第5章 赤蜥蜴と赤羽根と13の悪夢 第7話、第三の悪夢・孫娘と祖母 その2
第7話その2
翌日、フリルフレアは少し沈んだ表情で朝食の準備をしていた。昨日ジェニファーに叱られた後急いで買い物に行き、夕食の準備をした。主人であるジェニファーにはある程度良い物を出さなければいけなかったので、彼女にはサーモンのムニエルと付け合わせの温野菜、コーンスープとパンを出した。正直元貴族とはいえ既に落ちぶれているジェニファーは決して裕福なわけではない。むしろ貧乏だと言った方が良い。それにジェニファーは働いていない。高齢であることを理由に働いていないのだがそれでは当然収入など無い。この家の収入源はフリルフレアが草原で集めてくる薬草などだった。それらを売って、あるいは簡単な薬に加工してから売ってささやかな収入にし、何とか生計を立てていたのだ。だからジェニファーの食事にある程度良い物を出すのにもかなり苦労していた。それにジェニファーにはまともな食事を出せても、フリルフレアにはまともな食事は出されない。彼女の夕食は温野菜に使ったニンジンや玉ねぎの皮や破片を使った薄いスープにパンが半分、それだけだった。
ジェニファーは仕事はしていないが目ざとい所があり、買い物や食事の度にフリルフレアが金や食べ物を盗んでいないか確認していた。買い物から帰れば服を脱がされてポケットから下着の中まで調べられるし、買った食材と値段も確認されて誤魔化していないかと疑われる。食事の時もフリルフレアが食べるものは全てジェニファーによって調べられる。使っている具材から調味料まで質素な物でないと許されなかった。
フリルフレアがこんなにひどい状況で生活しているにもかかわらず、ジェニファーは自分の事に関しては湯水のように金を使った。金があれば自分が着飾る服や宝石に手を出したのだ。そして当然食事にもうるさく、金が無いのを知っていながら贅沢をさせろとフリルフレアに当たり散らす。フリルフレアが造ったサーモンのムニエルも、「あたしゃ魚なんか喰いたくないんだよ!肉を食わせな!肉を!」と言って投げ捨てられ、フリルフレアは泣く泣くお金をかき集めて肉を買いに行った。もっとも、財政が厳しいフリルフレアがステーキ肉など買える訳もなく、それでも何とか安く牛と豚の合いびき肉を手に入れて急いで帰りハンバーグを作った。出されたハンバーグをジェニファーは「まったく、ステーキも出せないのかい!この役立たずが!」と言いながらムシャムシャと食べていた。それでもジェニファーがハンバーグを完食したことにフリルフレアは喜んだが、そんな彼女をジェニファーは杖で何度もたたいた。曰く「何で最初から肉を出さないんだい!気が利かないね!」とのことだった。
とにかく、昨晩そんなことがあったのでフリルフレアは疲れており、さらに気が沈んでいたのだ。さらに昨日の余計な出費のせいで今日の夕食の食材を何とか安く済まさなければいけない。今作っている朝食に関してもギリギリな出費だった。ジェニファーにはベーコンエッグと昨日の残りのコーンスープ、パンを出すつもりだ。そして恐らくフリルフレアの分の朝食は……なしになるだろう。昨日の無駄な出費をどこかで取り戻さないと生活が厳しくなるだけだった。
そして朝食の準備を終えたフリルフレアはジェニファーを起こしに行った。ジェニファーの起きる時間は日によってまちまちだった。だから起こしに行くのだが、起こされた時間が彼女の気に入らない時間だと「何でこんな時間に起こすんだい!」と叱られるし、それならばと起こさないでいると「何で起こさないんだい!」と怒られた。なのでもうフリルフレアは諦めて怒られること前提で起こしに行くことにしていた。どうせ怒られるならば、朝ちゃんと起きてもらって暖かい朝食をとってもらいたいと考えたからだった。
ジェニファーの寝室の扉をトントントンと叩く。
「おはようございます。お婆……奥様、そろそろお目覚めの時間です」
そう声をかけて寝室に入るフリルフレア。部屋の中ではジェニファーがベッドの上でイビキをかいて寝ている。正直寝相も酷く毛布は床に落ちている。パッと見た限りではとてもではないが元貴族の寝ている姿には見えない。しかしそんな主人の醜態も気にすることなくフリルフレアはジェニファーの身体を揺さぶった。これくらいしないと起きないのである。
「お婆様、お婆様、起きて下さ……あ、間違えた。奥様、起きてください」
若干わざと間違えたようにも聞こえるが、とにかくそのフリルフレアの言葉にうっすらと眼を開けるジェニファー。
「おば…奥様、おはようございます。いいお天気ですよ」
フリルフレアはそう言って部屋のカーテンを開ける。日差しが部屋の中に降り注いだ。この朝の温かくも清々しい日光を浴びればジェニファーの目も覚めるだろうと思い、ニッコリと微笑みながらジェニファーの方に視線を向ける。だが、次の瞬間………。
ガツッ!
「ひゃあ!」
思わず悲鳴を上げるフリルフレア。ジェニファーがおもむろにフリルフレアの頭を杖で殴ったのだ。寝起きだったせいで大した力は入っていなかったが、それでも涙が出る程痛い。
「……???」
思わず涙目になりながらジェニファーを見つめるフリルフレア。だが、それさえも気に入らないのかジェニファーは再び杖を振り上げる。そしてフリルフレアが思わず眼をギュッと閉じて両手で頭を庇ってしゃがみ込むと、ジェニファーはそのまま容赦なくフリルフレアを何度も殴打した。
「いちいち眩しいんだよ!バカな娘だね!さっさとカーテンを閉めな!」
怒鳴り散らしながらもジェニファーの殴る手は止まらない。そしてフリルフレアのことを10回ほども殴打しただろうか?ジェニファーは「フー、フー!」と息を荒くしながらフリルフレアを睨んでいた。一方のフリルフレアは杖が振り下ろされなくなったのを確認すると恐る恐るジェニファーに視線を向ける。涙で滲む視界の先ではジェニファーが苛立ったようにカツカツと足を踏み鳴らしている。
「さっさとカーテンを閉めてあたしを着替えさせな!まったく、あたしが指示しなきゃそんな事も出来ないのかい⁉いつまで経っても無能で馬鹿な娘だねぇ!」
苛立たしげにそう吐き捨てるジェニファー。フリルフレアは涙を少し乱暴に拭うと、急いでカーテンを閉めた。そしてジェニファーの着替えを用意する。
「も、申し訳ございません奥様。御着替え、お手伝いさせていただきます」
フリルフレアはそう言うとジェニファーの着替えを手伝い始める。しかし、正直なところジェニファーが着替えにフリルフレアの手伝いを必要としているかどうかは疑問だ。ジェニファーは70を超えた高齢にしては元気だ。歩行補助用に杖を持ってはいるが、本当に必要なのかどうかは分からない。どちらかと言えばフリルフレアを殴るのに使っている方が多い様な気がした。しかしそんなことを口にすればまた殴られるだけだ。フリルフレアは黙ってジェニファーの着替えを手伝った。
着替えを終えたジェニファーは鏡の前で身に着けるアクセサリーを選んでいる。鼻歌など歌いながらネックレスや指輪などを選んでいた。
「あ、あの奥様……お食事の準備が出来ているのですが……」
フリルフレアが恐る恐る声をかけるとジェニファーがキッと睨み付けてきた。
「何で先に用意するんだい!あたしが食べたい時にできたてを用意するのが奴隷の仕事だろう!」
そう怒鳴りながら部屋を出ていくジェニファー。口ではああ言いつつも空腹感があったのだろう。厨房兼食堂に入るとテーブルに着き、「いただきます」も言わずにベーコンエッグにかぶり付く。
今度は殴られなかったことにホッとしながらも、奴隷と言われ内心ショックを受けるフリルフレア。ジェニファーが自分の事を孫だとさえ思っていてくれなかったのかと悲しい気持ちになる。しかし今はショックを受けている場合ではない。とにかく急いでジェニファーの後を追って食堂に行った。食堂でジェニファーが美味そうにベーコンエッグをガツガツと平らげているのを見て再度ホッとするフリルフレア。どうやら朝食には文句をつけられなかったみたいだと油断していた。
しかし次の瞬間………。
バシャッ!
「キャアァ!」
フリルフレアに向けてコーンスープの器が投げつけられた。避けるどころか反応する事も出来ず、頭から熱々のコーンスープを浴びてしまうフリルフレア。
「あああああ!熱い!熱いぃ!」
湯気を上げていた熱々のコーンスープはトロミもあり、まるで頭にへばりつくようだ。あまりの熱さに床を転げまわるフリルフレア。しかしそんなフリルフレアの腹をジェニファーが思いっきり蹴る。
ドン!
「グフゥッ!」
いきなり腹を蹴られ肺から空気が押し出される。そしてそのままピクピクと痙攣しながら「ゲホゲホッ!」と咳き込んだ。同時に鼻や口からは鼻水とよだれ、瞳からは涙がこぼれ落ち、そのせいで顔がグシャグシャになってしまう。しかしそんなフリルフレアを冷やかな目で見下し、ジェニファーがフリルフレアを踏みつけた。
「このスープは昨日の夕食の残り物じゃないかい!お前、このあたしに残り物を食わせようってのかい⁉」
そう怒鳴り散らしながら再びフリルフレアの腹を蹴るジェニファー。フリルフレアは再び「グフゥ!」と呻き、口から涎を吹きだす。
「ベーコンエッグも、何だいこの卵は⁉黄身が半分生じゃないかい!あたしに腹を壊せって言ってるのかい!」
吐き捨てる様にそう言ったジェニファー。フリルフレアを見てフンッと鼻で笑う。
「まったく汚らしい小娘だねえ。食欲が失せるんだよ!」
ジェニファーはそう言って再度フリルフレアの腹を蹴った。もう声も上がられず痙攣しているフリルフレア。ジェニファーはゴミでも見るような視線をフリルフレアに向けると鼻で笑い席を立った。
「もう朝食は十分だよ、片付けておきな。あたしは出かけるからね」
そう言って部屋に戻ろうとするジェニファー。そんなジェニファーに向けて立ち上がれないままのフリルフレアが何とか声を絞り出す。
「お……奥様……どち…らに……お出かけ…される……のですか……」
「何処に行こうがあたしの勝手だろう!お前はあたしが戻ってくるまでに家事を全部やっておくんだよ!それと今日も薬草を摘みに行っておいで!」
「か……かしこま…りました…」
「まったく、主人の言葉を寝転がりながら聞くなんて、なんて図々しい奴隷だい!」
吐き捨てる様にそう言ったジェニファーは杖で思いっきりフリルフレアの頭を叩いた。
「……………」
されるがままで反応する事も出来ないフリルフレア。そんなフリルフレアを見てジェニファーは苛立たし気に舌打ちすると自分の部屋に戻っていった。身に着けるアクセサリーを決めて化粧をするためだった。
一方のフリルフレアは頭と腹の痛みに気が遠くなりそうな想いだった。それでも何とか立ち上がる。
「片付けなきゃ……」
フラフラになりながらも食器を厨房に運ぶ。だが、流し台に食器を入れた瞬間、フリルフレアの腹に激痛が走る。そしてほぼ同時に腹部から込み上げて吐き気に息がつまる。
「う……おえぇ~~」
あまりの吐き気に思わず胃の中の物を吐き出す。だが朝から何も食べていないのに吐き出す物などあるのだろうか?だが、そんな疑問はすぐに吹き飛んだ。フリルフレアは流し台の中を見て愕然とする。彼女が吐き出したのは吐しゃ物ではなく………血だった。
「血……?え?うそ……」
血を吐いた。つまりジェニファーの暴行で内臓が傷ついてしまったのだろう。いや、もしかしたら傷ついたでは済まないかも知れない。そう思えるほど腹部の激痛は酷かった。そのまま厨房の床に倒れ込むフリルフレア。同時に再び吐血するフリルフレア。視界もかすんできて意識が朦朧としてくる。
(あれ……?もしかして…私…死んじゃうのかな…?)
朦朧とした意識の中そんな考えが頭をよぎる。
(あ……でも、死ねば…また会えるんだよね……お父さんとお母さんに……)
フリルフレアはそのまますべてを諦めたように目を閉じた。同時に意識も深い闇の中に落ちていく。そして……フリルフレアの身体が冷たくなるのにさして時間はかからなかった。
フリルフレアが厨房で倒れ、その命の灯が消えた時、ジェニファーはその事に気が付きもせず家を出て街に繰り出していった。自分がフリルフレアを殺したことにも気が付かず、のん気に遊びに行ったのである。
そしてジェニファーが家を出てしばらくたったころ、厨房においてフリルフレアの身体が輝く炎に包まれていく。その命の炎が冷たくなったフリルフレアの身体を包み込んでいった。そして炎が消え去った後には血を吐き、死んだはずのフリルフレアがキョトンとした様子で辺りを見回しているのだった。




