伝えたいこと?
僕の名前は齋藤卓馬。
ひょんなことから歌手になってしまった。
高校の時から友達とカラオケに行ったら一番うまかったし、誰からも上手いと賞賛されていたので、多少の自信はもっていたけど、歌手になりたい何て思っていなかった。
いや、正確に言えば、なれるんであればなりたいけど、どうせ無理だと思っていたから目指しもしなかった。
そんな僕の運命を変えたのは友人の正志が「福岡でライブイベントがあるんだけど、ボーカルが行けなくなったから来てくれないか?」という誘いだった。
ライブ何て興味なかったし、何よりそんなことしたって何にもならない。
今時、歌手を目指してバンド組むなんてダサいし流行んないと見下していた。
でも、自分の声と歌唱力には自信を持っていたし、どこまで通用するか試してみたい気持ちもあった。
だから、考え抜いたすえ一回ぐらいならやってやっても良いかという感じで引き受けた。
そこには有名レコード会社のスカウトさんがたくさんいたのだ。
まぁそれを知ったのはスカウトされてから気づいたのだが。
僕の歌声はやはり、そのライブ会場でもひときわ目立っていた。
歌い終わり初めて会うメンバーと狭い楽屋にいると、一人の男の人が名刺を渡してきた。
名刺には○○ミュージック・ジャパン、白川と書いてあり、いかにもエリートそうな格好をしている。
白川は「君の歌声は素晴らしい。でもこのグループにいたんじゃ才能は開花しない。君だけが欲しい。」と言ってきた。
なんかのドラマで見たことあるけど、本当にこんなべたなスカウトがあるのかとびっくりした。
みんなでメジャーデビューを目指す一方で一人はメジャー引き抜かれていく。
でも、僕はこのバンドとは関係ない。正志には悪いがこれっきりのつもりだったし、こいつらは一生メジャーにはなれないと思っていた。
でも、こうも考えられる。
この世の中にいったい何人の人間が歌手になれるだろうか。こんな経験は二度と出来ることではない。
ここで、「はい」と答えなければ一生まわってこない。
チャンスだ。
そう考えていると白川は、「君の歌声で君の伝えたいことを伝えられる。これ以上に素晴らしいことがあるかい?」
うまい営業文句だ。
だが、それも一理ある。
よし、やってみよう。
僕には才能がある。
そうして僕は歌手になった。
僕の所属しているレコード会社は作詞を歌手自身にやらせるというものだった。
その方が歌詞に自分の気持ちが入るからだという。
まぁこの意見には大賛成だった。
出来ることなら作曲も自分でやりたいと思ったが、その才能は僕にはないようだ。
白川「では、今から一か月以内にあなたの伝えたいこと等を作詞してきて下さい。発売は冬から春になります。最近は自殺やらいじめの問題が多いので勇気づけられるバラード何かが良いと思いますよ。君の個性をいかして。では。」
淡々としゃべっていなくなってしまった。
まぁいい。
伝えたいことかぁ。
ラブソングなら「いつまでも君を愛しているよ」とか「君がいないと生きていけないとかかぁ」と思い当たる言葉を手当たりしだい書いてみた。
歌詞を書き始めてから2週間が経ってからふと気づいたことがある。
僕の書いたこの詞は、もう他の歌手が歌っている。
伝えたいこと?
僕がみんなに伝えたいこと?
個性?
何それ?
僕にしか出来ないこと?
そんなことってあるのかな?
僕よりもずっと才能がある人達がそんなこと、もう歌ってるじゃないか。
僕よりもずっと歌のうまい人達が伝えているじゃないか。
わからない。
個性も自分というものも。
この考えから抜け出せないまま、2週間が経ってしまった。
会社に行くと白川が待ちくたびれた様子で話しかけてきた。
白川「どうですか?良い詞は書けましたか。」
もう会ってしまっているが会わす顔がない。
なにしろ何も書けていないのだから。
夏休みの宿題を平気な顔して忘れてた奴らがいたが、こんな気分にはならなかったのだろうか。
ふと関係ないことを考えてしまった。
すると白川は、「やはりダメだったようですね。」
ドキっとした。
僕はもう必要ないと言われている気がした。
白川「最初はみんなそうですよ。でも、あなたが伝えたいとすることでないと、それは人を感動させる歌にはならない。」
唖然とした。
ビジネス感覚でこの仕事をやっていると思っていた白川が精神論を語った。
白川「あなたには頑張ってもらうしかありません。ゆっくり考えてくれと言いたい所ですけど、なにぶん時間がありません。CDを発売するまでには意外と時間がかかるんですよ。夏にバラードというのもねぇ。2週間です。よろしくお願いします。」
やっぱり白川はビジネス感覚だな。
2週間、必死で考えたけど、やっぱりダメだ。個性なんてわからない。
自分のことが一番わからないのに他人の気持ちを理解するなんてことも出来ない。
僕より才能のある人たちがもう伝えきっている。
でも、僕は歌手になった。
僕と関わってきた人は僕の歌声に心奮わせ、白川というプロの人間をも魅了した。
だが、やはり僕という人間にしか出来ないことなんて見当たらない。
僕が歌手をやめても才能ある新人が新しく入ってくるだけだ。
そう、歌手になれた僕でも伝えたいこと、個性なんてわからなかった。
それが僕の伝えたいことだった。