第5章 赤蜥蜴と赤羽根と13の悪夢 第16話、牙狼剣参戦 その6
第16話その6
それは突然現れた。無数の肉塊と化したリトットのはるか上空にその巨大な口は現れたのだ。一見ヒューマンやエルフなどの人間種の口と同じ形に見えるが、そんな口だけが上空にポツンと浮いているのだ。そしてその口は大きく口を開きながらリトットの残骸の方へと向かっていった。そして………。
バクリ!
その大きな口で肉塊と化したリトットの残骸にかぶりついた。
「あん?……何だありゃ?」
突然のことに思わず疑問の声を上げるベルフルフ。ライデンやシェリエルも何が起きているのか理解が追い付かず呆然としている。
「ローゼ!あの口って、さっきの!」
「あ、ああ………だが、同じものなのか……?」
スミーシャとローゼリットも思わず眼の前の光景に釘付けになる。そう、その口はまさに先ほどローゼリット達の前で透明になるナイトメアを喰い散らかした謎の口そのものだった。だが、それが全くの同一のものかというと確証が持てない。何故ならば、先ほど現れた時は1mほどだったその口は今は2m以上になっていたからだ。単純に大きさが自在に変化するものなのか、それとも同種ではあるが別の個体…というか口なのかは分からなかった。そしてその口はかぶりついたリトットの残骸を喰い千切りバリバリ、クチャクチャ、ムシャムシャと咀嚼し飲み込んでいく。
「な……一体何なんだい、あれ……」
あまりの光景にシェリエルが顔を真っ青にしながらそう呟いている。いや顔を青くしているのはシェリエルだけではない、ライデンも顔を真っ青にしているし、ノイセルに至ってはその光景のあまりの気持ち悪さに吐き気を催したのか「うぷっ」と言って口を押えていた。
「おいおいおい、何なんだこいつは?」
さすがのベルフルフもその口の気持ち悪さに顔をしかめている。だがその口はそんなベルフルフたちの事など気にも留めずにリトットの残骸を喰らい続け、あっという間に平らげてしまった。それどころか先ほどと同じように周囲を漂っていたレッサーナイトメアも次々と喰らい続けていく。
「おい、こいつは何なんだアレイスロー?叩き斬っちまって良いのか?」
気持ちが悪いとはいえ、敵であるナイトメアを喰らっているという事でどうするべきか判断しかねるベルフルフ。しかしアレイスローは迷うことなく頷いていた。
「お願いしますベルフルフさん、この口が何なのかはわかりませんが、とても友好的な存在には見えませんから」
「まあ、確かにそうだな」
ベルフルフはそう言うと愛用の魔剣ウォークライブレードを構える。そしてその巨大な口に斬りかかろうとした瞬間だった。
「ゲフッ」
散々ナイトメアを食べて満足したのか大きくゲップをしたその口はそのままかき消えるように消えてしまった。
「………………」
口の姿が見えなくなっても警戒を解かず周囲の気配を探るベルフルフ。だがすぐにつまらなそうに「チッ」と舌打ちすると、魔剣を一振りして鞘に収めた。どうやら口は姿が見えなくなっただけでなく本当にその場から去ってしまったようだった。ベルフルフはつまらなそうにため息をつくとアレイスローたちの所へ歩み寄った。
「おいアレイスロー、この街はどうなってんだ?俺様がせっかく温泉に入って熱々のソーセージとよく冷えたエールにありつこうと思ってたのに街中に魔物があふれててそれどころじゃねえじゃねえか。俺様のソーセージとエールをどうしてくれんだよ」
「いやベルフルフさん、ソーセージとエールは知りませんよ………けど、今アルミロンドはちょっと面倒なことになってるんです」
「面倒なことだと?」
「ええ、ベルフルフさんにも協力をお願いしたいのですが………」
「協力だと…?」
「はい。実は今アルミロンドでは集団昏睡事件が発生していまして………」
アレイスローはそう言うと、アルミロンドにおける集団昏睡事件に関する知る限りのことを説明した。当然昏睡事件の元凶がナイトメアと呼ばれる魔物であることや、そのナイトメア達が自分たちの王である悪夢王を復活させようとしていること、そしてその悪夢王を復活させるために街の人々の魔力と恐怖と絶望を集めていることなども説明した。同時に今ドレイクやフリルフレアたちが悪夢の中にいる事やそれなりの数のナイトメアを既に倒していることも説明しておく。
アレイスローの説明を聞いたベルフルフを腕組みをしながらウンウン頷いていたが、気になることがあったのか口を開いた。
「おいアレイスロー、今の説明の中にさっきの口の事が入っていなかったがどうしてだ?」
「それは……その…あの口に関してはまだ何も分かっていないんです」
「分かっていないだと?」
「はい、私たちもまだ2度ほどしか見ていないんです。残念ながらあの口が何なのかまだ何も分かっていないんです」
「へッ、そういうことかよ」
アレイスローの言葉にベルフルフは深々とため息をついた。
「そういう訳なんで……ベルフルフさん、ぜひ協力をお願いしたいんですが……」
そう言いつつベルフルフの様子を確認するアレイスロー。ベルフルフはつまらなそうに腕を組んでしかめっ面をしている。
「私たちの方からも頼むベルフルフ、正直今の状況だとお前の戦力は貴重なんだ」
「そうそう、何なら全部終わったらソーセージとエールくらいあたしたちがおごってあげるからさ!」
ローゼリットとスミーシャもそんなことを言ってくる。しかしベルフルフは「チッ!」と舌打ちするとアレイスローたちを睨みつけた。
「へッ!ヤなこった!なんで俺様がお前らに協力してやらなきゃならねえんだ?しかもただ働きじゃねえか!」
冗談じゃない!と言いたげに吐き捨てるベルフルフ。しかしスミーシャがパタパタと手を振って否定する。
「イヤイヤ、ただでだなんて言ってないじゃん。ソーセージとエールくらいおごるって……………」
「そんな得体のしれない敵と戦うってのに飯おごるだけで済まそうってのか?ふざけんなよ、手伝ってほしけりゃそれ相応の報酬を差し出しやがれ」
「う………」
ベルフルフの剣幕に思わず言葉に詰まるスミーシャ。だが彼の言っていることは何も間違っていない。ナイトメアはそれだけ危険な相手なのだ。
「参りましたね……その辺りの事は依頼主のサイザーさんと相談しなくては…」
頭をポリポリと掻きながら困り果てるアレイスロー。いくら緊急事態とはいえ、依頼主のサイザーに断りもなく勝手にベルフルフを雇う訳にはいかない。なぜなら報酬の問題があるからだ。先ほどスミーシャが提案したように食事をおごる代わりに協力してもらうという程度ならばアレイスローたちの財布に少し痛手が出るくらいですむ。だが、正式に雇うならば冒険者ギルドから報酬を払わなければならない。だが、それを勝手に決定する権利は彼らにはなかった。ならば依頼主のサイザーに連絡を取ればいいだけの話に聞こえるが、フェルフェルからの連絡でサイザーが目覚めたのは知っていたが、彼は目覚めた直後に奇声を発しながらどこかへ走り去ってしまったらしいので連絡が取れなかった。
思わず頭を抱えるアレイスローたち。その時ベルフルフが口の端をニヤリと歪ませた。
「そうだ、お前らが自分のもらうはずの報酬を俺様に全部差し出すって言うなら考えてやらなくもないぜ」
「え……」
「いや……」
「それは……」
ベルフルフの言葉に口ごもるスミーシャ、ローゼリット、アレイスロー。自分たちも今回の事件ではそれなりに大変な目に会ってきているので、さすがにただ働きになるのには抵抗があるようだった。そして、3人がどうしたものかと考え込んでいる間に、今まで事の成り行きを静観していたライデンが近づいてきた。
「な、なあ………その報酬って……一人分払えばちゃんと手伝ってくれるのか……?」
「あ?………まあそうだな、お前らと同じだけもらえりゃ考えてやるよ」
「だったら………だったら俺がもらう報酬をそっくりそのままあんたに渡すよ。それじゃダメか?」
「「ハァ⁉ラ、ライデン⁉」」
ライデンの言った言葉があまりに衝撃的だったのか思わずシェリエルとノイセルの声がハモる。思わずポカンと口を開けている2人を尻目にライデンはベルフルフの正面に立った。
「どうかな?俺がもらう分の報酬を全部渡す、それでベルフルフ、あんたの力を俺達に貸してくれないか?」
そう言ってベルフルフの眼を見つめるライデン。ベルフルフはそんなライデンをじっと見返している。そして………おもむろに口を開いた。
「ま、お前にそうまで言われちゃ断れねえよな」
そう言ってニヤリと笑みを浮かべるベルフルフ。一方のライデンはベルフルフの言葉にポカンとしている。
「え………?」
「どうしたライデン?ポカンとしやがって」
どうした?とばかりにライデンの目の前で手を左右に振って見せるベルフルフ。だが当のライデンはどこか信じられないとばかりに眼をパチクリさせていた。
「べ、ベルフルフ…………あ、あんた………俺の事覚えて……?」
震える声でそう告げるライデン。ライデンにしてみれば、ベルフルフは憧れの存在であり新人時代の恩人なのだ。それに自分の事など記憶の片隅にもないだろうと思っていたので驚き、そして歓喜に身を震わせていたのだ。しかし当のベルフルフはそんなことは当然だとでも言いたげな態度だった。
「おいおい、鳥頭の赤蜥蜴じゃねえんだからよ。それにライカンスロープの冒険者なんて珍しいからな、さすがに覚えてるぜ」
そう言ってニヤリと笑うベルフルフ。
「ライカンスロープの冒険者?何のことです?」
「ああ!ノ、ノイセル!詳しいことは後で説明するから……」
頭の上に?マークを浮かべるノイセルと、ライデンの事情を知っているので慌てるシェリエル。疑問を感じているノイセルに対して何とか取り繕っている。
「それにライデン、お前は美味い飯屋を見つけるセンスがあるからな。お前を助けた時にお前が礼だって連れてってくれた酒場は酒も飯も美味かったからな、今でもあの町に行ったときは寄ってるぜ」
「ベルフルフ………」
憧れの存在に覚えていてもらえたどころかセンスがあると言われ感激のあまり思わず涙ぐむライデン。そんなライデンの背中をベルフルフはバシバシと叩いた。
「よし!仕方がねえ、ライデンが自分の報酬まで俺様に渡すって言ってんだ、この俺様が力を貸してやるぜ!なあに、大船に乗ったつもりでいろよ!」
そう言って胸を張っているベルフルフ。ひとまずはベルフルフの力を借りられることになりホッと胸をなでおろすアレイスローたち。
「助かりますよベルフルフさん」
「あ、そうだ!」
その時突然スミーシャが声を張り上げる。何かを思い出したようだった。
「考えてみればこの事件ってエルベンスト王国が動いてるよね?だったら事件解決に貢献すれば国から報奨金出るかもしれないよね」
「何⁉そりゃ本当かスミーシャ⁉」
「確証はないけど……多分」
「マジかよ!がぜんやる気が出てきたぜ!よしお前ら、さっさとそのナイトメアとかいう奴らをぶっ殺しに行くぞ!」
スミーシャの言葉にやる気を出したベルフルフ。だが、突如「あ、そうだ」とか言いながら動きをピタリと止めた。
「どうしたベルフルフ?」
「おう、そう言えばよ、今赤蜥蜴と嬢ちゃんは眠ったまんまで起きねえんだよな?」
「?そうだが?」
ベルフルフの言おうとしていることの意味が分からず頭の上に?マークを浮かべるローゼリット。
「だったらよ、チャンスじゃねえか?」
「チャンス?何のだ?」
「決まってんだろ!いたずらのチャンスだよ!今のうちに赤蜥蜴の顔に落書きしたり嬢ちゃんのスカートめくり上げとこうぜ!」
「子供かお前は」
嬉々として言うベルフルフに対し、ローゼリットの言葉はあまりに冷たく、またベルフルフを見つめるその視線はまるでごみを見るような絶対零度の視線だった。
「クソッ!何なんだあのウルフマンは⁉突然現れたと思ったら邪魔をしおって!」
魔導士ギルドの自室……ギルドマスター室内で、水晶を覗き込んでいたクロストフは苛立たしげに机を叩いた。突如町中にあふれたナイトメアの状況を確認するためにマジックアイテムである水晶球で様子を見ていたのだ。そして上手いことアレイスローたちを追い込んでいたのに、突如現れたベルフルフに戦況をひっくり返され苛立たしげに爪を噛んでいる。
「そもそもなぜナイトメアどもは突然こちらの世界に出てきたんだ?カッドイーホ様のご命令なのか……?」
そう言って考え込むクロストフ。そう、街中にナイトメアが進出してきたのはクロストフのあずかり知らないところで起きたことだった。だが、これは好機だ。この現実世界でアレイスローたちを殺せば邪魔者はもういなくなる。それに現実世界で人を殺してもどうやら魔力や絶望、恐怖と言ったものは集められるらしい。
「このチャンスを生かしてカッドイーホ様の1番の部下の座は……私がもらう」
そう言って暗い笑みを浮かべるクロストフ。邪魔者を皆殺しにし、自らの主に魔力と恐怖と絶望を献上するためにどうするべきか、策略を練り始めるのだった。




