第5章 赤蜥蜴と赤羽根と13の悪夢 第5話、第一の悪夢・吸血 その9
第5話その9
フェルナンドとデビルモスキートの死体が転がっている小屋を捨て、比較的壊れていない別の小屋へ移動したドレイク達。目を覚ましたフェミリンがフェルナンドのおぞましい死にざまを思い出しパニックを起こしかけたのを何とか落ち着かせ、皆で肩を寄せ合っていた。まあ、正確に言えば肩を寄せ合っているのはベルベラとフェミリン、トーキの3人でドレイクは壁に寄りかかりながら腕を組んで考え込んでいた。
「どうしよう……きっと私が…死ねばいいなんて言ったから……」
震える声でそう言ったフェミリン。そのままポロポロと涙をこぼし始める。フェルナンドの死が自分の言葉のせいではないかと考え自責の念に駆られているのだ。
「アトレストさんに続いて…フェルナンドさんまで……」
アトレストだけでなくフェルナンドの死も悲しんでいる様子のフェミリン。アトレストの死を知らされた時激昂してフェルナンドに掴み掛り罵倒してしまったことを後悔しているようだった。
(人の良い嬢ちゃんだな……)
そう思うドレイク。どことなくその人の良さはフリルフレアを彷彿とさせるところがある。そして改めてこのフェミリンと言う少女が何処にでもいる普通の女の子であることを認識させられる。そう……人よりちょっと優しいだけの普通の少女なのだ。間違ってもこんな悪夢の中に捕らわれていて良い人間ではない。
(いや、それは嬢ちゃんだけじゃないか。ベラベラにしてもあのチビッ子にしてもこんな所に居るべき人間じゃない)
ドレイクはそのままベルベラとトーキに視線を向ける。ベルベラはさっきからずっと泣いているフェミリンを慰めている。彼女自身もこの悪夢の中で精神的に滅入っているはずなのにずっとフェミリンやトーキの世話を焼いているのは元冒険者だという事実から来る使命感なのか?とにかくベルベラも相当人が良いように思える。
逆にトーキの方は意外にも肝が据わっているのがうかがえる。先程のフェルナンドの死にざまを見ても悲鳴一つ上げなかったし、人の死に動じた様子もない。まあ、もしかしたら何も分かっていないだけの可能性もあるが……。
そんなことを考えながらドレイクはため息を吐いた。
この悪夢の主であるナイトメガがどうやってフェルナンドにデビルモスキートの幼虫を寄生させたのかが分からなければ、手の打ちようがない。何も食べていた様子はなかったので経口で寄生したとは考えにくいだろう。だが、それならば一体どこから入り込んだのか?身体の一部を食い破って侵入したのならば、痛みで悲鳴の一つも上げそうなものだ。だがドレイクが気絶させてからフェルナンドは寝言すら発していない。
(もしかして、もっと前に寄生されていたのか?)
そしてじわじわと幼虫が成長していったのならば確かに納得もいくのだが……?
「なあベラベラ、ちょっと聞きたいことがあるんだが…」
「何だいドレイク?」
フェミリンを落ち着かせるために彼女の肩を抱いて背中をさすってあげていたベルベラがドレイクの方を向く。
「あのオッサン、お前らと出会ってから何か喰ってたか?」
「フェルナンドの事かい?……いや、何も食べてなかったと思うよ。あたしはフェミリン達より先にフェルナンドに出会ったんだけど、それから死ぬまで何も食べてないし飲んでいないよ」
「そうか……」
「それどころか、フェルナンドだけじゃなくあたしやこの娘達もずっと飲まず食わずだよ」
「まあ、この状況じゃなあ………」
食べ物も飲み物も無いのは仕方が無いだろう。だが、そこでふとドレイクの中に疑問が浮かび上がる。
「そういや、飲まず食わずって言ってたけど……あのオッサンは文句を言わなかったのか?」
「フェルナンドがかい?………いや、特にそこに関しては何も文句は言っていなかったと思うけど……。それがどうかしたのかい?」
「ベラベラとあのオッサンが出会ってからどれくらい時間が経ったのか知らないが、わがまま放題のあのオッサンが長時間飲まず食わずで何も文句を言わなかったのか?」
「あ、そう言えばそうだね……」
ドレイクの指摘に今さらながら疑問を抱くベルベラ。
「どういうことだろう……?この状況だから空気を読んで我慢していたのかね?」
「あのオッサンがそんなタマか?」
「……確かに、絶対我慢なんてする奴じゃないね」
渋い顔でそう言うベルベラ。確かに知り合ってからまだ大した時間は経っていないがフェルナンドの性格は何となく分かっていた。他人に遠慮したり我慢したりする人間ではない。それならば何故………?
だがそこでベルベラはあることに気が付いた。先ほどドレイクが言っていたことだ。
「そう言えばドレイク、あんたここが悪夢の中って言ってたよね?」
「ん?ああ、言ったが?」
それがどうした?と言わんばかりのドレイク。だが、この言葉にベルベラよりも先にフェミリンとトーキが反応する。
「え……あ、悪夢?ベルベラさん、ここが悪夢の中って一体どういうことですか?」
「どうして悪夢の中って分かるの?」
動揺しているフェミリンと少し落ち着いているトーキがそれぞれの疑問をぶつけてくる。しかしベルベラの方も全ての状況を正確に理解している訳では無い。
「えっと……あ、後で詳しく説明するからね。ちょっと待ってておくれ」
フェミリンとトーキの疑問に対する答えはとりあえず保留にしておく。
「悪夢の中だからじゃないかい?考えてみりゃ、あたしも全然お腹もすかないし喉も乾かない。ついでに言えばトイレに行きたいとも思わない」
「そう言えばそうだな」
ドレイクも自身の腹に視線を落とす。確かにしょっちゅうお腹を空かせているドレイクだが、今は別段空腹を感じない。それに当然尿意や便意もない。
(夢の中だから、腹も減らないし喉も渇かない。トイレに行きたくもならないってことか)
何となく納得するドレイク。だが、何か引っかかるところがある。
「なあ嬢ちゃんとチビッ子。お前さん達はいつからあの蚊の化け物から逃げ回ってるんだ?」
突然のドレイクの質問にポカンとするフェミリン。トーキはドレイクの質問の意味が分からないのか小首を傾げている。
「いつからって……ずっとじゃないんですか?」
「ずっとってどれくらい前だ?」
「え……?どれくらい前って……」
ドレイクの質問の意図か分からずポカンとしながらも、記憶を辿っていくフェミリン。しかし唐突に「あ……」と呟いて、驚いたように両手で口元を押さえている。
「どうしたんだいフェミリン?」
「あの…ベルベラさん。私、気が付いちゃったことがあるんですけど……」
「気が付いたこと?」
「私ずっとあのデビルモスキートから逃げ回っていたんだと思ってたんです。あの化け物が突如現れてそれから何日も……」
そう言ったフェミリンの身体は少し震えている。自分の気が付いた事実が信じられていない様子だった。
「でも、そう思い込んでいただけみたいなんです。何て言うか……記憶…と言うより知識としてはずっと何日も逃げ回っていた感じがするんですが…」
そう言って一旦言葉を切るフェミリン。何と言えばいいのか迷っているみたいだった。
(なるほど、つまりこの『何日も逃げ回っていた』ってのがこの嬢ちゃんに植え付けられた偽りの記憶ってわけか)
そんなことを考えながらドレイクは自分に植え付けられそうになっていた記憶のことを思い出す。自分は炭鉱夫と言うまったく別の記憶を植え付けられそうになっていたが、この娘はどうだろうか?ベルベラは自分の事に関しては憶えていたみたいだからフェミリンも自分の事に関しては偽りの記憶を刷り込まれてはいないのだろうか?人によって偽りの記憶の内容に差があるのも気になる。
「多分私、逃げ回っていたの丸一日くらいです。気が付いた時には目の前にデビルモスキートがいて……、それで怖くて泣いてた時にアトレストさんが来て助けてくれたんです。それでそのままほぼ丸一日ずっと一緒に逃げていたんです」
そう言うとフェミリンはアトレストを思い出したのか、「アトレストさん……」と呟いて瞳に涙を浮かべると、シュンとして顔を伏せてしまった。
「フェミリンは丸一日逃げていたのかい?あたしは大体半日くらいの感覚なんだけどね」
不思議そうにそんなことを言うベルベラ。逃げ回っている時間にぶれがあるのが不思議なのだろう。
「この時間の差に何か意味があると思うかいドレイク?」
「さあな……。けどさっき言った通り、ここは悪夢の中だ。現実世界で昏睡状態になってから、つまり悪夢に引きずり込まれてからの時間の差じゃないのか?」
ドレイクはそう言って肩をすくめる。この意見には残念ながら根拠など無い、単に思いついたことを言っただけだった。
「しかし、本当にこの悪夢ってのの中は妙な感じだね。これだけ時間が経っても、喉も渇かないし腹も減らないよ」
お手上げと言いたげに首を横に振るベルベラ。そんなベルベラをフェミリンとトーキが不思議そうに見ている。
「あの…ベルベラさん、さっきも訊いたんですけど……ここが悪夢の中って一体…?」
「悪夢ってなあに?」
フェミリンとトーキがベルベラに疑問を投げかけている。しかしベルベラもそれには答えられなかった。
「ゴメンねフェミリン、トーキ。あたしもよく分かっていなくてね……。ドレイクの方が分かってるんじゃないのかい?」
そう言ってドレイクに視線を向けるベルベラ。フェミリンとトーキもドレイクを見ている。
「別に俺だってわかってねえよ。ただ、この世界が魔物の作り出した悪夢の中だって知ってるだけだ」
「ま、魔物の作り出した悪夢の中……」
その言葉に恐怖を感じたのか、若干顔が青くなるフェミリン。もっとも暗闇で顔色などほとんど見えはしないのだが……。
「じゃあ……やっぱりここが悪夢の中だからなんでしょうか?」
「ん?何がだ?」
「その……さっきベルベラさんが言ってた…お腹もすかなければ、喉も渇かない。それに……おトイレにもいきたくならない…」
そう言って今度は少し顔を赤くしているフェミリン。だが、ドレイクは「ああ、その事か」と頷いていた。
「恐らくそうだろうな。俺も全く腹減ってないし…。それに丸一日小便を我慢できる奴はそうそういないだろ?」
冗談めかしてドレイクがそう言うと、フェミリンが顔を赤くしたまま「そ、そうですよね……」と呟いていた。
ドレイクの冗談めかした物言いのせいで場が一瞬微妙な空気になる。その空気が嫌だったのか、トーキは立ち上がると、「うにゅ~」とか言いながら壁に向かって歩いて行った。
そんな小屋の中を見ながらドレイクは考えていた。
(悪夢の中だから空腹も渇きも感じない…か。便意や尿意が無いのは楽でいいが………………………ん?)
何か引っかかることがる。先程も感じたこの引っかかり、その引っ掛かりはドレイクの中で少しずつ大きくなっていく。それは、そう………違和感だ。
空腹も渇きも便意も尿意も感じない、その事に違和感を覚えたのだ。普通に考えれば、そんなのは当然のことなのだが、ここは悪夢の中だ。悪夢の中なのだから常識など通じない。だから空腹や尿意を感じないことに違和感を感じたのではない。
ならば一体この違和感は………?
「………………………⁉」
唐突に思い出したことがある。いや、先ほどから『あれ』を感じないとずっと言っているのになぜすぐに気が付かなかったのか?そう、感じないはずの『あれ』をしに行った奴が一人……………この場にいたのだ。
その瞬間ドレイクの視線が鋭いものに変わる。
本当に……何故すぐに気が付かなかったのか?もしかしたら悪夢の影響で頭の回転が鈍っていたのかもしれない。
とにかくドレイクは背負った大剣の柄を握りしめた。そしてベルベラとフェミリンの所に歩み寄る。
「ん?どうしたんだいドレイク?」
ベルベラはそう言ってドレイクを見上げたが、その瞬間体が強張った。自分とフェミリンの目の前でドレイクが凄まじく鋭い視線を向けながら大剣の柄を握っていたからだ。そしてドレイクは小屋の中で器用に大剣を鞘から引き抜く。闇の中でドレイクの持つ魔剣の赤い刀身が鈍い光を放っている。その光に照らされたドレイクの顔は……殺気に満ちていた。
「ひっ……」
ドレイクの方を見たフェミリンが思わず悲鳴を上げている。だが、ドレイクは構わず大剣を構えた。小屋の中では大剣は振り回しづらいので、振り被らず胸元で水平に構える。それは突きを撃つための構えだった。
そして次の瞬間ドレイクは凄まじい踏み込みでそいつとの距離を詰めた。そして片手で構えた大剣を一気に突き出す。
「デァリャアアァァァ!」
ドガアアアアン!
ドレイクの咆哮、そして壁を砕くほどの刺突。轟音を上げてドレイクの大剣が壁を破壊する。だが……………トーキは余裕の表情でドレイクの大剣をかわすと、その顔に気味の悪い薄ら笑いを浮かべていた。




