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第1章 赤蜥蜴と赤羽根 第6話、マン・キメラの悪夢

     第6話、マン・キメラの悪夢




 ドレイクとフリルフレアが孤児院を訪れた日から約3週間ほどが経っていた。その間、ドレイクとフリルフレアは事前の取り決めの通り、フリルフレア向けの低ランク推奨の仕事(下水道の大ネズミ駆除や隣町までの商隊の護衛、ゴブリンやオークの討伐等)を幾つかこなしていた。低ランク向けクエストのためドレイクには歯応えが無かったが、フリルフレアにとってはいい経験になったらしく、それらをこなす頃にはある程度の冒険の基礎や、戦闘の手順など必要なことを身に着けていた。もちろんまだまだ駆け出しに違いは無かったが、彼女は確実に成長していた。

 そんなある朝ドレイクとフリルフレアは虎猫亭の酒場でそろって朝食を取っていた。相変わらずオムレツを食べているフリルフレアと、相変わらず朝から大喰らいなドレイクの姿がそこにあった。

「やっぱり朝食にはチキンとほうれん草のオムレツが一番ですね」

「お前、この間朝飯にはエビとブロッコリーのオムレツが最高だって言ってなかったか?」

「それも最高です」

 そう言って上機嫌に鶏肉とほうれん草のクリームオムレツを口に運ぶフリルフレア。「結局オムレツなら何でもいいんじゃないか」そう思いながらドレイクはため息をついた。気を取り直して目玉焼きをのせたハンバーグに目を向けるドレイク。目玉焼きにナイフを入れた瞬間クワっと目を見開くと、酒場のカウンターに向けて怒鳴りかけた。

「おい!どうなってんだよ虎猫マスター!」

「何じゃい、朝っぱらからうるさい奴だな」

 カウンターから虎猫マスターが出てきてドレイクとフリルフレアの横に歩み寄ってきた。いかにも迷惑そうな表情をしている。

「虎猫マスター!なんで目玉焼きの黄身が固いんだ!普通半熟だろ!」

「あ、それはいけませんね。目玉焼きは半熟じゃなきゃ目玉焼きじゃありません」

 珍しくドレイクの意見に同意するフリルフレア。しかし、今度は虎猫マスターの方がクワっと目を見開く。

「何を言っとるんだ馬鹿タレ!目玉焼きは黄身は固く!ソースはケチャップ!これしか認めん!」

「何だそりゃ!」

「ミィィィ!それは目玉焼きに対する冒とくです!」

 ドレイクとフリルフレアが口々に抗議していると、酒場の奥の厨房から一人の女性が顔を出した。

「おお、いいねぇ!赤蜥蜴もフリルフレアちゃんももっとうちのバカ亭主に言ってやっておくれよ」

 そう言うとその女性は虎猫マスターの隣までやってきた。

 彼女は綺麗な黒髪を結い上げており、同じく黒い瞳を持っていた。頭から猫の様な耳が生えていることからケット・シーである事が分かる。その顔立ちは虎猫マスターの娘のキュロットとよく似ていた。彼女の名前はミッシェル・ボントー。虎猫マスターの妻でありキュロットの母である。虎猫亭の料理は彼女が一手に引き受けており、元領主お抱えのコックだったというその腕を日夜振るっていた。

「あんたもいい加減現実を見なよ。目玉焼きは半熟の方が絶対に美味しいんだって」

「いいや!目玉焼きは、黄身は固め!ソースはケチャップ!それ以外は絶対に許さん!」

「まったく、頭固いんだから……」

 自分の亭主の頭の固さにため息をつくミッシェル。何と虎猫マスターはミッシェルに目玉焼きは絶対に固めに作れと釘を刺していた。何のこだわりかは知らないが客の側からすればいい迷惑である。

 いい加減二人が夫婦喧嘩を始めそうだったので、ドレイクはあきらめてハンバーグを食べ始めた。目玉焼きの黄身の固さも重要だが、ハンバーグ自体が冷めてしまったら元も子もない。ドレイクが半分に切り分けたハンバーグを口の中に放り込み、咀嚼しながら味わっている時だった。

「た、大変だ!」

 叫びとともに、扉を開けて男が一人虎猫亭に駆け込んできた。よほど急いで来たのだろう、男はゼェゼェと荒い息をしており、今にも倒れ込みそうだった。

「ま、町の中で、暴れまわってるやつらが居て!」

 よほど焦っているのだろう。男は何度も宿の外を指さしている。

「おいおい、落ち着かんかい。そう言うのは自警団に連絡を…」

「もうしたんだ!でも、自警団じゃ歯が立たなくって!」

「何じゃと⁉」

 虎猫マスターが驚きの声を上げる。その後ろでは、酒場にいた冒険者たちが何事かと顔を見合わせていた。その中にはローゼリットとスミーシャ、ゴレッドの姿もあった。

「一体どういうことじゃ⁉」

「分からないんだ!ただ、突然人間が化け物に変化して!」

 男も状況を理解しきれていないらしく、半ばパニックを起こしていた。

 その時、虎猫亭の扉が再び開き、人影が一つ店内に入ってきた。人影は杖を持ち長い耳と長めの金髪を持った者、ロックスローだった。

「おお、ロックスローじゃないか。元気にしとったか?」

 ゴレッドが席を立つとロックスローの所に歩み寄ってきた。ロックスローは「お久しぶりですゴレッドさん」と答えると、店内の冒険者たちを見渡した。

「冒険者ギルドに頼まれて使いとしてきました。現在ヒューマンが複数魔物化するという事態が起きています。それに対処するために冒険者ギルドは冒険者たちに事態の収拾を要請するそうです。もちろんギルドの方から報酬として金一封が支給されます。一刻も早く事態を収拾させてほしいそうです」

 それを聞いた瞬間、店内にいた数人の冒険者たちがバタバタと駆け出していく。ある物はそのまま飛び出していき、ある者は部屋に装備を取りに行った。

「ミィィィ!大変です!」

「チッ!飯はお預けか!」

 ドレイクとフリルフレアも食べかけの朝食を置いたまま部屋に戻り、装備を整えた。ドレイクは部分鎧を身に着け、大剣を背負う。フリルフレアは短剣の括り付けてある冒険用のベルトを身に着け、ケープを羽織った。

 二人が1階の酒場に戻ると、ちょうどローゼリットとスミーシャ、ゴレッドも準備を終えて酒場にいた。ロックスローもそこにいる。

「しかし、何処で暴れとるんじゃ?」

 ゴレッドの問いにロックスローが答えた。

「私が聞いた限りでは、薬局や道具屋、鍛冶屋、他には冒険者ギルドの近くや町外れの方にもいたそうです」

 それを聞いたゴレッドは頭を抱える。

「数が多いのぉ。しかも恐らくそれだけではないんじゃろ?」

「はい、恐らくは……」

 答えながらロックスローは神妙な面持ちで頷いた。

「手分けするしかなさそうだな」

「しかたないの、そうするか。ここは二人一組が妥当な所じゃな」

 ドレイクの言葉に頷くゴレッド。ローゼリットやスミーシャも同様に頷いている。

「でも、どう分かれる?やっぱりフリルちゃんはあたしと…」

「バカ言ってないで来い!お前は私と行くんだ!」

 スミーシャのいつものボケにローゼリットがツッコミながらスミーシャの耳を引っ張る。

「私たちはまず町外れから当たってみる。行くぞスミーシャ!」

「ああん!待ってよローゼェ!」

 ローゼリットとスミーシャが虎猫亭を飛び出していく。それを見送ったゴレッドはフリルフレアに視線を向けた。

「フリルの嬢ちゃんは赤蜥蜴と一緒が良いじゃろ。赤蜥蜴、嬢ちゃんを守ってやるんじゃぞ!」

 言いながらゴレッドはドレイクの背中を強めに叩く。ドレイクはニヤッと笑い親指を立ててそれに答えた。

「任せろ。赤羽根、俺たちは薬局の方に向かうぞ!」

「分かりました!」

 ドレイクとフリルフレアはお互いに頷くと、そろって虎猫亭を飛び出していった。残ったゴレッドは同じく残ったロックスローに視線を向ける。

「ロックスロー、お前さんはわしと一緒に来い!」

「分かりました。後、新たに暴れているキメラたちの居場所が分かり次第、私が皆さんに魔法で連絡します」

「分かったわい」

「まあ、その分若干戦闘がおろそかになってしまうかもしれませんが……」

「足引っ張らなきゃ何でもいいわい!」

 何をいまさらと言わんばかりに、ゴレッドが思いっきりロックスローの背中を叩いた。






 ドレイクとフリルフレアが薬局に到着した時、すでにそこは凄惨な状況になっていた。薬局は半壊しており、表に停まっていたらしき馬車の荷台は壊れ、荷物らしき樽が散乱している。その樽もほとんどが壊されており、中身があたりに散乱していた。さらに表で商いをしていたであろう露店の数々もそのほとんどが壊されていた。

 それらの破壊された露店の中央にそいつはいた。

 人間種、それもヒューマンの顔をしている。初老の男の顔だった。だが、その下にある首は異様に太く長さも常人の5倍ほどあった。さらにそれだけではなく、身体は異様に筋肉質になり、常人の3倍ほどの大きさに膨れ上がっており、そのくせ腕は異様に細く、かつ6倍ほどの長さをしている。さらに異様なのは脚だった。発達しすぎて常人の4倍ほどに膨れ上がった太腿の下には膝の所から3つに分かれた脚が生えていた。合計6つの足でその巨体を支えている。

 一見して異様な姿の怪物だったが、さらにその周囲が血の海になっていることでそのおぞましさを際立たせていた。怪物の足元には複数の死体が転がっている。死体は、ある者は肩から先が、ある者はわき腹が、またある者は頭が無く、先ほどから怪物が口をモグモグと動かしてクチャクチャと何かを咀嚼する音がすることから、怪物に喰われたのだろうと推測できた。

 死体は自警団らしき武装したものだけでなく、一般市民らしきものもあった。

「チッ、何だこいつは⁉」

「分かりません、初めて見ます」

 ドレイクの舌打ちに答えたフリルフレアだったが、その顔は青ざめていた。あまりに凄惨な光景に血の気が引いたのだろう。フリルフレアは冒険者になってまだ1か月ほど、気分が悪くなったとしても仕方のないことだった。

「大丈夫か赤羽根?ここは俺だけで…」

「いえ、やれます…」

 青い顔をしながらも果敢に短剣を引き抜くフリルフレア。それを見てドレイクも背中の大剣を引き抜く。

「下がれ自警団!ここは俺たちがやる!」

「余裕のある方は怪我人の救護をお願いします!」

 ドレイクとフリルフレアの指示に、自警団員たちは「すまない!」「ここは任せる!」と負傷者の救護に向かった。それでも何人かは残り町の住民達を守るために槍を構え戦闘態勢を取りながら住民を避難させていた。

「あなた!あなた!」

 ドレイクとフリルフレアの後ろで叫び声がする。チラリとそちらに視線を向けると、一人の中年の女性が怪物に向かって叫びかけていた。自警団員によって必死に止められているが、それが無かったら今にも怪物の所に駆け寄っていきそうな勢いだった。

「あなた!あなた、どうして…!」

「落ち着いて!落ち着いてください奥さん!」

 怪物に駆け寄ろうとするのを自警団員に止められている中年の女性。フリルフレアはそれを見た時、ハッとなって声を上げた。

「あ、あの人……薬局のおかみさん」

「何?」

 次の瞬間フリルフレアは何かに気が付いたのか、はじかれた様に怪物の方を見た。そのまま怪物の顔をまじまじと見る。

「‼………あ…ああ……!」

「どうした赤羽根?」

「あの顔…見覚えがあります……薬局のご主人です…」

「チッ!そう言えば、ヒューマンが化け物になったとか言っていたな…」

 舌打ちするドレイク。後ろの方から薬局のおかみの「あなた!あなたぁぁ!」という悲痛な叫び声が聞こえた。

 相手は元人間。どうしてこのような怪物になり果ててしまったのかは分からなかったが、これだけの惨状を生み出しておいて理性が残っているとは考えられなかった。

 ドレイクは両手で大剣を構える。

 次の瞬間だった。ブオン!と音を立てて4m以上はあろうかという長い腕がしなりながらドレイクに襲い掛かった。ブオン!ブオン!と音を立てて左右の長い腕が交互に襲い掛かってくる。チッと舌打ちをしながら、それらを剣や腕ではじいていく。そしてそのままドレイクは距離を詰めていった。腕の間合いの内側に入ってしまえば攻撃されにくいと考えた結果だった。

「ドレイク!」

「俺が突っ込む!赤羽根は魔法で援護しろ‼」

「了解です‼アクセス!」

 フリルフレアが精霊魔法を使おうと、意識を精霊界へ接触させたその時だった。怪物の右腕がいきなりグンッ!と伸びる。そしてその腕はまるで骨や関節など無いとでも言いたげな変幻自在な動きを見せると、ドレイクの横をすり抜けフリルフレアに接近する。そしてそのまま彼女の腕に巻き付くとその自由を奪い、さらに首に何重にも巻き付いた後、掌でフリルフレアの口を塞いだ。

「マホウ…ツカワセナイ…」

「何だこいつ⁉」

 突然の怪物の行動に驚きの声を上げるドレイク。あまりに異様な外見に知性も理性も失ったと思っていたが、以外にも知性は残っていたらしい。もっとも、残っていたところでろくな使われ方はしないだろうが……。

 そうしている間に怪物は捕らえたフリルフレアを上空に持ち上げると、そのまま自分の顔の上まで持ってくる。怪物はニタリと笑うと、上を向いてカパッと口を開いた。その口は頬どころか首の辺りまで裂けており、中にはずらりと鋭い牙が並んでいる。

「ん~!むう‼んーんー!」

 精霊魔法発動の途中で妨害され、口を塞がれたフリルフレアは呻くことしかできない。それでも何とか自由になろうと必死にもがいていた。しかし、それを見た怪物の口の端が吊り上がる。

「イダダギマズ」

 さらに大きく口が開かれた瞬間だった。

「チェアリャアァァ!」

 次の瞬間掛け声とともにドレイクが跳躍し、大剣を怪物の右腕に叩きつけた。ズバァッ!と音を立てて怪物の右腕が切断される。

「ミイイィィィ!」

「ほいっと」

 突然怪物の腕から解放されたフリルフレアはバランスを崩してそのまま落下した。そしてそのままドレイクの腕の中に落ちてくる。ドレイクはいったん大剣を地面に刺すと、両手でフリルフレアを受け止めた。

「大丈夫か赤羽根?」

「何のこれしきです!」

 力強く言うとフリルフレアはドレイクの腕の中から飛び降りた。ドレイクも大剣を引き抜き構える。

「今度こそ行きます!アクセス!炎の精霊サラマンダーよ!あなたの吐息を私に貸し与えて!…『ファイアシュート!』」

 魔法の発動と共にフリルフレアの両手の中に炎の塊が生み出される。そして、狙いを定めると一気に撃ち出した。

 ボウン!と音を立ててフリルフレアの魔法の炎が怪物を直撃する。

「ケアアアアアアア!」

 怪物の叫びが響く中、ドレイクは大剣を両手で持ち上段に構える。

「悪く思うなよ……ズアリャアアァァァァァァ!」

ザグッ!

 ドレイクの大剣が怪物の肩口に食い込んだ。しかし、刀身が肩を砕いた辺りで怪物は胸から肩の筋肉を急に増幅させた。肩や胸の筋肉の厚さが倍近くに膨れ上がる。急激な筋肉の膨張にドレイクの刃が押し返される。それと同時に怪物は残った左腕を伸ばしドレイクの大剣に巻き付けその動きを封じようとしていた。

「ムリ…オマエ、オデダオゼナイ」

「なめんなよ……ぬああああああ!」

 次の瞬間ドレイクの腕に一気に力が籠められる。腕の筋肉が盛り上がり、怪物の肩口に突き立てられている大剣の刃が少しずつ斬り進んでいく。

「おおおあああああ!」

ザバァァァン‼

 ドレイクがさらに腕に力を込め、一気に大剣を振り抜いたことにより盛大な音を立てて怪物の身体は両断された。

 ドシャッと音を立てて倒れ込む怪物。両断された巨大な体はビクビクと痙攣していたが、それもすぐに収まり動かなくなった。

「あなた!あなたぁぁぁ!」

 怪物の死体に薬局のおかみが駆け寄る。そうしている間に、怪物の身体が瞬時に崩れ去っていく。そして、崩れた体は砂の様になってしまい、なぜか肩口から斜めに切り捨てられた上半身だけがもとの姿に戻って残っていた。しゃがみ込んで泣き叫ぶおかみを見てフリルフレアは悲痛な面持ちで呟いた。

「薬局のご主人……どうしてこんなことに…」

「まったくだよな、せっかく帰って来たってのに…」

「え?」

 フリルフレアの呟きに答えたのはすぐ隣にいた自警団員だった。彼は野次馬にどくよう指示を出しながら、他の自警団員たちを呼び寄せている。ほとんどが砂状になった怪物の死骸と元に戻った薬局の主人の遺体ををどかそうとしている様だった。

「帰って来たって……?」

「ん?ああ、ほら薬局の主人って例の行方不明事件で最初に居なくなっただろ?」

「あ!」

 驚きの声を上げるフリルフレア。そして同時に思い出した。薬局の主人と言えば、町で騒ぎになっている行方不明事件の最初の被害者である。しかし、行方不明事件の被害者たちは全員帰ってきたと以前虎猫マスターに聞いていた。

ゾワッ!

 フリルフレアの全身に鳥肌が立つ。イヤな、とてもイヤな想像をしてしまった。その想像により胸に灯ってしまった不安をごまかすようにフリルフレアはドレイクの服の袖を引っ張った。

「ド、ドレイク……私…今とてもイヤなことを想像してしまいました」

「ん?何だ?」

 突然のフリルフレアの言葉にドレイクが疑問の声を上げる。

「ドレイク……この騒ぎって、あとどこで起きてましたっけ…」

「確か…薬局以外は…道具屋に鍛冶屋だったか?あとは…冒険者ギルド近くと、町外れだったと思うが……」

「薬局のご主人、道具屋の息子さん、鍛冶屋の奥さん……それに、冒険者ギルド近くに住んでるギルド職員、みんな行方不明事件の被害者です……」

「おい、それってまさか!」

 ドレイクの言葉にフリルフレアが泣きそうな顔で頷いた。

「今怪物になって暴れているのは、一度行方不明になった人たちなんだと思います」

 言いながらフリルフレアは何かに気が付いた様にハッとした表情になった。そして次の瞬間、瞳から涙がポロポロとこぼれだす。ある事実に気が付いてしまったためだった。必死に頭の中でその事実を否定し続けるが、否定すれば否定するほどその事実は現実味を帯びていることが分かってしまう。

「やだ……うそ…でも…」

「お、おい、どうした赤羽根?」

 フリルフレアの様子に気が付いたドレイクが声をかけてくる。ドレイクがそっと肩に触れるとフリルフレアは両手で顔を覆い、顔を振りながら必死に否定していた。

「やだ!ウソ!違うもん!絶対違うもん!」

「おい!おい赤羽根!どうしたんだ!」

 身体を震わせながら取り乱すフリルフレアに驚くドレイク。彼女の両肩を掴むと、顔を覗き込んだ。

「急にどうしたんだ?とにかく落ち着け…」

「落ち着いてなんかいられませんよ!だって……だって!」

 それ以上を言ってしまったらそれが現実になってしまうように思えてフリルフレアは言葉を詰まらせた。それでも、何とか言葉を絞り出す。

「だって……もう一人知ってるんです……」

「知ってるって、何をだ?」

「以前行方不明になったことがある人……」

 フリルフレアの言葉を聞いた瞬間、ドレイクも気が付いてしまった。彼女の言う通り確かに自分たちはもう一人行方不明になったことがある人物を知っていた。

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「…ピータス……」

 呟いた瞬間はじかれた様にフリルフレアは走り出していた。不安で胸が押しつぶされそうだったが、必死にそれを押さえ込んで駆け抜ける。

「おい!赤羽根、一人で行くな!」

 フリルフレアを追いかけてドレイクも駆け出した。その後方では、たった今孤児院の近くにて同様の怪物騒ぎがあったと自警団に報告があったのだった。






 町外れを目指し、ローゼリットとスミーシャは走っていた。化け物の目撃情報があったのは町外れにある周りを木々に囲まれ壁面に蔦の絡まった屋敷だと聞く。

 二人は周囲を見回しながら、目撃情報のあった屋敷や怪物自体を探していた。

「町外れと言っていたが……この辺りのはずなんだが……」

「あああーーー!居たー!」

 足を止めて周囲を見回したローゼリットの後ろでスミーシャが素っ頓狂な声を上げた。スミーシャが指さしている方向に視線を向けると、確かに隠れるように木々に囲まれ、壁面に蔦の絡まった屋敷があった。そしてその前に何やらうごめく影がある。恐らく件の怪物であろう。

 鞘からダガーを引き抜き、左右の手で逆手に1本ずつ握りしめ、ローゼリットは駆け出した。怪物が気が付いていないこのチャンスを見逃す手はない。

「行くぞスミーシャ!」

「がってん承知!」

 つられてスミーシャも2本のショートソードを引き抜くと、左右の手に持ち駆け出した。

 スミーシャが木々の間を駆け抜ける。ローゼリットは身軽に木々の幹を蹴り跳び上がる。

 枝に着地し、そのまま枝から枝へと跳び回るローゼリット。地上ではスミーシャが木々の間をすり抜けて器用に駆け抜けている。

 すぐに屋敷の近くまで到着した。二人はいったん息をひそめ怪物の様子を観察することにした。

 異様な怪物だった。顔はヒューマンのそれだったが、口は頬どころか首の辺りまで裂けており、中から長い舌がのぞいていた。胴体は丸々と風船のように膨れ上がっており、常人の胴体の10倍ほどに膨れ上がっている。その胴体からは3つの関節がある太い腕が合計6本生えていた。脚は異様に短くかつ太くなっており、長さは常人の半分ほどだったが、太さは5倍ほどに膨れ上がっていた。

「何あれ⁉キモイ!」

「無駄口叩くな!行くぞ!」

 スミーシャに対して言い放つと、ローゼリットは木の枝から高々と跳躍した。怪物はこちらに気づいている気配はない。今がチャンスだった。

(一撃で仕留める!)

 上空からの一閃!ローゼリットの右手の刃が怪物の首めがけて振り下ろされる。

ガツッ!

「何⁉」

 思わず驚きの声を上げるローゼリット。完璧なタイミングで決まったと思われたローゼリットの一撃だったが、突如怪物の首が反転、その鋭い牙によってダガーが受け止められてしまった。

バキィィン!

「チィッ!」

 鋭い音を立てててダガーが噛み砕かれる。舌打ちとともにローゼリットは砕かれたダガーを捨てて左手のダガーを怪物の肩口に振り下ろした。

ザシュッ!

 怪物の肩に突き刺さったダガー。しかし、そこからは血も流れず怪物も特に気にした様子が無い。

 ローゼリットは危険を感じ、左手のダガーも手放すと怪物の身体を蹴りそのまま距離を取った。そして次の瞬間今までローゼリットが居た場所を怪物の腕が打ち抜く。振り抜かれた6本の腕を見て冷や汗を流すローゼリット。

(まともに喰らったら不味いな……しかし)

 自分の左手を見る。短剣を怪物の肩に突き立てた左手だったが、その左手は脂で汚れていた。怪物のあの丸い体はそのほとんどが分厚い脂肪だったのだ。

「チッ!厄介な…」

 舌打ちしながら、再び両手で予備のダガーを引き抜くローゼリット。その横をスミーシャが駆け抜ける。

「スミーシャ、気を付けろ!奴の身体は脂肪だらけだ!」

「うへ~、ますますキモーイ」

 言いながらスミーシャは両手に持ったショートソードを逆手に持ち替える。そしてそのまま一気に怪物に接近した。

「魔円舞!剣舞!」

 叫びとともにスミーシャがクルクルと回転しながら剣の舞を繰り出す。回転しながら繰り出されるその刃が、次々に怪物を切り刻んでいく。そして、それに合わせるようにローゼリットが怪物の腕を斬りつけながら駆け抜け後ろに回り込んだ。

「はあぁぁぁ!」

ザグッ!

 ローゼリットの右手のダガーが怪物の腕に1本を斬りつける。刃は肉を切り裂いたが、骨を断ち切るまでには至らず、骨の半ばで止まってしまう。

「ゴアアアアアア!」

 瞬間、怪物が斬られた腕を振り上げようとする。骨の半ばまで達している短剣の刃を振り払おうとしている様だった。

「させるか!」

 次の瞬間ローゼリットは左手のダガーを右手のダガーと正反対の位置から振り抜いた。

ガツン!

 金属同士がぶつかり合う音がし、その一瞬後何か重いものが地面に落ちる音がした。ローゼリットの左の短剣は右の短剣が半ばまで切り裂いた腕を反対側から切り裂き、見事に切断していた。そしてスミーシャの剣舞により、怪物の胴体は無数に切り刻まれている。その中には内部にまで達している傷もあった。

「ウガガア!オバエラゴロズ!」

「うわ!何かしゃべった!」

「関係ないな」

 そう言うとローゼリットは再び短剣を一閃させる。そして反対の短剣でさらに一閃。先ほどと同じ要領で怪物の腕をもう1本切り落とす。

「なるほど、そうやるのか」

 ローゼリットの真似をしてスミーシャも小剣を振るう。怪物は腕を振り回しているが、うまく関節の部分に刃がめり込んだ。

「せりゃ!」

 反対側から刃を打ち付けるように切りつける。ボトリと音を立てて怪物の腕が落ちた。これで怪物の腕は残り3本である。

「ガアアア!オ、オドレェェ!」

 叫びながら腕を振り回し攻撃してくる怪物。しかしローゼリットとスミーシャは攻撃をことごとく避けていた。振り回される腕を紙一重であるいは距離を取って確実に避けては隙をついて攻撃する。これを繰り返していた。

「行けるよ、ローゼ!」

「ああ、だが油断はするなよ」

「もちろん!」

 怪物の腕はもう残り1本の所まで切り落とされていた。さらに両脚は貫かれ、腹部も脂肪を通り越し内部まで達する傷をいくつもつけている。

「決めるぞ!」

「了解!」

「ヤラゼルガァ!」

 怪物は咆哮と共に首を伸ばした。今まで隠していた奥の手だったのであろうか?10m程も伸びた首がそのままローゼリットに襲い掛かる。しかし……。

「残念だったな」

 次の瞬間ローゼリットの手の中に無数のスローイングダガーが現れる。そしてそれらは一斉に撃ち出された。

ドドッドドッドドド!

 スローイングダガーが怪物の顔面や首に何本も突き刺さる。怪物は苦悶の声を上げながら苦しんでいた。

「とどめ!」

ドスッ!

次の瞬間スミーシャのショートソードが怪物の左胸に深々と突き立てられた。そこはヒューマンをはじめとする人間種のほとんどにとっては心臓のある位置であり、その位置は怪物になっても変わらなかったようだった。

 怪物の巨体がズウウウウンと音を立てて倒れ込む。そして怪物の身体はすぐに崩れ始めた。そのほとんどが砂状に崩れ去り、胴体の辺りにヒューマンの男の上半身だけが残っていた。

「ふう、終わったか…」

「手こずったね~」

 言葉を交わし、スローイングダガーを回収しようと怪物の残骸に近づくローゼリット。スミーシャは残った男の死体を覗き込んでいた。

「誰これ?」

「知らん」

 ローゼリットが転がっているスローイングダガーに手をかけた瞬間だった。

ゾワッ!

 ローゼリットな急に気配を感じて鳥肌が立った。この気配は……そう、殺気だった。

 はじかれた様に殺気のした方に視線を向けるローゼリット。殺気の元はスミーシャの後ろ、屋敷の入り口のすぐ奥からだった。

「スミーシャ!」

「へ?」

 ローゼリットが叫んだ瞬間だった。男の顔が伸びて来たかと思うと口が首の近くまで裂けて開いた。そして無防備に背中を見せているスミーシャの脇腹に食らいついた。

ガブシュ!

「あああああああ!」

 悲鳴を上げるスミーシャ。怪物の牙がわき腹に食い込む。そして怪物が屋敷の入り口の奥からその姿を現した。その姿は先ほどの怪物とほとんど同じ、ただしこちらの方が体が一回り大きかった。

「スミーシャァ!‼」

 ローゼリットの顔が青くなる。あんな鋭い牙でわき腹を食い破られたら最悪命にかかわりかねない。

 だが、そうしている間にも怪物はスミーシャに食らいついたまま顔を持ち上げる。スミーシャの身体が喰いつかれたまま宙吊りになってしまう。

「あああああ!」

 口から血を吐きながら苦痛の叫びをあげるスミーシャ。彼女の脇腹からはとめどなく血が流れ落ちている。

 地面に滴り落ちるスミーシャの血、それを見た瞬間だった。

プツン。

 ローゼリットの中で何かが切れた。

「うわああああああ!」

 叫び声をあげるローゼリット。その金色の瞳が輝きだす。そして次の瞬間ローゼリットの姿が掻き消えた。いや、消えたのではなかった。消えたと思えるほど目にも止まらないスピードで動いただけであった。

バキイ!

 ローゼリットの蹴りが怪物の頭にめり込んでいた。突然の衝撃に怪物の口は開きスミーシャの身体が離れる。そしてそのまま空中で器用にスミーシャの身体を抱きかかえると、地面に着地し彼女の体を横たえた。

「ロ、ローゼ……?」

「………」

 スミーシャの言葉に答えず、ローゼリットは懐から何かを取り出した。スミーシャにはそれが細い糸の様なモノに見えた。

 次の瞬間、再びローゼリットの姿が掻き消えた。すさまじいスピードで地面や木の幹などを縦横無尽に駆け抜けるローゼリット。そして再び動きを止め姿を現したときには、ローゼリットの手元から伸びた糸が怪物の腕や首、身体に幾重にも巻き付いていた。

「終わりだ」

 ローゼリットが呟いた瞬間、糸を持った腕を一気に振り抜く。

ザパパパン!

 ローゼリットが腕を振り抜いた瞬間、怪物が音を立てて細切れになっていた。ローゼリットの手に持つ糸からは怪物の物らしき血が滴っている。

「ローゼ……すごい…」

 スミーシャが何とか声を絞り出す。自分でわき腹を押さえてはいるが、血が止まる気配はない。

「まるで……別人みたい…だった…よ…?」

「バカを言うな!」

 苦い顔でそう呟くと、ローゼリットは自分の服を破りスミーシャの脇腹の傷口にあてがいその上から縛った。応急処置だが、一応の止血にはなる。

「ローゼ……」

「黙ってろ、無駄に血が流れるぞ!」

「うん……でもローゼ……恰好よかったよ?」

「べつに……格好いいものかよ」

 そう言うとローゼリットはスミーシャを背負った。背中にスミーシャの血がベッタリとつく感触がある。

「スミーシャ、傷口を押さえておけ」

「ん…分かった…」

 神殿に向かうべきだろう。それともゴレッドを探して治癒魔法をかけてもらった方が早いだろうか?どちらにしろ急がなければ。スミーシャの出血はひどく命に係わるかもしれない。不安に押しつぶされそうになりながらも、ローゼリットはスミーシャを背負ったまま神殿を目指し走り出した。






「あれがヒューマンが化けたって言う化け物かい!」

 虎猫亭から比較的近かった冒険者ギルドの前に駆け付けたゴレッドとロックスロー。ギルドの前で暴れている怪物を目にしてゴレッドが言い放った。

 冒険者ギルドの前は騒然としていた。突如現れた怪物を前に逃げ惑う市民たち。そして槍を持った自警団員たちが怪物に対峙している。すでに二人ほどやられている様で、怪物の足元に首を飛ばされた死体と、肩からわき腹にかけて切断された死体があった。

 仲間を二人やられたことで臆しているのだろう。自警団員たちは槍を構えつつも及び腰になっていた。

「く……くそぉ!」

「よすんじゃ!むやみに突っ込むでない!」

 やけになって突っ込もうとする自警団員をなだめるゴレッド。「まずは市民の避難が先じゃ」というゴレッドの言葉に「りょ、了解」と答え、市民たちを下がらせていく。自警団員は半分は怪物に対峙し、半分は市民を避難させていた。その様子を確認したゴレッドは怪物に視線を向けた。

 怪物は非常に筋肉質な肉体をしておりその胴体は常人の4倍はありそうだった。また筋肉質な太い腕が合計4本あり、その指先からは鋭い爪が生え、自警団員の物と思しき血が滴っている。下半身は一対の脚が前後にあり、合計4本の脚を持っていた。またその後ろから鱗の生えた太い爬虫類の尻尾が生えている。顔はヒューマンのそれだったが、その顔は正気を保っているとは思えなかった。

「…………」

 あまりのおぞましい怪物の姿に言葉を失うゴレッド。横を見れば同様にロックスローも言葉を失っている様だった。

「…しゃあない!怪物退治と行くかの!」

「はい!」

 ゴレッドは担いでいたウォーハンマーを油断なく構えた。ロックスローも杖を構えて呪文の詠唱に入る。

「わしが引き付ける!援護頼んだぞ!」

「分かりました!」

「うおおおおお!」

 叫びと共に怪物に突撃するゴレッド。一気に接近しウォーハンマーを振り上げた。

「おりゃあああ!」

ズガン!

 ゴレッドの戦槌が唸りを上げて振り下ろされる。しかし、怪物は4本腕の内の2本でその打撃をガードした。怪物の腕には戦槌のスパイクがいくらか食い込んでいたが有効打には至っていなかった。

「チッ!浅かったか!」

 舌打ちするゴレッド。次の瞬間後方で魔力が解放される。

「アフ・イド・ヴェルド・ブラド…『エナジーブラスト!』」

 ロックスローの魔法が発動する。ロックスローの手に魔力が集まり光の弾丸となって撃ち出された。

「ぬお!」

 思わず振り返るゴレッド。光の弾丸はそんなゴレッドの頭上を飛び越えて怪物の胸に直撃した。

「ゴガアアア!」

 苦悶の叫びをあげる怪物。そんな怪物をしり目にゴレッドは冷や汗を流しながらロックスローの方を見ていた。

「ほ……大丈夫じゃったか」

「え?何がです?」

「いや、お前さんの事じゃからわしにあてるかと……」

「いくら私でもそんなへまはしませんよ」

 ロックスローの言葉に心の中で「どうだかのう?」とぼやきつつ、ゴレッドは再び戦槌を振り上げた。

「ぬああああ!」

ゴガァ!

 ゴレッドが振り下ろした戦槌の一撃はまさにクリティカルヒットだった。戦槌は怪物の胸部を直撃しスパイクが肉を裂いてめり込んでいる。ゴレッドの手には肉を裂き骨を砕いた感触が確かに伝わった。

「行けるわい!」

 勝利を確信し、再び戦槌を振り上げた瞬間だった。

「うわあああああ!」

「キャーーーー!」

「も、もう一匹出たあ!」

 後方で叫び声が上がった。何事かと一瞬意識が怪物から離れる。そして次の瞬間目の前の怪物が4本の腕を振り上げた。鋭い爪がギラリと鈍く輝く。

「しもうた!」

 次の瞬間ゴレッドは戦槌を引き寄せ防御態勢を取った。そこに怪物の容赦ない連撃が振り下ろされる。

ガツ!ガン‼ガガッ!ガキン!

 4本の腕から連続で繰り出される爪を何とか戦槌で受け続けるゴレッド。しかし、受け損ねた爪が少しずつゴレッドの身体に傷を増やしていく。そして叫び声のした方ではもう一匹の怪物が姿を現していた。若干小柄だったが、ほぼ同じ姿をした怪物が歩みを進めながら腕を振り回す。

「ゴウウアアアア!」

 ザシュ!と音を立てて対処に当たった自警団員の首が飛んだ。その様子に他の自警団員は再び及び腰になる。ゴレッドは内心舌打ちした。自警団員たちだけで対処できる様な相手ではない。

「こりゃ、ロックスロー!何とかあいつの足を止めんか!」

「お任せください」

 ロックスローは得意げに言い放つと、魔力を開放し意識を集中させる。

「アルファ・ラー・コウンド・バーティラ…『バインド!』」

「グモオ!」

 怪物が驚きの叫びをあげる。ロックスローの魔法が発動した瞬間、光の鎖が新たに表れた怪物に絡みつきその動きを封じていた。

「やればできるようじゃの、ロックスロー!」

「いえいえ、それほどでも」

 怪物の連撃が止まらず防戦一方になりつつも、ロックスローにねぎらいの言葉をかけるゴレッド。そして次の瞬間、怪物の隙をついて戦槌を振り抜いた。

「ゴアアア!」

 叫びをあげる怪物。戦槌のスパイクが怪物の脇腹を抉っていた。相当なダメージに怪物が膝をつく。

「とどめ!行くぞい!」

「援護します!アフ・ラー・コウンド・ファンブル…『ウェポンアウト!』」

 次の瞬間、戦槌を振り上げたゴレッドの腕の握力が一瞬マヒする。そしてすっぽ抜けた戦槌は見事に怪物の後ろに落ちる。

「あ、間違えた」

「まぁたやりおったか、このバカエルフ!」

 あまりのタイミングの悪さに思わず暴言を吐くゴレッド。ハッとなって怪物を見ると、ゴレッドの戦槌を拾い上げてこちらをニタリと笑みを浮かべながら見ている。

「チィィ!最悪じゃ!」

 叫ぶとゴレッドは怪物の前から飛びのいて距離を取った。目の前の怪物に得物を奪われ、後ろには拘束されているとはいえ無傷の怪物が居る。戦況はかなり不利だった。

「ええい!ロックスロー、そっちの怪物まだ押さえておくんじゃぞ!」

 そう叫びながら、ゴレッドは鎧の留め具を外した。ドサッと音がして肩の鎧が落ちる。そしてそのまま胴鎧や腰鎧、脚鎧と外していく。

「す、すいません。もう無理そうです‼」

「モガアアアアアア!」

 ロックスローが弱音を吐いた瞬間、後ろにいた怪物が光の鎖を引きちぎる。バインドを破られロックスローが膝をついた。

 周囲に野次馬はおらず、ゴレッドとロックスロー、あとは数人の自警団員が居るだけだった。とりあえず市民にはこれ以上被害は出なそうだったが、それもこの怪物二匹を倒せたらの話である。

 怪物はゴレッドとロックスロー、自警団員たちの前後から詰め寄ってきていた。勝利を確信した怪物たちがニタリと笑みを浮かべる。

 そして次の瞬間、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()|。

「まったく、しゃあないのう!わしの奥の手、見せてやるわい!」

 次の瞬間ゴレッドはパアン!と両手を合わせると、精神を集中させた。

「おお!偉大なる鋼神アルバネメセクト神よ!御身が持つ鋼の身体を我ら僕にお貸し与えくだされ!…『スチールボディ!』」

 神聖魔法を発動させるゴレッド。魔法の発動とともにゴレッドの身体がギラリと鈍い輝きを帯びる。ゴレッドの身体は、何と銀色に輝いていた。

 ガキィィン!と音を立てて両手の拳同士をぶつけるゴレッド。その顔がニヤリと不敵な笑みを浮かべる。

「これこそわしの切り札!身体の表面を鋼鉄に変えるアルバネメセクト神の奇跡、『スチールボディ』じゃ!」

 バシッとVサインをしたゴレッド。そのまま、まずは自分の得物を奪った目の前の怪物に駆け寄る。

「そして!」

 ゴレッドがそう言った瞬間、怪物が戦槌を振り上げゴレッドめがけて振り下ろした。

ガキイイイイン!

 鋭いスパイクのついた戦槌だったが、激しい音を立ててゴレッドの腕に防がれていた。その音はまさに鋼と鋼がぶつかり合う音だった。

「この状態での格闘技こそわしの最も得意とする戦法にして奥の手よ!そぉい!」

 叫んだ瞬間ゴレッドはドワーフとは思えない身軽さで怪物の腕に飛びつくと、そのまま足を絡ませ腕をつかみあっさりとへし折ってしまった。

「ゴウアアアア!」

 腕を折られたことで戦槌を手放す怪物。ゴレッドを引きはがそうと残り三つの腕で彼を掴もうとするが、蹴りやチョップであっさりと弾かれてしまう。そしてその隙にゴレッドの腕が怪物の首を抱え込む。

「悪く思わんでくれよ」

 次の瞬間ゴレッドは抱えた首に一気に体重をかけ、同時にその首をねじりながら自分の身体を放り出す。ズドオン!と音を立ててゴレッドが倒れ込むと、首を抱えられていた怪物は同時に倒れ込んでいた。そして体重をかけられねじられた首はあらぬ方向に折れ曲がっていた。最後にとどめとばかりに怪物の顔面を鋼鉄の拳で打ち砕く。

「さて次じゃ」

 もう一体の方に視線を向ける。見れば、怪物の繰り出す攻撃をロックスローが必死になって杖で受け止めていた。ロックスローの事だからまたへまをやらかしているのではないかと思っていたゴレッドは思ってもみなかった光景に驚く。

「おおロックスロー、お前さんなかなかやるのぉ」

 言いながら駆け抜けたゴレッドはそのまま怪物に両脚での飛び蹴りをくらわせる。

ゴズッ!

「グオオオオ!」

 怪物の目の前に着地したゴレッド。ロックスローや自警団の前に立ち両手の拳を握り構える。

「あとはわしに任せぃ」

「あ、ああ」

 ゴレッドの様子に戸惑いながらも下がる自警団員たち。ロックスローは少し下がると杖を構えた。その身体には意外にも傷一つついていない。それを見たゴレッドがロックスローにジト目を送る。

「ロックスロー、お前さん魔術師よりも戦士の方が向いてるんでないかい?」

「いえいえ、そんなことはありませんよ」

 にこやかに否定するロックスローに対し「どうだかのう…」と呟くと、ゴレッドは再び怪物の方を見た。ゴレッドの蹴りの衝撃から立ち直り、こちらに向かって腕を振り上げている。

「遅いわ!」

 次の瞬間ゴレッドは怪物の懐に入り込む。そしてその腹部に鋼鉄の拳の連打を何発も打ち込んだ。ドドドドド!と音を立ててゴレッドの拳が怪物の腹にめり込んだ。

「ガハァ!」

 あまりの衝撃に思わず血反吐を吐く怪物。ダメージは大きかったらしく、四本の脚の内一本は膝をついていた。そして顔が項垂れた瞬間だった。

ゴカァァン!

 すさまじい音を立ててゴレッドのアッパーが怪物の顎に炸裂する。ゴレッドの手には確実に顎の骨を砕いた感触があった。その威力に怪物がのけぞる。

「さぁて、そろそろとどめと行くかの!」

「そうですね、これで終わりにしましょう」

 その言葉に一瞬ゾッとするものを感じゴレッドが振り返った。ロックスローの掌に魔力が集中している。

「アルファ・イド・ヴェルド・ライゼリア…『ライトニングジャベリン!』」

ズガガガーーン!

 轟音を鳴り響かせ、ロックスローの掌から凄まじい電撃が撃ち出される。

「グオアアアアアア!」

 怪物の悲鳴が響き渡る。ロックスローの撃ち出した電撃は怪物に直撃すると一瞬で黒焦げにしてしまった。そのまま怪物が倒れ込むと同時に死体が砂の様に崩れ去っていく。死体が崩れ去るとそこにはヒューマンの上半身らしき死体が残っていたが、電撃により黒焦げになっており、それが誰かは分からなかった。

「何じゃロックスロー!お前さんそんなすごい魔法が使えるなら何で最初から使わないんじゃ!」

「ああ、いえ……これもゴレッドさんで言うところの奥の手というやつでして…」

「本当かのう?」

 疑いの視線を向けるゴレッドにロックスローは「ははは」と笑ってごまかしていた。

「まったく…さて、次はどこへ行くかの?」

「そうですね」

 そう言って二人で周囲を見回した時だった。

「ゴレッド!」

 自分を呼ぶ声にゴレッドは振り向いた。そこには息を切らせながら走ってくるローゼリットの姿がある。背中に背負っているのはスミーシャの様だった。

「ローゼリットか!どうした!」

 ただならぬ様子に駆け寄るゴレッド。ローゼリットは呼吸を整えもせず背負っていたスミーシャを優しく地面に横たえる。

「スミーシャが負傷したんだ!お前なら治せるだろ!」

 珍しく取り乱した様子のローゼリットにゴレッドは「落ち着けぃ」と言いながらスミーシャの脇腹の傷口を見た。深々と突き刺さったであろう牙の後が痛々しい。喰い千切られていなかったのが不幸中の幸いだった。出血は多かったが、止血の処置がされていたので恐らくは大丈夫だろう。

「こんな事態だから神殿は恐らく人でいっぱいだ。お前に頼ってばかりで済まないが…」

 もはや泣きそうなローゼリットの肩を、ゴレッドは「安心せい!」と盛大に叩く。

「出血も命に係わるほどじゃない。わしに任せておけ!」

 そう言うとゴレッドは癒しの奇跡を使うべく精神を集中させた。






「ピータス!」

 叫びながらフリルフレアは孤児院前の通りに文字通り飛び降りた。ピータスの身に何かが起きてしまったのではないかという不安に駆られたフリルフレアはドレイクの制止も聞かずに駆け出した。避難しようとする市民たちの流れに逆らって走っていたフリルフレアは、なかなか進めない苛立ちからついには翼を使い、上空から一気に孤児院へと飛んでいったのだった。

 着地と同時に走り出すフリルフレア。着地の衝撃で思わず転びそうになるが何とか踏みとどまり、そのまま駆け出した。

「ピータス!」

 再び叫ぶ。ピータスの姿が見えないだけで、こんなにも不安に押しつぶされそうになる。いつも悪戯ばかりして自分に叱られていたピータス。喧嘩もしょっちゅうしていたし、ひどい悪戯に泣かされたこともある。それでもやはり自分にとっては大切な家族だった。大切な弟だったのだ。

 どしようもない不安に押しつぶされそうになり、涙がこぼれ落ちた。

「ピータス!」

 叫びと同時に孤児院の庭に入った時だった。

「姉ちゃん!」

 自分を呼ぶ声と同時にピータスが孤児院から駆け出してくるのが見えた。その姿はいつものピータスだった。別段筋肉質になってもいなければ、腕や脚が増えたりもしていない。いつも通りのピータス。

「ピータス!…よかったぁ、ピータス!」

 ピータスに駆け寄ると、そのまま強く抱きしめるフリルフレア。ピータスの方もフリルフレアのことを抱きしめてくる。抱きしめたピータスの温もりを感じホッとする。「良かった、私の思い過ごしだったんだ…」そう思いピータスの身体を強く抱きしめる。肩が何かで濡れた気がしたが気にもならなかった。

 涙を流し、ピータスを抱きしめるフリルフレア。そして次の瞬間…。

「赤羽根!」

 ドレイクの叫び声にハッと顔を上げる。

 ピータスに気を取られすぎていて気が付かなかった。目の前に怪物が迫っていた。その怪物はヒューマンの女の顔をしていた。口は耳まで裂け、血走った眼を見開いている。体が細長くなっており、ほとんど骨だけであろうやせ細った身体だがその胴体は4m程もありそうだった。手足も長くともに3m程の長さになった腕や脚で4足歩行の動物のような体勢を取っていた。その異様な姿の怪物は舌なめずりしながら腕を振り上げている。

「イダダギマズ」

 怪物が腕を振り下ろし、フリルフレアがピータスを庇うように身を固くした瞬間だった。

「チィエストオオ!」

 咆哮と共に振り下ろされたドレイクの大剣がザバァン!と音を立てて怪物の胴を両断していた。

「ド、ドレイク…ありがとうございます」

「ああ、危ないところだったな」

 そう言って大剣を一振りし血のりを払うドレイク。両断された怪物の身体はそのまま砂の様に崩れ去った。ヒューマンの女らしき上半身だけが残っている。

「しかし、何なんだこいつらは?」

「分かりませんよ……でも」

 怪物化してしまった女の死体を見る。上半身だけだったが、元に戻ったその姿は鍛冶屋の奥さんだった。怪物化して暴れまわりながら孤児院の方まできてしまったようだった。

「ピータスが無事でよかった…」

 そっと涙をふくフリルフレア。

「俺も、姉ちゃんが無事でよかったよ」

 そう言ってうつむくピータス。恥ずかしがっているのだろうか?その様子にクスリと笑うフリルフレア。

「お姉ちゃんは大丈夫よ。冒険者なんだし、ドレイクもいるもの」

「ううん、そういう意味じゃないんだ」

「?」

 ピータスの言葉の意味が分からず、?マークを浮かべるフリルフレア。そうしている間にピータスの両手がフリルフレアの二の腕を掴む。その掴んでくる強さに思わず顔をしかめるフリルフレア。

「ちょっとピータス…痛い…」

「あれ?赤羽根お前それどうした?」

 ドレイクが少し驚いた声を出した。それは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だった。そして次の瞬間ドレイクははじかれた様にピータスを見た。

「離れろ赤羽根‼」

「逃げなさい!フリルフレア‼」

 ドレイクの言葉と、孤児院から這い出してきたマディの言葉が重なる。這い出してきたマディの右肩と左脚からはかなりの血が流れていた。何者かによって負わされた怪我なのは明白だった。

「え………?」

 訳が分からず呆然とするフリルフレア。ゆっくりと目の前のピータスに視線を向けた。

「姉ヂャンハオデガ喰べダガッタガラザ」

 ピータスの口が耳まで裂けていた。掌が大人くらい大きくなり長い爪が生えていた。腕や上半身はそのままだったが、脚が異様に長くなっていてしゃがむような姿勢を取っていた。

 次の瞬間ピータスがその口を大きく開く。その中にはズラリと鋭い牙が並んでいた。

「イダダギマズ」

 ガブリとフリルフレアの肩にかみつくピータス。鋭い牙がフリルフレアの柔肌に食い込む。

「あああああああ!」

「赤羽根!」

 ドレイクが瞬時に駆け寄ると、ピータスの腹部に拳を叩き込んだ。「ゴフッ!」と呻き声をあげながら吹き飛ぶピータス。ドレイクはチラリとフリルフレアに視線を向けた。幸いにも牙はそれほど深くは刺さっていなかったらしく、出血はあるがそれほどひどい物では無かった。

 ピータスに向け油断なく大剣を構えるドレイク。だがそんなドレイクの腕をフリルフレアが押さえた。

「ま、待ってドレイク……あれはピータス…」

「そんなことはわかってる」

「待ってよ!だってあれはピータス!ピータスなんだよ⁉」

 泣きそうに、いや泣きながら訴えてくるフリルフレアにドレイクは苦い表情を返すしかなかった。

 その時、孤児院の扉が再び開き、アベルが姿を現した。こちらも肩と脚に怪我をしているらしく、脚を引きずりながら片手で肩を押さえて現れた。

「やめるんだピータス!お前の大好きだったフリルフレアを手に掛けるつもりか!」

「そうよピータス!正気に戻って!」

 膝をつきながらもピータスに語り掛けるアベル。マディも座り込んだままだがピータスに声をかけた。

「そ、そうよピータス!あんた将来勇者になるんじゃなかったの⁉こんなところでそんな訳の分からない化け物になってる場合じゃないでしょ!」

 フリルフレアの叫びを聞いた瞬間だった。ピータスの動きがピタリと止まったかと思うと、そのままギギギとフリルフレアの方を向いた。そこには苦悶の表情を浮かべたピータスの顔があった。

「く、苦しいよ…苦しいよ…姉ちゃん…」

「ピータス!」

 正気に戻ったのかと、思わず顔をほころばせるフリルフレア。しかしピータスは激しく首を振った。苦しそうに言葉を絞り出す。

「だめ…なんだ……ダメなんだ……姉ちゃん…」

「何がダメなの⁉しっかりして、ピータス!」

 フリルフレアの言葉に、しかしピータスは首を振るばかりだった。

「苦し…いんだ……姉ちゃんのことが……食べた…くて…仕方が…ないんだ…」

「私を…私を食べれば、ピータスは元通りに戻るの?」

「バカ!そんな訳あるか!」

 フリルフレアを諫めるドレイク。ピータスは頷くと、震える声で言った。

「苦しいんだ……みんなを傷つけちゃったんだ……この手で…」

 震えながら自分の血まみれの手を見るピータス。その瞳から涙がこぼれ落ちていく。

「どうして……こんなことに…」

「まだ、まだやり直せるわ!ピータス!」

 マディの叫びが響く。

「私とアベルは怪我をしただけよ!それにあなた、バークにもシャオンにもラナにもクルトにも手を出さなかったじゃない!」

 懇願するように叫ぶマディ。しかしその横でアベルは項垂れていた。何かに気が付いてしまった様だった。

「マン・キメラだな」

「え⁉」

 アベルの口から思わぬ名前を聞き驚きの声を上げるフリルフレア。そしてそれを聞いた瞬間ドレイクは「そう言うことか」と呟き苦い顔をした。

「ピータス!お前、マン・キメラにされたんだな!」

 悲痛な表情で問いかけるアベル。ピータスは涙を流しながらコクンと頷いた。

「今なら思い出せる……変なおっさんに捕まって……魔法でいじくられた…そう、確かマン・キメラって言ってた」

 ピータスの突然の告白にフリルフレアは頭がついて行かなかった。ペタンと座り込んで呆然としてしまう。

「え…?……何?…どういう……こと?」

 混乱とあまりの事態に涙を流すしかないフリルフレアの肩にドレイクが優しく触れた。

「もう……楽にしてやるしかないってことだ……」

「そんな!どうして⁉……そんなのってないよ!」

 悲痛な叫びをあげるフリルフレア。涙をこぼしながらドレイクを見上げた。

「ああああアアガガアア‼」

 次の瞬間、ピータスが頭を抱えて叫び声をあげた。頭を抱えたまま転げまわっている。苦しんでいるのは火を見るより明らかだった。

「ああアア!姉ちゃ…姉チャン……アガガ……グ、喰イタイ……姉ちゃん逃げて……姉チャンガ喰イダイ…ガアアアアア!」

 支離滅裂なことを言いながら転げまわるピータス。そして頭を激しく振りながら起き上がると、腕を振りかざしフリルフレアに襲い掛かった。

「姉ヂャン…喰ワゼロォォ!」

「チィッ!」

「ダメ!ピータスなんだよ⁉」

 舌打ちして剣を構えようとしたドレイクを必死に止めるフリルフレア。ドレイクの腕に飛びつき必死に止めている。

「ドレイク!お願い!ピータスなんだよ⁉ピータス…助けなきゃ!」

「ガアアア!」

「クソ!」

ザシュッ!

 ドレイクの肩から血が噴き出した。振り下ろされたピータスの爪はフリルフレアを庇って二人の間に体を滑り込ませたドレイクの肩を浅くだが切り裂いていた。

 ピータスの爪から血がしたたり落ちる。ドレイクの鉄よりも固い鱗を貫くほどの鋭い爪だった。

「ドレイク!」

「いい、気にするな!」

 言いながらフリルフレアを庇うように立つドレイク。剣を油断なく構えているが、その正面に立つピータスは再び苦しみだしていた。

「違う……姉ちゃん…苦し…いんだ……助けて…」

 本来の表情に戻りつつも、ピータスの頬は涙で濡れていた。

「もう…誰も……姉ちゃ…ん…も……傷つけ…たく……ない…」

「ピータス!」

 必死に理性をつなぎとめようと苦しむピータスに何もしてあげられず、フリルフレアは名前を呼ぶことしかできなかった。

「ピータス!気をしっかり持って!きっと神殿に行けば司祭様が…」

「いや……もう無理だマディ。……ピータスを楽にしてやるしかない」

「そんな!あなた……どうして⁉」

 怪我で孤児院の入り口から動けないながらも必死にピータスに呼び掛けたマディだったが、夫のあきらめともとれる言葉に愕然とする。

「血は繋がっていなくてもピータスは私たちの息子なのよ⁉」

「分かっている!だからこそ……だからこそこれ以上苦しませたくない…」

 言いながらアベルは涙を流していた。夫の言葉にマディも涙を流す。

「普段は人間の姿をしているが、特定の魔力干渉により異形の姿に変化する。凶暴性があり食人衝動、特に愛する者に対する食人衝動がある。普通は正気を失うが、正気を保っている場合はすさまじい苦しみを味わう……全てマン・キメラの条件と一致する」

 アベルが拳を強く握りしめる。ブルブルと震えるその拳から血がにじんでいた。

「マン・キメラって言うのは……人間の死体をベースに作られるんだ…」

「し、死体って……」

 フリルフレアの声が震える。すべて手遅れだった。そう言われた気がした。

「ピータスの言葉通りなら……その男たちに捕まったあと…ピータスは…」

「こ、殺されたって言うの……?」

 アベルの言葉にマディは震える声で問いかける。そしてその問いかけにアベルは静かにうなずくだけだった。

「そ、そんな……」

 あまりのショックに崩れ落ちるマディ。アベルはそんなマディを支えながらドレイクの方を向いた。

「ドレイクさん……こんなことを頼める義理ではありませんが…どうかピータスを…楽にしてやってください」

「……分かりました」

 泣きながら懇願するアベルに、ドレイクは静かにうなずいた。そして剣を構えピータスに対峙する。

「待ってろ、坊主…今楽にしてやるからな…」

「お願…い……苦しい……助け…て」

「ああ」

 苦しむピータスにドレイクが剣を振りかぶった時だった。

「待ってドレイク」

「赤羽根?」

「私がやる……」

 静かに止めたフリルフレアは少し乱暴に涙をぬぐう。その瞳には決意の色があった。そして苦しむピータスの身体を優しく抱きしめる。

「ピータス、ゴメンね……苦しかったよね…」

「ゴめん……姉ちゃん……もウ…俺ヲ殺しテ……姉チャんの…こト…コレ…以上…傷つケ……タクない…よ」

 ピータスのその言葉に必死に首を振るフリルフレア。その瞳からは再び涙がこぼれだしている。

「謝るのは私の方だよ……ごめんねピータス…ダメなお姉ちゃんで…」

 フリルフレアはピータスの身体を強く抱きしめた。ピータスの身体は震えていた。自分の中にある恐怖や狂気と必死に戦っているのが分かる。大切な姉、大切な家族、これ以上傷つけまいと必死になるピータスの心が伝わってきた。

「助けてあげられなくて本当にごめんね……ダメなお姉ちゃんで本当にごめんね……せめて安らかに眠って………」

 フリルフレアの翼から輝く粒子の様なモノが少しずつあふれ出した。その粒子がフリルフレアとピータスを包み周囲を明るく照らす。

「ありがとう……姉ちゃん…大好きだよ…」

「私もよ…愛してるピータス……『ディスペルファイア』」

 次の瞬間フリルフレアの翼が激しく光り出し、そこから輝く炎があふれ出す。そしてその炎はピータスの身体を包み込むと、輝きながら燃え上がった。その炎が燃えるたびピータスの身体は砂の様に崩れ去っていく。そしてその炎が燃え尽きた時、そこにはピータスの上半身の遺体だけが残されていた。その表情は先ほどまでの苦しみの表情ではなく、安らかな寝顔の様であった。

「ピータス……」

 ペタンと座り込み、茫然とピータスの亡骸を見るフリルフレア。震える手でピータスの亡骸に触れる。そんなフリルフレアの肩に優しく触れるドレイク。

「坊主……安らかに眠ってくれ……赤羽根、よく頑張ったな」

「う、うう…うわあああああああああああああああああん」

 ピータスの亡骸を抱きしめ、フリルフレアは泣き叫んだ。喉が裂けんばかりにひたすら泣き叫んだ。手の中の温もりが戻ってくることは無い。上半身しかない弟の亡骸をひたすら強く抱きしめた。

『やだなぁ姉ちゃん、泣きすぎだよ。相変わらず泣き虫だなぁ』

 そんなピータスの囁くような声と笑い声が耳元で聞こえた気がした……。







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