ノーズフェンシング‼
極論になるが、物事の帰結を事の成否と考えた場合において力強さと正しさは同じ物なのかもしれない。
人類社会は平和主義を唱える一方で、やはり大同小異という旧態依然の主張を外す事は無い。
マイノリティには最初から発言する権利は無く、また生存権すら与えられない。
平和主義者たちの奥は社会の平穏を守る為に強大な力を行為する事を躊躇わないというのだから、これ以上の皮肉は無いのだろう。
ある意味、歴史上において平和主義に勝る好戦的な思想は存在しないのだから。
平和こそ一番の平和の敵なのだ。
不明と混沌、そして経験豊富な政治家たちの個性的な経済政策によって、徹底的に瘦せ細った社会情勢下においてはその傾向はさらに顕著なものになっていることだろう。
一社会人の端くれとして実に嘆かわしいところだ。この不可逆な社会の悪習に今さら反旗を翻すなど、もはや蟷螂の斧がごとき所業にすぎない。我らに必要な態度とは、濁流の如き悪習に逆らうことに非ず。むしろ濁流の習性を知って、それらを意のままに操る事こそが肝要だと私は考える。
今日は一つ、ある架空の物語に登場する人物の生き方になぞらえて不明の前途を生きながらえる手法を考えて行きたいと思う。
その人物の名はマンモスマン。かつてキン肉マンの王位継承者編において知性チームの先鋒としてレジェンド級の強豪レスラーを相手に猛威を振るった超人である。
彼の戦績は輝かしく、彼と対戦した超人の多くは圧倒的な力と技術、戦法の前に敗北した。
ここで多くのキン肉マン読者たちは「二世のタッグトーナメント編で時間超人に負けたじゃん」と突っ込んできそうだが、あれは試合中に謎の人物アブソリュートフェニックスによってヘッドㇵンティンングされたのであって彼が敗北したわけでは無い。
仮に試合中にマンモスマンがパートナーを残して次元の彼方に消えたとしても、それは利益の不一致がもたらした現実的な判断によるものだ。
なんか同世代の男子よりも、お金を持っている年上の男を選ぶギャルのような思想かもしれないが、そういった利益を優先する思想はギャルだけのものではない。
超強いマンモスマンとてキラキラのおじさんに声をかけられればクラっときてしまうのだ。
彼を責めてはいけない。
我々の皆の皆が聖人君子というわけにはいかない。
主観という物はそれこそエゴの数だけ存在し、物事の帰結にも同様に人の数だけ存在する。
マンモスマンの価値観が偶々、貧乏くさいおじん(※ネプチューンマン)よりも何かキラキラしたフードの人物(※アブソリュートフェニックス)の方がより有用と判断した、それだけの話だ。
逆にここで初志貫徹ぢてサンダーとライトニングに勝ったとしてもマンモスマンの未来が明るいものになったとは言い難い。
結局ネプチューンマンはタイムマシンにタダ乗りしたわけけであって、前パートナーのセイウチンを見限った上に明らかに味方側であるウォーズマンをズタボロにしたのだから無事に未来に帰してもらえるかといえば、そこはまた別の問題に直面するだろう。
見返りの無い厚意には応じない。
マンモスマンはしごく合理かつ現実的な判断のもとに、ネプチューンマンに見切りをつけたのだ。
これに対しては過去ネプチューンマンはロビンマスク、ネプチューンマン、他の正義超人たち、セイウチンらに同様の仕打ちをしているので反論しようがないのである。
後の試合に、ネプチューンマンが地獄の時の針アタックでサンダー&ライトニングコンビに敗北したのは当然の結果だった。
ここで我々が見習うべきは、この生き馬の目を抜く非情な世界で生き残る為には温情に背く選択をしなければならない事態があるという可能性だ。
一見して周囲には不義理と思われる選択なのかもしれないが事は命がかかっているのだ。
それは己の命を顧みずに義を貫くか、それとも義に殉じて破滅の道を逝くかという究極の決断だろう。
前者を選んだ者は面と向かって批判をされる事はないだろうが、いつも犠牲の上に成り立った平穏な道を歩んでいるという後ろめたい気持ちに苛まれるのだろう。
だが一人の人間に与えられた命が一つでしかないのは明白な事実であり、それを他人がどうこう言う事は紛れもなく越権行為である。
「あれ?ウルフマンって何回も他人の命で生き返っていなかったっけ?」
はいはい、外野はお呼びじゃないのよ。
というわけで我々は時に果断となり、マンモスマンのように道理に背き、道を歩む事も辞さない覚悟が必要なのだ。
情義を軽んじているわけではない。
あくまでそれが自身の命と釣り合う代物なのか、今一度考えて欲しい。
「副将、レオパルドン」
「グゴゴゴゴ‼」
「ノーズフェンシング‼」
レオパルドン、心臓を貫かれ、死亡。
ね?感情論よりも人命を優先しなきゃ。