第2章 赤蜥蜴と赤羽根とアサシンギルド 第8話、母と娘の真実
第8話、母と娘の真実
「娘………?何をバカなことを言っている。私の両親は私を捨てて何処かへ…」
「何も知らないのね、本当に愚かな子」
クスクスと笑うロッテーシャ。その様子にローゼリットは唇を嚙みしめる。
「私を惑わせようとしているのだろうがそうはいかないぞ。私はマスターから聞いているんだ。私の両親は……」
「母親がエルフ、父親がヒューマン。二人そろってあなたを見捨てて、ギルドの前に捨てていった。そうだったわね?」
「………な、何故それを……」
言葉を絞り出すローゼリット。だが、その言葉は何処か弱々しい。
「どうして知っているのかって?当然じゃない。その設定を考えたのは私だもの」
「セ、設定……?」
「そう、設定。あなたの親は本当は父親がエルフで、母親がヒューマン、つまりは私なのよ」
「な、なんだって………」
ロッテーシャの言葉に、返す言葉を失うローゼリット。頭の中が混乱し、茫然と立ち尽くしてしまう。
「ショックだったかしら?自分を捨てた母親がまさかこんな身近にいたなんて」
「…………」
言葉を返すことが出来ず、拳を握りしめて肩を震わせているローゼリット。それでも何とか言葉を絞り出す。
「何故………何故私を捨てた…」
「何故?どうせ暗殺者に育てるなら、自分でやるよりギルドで育てさせた方が確実だと思ったからよ」
「わ、私は……生まれた時から暗殺者になることが決まっていたのか……?」
「そりゃそうよ。だって、両親ともに暗殺者なんですもの」
「ち、父親も暗殺者だったのか⁉」
突然突きつけられた真実の数々に思わず膝をつくローゼリット。
「何なんだ………私は…私は、何のために生まれて来たんだ…?」
「何のために?もちろん、私の新しい身体になるためよ」
「新しい……身体…?」
ロッテーシャの言っていることの意味が分からず、力なく顔を上げながら訊き返すローゼリット。そんなローゼリットを見てロッテーシャはさも可笑しそうに笑う。
「そんな顔しないで?全部説明してあげるから」
そう言うとロッテーシャは笑いながら話し始めた。
ロッテーシャとローゼリットの父親であるエルフの暗殺者クラインは共に暗殺者ギルドに所属していた。
幼いころより類稀なる暗殺の才能を発揮し、その実力でギルド内で高い評価を受けていたロッテーシャはかねてよりギルドマスターの地位を狙っていた。実力的な事を言えば、トラウセンの次のギルドマスターはロッテーシャかカッパー、バリィの内の誰かだと言われていた。だが、たとえギルドマスターになれたとしてもそれはトラウセンが引退した後の話、それにヒューマンは老いも早く、平均寿命はせいぜい80歳程。いったい何年間ギルドマスターとして君臨できるか分かったものでは無かった。
そこでロッテーシャは自らを不老不死とする研究に没頭し始める。有能な魔導士を拉致し、隠し部屋に監禁しながら不老不死に関する研究をさせた。最初は抵抗していた魔導士も、ロッテーシャの色仕掛けと拷問の飴と鞭によりついには心折れ、研究を始める事となる。
そして魔導士の出した結論は、「自分と血縁関係にある者にその魂を移し込み、その身体を支配し乗っ取る」と言うものだった。これを繰り返して行けば理論上は不老とはいかないが不死に近い存在になれると言う事だ。
そして、身体を乗っ取り支配するための魔導装置を作らせると、用無しとばかりにその魔導士の命を奪った。
そして計画を実行に移すロッテーシャ。まずは自分が乗り移る器となる身体が必要だ。それもなるべく長持ちする物が良い。
長持ちするつまり長寿の者と言う意味ではエルフが最適だった。だが、自分が生粋のエルフと血縁関係になることはできない。それならば、エルフの血を受け継いだ子供を作ればよいのではないか?エルフ程ではないが、ハーフエルフもヒューマンに比べればかなりの長寿である。それに、身体能力的にはエルフよりもハーフエルフの方がヒューマンに近い。身体を乗り換えた後に弱くなってしまっては元も子もない。よりヒューマンに近いハーフエルフの子供を作るという選択肢は最初に思っていた以上に良策だった。
そしてロッテーシャは暗殺者ギルドに数人だけ在籍するエルフの暗殺者を品定めし、その中でも一番の実力を持つクラインに目を付けた。
クラインに言い寄り身体の関係を要求するロッテーシャに、クラインは最初興味を示さなかった。昔から仮面をつけ、暗殺を繰り返し血の海を作り上げてきたロッテーシャが仲間内からも恐れられているというのもあったかもしれない。
だが、しつこく言い寄るロッテーシャに、クラインの態度が段々と変化していった。これは実はロッテーシャがクラインの食事や飲み物に媚薬の類を仕込んだせいなのだが、そのことを知る者はいなかった。
そして、ついに性行為に及んだロッテーシャとクライン。特製の精力剤を飲まされ一物をギンギンにさせているクラインと、妊娠するまでひたすら腰を振り続けるロッテーシャ。
そして、それから数か月後ロッテーシャの妊娠が発覚する。ロッテーシャの妊娠を機に共に暗殺者ギルドを抜けようと言い出すクライン。しかし、そんなクラインをつまらない男と判断したロッテーシャは、そのことをギルドに報告。クラインはギルドに背いて脱走しようとしたとして拷問の末処刑されてしまう。
そして数か月後、ロッテーシャは女の子を出産した。ロッテーシャとしては新しい身体はより強い身体を求めて男が良かったのだが、生まれてきたのは女の子だった。仕方なく女の子の身体で我慢することにし、その子にローゼリットと名付ける。
そして自分が身体を乗っ取る時のために暗殺者として育てることにしたロッテーシャは、ギルドのやり方で育てることにし、トラウセンにローゼリットを預けた。
その時に、自分が母親だと分かると、甘えや反抗心など余計な感情が芽吹く可能性を危惧し、自分とクラインとは反対の組み合わせである母親がエルフで父親はヒューマンと言うことにした。
そしてトラウセンにはローゼリットが死なない様にだけ気を付けてほしいと告げ、それ以外の関りを一切断った。
その後、トラウセンがローゼリットをかわいがり、お気に入りとして陰ながら色々サポートしてあげながら育てていったが、ロッテーシャは全く関りを持とうとしなかった。
そもそも、将来的に身体を乗っ取るつもりなだけで、娘と言う存在に一切の興味が無かった。言うなれば道具みたいなものだった。
またローゼリットに暗殺者としての才能が無かったのも興味が無い原因だった。男を期待しては女に生まれ、自分に似て暗殺の才能に恵まれることを期待すれば、全く才能に恵まれず、僥倖だったことと言えばただ一つ、自分と同じ金色の瞳を受け継いでいることだけだった。……そう、魔眼「解析眼」を…。
そして月日は流れた。ローゼリットも大人になり、才能が無いなりにもある程度の実力を身に着けた。
そろそろ頃合いだろうと考えた矢先に、ローゼリットが暗殺術を目撃される事件が発生。これはちょうどいい機会だと考えた。齢40を超えた自分の老いた身体を捨て新たなる体に乗り移る時が来たのだ。
カッパーをそそのかし、トラウセンを殺し、そして今ローゼリットの身体を手に入れ永遠に暗殺者ギルドのギルドマスターとして君臨するのだ。
「永遠だと?ハーフエルフの寿命はせいぜい400歳程、永遠なんて程遠いぞ!」
自分に酔いしれながら長々と説明していたロッテーシャにローゼリットは吐き捨てるように言いながら立ち上がった。確かにヒューマンに比べれば5倍近い寿命を持つが、それでも永遠などと言うには程多い。
「分かっているわ、でも大丈夫。赤い羽根のあの娘が教えてくれそうだもの、不老不死への道をね」
「赤い羽根…?……フリルフレア?」
「ああ、確かそんな名前だったわね」
ロッテーシャの言葉に、頭が混乱する。フリルフレアが不老不死への道を教える?一体何を言っているのだろうか?
「世迷言を…」
「あなたは見ていなかったものね。あの娘が炎に包まれ蘇る瞬間を」
「蘇る……?」
「そうよ!カッパーに殺されたあの娘は炎に包まれて蘇ったのよ!だからこれから長い時間をかけてあの娘を調べればきっと不死身の身体への、不老不死への道が開けるわ!」
興奮気味に語るロッテーシャ。だが、ローゼリットはそれを睨みつけた。
「ふざけるな!私の人生を弄び、スミーシャを傷つけ、その上フリルフレアにまで手を出そうと言うのか!」
「そうよ?それが何だと言うの?私の野望の役に立てるのだもの。感謝してほしいくらいだわ」
「戯言を!」
我慢の限界に達したのか、腰に差した二本の短剣を両手で引き抜くローゼリット。しかし、それを見てもロッテーシャの余裕の笑みは消えなかった。
「あら、そんな事して良いのかしら?大切なお友達の顔に傷がつくわよ?」
ロッテーシャの言葉を受け、暗殺者がスミーシャの頬に短剣の刃を軽く走らせる。
「うむううん!」
呻くスミーシャ。頬にわずかに血が滲んでいる。その様子を見てロッテーシャは勝ち誇った笑みを浮かべた。
「残念ねローゼリット。お友達がこっちの手の中にある以上、あなたに勝ち目は無いのよ?大人しくその身体を私に差し出しなさい」
「………くぅ……」
悔しそうに歯を食いしばるローゼリット。だが、これ以上どうすることもできない。
「私の身体を差し出せば……スミーシャは無事に解放するんだろうな…」
「もちろんよ、あなたの身体さえ手に入ればこの娘には用は無いわ」
「ふーう!ふううんふう!」
「うるさいわね。ちょっとお黙り!」
呻き声をあげるスミーシャにバシン!と平手打ちをするロッテーシャ。結構な衝撃だったのかスミーシャの頬が赤く腫れる。しかし衝撃で猿轡が外れ、スミーシャは口に詰められた布を吐き出した。
「ゲホゲホ……ダメだよローゼ!こいつらが正直にあたしを開放するわけないよ!それにこいつらフリルちゃんも狙ってるんだよ⁉」
「チッ、黙れ小娘!」
パァン!と音を立てて再びスミーシャの頬を引っ叩くロッテーシャ。だが、スミーシャは言葉を止めなかった。
「お願いローゼ!あたしのことは良いから逃げて!それでフリルちゃんと一緒にこいつらから逃げて!」
「バカを言うな!ここまできてお前を見捨てられるか!」
「でも、それじゃローゼとフリルちゃんが!」
叫ぶスミーシャ。しかし、次の瞬間バキッ!と音を立ててロッテーシャの拳がスミーシャの頬を殴りつける。
「黙れと言ったはずだよ小娘。次余計なことをしゃべったら殺すからね。ローゼリットが来た以上お前はもう用済みなんだから」
「フン!殺すんなら早く殺せよ!ローゼの足枷になるくらいなら死んだほうがましだ!」
「ほう……随分威勢がいいのね」
「まあね!あんたと違って若いからね……オバサン!」
「………」
「オバサン」の一言で、顔から笑みを消すロッテーシャ。そして氷よりも冷たい視線でスミーシャを見つめる。さながら視線だけで人が殺せそうなほどだ。
「調子に乗りすぎたわね野良猫。殺しなさい」
「ハッ」
スミーシャを押さえつけている暗殺者が突きつけていた短剣を振り上げる。
「やめろ!スミーシャァァ!」
ローゼリットの悲鳴が響き、スミーシャが思わずギュッと目を瞑った瞬間だった。
「今だ!やれフリルフレア!」
「はい!『フェザーファイア』!」
瞬間、フリルフレアの翼から撃ち出された無数の炎の羽が暗殺者たちに降り注ぐ。そのあまりの威力に、ある者は片腕を失い、またある者はわき腹を貫かれる。
フリルフレア必殺の魔法の一撃は、五人いた暗殺者の内三人を戦闘不能に追い込んでいた。そして次の瞬間ドレイクが残りの暗殺者二人に迫る。
「ほらよ」
スミーシャを捕らえている暗殺者の頭を掴むと、そのまま無造作に投げ飛ばす。頭から壁にぶつかり失神する暗殺者を見て、ドレイクはスミーシャを抱え上げた。そして後ろを向いたまま残った一人の暗殺者の顔面に強烈な尻尾の一撃を食らわせる。
下手をすれば頭が割れるのではないかと思われるほどの尻尾の一撃を受け声もなく昏倒する暗殺者。
その隙にフリルフレアの所まで戻るドレイク。フリルフレアがスミーシャを拘束している縄を解いている中、ドレイクはロッテーシャとバリィに視線を向けた。
先ほどよりも後ろに下がっているロッテーシャとバリィ。二人はフリルフレアの魔法攻撃をいち早く察知し、射程の外へと退避していたのだった。しかし、その表情は苦い物へと変わっている。人質を奪還されてたうえ、ドレイク達まで現れたのだ。計算外の事だったのだろう。
一方ローゼリットもドレイク達の所へやってくる。
「赤蜥蜴とフリルフレア………どうしてここに?」
「忘れもんだ」
そう言ってドレイクはローゼリットに紙きれを手渡した。それは、ローゼリットが部屋に置きっぱなしにした呼び出しの手紙だった。
「私の部屋にローゼリットさんが来た気がしたんですが、すぐにいなくなってしまったんで何かあったのかと思ってお部屋を訪ねたんです」
「そしたらこれが転がってたわけだ」
ドレイクが手紙を指差す。手紙を呼んで事情を察したドレイクとフリルフレアは二人の救援に向かい暗殺者ギルドへ侵入した。そして、気配を殺しローゼリット達の会話を聞きながら隙を窺っていたのだ。
「そうだったのか……ありがとう、フリルフレア、赤蜥蜴」
「いえいえ、ローゼリットさんこそご無事でよかったです」
スミーシャの縄を解きながら言うフリルフレア。そして縄が解き終わると、スミーシャはローゼリットに抱き付いた。
「ローゼ!…よかった無事で……」
「こらスミーシャ、それは私のセリフだぞ」
短剣を腰に差し、スミーシャを抱き止めるローゼリット。軽口を叩いてはいるが、その瞳には親友の無事を安堵してか涙が浮かんでいた。
次の瞬間、バリィ・ランキッドのスキンヘッドの巨体がローゼリットとスミーシャに迫っていた。
「「!」」
驚きの表情を浮かべる二人。だが、巨体の暗殺者と二人の間を阻む様に赤い影が入り込んだ。
「ぬうん!」
「おっと」
バシィン!と音を立ててバリィの拳を受け止めるドレイク。
「せっかくの感動シーンだ、邪魔すんじゃねえよ!」
ドカッ!
ドレイクの蹴りがバリィの胸部を打ち付ける。しかし、バリィは両腕を交差させてその蹴りをあっさりと防いだ。
「ふん!報告では聞いていたが……噂の赤蜥蜴、大したことは無いな」
「ほう……言ってくれるな」
ドレイクの額に怒りマークが浮かぶ。そして、指の関節をポキポキと鳴らすとバリィの前に立ちふさがった。
両腕を組み、バリィの前に立ちふさがるドレイク。口元はニヤリと笑っているようにも見えるが、額には怒りマークが浮かんでおり、苛立っているためか口の端から火と煙が燻ぶっている。
一方対するバリィはその巨体をさらに大きく見せようとしているのか両腕を振り上げている。そして体格で勝る自分の優位を確信しているのだろう、口元には嫌な笑みを浮かべていた。
ドレイクも大柄だが、バリィはそれに輪をかけて大きかった。恐らく一回り位は大きいだろう。見た限りでは力比べでドレイクに勝ち目は無いように思えた。
「くくく、どうする?そんなでかい得物で俺の動きについてこれるのか?」
「寝ぼけるな。素手の奴相手に武器を使うかよ」
バリィを見上げながらドレイクは右半身を一歩下げ、拳を腰元で握りしめて構える。
「赤蜥蜴!そいつは『アイアンボディ』バリィ・ランキッドだ!素手で暗殺を行う恐ろしい奴だ!」
「そうなのか?」
「そうだ!そいつの素手は凶器と同じだ!張り合わずに武器を使え!」
ローゼリットの叫びにドレイクは少し考え込む。そして再び目の前のバリィを見上げた。
「だそうだが……本当か?」
「もちろんだ。どうした、怖気づいたか?」
「サル相手に怖気づくかよ」
「何⁉猿だと?」
バリィの眉がピクリと動く。しかしドレイクはそれに気付いているのかいないのか言葉を続ける。
「サルが不満ならゴリラか?」
「フン!リザードマン如きが調子に乗るな!」
その瞬間、バリィの拳が振り上げられドレイクの顔面目掛けて一気に振り下ろされる。
バシィ!
激しい音が響く。バリィの振り抜いた拳をドレイクが右手で受け止めた音だった。
「力はなかなかだが拳のスピードは大したことないな。肉太りしすぎじゃないのか?」
「…………蜥蜴如きが偉そうに…」
ドレイクの言葉にバリィが絞り出すような声で答える。バリィの声は震えており、頭に血が上っている様だった。握りしめた拳がブルブルと震えている。
「蜥蜴如きがぁぁぁ!」
我慢が限界に達したのか、ドレイクに掴み掛るバリィ。ドレイクの両肩を掴むと、腹部に向かって強烈な膝蹴りを打ち出す。
ドガッ!
膝蹴りがドレイクの腹部を直撃する。バリィはそのまま止めることなく何度も膝蹴りを打ち出していく。
ドガッドガッドガッゴカッ!
何度も打ち出される膝蹴り、そしてバリィは止めとばかりに両手の拳を組んで握りしめる。バリィはこのまま両の拳でドレイクの頭を打ち、同時に膝蹴りで顎を狙い、頭の骨を砕くつもりだった。
「死ねええ!」
「バカ!バリィ避けなさい!」
バリィが拳を振り下ろそうとした瞬間ロッテーシャの声が響く。そして、バリィがその言葉の意味を理解するよりも早く、それまで腹部をガードしていたドレイクの拳がバリィの腹部にめり込む。下からすくい上げる様に放たれたドレイクの拳がバリィの腹部に突き刺さっていた。
「う……うげぇ……」
バリィが涎を垂らしながら膝をつく。そして、その瞬間ドガッ!と音を立ててドレイクの蹴りがバリィの横面を打ち貫く。
「げ……ほ………」
呻き声をあげてそのままバタリと倒れ込むバリィ。首が横に曲がり失神している。もしかしたら死んでいたかもしれないが、今はとりあえず気にしないでおく。
「『井の中の蛙』だったみたいだな。ベテラン冒険者なら、それくらいの実力の奴は珍しくないぜ」
一息つきながらバリィを見下すドレイク。そしてすぐにロッテーシャに視線を向ける。
「さて、形勢逆転って奴だな」
「そうでもないわよ?」
あくまで余裕の笑みを消さないロッテーシャ。腰につけたポーチの中から小さな球を取り出すとそれを高く掲げる。
「さあいらっしゃい!ブレインイーター共!」
ロッテーシャの掛け声に呼応するように、訓練場の中にいくつもの小さな魔法陣が展開していき、そこから10体を超えるブレインイーターが現れる。
「やってしまいなさい!ブレインイーター!」
「「「しゃぁぁぁぁ」」」
ロッテーシャの言葉に答える様にドレイク達ににじり寄るブレインイーター。それに対し、ドレイクは大剣を引き抜き、フリルフレアも短剣を抜く。ローゼリットも両手に短剣を構え、スミーシャは転がっていた短剣を拾い握りしめた。
「なるほど、このイカモドキを操っていたのは本当はお前だったのか」
「そういう事よ。カッパーは自分が操っていたと思ってたみたいだけどね」
ドレイクの言葉に余裕の表情で答えるロッテーシャ。そんなロッテーシャを睨みつけローゼリットが前に出る。
「こいつは私に任せてほしい……こいつは…マスターの仇だ」
「ローゼ……」
「スミーシャ、たのむ……」
「…う、うん……分かった……」
ローゼリットの言葉に渋々頷くスミーシャ。それを見届け、ローゼリットはロッテーシャの前に立ちふさがる。
「ロッテーシャ!貴様だけは許す訳にはいかない!」
「実の母に向かってずいぶんな口の利き片ね。お仕置きが必要かしら?」
「黙れ!たとえ血が繋がっていようとも、貴様など母とは認めん!」
「あら奇遇ね。私もあんたみたいな出来損ないを娘だと思ったことは無いわ」
そう言ってロッテーシャは腰の後ろの大振りな短剣を右手で引き抜くと、左手には太さが1㎝はあろうかと言う太い針を数本握りしめた。よく見れば、ロッテーシャの腰のベルトには左手に持っている物と同じ針が無数に装填されている。
「ダガーとシューディングニードル、そしてこの魔眼。あんたに勝ち目はないわよ」
「ほざけ!魔眼ならば私も持っている!」
「そうでしょうねぇ。私と同じ魔眼『解析眼』」
「同じ⁉」
「そうよ鈍い子ねぇ。あんたの魔眼は私の魔眼が遺伝しただけよ」
「では……貴様も…」
「当然『解析眼』の使い手よ。それも、あんたよりよっぽど卓越したね!」
次の瞬間ロッテーシャの左手が閃きニードルが飛来する。飛び退き避けるローゼリットだが、後ろの壁に突き刺さったニードルを見て背中を冷たい汗が伝い落ちる。
投げつけられたニードルはその長さの半分ほどまで壁にめり込み突き刺さっていた。およそ手で投げたとは思えない威力だ。あんなものが身体に命中すればただでは済まない。
「良く避けたわね。でも、次はそうはいかないわよ」
「ほざけ!貴様の動きとて、解析してみせる!」
ローゼリットの金色の双眸が光を放ち始める。それに応じ、ローゼリットの脳内には眼前に映る様々な物の解析結果が流れ込んでくる。
しかし、それはロッテーシャも同じなのだろう。彼女の金色の双眸も輝き始めたいた。
「はあ!」
ロッテーシャに一瞬で接近するローゼリット。両手の短剣を交互に、あるいは同時に、またあるいはフェイントを交えながら、刃を繰り出すローゼリット。しかしロッテーシャはその動きが分かっているのか、ローゼリットの繰り出す刃を横に避け、あるいは紙一重で避け、あるいは距離を取って避け続けていく。
「チッ!」
「甘いわね、小娘!」
舌打ちと共に短剣を突き出すローゼリット。しかし次の瞬間手首に激しい衝撃を受けて短剣を手放してしまう。短剣ははじかれた様に宙を舞い、訓練場の天井に突き刺さった。
ロッテーシャはローゼリットの短剣をしゃがむことによって避け、その体勢から手首に向かってサマーソルトキックを放ったのだ。そしてロッテーシャのつま先がローゼリットの手首にめり込み、短剣を弾き飛ばしたのだった。
「ッツ!」
右手首を押さえて顔をしかめるローゼリット。手首に激痛が走る。もしかしたら骨をやられたかもしれない。
「そんな物かしら?」
「舐めるなよ!」
あくまで余裕の態度を崩さないロッテーシャに苛立ちを隠せないローゼリット。懐に手を入れると、特注のミスリルの鋼線を引き出す。
「マスター直伝の鋼線術!とくと味わえ!」
次の瞬間ローゼリットはロッテーシャの周囲を駆け回る。そしてロッテーシャに向けて鋼線を繰り出し、その身体を絡めとっていく。
「フフフ、甘いわねぇ」
鋼線で絡めとったと思った瞬間、ロッテーシャの姿が掻き消える。そして宙高く舞い上がっていたその左手から一気に5本のニードルが撃ち出される。
「クソ!」
咄嗟に両手で短剣を引き抜きガードするローゼリット。3本までは短剣で撃ち落とすことに成功するが、残りの2本がローゼリットの右足の太腿と脹脛をかすめていく。
「クッ」
思わず膝をつくローゼリット。そして次の瞬間、ドスッ!と音を立ててニードルが左肩に突き刺さる。
「うぐ!」
あまりの痛みに悲鳴を上げそうになるが、唇を噛んで堪える。そして根本近くまで刺さったニードルを引き抜くと、投げ捨てた。
「ローゼェ!」
「ローゼリットさん!」
スミーシャとフリルフレアの叫びが響く。ドレイク達3人はロッテーシャをローゼリットに任せブレインイーターを相手にしていた。10を超える数のブレインイーターだが、ドレイクを中心に確実に数を減らしていった。
「トラウセンのお気に入りなんて言っても所詮は出来損ないね。あの男もこんな娘のどこを気に入ったんだか」
「だ、黙れ!貴様がマスターを語るな!」
脚と肩から血を流しながらも、ロッテーシャに肉迫するローゼリット。一方の短剣を投げつけ、もう一方の短剣で切りつける。そして鋼線を閃かせながら、腰の後ろから引き抜いた投擲用短剣を一気に撃ち出す。そしてさらに鋼線を走らせ、全身を括り斬り裂こうとする。
しかしそれらの攻撃はロッテーシャによって片っ端から弾かれていった。短剣を閃かせ、ニードルを撃ち出しローゼリットの攻撃をさばいていく。
「どう足掻いたって、出来損ないのお前が私に勝つなんて不可能なのよ!」
「だ、黙れー!」
叫びながら全ての短剣を撃ち出すローゼリット。しかし、それすらもあっさりと避けたロッテーシャは腰に装填されたニードルを両手いっぱいに抜き放つ。
「殺しはしないけど、五体満足でいられるとは思わないでね」
その瞬間無数のニードルが撃ち出されローゼリットに襲い掛かった。
(不味い、避け切れない!)
迫りくるニードルの数に、心の中で悲鳴を上げ身を固くした時だった。
「魔円舞!防風の舞」
次の瞬間、ローゼリットの周囲をすさまじい強風が吹き荒れニードルを彼方へ弾き飛ばす。そしてローゼリットの後ろには今まさに魔円舞を踊り続けるスミーシャの姿があった。
「……スミーシャ?」
ローゼリットがスミーシャの方に視線を向ける。スミーシャが踊りを止めると強風は止み、弾き飛ばされていたニードルが地面に落ちていった。
「あらあら、親子の会話に水を差すつもり?」
「そうだスミーシャ!こいつは私が倒す!」
ロッテーシャとローゼリットの言葉にスミーシャは激しく首を振った。
「そんなこと知らない!」
「スミーシャ!こいつとの決着は私がつけなくちゃいけないんだ!」
「そんなこと知らないって言ったでしょ!」
ローゼリットの言葉に、声を張り上げて言い返すスミーシャ。その声はどこか震えている。
「このままじゃこいつに勝てないんでしょ?だったらいいじゃん、あたしと二人で戦おうよ……」
「だが、こいつは私を生んだ女で、マスターの仇……」
「そんなの関係ないって言ってるじゃん!母親だとか仇だとかどうでもいいよ!こいつはローゼの敵なんでしょ⁉だったらあたしにとってもこいつは敵だ!」
「スミーシャ………」
「あたしの仲間の……あたしの一番の親友の…あたしの大切なローゼの敵なんだ!だったらあたしも一緒に戦う!だって、ローゼはあたしの仲間で親友で……大切なパートナーだもん!」
「……………」
スミーシャの言葉に沈黙するローゼリット。それを見ていたロッテーシャは退屈そうに欠伸をすると、腰のニードルを引き抜いた。
「そろそろ良いかしら?退屈しのぎになるかと思ったけど、とんだ茶番だったわね!」
言い終わると同時に高々と跳躍するロッテーシャ、そのままローゼリットとスミーシャめがけてニードルを撃ち出す。
「うわ!」
慌てて避けるスミーシャ。一方ローゼリットは無言のまま短剣出ニードルを弾いた。
「……そうだな」
ポツリとローゼリットが呟く。
「そうだったな……。私は今まで何をこだわって来たんだろう…」
そう言って顔を上げるローゼリット。その瞳に一切の迷いは無かった。
「私とスミーシャは仲間だ!ならば共に戦うことに何のためらいがあろうか!」
「ローゼ!」
「スミーシャ!久しぶりにあれをやるぞ!」
「了解!」
ローゼリットの言葉に答えるスミーシャ。スミーシャはローゼリットのすぐそばに来ると、手に持っていた短剣をローゼリットに手渡した。
「こっち、無防備になるからよろしくね」
「任せろ」
そう言って右手の甲をぶつけ合う二人。そんな二人を見てロッテーシャは再び短剣とニードルを手にローゼリットに襲い掛かる。
「よそ見している暇はないわよ小娘達!」
「もとより、よそ見するつもりは無い!」
ロッテーシャの攻撃を何とか防ぐローゼリット。そしてその後ろでスミーシャが踊り出す。それはどこか猛々しくも美しく、流れる様な舞だった。
「奥義!二重魔円舞!戦意高揚の舞×神速の舞!」
スミーシャの魔円舞により、周囲の魔力が輝き始める。そしてその魔力はローゼリットを包み込んでいく。
「何をしたの⁉」
「答える義理は無い!」
突然輝きだした魔力に驚きの声を上げるロッテーシャ。危険を察知してか攻撃の手を強めてきた。しかし、次の瞬間ローゼリットはロッテーシャの全ての攻撃を一瞬で弾き飛ばしていた。
「何⁉」
驚きの声を上げるロッテーシャ。次の瞬間ローゼリットの短剣が閃き、ロッテーシャの短剣を弾き飛ばす。
「チッ!調子に乗るな小娘が!」
急激に動きが変わったローゼリットに思わず声を荒げるロッテーシャ。残った全てのニードルを両手に持ち、一斉に撃ち出すげく力を込める。
次の瞬間、ロッテーシャの視界からローゼリットの姿が消えた。そしてブツッと言う音と共に右手から何かが落ちる。……いや、違った。落ちたのは手に持っていた何かではなく、右手の手首から先そのものだった。
「ぐうぅ!」
思わずニードルを取り落とし、右手の手首を押さえるロッテーシャ。そんなロッテーシャにローゼリットは鋼線から血を滴らせながら短剣を突きつける。
「無駄だ。この状態は私とスミーシャの二人掛かりの切り札。いかにお前でも勝ち目はない」
「お、おのれ小娘共が……」
先ほどまでの余裕の態度とは一変して口調が乱雑になるロッテーシャ。その首筋に短剣を突きつけローゼリットは周りを見回した。
少し離れた場所ではドレイクが大剣を床に突き刺し一息ついていた。その横ではフリルフレアが膝に手をつき肩で息をしながら呼吸を整えている。二人の足元にはブレインイーターの死骸がゴロゴロ転がっていた。ほとんど原形を留めていない物も少なくない。
「おう金目ハーフ、こっちは終わってるぜ」
「や、やりました…」
ドレイクはローゼリットに向けて親指を立てる。フリルフレアがまねをして肩で息をしながら親指を立てていた。
「もう終わりだ……諦めれば、命までは取らない」
ローゼリットの言葉にロッテーシャの眼が吊り上がる。
「命までは取らない……だって?」
そう言って睨みつけてくるロッテーシャ。その瞳は、情けをかけられブライドを傷つけられたことに対する怒りに染まっていた。
「ふざけるんじゃないよ!お前たちみたいな小娘如きに情けをかけられるなん……」
ズブリ。
突如ロッテーシャの言葉が途切れ、同時に嫌な音が響く。ブレインイーターの死骸の下から触手が伸び、それがロッテーシャの胸を貫いていた。
「……グフゥ」
口から血を吐いて倒れるロッテーシャ。その胸からも大量の血が流れだす。
「クソ!まだ生きてやがったか!」
ドレイクが大剣を引き抜き、そのままブレインイーターの死骸の山を蹴り崩す。そして、その下に隠れていたブレインイーターに大剣を突き立てた。
「ぐしゅうぅぅ……」
そのまま痙攣して動かなくなるブレインイーター。それを見て魔物の死を確認したドレイクはローゼリットに駆け寄った。すでにスミーシャとフリルフレアもローゼリットの隣に来て、ロッテーシャの様子を見ている。
「金目ハーフ、どうだ?」
ドレイクの言葉に、黙って首を横に振るローゼリット。そのまま横たえられたロッテーシャの瞼を閉じた。それは、自分の野望のために暗殺者ギルドや自分の娘を巻き込んで壮大な計画を立てた女暗殺者のあまりにもあっけない最期だった。
「ローゼ、ローゼのお母さんは……」
「スミーシャ、私はお前と同じ『野良猫』、孤児だ。この女はただ自分の野望をかなえようとした暗殺者、それだけだよ…」
「………うん、そうだね……」
自分を生んでくれたことに感謝はしつつも、絶対に道が交わることは無かったローゼリットとロッテーシャ。せめて冥福だけは祈り両手を合わせたローゼリットだったが、墓まで作るつもりは無かった。
「でも、お二人とも本当にお疲れさまでした」
そう言って疲れ切った様子のフリルフレアがローゼリットとスミーシャに視線を向ける。先ほどの戦闘で魔法を連発していたフリルフレアはすでに魔力がすっからかんであり、今にも倒れそうだった。実を言うと若干ドレイクにもたれかかっている。
一方のローゼリットとスミーシャもひどい様子だった。ローゼリットは先ほどまで戦闘の緊張感で忘れていた痛みがぶり返し、顔を歪ませている。右手首は折れているかの様に痛み、右脚と左肩はまだ血が流れている。またスミーシャも、細かい傷以外に切り札の二重魔円舞を久しぶりに使った反動で魔力を大量に失いフラフラだった。
余裕そうな表情なのはドレイクだけである。
「とにかくローゼ、応急処置しないと」
「ああ、すまん」
ロッテーシャの遺体から離れた位置に腰を下ろし満身創痍のローゼリットに応急処置を施すスミーシャ。
「ミィィィ、すいませんローゼリットさん。私に魔力が残ていれば魔法で治療できたんですが……」
すまなそうに頭を下げるフリルフレア。だがローゼリットは「気にするな」と言って首を横に振った。
「お前のせいじゃないさフリルフレア。どこかの誰かが手を抜いて戦っていた、ただそれだけだ」
そう言ってジロリとドレイクを睨むローゼリット。確かに一人だけ余裕そうなドレイク。それを見て、ローゼリットに応急処置をしながらスミーシャも声を上げる。
「何赤蜥蜴、フリルちゃんに戦わせて自分は楽してたの?うわ、サイテー」
スミーシャの視線がドレイクに突き刺さるが、ドレイクはどこ吹く風と言った風だった。
「フリルフレアに実戦の経験を積ませようとしただけだ」
「うわー、いけしゃあしゃあとよく言うよね。フリルちゃんも何か言った方が良いよ」
「え、わ、私ですか?あ、あははははは…」
スミーシャからいきなり話を振られ返答に困り乾いた笑い声をあげるフリルフレア。困ったようにドレイクを見上げた。
「えっと、ドレイク?」
「だから、別に楽しようとした訳じゃないって。お前がどれくらい連続で魔法を使えるかも確認してたんだ」
「そうだったの?……あれ?私何発ぐらい魔法撃ってたっけ?」
「数えとけよ……。あの『フェザーファイア』って魔法は合計で4発くらいかな」
「そうだね……確かそれくらいだったと思う」
「それに残りのイカモドキは俺が倒したんだから、別に楽してたわけじゃないぞ」
そう言ってブレインイーターの残骸を指差すドレイク。確かに10体を超えるブレインイーターだったが、フリルフレアが倒したのは3体ほどであとはスミーシャが2体ほど、残りは全てドレイクが倒していた。
「それに、俺まで体力を使い切ったら、この後隠しボスとか居た時どうするんだよ」
「何だよ隠しボスって…」
ドレイクの妙な言葉にジト目で睨むローゼリット。だがドレイクは事も無げに親指で後ろを指差した。
「いや、例えばあいつとか」
ドレイクの言葉に3人は指差した方に視線を向ける。そこには今まさに、忍び足でこの場から逃げ出そうとしているゴブリン………の様な顔をしたハス・ボレルが居た。
「ハス……そう言えば貴様の存在を忘れていたな」
「え?い、いやー……やだなぁローゼリットの姐さん!あっしは姐さんの味方ですよ⁉」
ローゼリットの凄味のある視線に、冷や汗を垂らしながら後ずさるハス。両手をバタバタと振りながら必死に自分の無罪をアピールしている。
「ほ、ほら……あっしは…そうだ!あっしは姐さんのカキタレじゃないですか!」
「そんな気持ち悪いものいるか!」
ハスの言葉に怒りを交えながら怒鳴り返すローゼリット。その隣でスミーシャが「え?ローゼのカキタレ?……あれが?」とすごい嫌そうな顔をしている。当然ローゼリットは「スミーシャ!違うからな!私は断じてあんな気持ち悪い奴と関係を持ったりしないからな!」と叫んでいた。
「ドレイク?カキタレって何?」
「あ~、カキタレってのは……柿の実で作ったタレで、肉料理に合うんだよ……多分」
「???……じゃああのゴブリンみたいな人が、そのタレを作ったの?」
ドレイクのいい加減な答えに混乱するフリルフレア。完全に頭の中では焼いた肉を柿で作ったタレにつけて食べる焼肉パーティーが広がっている。
「と、とにかく、これからはローゼリットの姐さんが暗殺者ギルドを取り仕切るんですよね?だったらあっしは…」
「生憎だが、私は暗殺者ギルドのマスターになるつもりは無い。後のことは残った連中に任せる」
「えええ?そんな、姐さん!」
「ハス!言っておくが私は貴様がギルドにスミーシャのことを報告したことを許すつもりは無いぞ!」
「ギクッ!や、やだなあ姐さん。あっしには何の事だか……」
「とぼけるつもりか……」
ローゼリットの瞳が吊り上がる。そして今まさに応急処置を終えたばかりの右手に短剣を握りしめる。
「右手首の骨に異常はあるが、貴様にダガーを突き刺すことくらいはできるぞ」
「あああ!す、すいません姐さん!確かにあっしが報告しましたぁ!」
ローゼリットの脅しに、あっさりと手のひらを返し土下座するハス。床に額を擦り付けんばかりの勢いでローゼリットを拝み倒す。
「で、でもしょうがなかったんですよ!ロッテーシャには逆らえなかったんです!」
先ほどまでは「ロッテーシャ様」と敬称付けで呼んでいたくせに、もう「ロッテーシャ」と呼び捨てにするハスの変わり身の早さに呆れつつも、ローゼリットはため息をついた。
「もういい、分かった。お前の命までは取らない、どこへなりと好きに行け」
「あ、姐さん!ありがとうございます!」
「ただし、ロッテーシャを倒したのが私達だと言う事は誰にも言うなよ?もし言ったら、その時は……」
そう言ってローゼリットは空いた方の手で首を掻き切るジェスチャーをする。それを見たハスは再び土下座をしてローゼリットを拝み倒した。
「わ、分かりやした!今日の事とは絶対に誰にも言いません!神に誓いやす!」
大仰なハスの言い方にため息をつくローゼリット。「不信人者のくせによくもまあ…」と思ったが、今は黙っておく。
とにかく頭をペコペコ下げまくるハスは、「それじゃ、あっしはこれで…」などと言ってこの場を去ろうとした。
だが、その行き先を遮る影が一つ。ドレイクが大剣を引き抜き、剣でハスの良く手を遮っていた。ハスは焦ったように愛想笑いを受けベル。
「い、いやだなぁ赤い蜥蜴の旦那。あっしはここでのことは一切口にしないと」
「悪いがそう言う問題じゃないんだ」
そう言うとドレイクは鼻をスンスンと鳴らした。それはまるで何かを嗅ぎ取っている様な……。
「やっぱりだな……おいあんた、その影の中になんか飼ってるだろ」
「は、はぁ?」
訳が分からないと言った風のハス。だがドレイクは気にせず続ける。
「おかしいと思ったんだ。何であのイカモドキはあの女暗殺者にとどめを刺したのか?」
「赤蜥蜴…それってどういう…?」
ドレイクの言おうとしている事が分からず口を挟むスミーシャ。しかしローゼリットは何かに気が付いたのかハッとした表情になる。
「あの時、何者かがブレインイーターを操っていた?」
ローゼリットの言葉に頷くドレイク。フリルフレアが驚いたようにハスに視線を向けた。
「じゃ、じゃあ、この人がブレインイーターを操っていた本当の黒幕⁉」
「へ?あ、あっしがですかい?!」
フリルフレアの言葉に、訳が分からないといった表情のハス。しかしドレイクは首を横に振った。
「いや、こいつ自身じゃない。こいつからはヒューマンの匂いしかしない。だが、一か所瘴気の臭いを漂わせているところがある!」
次の瞬間ドレイクは大剣を両手で逆手に構えて振り上げる。しかし、それより一瞬早くハスの影が丸く巨大に膨れ上がる。そしてその巨大な影の中から、ハスを飲み込むように鋭い牙が並んだ巨大な口が現れた。
大剣を一気に振り下ろすドレイク。しかし、それより一瞬早くその口はハスを飲み込むと影の中から飛び出した。
「あ……」
何が起きたのか理解できないまま口の中に飲み込まれたハス。そして影から飛び出した巨大な物体は一瞬で天井近くまで飛び上がると、そのままゆっくりと降りてきた。その巨大な口を動かし、モグモグと咀嚼しながら。
バキグチャクチャゴキ、グチャクチャ…ゴクン。
生身の人間を咀嚼する嫌な音、そして飲み込む音を響かせながらそいつはゆっくりと地面に降り立った。
巨大な球体の様な身体に巨大な眼玉が一つ、その下には今しがたハスを飲み込み咀嚼した巨大な口は付いており、そこには鋭すぎる牙がズラリと並んでおりハスの血に濡れていた。そしてその身体からは合計8本ほどの太い触手が生えており、その触手の先にも鋭い牙を持つ口がついていた。
その姿はどう見ても魔界に属するモノだった。
 




