては。
「必要なもんなら買ってきてやるから家にいろ」
「ウーモは売ってないですにゃ」
「ウーモ?」
「にゃんの仲間ですにゃ」
「要するに化け物なんだよな」
「ひどいですにゃ」
抱え持ったダンボールの中で、猫が唸った。人様の目にさらすわけにはいかない。そう気を利かせた結果だ。逆に目立ってしまうような気がしないでもない。
「にゃんはにゃんですにゃ。化け物ではないですにゃ」
「立ってしゃべるような猫を化け物ってんだよ」
「そういうものですかにゃあ?」
猫のいうウーモ。その説明はやたらと難解で、非現実的で、そのうえ興味もない事柄であった。ただひとつ、このおかしな生物を堂々と歩かせるわけにはいかぬという気持ちのおかげでこうしているのである。
そっとダンボール箱をのぞいてみると、黄色の鼻をひくつかせていた。
「人間の食べ物は本当良いですにゃ。鼻が利くですにゃ」
「野良の食うものもたいしてかわんねーぞ」
「おやつのことですにゃ。青い箱の、黄色い粒々ですにゃ」
「……薬食ったのかお前」
「ここをまっすぐ、もう少しで左ですにゃ~」
これ以上追及したところで薬は帰ってこない。どうせ普段から使っていなかったような薬である。たまたま、頭痛のあったときに手元になかっただけである。たまたま。
「昼間っからこんなとこを化け物が……」
「ウーモですにゃ。化け物ではないですにゃ」
猫の案内した場所は、小さな公園だった。出してくれとうるさい猫を、周囲を確認してからそっと出してやった。ついついとしっぽを伸び縮みさせながらまっすぐと歩いて行く。
「これですにゃ」
猫がカリリとなでるように引っ掻いたのは1本の木だった。さびれた公園の中、それだけが立派で。思わずため息がもれた。
「立ってしゃべる猫じゃないですにゃ。化け物ではないですにゃ」
頭をぐりぐりと幹になすりつけると、くるくる鳴いた。普通のネコが甘えるような、可愛らしい喉声。
「良かったですにゃ」
何が、と聞き返そうとすると、猫の体から光る液体がこぼれだしたように見えた。呼応するかのように樹皮からも光が漏れだす。液体、というより無数のホタルが集まり光の布を織り上げたかのような集合体。意志をもつかのようにぞわぞわと樹上を這い、やがては木を覆いつくした。黄色くまばゆく太陽の光にも負けぬ輝きを持ちながらも優しくきらめいて。それはたった数秒のことであったが、数時間かけた出来事のようにも思えた。
木に吸い込まれるようにして光が消えていく。公園が元通りになったその瞬間、猫がことりと倒れた。
「お、おい!」
思わず手を伸ばした瞬間、猫の体からしゅうと白い煙が吹き出した。ぴくりと体が動いたかと思うと、はじかれるように駈け出していった。視界に映っていたのはほんの数秒。しかし、その姿は。いたって普通の猫だった。間違いない。鼻は黄色くもなく、頭も小さかった。
「な……」
『にゃんはここですにゃ』
突然降ってきた声に顔を上げる。風もないのに、ざわざわと葉のかすれる音があたりを包んだ。
見ているそばから幹がみるみる緑に染まっていった。葉よりも鮮やかな緑色。枝がゆっくりとうねり、自然物とは思えぬ姿をあらわした。
「……ウーモって一体何?」
『ウーモはウーモですにゃ』
幹が大きく揺れ、にんまりとほほ笑む口が一瞬現れたような気がした。
翌日その公園を訪れた時、その木はしゃんと枝葉を張り、毒々しいまでの鮮やかな緑色は影を潜めていた。
あの猫に会うことは二度とない。おかしな語尾を指摘するのを忘れていたな、とどうでもよいことが悔やまれる。
愛用していたと思しき頭痛薬を根元においてやった。立ち去る間際、ありがとですにゃ、とおかしな言葉が聞こえた気がしたが、きっと気のせいだろう。あの猫は、もうどこにもいないのだ。