第2章 赤蜥蜴と赤羽根とアサシンギルド 第3話、過去語り・ローゼリット・ハイマン
第3話 過去語り・ローゼリット・ハイマン
ローゼリットはエルフの父親と、ヒューマンの母親のもとに生まれた。しかし、エルフの父親はローゼリットが生まれてすぐに妻子を捨てて森へ帰っていった。いや、「妻子」と言う言い方は間違っているかもしれない。ローゼリットの父親は母親と結婚していた訳では無く、肉体のみの関係だったらしい。そしてローゼリットが生まれたその日に姿を消したらしかった。またヒューマンの母親も、生んだローゼリットを知り合いの男に託して姿を消していた。
つまりローゼリットは生まれてすぐに両親に捨てられたのだ。そして母親の知り合いだというトラウセン・セルイスと言う男に引き取られ、とある施設にて同じような境遇の子供たちと共に育てられた。
その男、トラウセン・セルイスは盗賊ギルドのギルドマスターをしていたが、もう一つ裏の顔を持っていた。暗殺者ギルドのギルドマスターと言う顔を……。
そして、ローゼリット達が育てられたという施設こそ、暗殺者ギルドの養成機関だった。
暗殺者ギルドと言う特殊な環境で育てられ、時には訓練の中で命のやり取りをすることすらあったローゼリット。任務遂行のためなら味方や自分の命すらいとわない洗脳教育とも言えるものを受けさせられていた為、自分自身の生い立ちに興味を持つことも無かった。ギルドマスターのトラウセンから「お前の母親はお前と同じで黒い髪と金色の瞳をしている」と聞かされたこともあったが、特に何も感じなかった。それでも、全ての人間がそうだという訳では無い様だった。
それはローゼリットが6歳の時だった。実戦に向けての訓練で同期のジャック・ポックと戦うことになったローゼリット。その訓練は実戦形式で行われ、ローゼリットとジャックの手には本物のナイフが握られていた。
そのルールはギルド内の訓練場内のみで行われどんな手段を使っても良いから相手を戦闘不能にした方が勝ちと言うもの。場所の制限こそあるものの、その他のルールなどあって無い様な物だった。
「ローゼリットか、俺が勝つ」
「負けない…」
訓練場内で互いにナイフ1本を手に持ち向かい合うローゼリットとジャック。共に、わずか6歳とは思えない鋭い目つきで互いの隙を伺っていた。
ダッ!
先に動いたのはジャックだった。ローゼリットに向けて鋭いナイフの一閃を繰り出す。それを後ろに下がって避けるローゼリット。しかし、さらにジャックはナイフを鋭く繰り出してくる。
ナイフによる突きや斬り払い、さらにその合間に左の拳や蹴りを織り交ぜてくる。攻勢に出たジャックの鋭い攻撃に押され、どんどん後退を余儀なくされるローゼリット。ナイフによる攻撃は何とか防いでいるが、拳や蹴りがローゼリットの身体に痣を作っていく。
「死ねよローゼリット!」
自分が有利な状況だったため勝利を確信したのだろうか?ジャックはナイフを大きく振り上げると、ローゼリットの頭めがけて振り下ろす。
キイン!
金属製の刃と刃がぶつかり合う甲高い音を立てて、ローゼリットの持っていたナイフが弾き飛ばされる。大振りだったジャックの一撃。ローゼリットはジャックの視線から狙いが頭部だと考え頭に振り下ろされたナイフを自分のナイフで受け止めたが、衝撃を受け止めきれずナイフを弾き飛ばされてしまった。思わず片膝をつくローゼリットだったが、すぐに立ち上がるとジャックに対して距離を取った。
「ナイフがなくちゃおしまいだなローゼリット。安心しろよ、痛みを感じる間もなく殺してやるよ」
「無駄口叩いてないでかかってきたらどうだ?」
「何だと⁉」
ローゼリットの言葉に憤慨するジャック。挑発されたジャックはナイフを握りなおすと、ローゼリットに対して切っ先を向けた。
「ナイフの無いお前に勝ち目があるもんか!諦めろ!」
叫びながらナイフを振りかざしローゼリットに走りよるジャック。だが次の瞬間ローゼリットの持っていた砂が投げられ、ジャックの顔面に命中する。ローゼリットはさっき片膝をついたときに足元の砂を一掴み掴んで隠し持っていたのだった。
「うわああ!目、目がぁ!」
ナイフを取り落とし両眼を押さえてのたうち回るジャック。かなりの量の砂がジャックの眼を直撃したはずだ。失明していてもおかしくない。
「目があああああああ!」
両眼を押さえて悶えるジャック。しかし、ローゼリットは静かにそれに近寄った。そして足元に転がっていた先ほどまでジャックが持っていたナイフを拾い上げる。
「ごめんね」
ローゼリットはそう言うと、いまだ悶えるジャックの首にナイフを走らせた。肉に刃が食い込むイヤな感触。次の瞬間赤い血飛沫が吹き上がる。その中でローゼリットはただ立ちすくんでいた。
(どうして……殺さなきゃいけないの…?)
血にまみれた自分の両手を見つめる。次いでジャックに視線を向けた。口がパクパクと開いている、苦しいのだろうか?いや……。
「か…母……母ちゃん…に……会いた…い」
「ジャック……」
「ああ……でも…死ねば……母ちゃ…ん…のとこ…ろ……に…行ける…か……な…」
ジャックの身体から力が抜けた。物言わぬ屍となったジャックの身体を見下ろしながらローゼリットはジャックの最後と言葉を思い出す。
(母親に…会いたかったのか?……会ってどうするんだ?)
ジャックの最後の願いが理解できなかったローゼリット。見開いたままのジャックの瞳を閉じてやり、その場を後にする。
(死んだら…終わり。死んだら何も残らない……。私の両親のことだって同じ…生きてるかも死んでるかもわからない奴らの事なんて考えるだけ時間の無駄)
ジャックの命をあっさり奪ったローゼリット。これが、彼女が初めて人の命を奪った瞬間だった。
ジャックを殺した時、わずかな疑問を感じたローゼリット。ただの訓練だというのに何故殺し合わなければならなかったのか?そんな疑問を一度は感じたローゼリット。だが、日々の過酷な訓練と、人の命を奪うことに躊躇いを無くさせるための洗脳教育により、そんな疑問はかき消されて行った。
そんな中、ローゼリットが10歳の時に、その事件は起きた。
その日、暗殺者ギルドに新たに子供達が10人ほど連れて来られた。詳しい経緯はローゼリットまで伝わってこなかったが、大まかな話では暗殺依頼のあった奴隷商人の家に捕らえられていたところを連れて来たらしかった。恐らく、大人の奴隷は口封じに殺害し、子供の奴隷はこれからの教育しだいで手駒として使えると考え連れてきたのだろう。
ローゼリットの住んでいる部屋にも新入りとして3人の娘が入ってきた。11歳のロミナ、10歳のエリーゼ、8歳のエレアナだった。ローゼリットの部屋は相部屋だった相手が先日の訓練で相次いで亡くなったため、彼女一人だった。そのため新入り3人を含めた4人で一部屋と言うことになった。
「………狭い」
不機嫌そうに呟くローゼリット。今迄は3人で一部屋だった。それでも手狭だったのに、今は4人である。狭いことこの上ない。
そのうえ、連れて来られたばかりの3人である。自分たちの状況も分からず怯えており、中には不安を口に出している者もいる。ローゼリットにしてみれば鬱陶しいだけだった。
「わ、私たちこれからどうなっちゃうの……?」
「ここは何処なの?……もうヤダ……お家に帰りたい……」
そう言って泣いているエリーゼとエレアナを最年長のロミナが慰めていた。
「大丈夫よ。奴隷として売られるよりはきっとましよ」
「そうとは限らないと思うけど」
ロミナの言葉に、つまらなそうに口を挟むローゼリット。そんなローゼリットにロミナが詰め寄ってくる。
「あ、あなた…ここが何だか知っているの⁉」
「知ってるけど?」
「お願い、教えて!ここは何処なの⁉私たちはこれからどうなるの⁉」
ローゼリットの言葉を聞き、堰を切ったようにまくしたてるロミナ。3人の中で最年長と言う事で気丈に振る舞っていた様だったが、実際は不安に押しつぶされそうだったようだ。すがる様にローゼリットを見つめている。
「ここは暗殺者ギルドだよ」
「ア、暗殺者ギルド?」
馴染みのない言葉に不安を隠せない様子のロミナ。エリーゼとエレアナは互いの身体を抱きしめたまま不安のためか微動だに出来ないでいる。
「暗殺者ギルド?暗殺者ギルドっていったい何なの⁉」
「言葉通りだよ。暗殺者のギルドさ」
そう言ってローゼリットはベッドに寝転んだ。実はこの時ローゼリットは訓練の後でくたくただった。正直に言えば、食事の時間までは寝て過ごしたい気分である。とは言え、本当に寝ていて食事の時間を寝過ごせば食事は抜きになるし、その食事にしたって毒に対する耐性を付けさせるために少量の毒が仕込まれているので、油断はできないのだが……。
「暗殺者って何なの…?」
エリーゼと抱き合っているエレアナがボソッと呟く。まだ8年しか生きていない彼女の知識の中には暗殺者などと言うものは無かった。
ローゼリットは視線だけエレアナに向けると。若干面倒くさそうに口を開いた。
「暗殺者って言うのは、暗殺を生業としている者たちのことだよ」
「暗殺を生業⁉そんなことって……」
ロミナが驚いたように口を開く。彼女にとっても暗殺者と言う存在は初耳だったようだ。
「事実だよ。それでここはそんな暗殺者を育てる養成所。私も、あんたたちも将来は暗殺者になるんだ……まあ、生き残れればの話だけど」
「い、生き残れれば…?」
ローゼリットの言葉の中に物騒な響きを感じたのだろう。ロミナが青い顔をして呟く。
「そう、ここじゃ訓練で人が死ぬなんて珍しくないから。あんたたちが座ってるベッドを使ってた奴もこの間死んだし」
そう言ってローゼリットはエリーゼとエレアナが座っているベッドを指さした。その言葉に二人の顔が真っ青になる。
「あ、あなた!そう言う質の悪い冗談は……」
「別に冗談じゃないから」
ロミナが言い終わるより早く口を開くローゼリット。キッパリと言い放つローゼリットにロミナは口をパクパクさせるしかなかった。
「じゃ、じゃあ……私達これから…その暗殺者って言うのに…」
「そう。暗殺者になるための訓練を受けることになるよ」
エリーゼの言葉に答えるローゼリット。エリーゼの横ではエレアナが「そんなぁ」と言いながらエリーゼに抱き付き泣き出していた。見れば、エリーゼもロミナも瞳に涙を浮かべている。これからどうなるのか?不安で押しつぶされそうなのだろう。
そんな3人から視線をそらしてローゼリットは天井を見上げた。正直な話を言えば、この3人が一人前の暗殺者になるまで生き残るのは難しいだろうとローゼリットは考えていた。3人とも子供とは言えロミナはもう11歳だ。世間一般の常識的な倫理観はすでに持ち合わせているだろうし、身体の成長も半ばまできている。この状態から躊躇なく人を殺せる精神と、闇に紛れて標的を狙う身体能力を身に着けるのは難しいだろう。
エリーゼも、10歳と言う事でロミナとほぼ同じことが言えるだろう。もっともロミナより1歳年下な分逆に技術や精神を身に着けられる可能性は多少高くはなるだろうが…。
最後にエレアナは8歳であり、今から仕込めば十分暗殺者として仕上げるのに間に合うだろう。だが、見た感じでエレアナは甘えん坊だとわかる。常にだれかを頼って依存している様子が手に取るようにわかる。そんな軟弱な精神では暗殺者になるまで生き残ることなど不可能だろう。
これがローゼリットの3人に対する見解だった。だからどうせすぐにいなくなるだろうと考えていた。過度の接触など時間の無駄だった。
ダンダン!
部屋の扉を乱暴に叩く音がする。それにビクッと反応している3人をよそに、ローゼリットは起き上がると扉を開けた。
「食事だ」
そう言って不愛想な男二人が部屋の中に入ってくる。そしてテーブルに手早くパンとスープ、焼いた肉らしき物を4人分置いて去っていく。
不安げな表情の3人をしり目に、一人テーブルにつくローゼリット。誰に言うでもなく「いただきます」と言ってパンを千切って口に放り込んだ。次いでスープを啜り、肉の様な物を噛み締める。肉の様な物は実際に肉なのだろうが、何の肉なのかやたらと筋張っていた。正直な話喰い千切って飲み込むのに一苦労だ。
そんなローゼリットを見て、自分たちの空腹感を思い出したのだろう。3人もローゼリットにならって席に着いた。そして「いただきます」と言って手を合わせると、スープやパンに口を付けた。
「……………」
口に出しては言わないが、ひどい味なのだろう。3人の表情が「不味い」と如実に物語っていた。固いパンをスープに浸して食べているが、パンですら固い+不味いで散々である。
「う!」
急に呻いたかと思うと、エリーゼがスプーンを取り落とした。そして口元を押さえると次の瞬間「ごぼぁ!」と口の中の物を吐き出した。床に吐しゃ物が広がる。そしてそれには……血が混じっていた。
「エリーゼ⁉」
ロミナが驚きながらもエリーゼに駆け寄る。吐しゃ物の上でのたうち回りながら「ゴホゴホ!」と咳き込むエリーゼ。そんなエリーゼをロミナが支えようとした瞬間だった。
バタン!
音に驚いたロミナが音の方を見ると、エレアナが倒れ込んでいた。口からは泡を吹き身体が痙攣している。
「エ、エレアナ⁉」
驚きのあまりパニックになるロミナ。倒れ込んでいるエリーゼとエレアナを前にどうしたらいいか分からないでいるロミナだったが、そんな彼女を猛烈な苦しさと吐き気が襲う。苦しさに耐えきれず思わず胃の中の物を吐き出すロミナ。そんな彼女の吐しゃ物も血が混じっている。
「そ、そんな……なんで…?」
何が起きているのか分からないロミナ。そんな3人を見てため息をついたローゼリットは箪笥の上に置いてある木箱を開け、その中にある葉っぱを取り出した。そしてそれをすり鉢で手早くすり潰していく。
全部で10枚ほどすり潰しただろうか。すり潰した葉っぱを布で包み、搾っていく。瞬く間に葉っぱの搾り汁が出来上がった。
ローゼリットはしゃがみ込むと、ロミナに葉っぱの汁を3分の1ほど飲ませた。次いでエリーゼにも汁を3分の1ほど飲ませる。そして、最後にエレアナにも汁を飲ませようとして彼女が泡を吹いて目を回していることに気が付いた。このままでは飲ませることができない。
「仕方ないな」
ローゼリットは葉っぱの汁を口に含むと、エレアナの口の泡を手ぬぐいでふき取り、口移しで汁を飲ませた。コクンと汁を飲み込むエレアナ。するとすぐにうっすらと目を開けた。
「あれ……私…」
「毒消しを飲ませたから大丈夫だ」
3人にそう言って、再び食事に戻るローゼリット。周りはエリーゼやロミナの吐しゃ物だらけだったが気にした様子もない。そんなローゼリットに慌てた駆け寄るロミナ。
「あ、あなた!それ食べちゃだめよ!」
「何故だ?」
「今私たちが倒れたの見たでしょう⁉中に何か入って…」
「毒なら入っているが?」
「え?ど、毒?」
ローゼリットの言葉に面食らったように言葉に詰まるロミナ。エリーゼとエレアナも「毒ってどういうこと…?」と不安そうにしている。
「暗殺者ギルドの食事には毎回少量の毒が混ぜられているんだ。毒に対する耐性を付けさせるためにな」
「な……何よそれ……」
言葉を失う3人。異質なものでも見るような眼でローゼリットを見ている。
「慣れればあのくらいの毒ならどうってことは無い。お前たちもすぐに慣れるだろう」
ローゼリットの言葉に3人の顔が真っ青になる。改めて自分たちがとんでもない所へ連れて来られたのだと実感している様だった。
結局まともに食事をしたのはローゼリットだけで、3人は自分たちの吐しゃ物をかたずけてそのまま寝床に入っていった。ローゼリットもそれに遅れて寝床に入る。
やはり訓練の疲れがあるのかすぐに睡魔に襲われるローゼリット。しかし、そんな意識の中に雑音が混ざってくる。
「……あの子、寝たわね」
「ど、どうするんですかロミナさん」
「決まってるでしょ!逃げ出すのよ、こんな所!」
小声で喋っているのはロミナとエリーゼみたいだった。だが、動いている気配は3つ、エレアナもいるのが分かった。
(逃げても無駄なのに…)
そう思うローゼリットだったが、特に口に出しはしなかった。こういうことは自分達が身をもって知った方が良いだろうと思ったからだ。後、正直に言えば関わるのが面倒くさかったのもある。
(まあ、放っておこう)
そう思って、ローゼリットは3人に意識を向けるのをやめた。しかし、そんなローゼリットの考えなど知る由もなく、3人は話を進めていた。
「とにかく、ここを出なくちゃ、私たち殺されちゃうよ!」
「で、でも…どうやって逃げ出すの…?」
ロミナの言葉に、エレアナが不安そうな声を上げる。今のエレアナにとってロミナとエリーゼだけが頼りだったが、それでも不安は拭えなかったのだろう。
「もう少しして周りが寝静まったら、ここを抜け出すのよ」
「もう少しって、どれくらい?」
「え、ええっと……30分くらいよ」
不安そうなエリーゼの疑問に若干不安そうに答えるロミナ。彼女にしても、恐らくこのくらいで寝静まるだろうと予想して答えただけだった。
(くそ……こいつらの話声が邪魔で寝れない…)
3人のやり取りはしっかりとローゼリットの耳に入り、彼女の睡眠を妨害していたのだが、そんなことにも気付かず話を進めていた。
「と、とにかく…後30分くらい大人しくして、その後脱出しましょう」
「「うん」」
ロミナの言葉にエリーゼとエレアナが頷いた。それを聞いたローゼリットは「これで30分は静かになるだろう」と考え、そのまま睡眠に入った。
・・・・・・・・・・・・・・・
どれほど経っただろうか。人の動く気配にローゼリットは目を覚ました。窓から入る月明かりしかない中、扉の前小さな影が3つ、扉の外の様子をうかがっているのが分かる。ロミナとエリーゼ、エレアナの3人が脱出の機会をうかがっているのは明白だった。
「ロミナさん……あの子は良いの?」
「あの子…助けてくれたよ…?」
エリーゼとエレアナが口を開く。どうやらローゼリットのことも連れて行かないのかと言いたい様だった。しかし、その言葉にロミナは首を横に振る。
「ダメよ…確かにこの子は助けてくれたけど……逃げ出そうとすればきっと大人に知らせるわ。バレないうちに私達だけで逃げましょう」
ロミナの言葉に渋々頷く二人。その様子を後ろから寝たまま見ながらローゼリットは考えた。
(止めた方がいいかなぁ………面倒くさいからいいか)
結論はすぐに出た。3人を無視して再び寝に入るローゼリット。
「よし、行くわよ!」
ロミナの声掛けで、足音を立てないようにそーっと扉から出ていく3人。実際には音を立てないようにしているつもりなだけで、ボロい床はぎしぎしと鳴り、立て付けの悪い扉は開けるときにキィーと甲高い音を立てていた。それでも3人は急いで扉の外に出て廊下を進んでいった。
(まあ、頑張りなよ~)
そんなことを考えながら、これで静かになったと、改めて睡眠に入るローゼリット。
・・・・・・・・・・・・・・・・
しばらくすると、表が騒がしくなった。人の動く気配に目が覚めるローゼリット。訓練のたまものとはいえいちいち人の気配で目が覚めていたらろくに睡眠もとれない。不満げに気配のする扉の方に視線を向ける。
「おい、ローゼリット!」
声と共に乱暴に扉が開けられる。気配で誰かが扉を開けようとしていたのは分かっていたので特に驚きはしなかったがすぐに起き上がった。こういう時にモタモタしているとそれだけで懲罰を喰らうことがある。
中に入ってきたのは暗殺者ギルド所属の暗殺者教官の男だった。
「ローゼリット、貴様、今日入ってきた新入り3人はどうした」
「どっか行きました」
「馬鹿者!脱走だ!」
教官の言葉に心の中で「知ってるよバーカ」と舌を出すローゼリット。しかし教官はそんなことは知らずにローゼリットに詰め寄る。
「貴様!同室でありながら奴らの怪しい素振りに気付かなかったのか⁉」
「ええっと……すいません」
とりあえず謝っておく。面倒くさいので見逃しましたなどと言ったらどんな懲罰を受けるか分かったものではない。
「まだギルドの敷地内にいるはずだ!お前も探せ!」
「チッ…面倒くさいな…」
「何か言ったかローゼリット!」
「いえ、何でもありません。すぐに探します」
小声でボソッと愚痴をこぼしたのを聞かれただろうか?仕方なくローゼリットはそのまま廊下に出ると駆け抜けていった。寝間着のシャツと短パンだけだったので若干寒かったが、着替えていたりしたらどやされるので仕方がなかった。
そのまま廊下を飛び出し、訓練場に出る。屋外の訓練場は施設に囲まれるように存在している。暗殺訓練を誰かに見られないための処置だが、今回の様な脱走者が外を目指すときに誤って内側の訓練場に来るよう仕向ける狙いもあった。それが分かっていたローゼリットは訓練場内を駆け抜ける。訓練場内に隠れられるところは限られている。そして、素人の子供の浅知恵なら隠れそうなところは目星がついていた。
「一人見つけたぞ!」
訓練場から施設に入る入り口の辺りから声が聞こえた。恐らく、入り口わきにある大きめのごみ箱の中にでも隠れていたのだろう。
「こっちも見つけたぞ!」
さらに声がした。今度は訓練場内の投擲訓練場の辺りだった。それならば、恐らく投擲訓練場に併設してある、投擲用短剣やダーツ、吹き矢などを保管しておく小型倉庫の中に隠れていたのだろう。
声のした方から男がやってくる。それぞれエレアナとエリーゼを連れていた。二人は泣きながら「やだー!お家に返してぇ!」とか「お願い、乱暴しないでぇ」とか言っていた。
ロミナはまだ見つかっていない様だった。無事に脱出したのだろうか?一瞬そう考えたローゼリットだったが、すぐにその考えを否定した。恐らく逃げ出そうとしたところで見回りの教官にでも見つかったのだろう。暗殺者ギルドではこういった脱走を防ぐために教官が見回りをしている。その事実を知らなければ、脱走など不可能なのだ。
ならば、ロミナはまだ隠れている。それも恐らくこの近くに。周囲を見回すローゼリット。
この訓練所の中でロミナが隠れそうなところを考える。しかし、すぐにそんな物は思い浮かばなかった。ならば考え方を変えてみる。ロミナは所詮素人だ。隠れるにしても深く考えずに隠れられる所を見つければすぐに隠れるだろう。つまり、暗殺者としての訓練を受けた自分ならばまず隠れない様な所に隠れている可能性が高い。
改めて周りを見回す。すぐ横に訓練用の武具をしまっている倉庫がある。
「………まさかな」
そうは思いつつも一応倉庫を開けて中を確認する。扉の開く音に月明かりでも分かるほど震えている小さな背中がビクッと反応した。……背を向けてしゃがみ込んでいるロミナがそこにいた。
震えながら恐る恐るローゼリットを見上げるロミナ。涙を湛えた瞳がローゼリットを見上げ、そしてイヤイヤをする様に首を横にする。
「お…お願い…助け…て…み…見逃し…て……」
搾り出す様に小さな声で懇願するロミナ。縋りつく様な眼でローゼリットを見ていた。
「あいつら二人とも捕まったぞ?」
ボソッと言うローゼリット。だが、その言葉にもロミナは首を横に振り泣きながら俯いた。両手は拝む様に握りしめローゼリットの方を向いていた。
自分だけでも見逃してほしい、そう言うことなのだろう。薄情だと罵る者もいるかもしれないが、ローゼリットはそんな気にはなれなかった。3人の中で最年長とはいえ、所詮まだ11歳の少女なのだ。自分の事だけで手一杯でも致し方の無い事だった。
「お願い……」
ロミナの懇願にため息をつくローゼリット。ここでロミナを助けても何も徳は無い。だが、ここでロミナを売っても何も徳は無いと考えた。
(見逃してやるか)
そう思って扉を閉めようとした瞬間だった。
「おうローゼリット、よく見つけたじゃねえか」
そんな言葉がローゼリットの後ろから降りかかる。後ろを振り向けば、先ほどローゼリットを呼びに来た教官が立っていた。後ろに立って気配を感じさせないのはさすがに教官だったが、あまり気分のいい物では無い。
面倒くさいことになったと思いながらロミナの腕を引っ張るローゼリット。
「いやあ!ヤダ、ヤダァ!」
泣きながら抵抗するロミナ。しかしローゼリットはロミナの頬を引っ叩き黙らせた。そしてそのままロミナを訓練場の中央へ連れて行くローゼリット。
そこにはすでにエリーゼとエレアナも連れて来られていた。二人を取り囲むように教官たちが立っている。ロミナもその中に入れられ、3人は逃げ場を失ってしまった。
3人を取り囲んでいるのは全員教官だった。自分の様な見習暗殺者が居ないことに気が付くローゼリット。疑問がそのまま口をつく。
「教官、見習いは私だけ?」
「おう、そうだローゼリット。お前の部屋のやつらが逃げ出したんだからな」
別に私のせいじゃないと言いたいローゼリットだったが、口に出しても良いことは無いのでやめておいた。
「さて、舐めた真似をしてくれたお嬢ちゃん達には見せしめが必要だな」
そう言うと教官がローゼリットにナイフを差し出した。
「おいローゼリット。誰でも良い、一人殺せ」
「こ、ころ……え…?」
教官の言葉に、ロミナが真っ青になる。見ればエリーゼとエレアナも真っ青になりながら顔を涙でグチャグチャにしていた。恐怖のあまり声も出ない様だった。
「…………」
無言でナイフを受け取るローゼリット。そして3人を見回すと……迷うことなくロミナの元に向かう。
「ひぃ!………な、何で…私…」
「この脱走はお前が言い出したんだろう?」
さも当然だと言わんばかりの口調のローゼリット。その言葉にロミナは首を横に振った。
「ご、ごめんなさい……ごめんなさい…ごめんなさい…どうか…許してください…」
ボロボロと泣きながら懇願するロミナ。しかし、それに対するローゼリットの反応は淡白だった。
「あきらめろ」
そう言うとローゼリットはロミナをあっさりと押し倒した。そして両手を脚で押さえ、あっさりと仰向けに組み伏せる。
「いや!お願い!許して!ヤダァ!死にたくない!」
「うるさいよ」
「助け…むぐ!」
悲鳴を上げるロミナの口を左手で塞ぎ、右手のナイフを逆手に持ち替える。そしてそれを振り上げた。
「運が無かったと諦めるんだな」
「うう!むぐーーーー!」
ドカ!
勢い良くローゼリットの右手が振り下ろされる。そしてナイフが深々と突き刺さる。………ナイフが刺さっているのはロミナの顔の横数センチの所だった。
ローゼリットの足に何か生暖かい液体が触れる感触がした。見て見れば、ロミナは恐怖のあまり失禁して気を失っていた。もっとも、無理も無い事ではあったのだが……。
「どうしたローゼリット、なぜ殺さない?」
「教官、別に殺す必要はないと思います」
そう言うとローゼリットは教官を見上げた。なぜこんなことを言ったのか自分でもよく分からなかったが、なぜかこの時6歳の時に初めて殺したジャックの事が頭に浮かんでいた。そして同時にここで殺すことに意味があるのかと言う疑問も再び頭を上げていた。
「ローゼリット、貴様教官である俺の命令が聞けないのか?」
「これだけ脅せばこの子たちも二度と脱走しようなんて考えないはずです」
「俺は、俺の言うことが聞けないのかと訊いたんだ!」
次の瞬間バキッと言う音と共にローゼリットの頬に鋭い衝撃が走った。教官に頬を殴られたのだと気が付くのにさしたる時間はかからなかった。
「っつ!」
「もういい!お前はそこで見ていろ!」
痛みに頬を押さえるローゼリット。教官はそんなローゼリットを睨みつけると、そのままロミナの前に立った。そして、縄を取り出すとロミナの首に二重に巻き付ける。ロミナは気を失っているのでされるがままだった。
そして教官は縄の両端を掴むと一気にそれを引き絞った。ロミナの首が半分の太さになるくらい締め上げられる。そのままグイグイと占め続ける教官。そしてロミナの身体は痙攣を起こし、すぐに動かなくなった。その身体をドサリと落とす教官。まるで物のような扱い方だった。ロミナが意識を失っている間に、苦しまずに死んだことがせめてもの救いだった。
その様子に顔をしかめるローゼリット。気分が悪かった。ロミナを殺す意味があったのか?見せしめと言うが、ローゼリットの脅しだけで十分だったはずだ。あれだけやればバカな考えは起こさないだろう。だが、教官は虫けらのようにロミナを殺した。
「ローゼリット、命令に従わなかった貴様には懲罰がある。覚悟しておけ」
そう言ってロミナの死体と、エリーゼ、エレアナを連れて去っていく教官たち。訓練場にはローゼリットだけが取り残されていた。
(あの娘を殺したことに……本当に意味があったのか…?)
この時、決して小さくない疑問がローゼリットの中に確かに生まれた。
エリーゼとエレアナが連れて来られ、ロミナが殺された日から約3年の月日がたち、ローゼリットは13歳になっていた。あの後教官の命令に背いたローゼリットは懲罰として一週間懲罰房に入れられた。また、あの後エリーゼとエレアナは脱走を企てたとして酷い懲罰を受けた。いや、それは懲罰と言うにはあまりに残酷で慈悲の無いものだった。拷問と言った方が正しかっただろう。一週間程の拷問を受け、部屋に帰ってきたエリーゼとエレアナは半ば廃人の様になっていた。手当されていたとはいえ、拷問の傷痕は生々しく、瞳はひたすら虚ろだった。
ローゼリットは彼女たちに同情しながらも、二人がそう長くは生きて行けないだろうと思っていた。虚ろで生きる気力を失ったような瞳、そんな眼をした者が過酷な訓練、特に命を奪い合う実戦形式の訓練で生き残れるとはとても思えなかった。だから、それから3年もの間、二人が生き残っていたことに正直驚きを隠せなかった。
(もしかしたら、他人の命を奪ってでも生き延びたいと願ったのかもな……)
ローゼリットはその考えを特に否定するつもりは無かった。誰しも自分の身は可愛いだろう。生き残るためには他人を犠牲にしてでもと言う考え方は、確かに褒められたものではないのかもしれない。だが、そうまでしてでも生き延びるという強い意志が感じられた。
だから、ローゼリットは気が付くことが出来なかった。そう思っていたからこそ気が付けなかった。エリーゼとエレアナが何のために今日まで生き延びてきたのかを……。
「食事だ」
部屋の扉が開き、不愛想な男二人が食事を運び込んでくる。内容は変わり映えもしないパンとスープと焼いた肉。しかもどれもひどく不味い。それでも食べないと生きて行けないので食べるしかなかった。この毒入りの食事を……。
食事が並べられたテーブルに着くと二人を待たずに「いただきます」と言って食事を始めるローゼリット。エリーゼとエレアナも、ローゼリットの向かい側の席に着き両手を合わせて「いただきます」と言って食事を始めた。
黙々と黙って食事をする3人。いかに暗殺者ギルドの養成所とはいえ、仲の良いもの同士ならば食事中に多少なり談笑もするだろう。しかし、正直ローゼリットはこの二人とそれほど親しくはなかった。同室の者ただそれだけだったし、エリーゼやエレアナもあまりローゼリットと話そうとはしなかった。また、そのエリーゼとエレアナ達もロミナが殺されて以来あまり親しくしているところを見なかった。そのため部屋の中には食事をするかすかな食器の音だけが響いていた。
また、最初の頃こそ毒に慣れず食事の度に吐いたり泡を吹いて目を回したりしていた二人だったが、今ではすっかり慣れて普通に食事をしていた。
技術の面でも、エリーゼはローゼリットには及ばないものの、目覚ましい成長を遂げてかなりの暗殺術を身に着けていたし、エレアナは技術面で劣る分毒や薬物の知識にかなり精通していた。
「…………」
顔をしかめながら食事を続けるローゼリット。いつも不味い食事だが、今日は一段と不味い気がする。肉が不味かった、何か余計なものが混ぜられているようなそんな味……。
「ブッ!」
次の瞬間ローゼリットは口の中の物を吐き捨てると、イスから飛び退いた。そしてそれを追いかける様にエリーゼが迫る。咄嗟のことに後ろの飛び退くことしかできなかったローゼリット。それに追いついたエリーゼが右手でローゼリットの左腕を掴む。そして、左手に持っていたフォークでローゼリットの右腕を突き刺した。
「くあ!」
完全なる不意打ちに反応が追い付かないローゼリット。痛みに思わず悲鳴を上げ尻もちをつくと、そこにエレアナが迫っていた。そしてエレアナは何か粉末を口に入れそこに水を含む。そのままローゼリットに顔を近づけると、唇を奪い口移しで口の中の液体をローゼリットに飲ませた。
ゴクン。
反射的に飲み込んでしまうローゼリット。「チッ」と舌打ちをしながらなんとか体を起こそうとする。しかしそれよりも早くエレアナが迫り、ローゼリットの左腕を抱え込む。さらに右腕に刺さったフォークが乱暴に引き抜かれその痛みに思わず悲鳴をあげそうになるが、それよりも早くエリーゼが右手でローゼリットの口を塞いだ。
「うぐ!」
呻くローゼリット。そしてエリーゼがローゼリットの右腕を抱え込む。二人掛かりで押さえつけられ身動きの取れないローゼリット。右腕の痛みに顔をしかめるが、ふとその痛みが引いていることに気が付いた。
(いや、違う。…これは……眠気……)
痛みが引いているのではなかった。痛みが気にならないほどの眠気を感じていただけだったと気が付く。だが、そうしている間にも強烈な眠気がローゼリットを襲った。
(ま……まずい……寝たら……)
そう思いながらも、強烈な眠気にどんどん意識が遠くなっていく。
「諦めた方がいいですよ。さっきの粉はクロムの実の果汁を加熱して作り出した特製の睡眠薬ですから」
エレアナの言葉がローゼリットの耳に響く。しかし、それを頭で認識できるほど意識は残っていなかった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ん………ん?」
どれほど経っただろうか?ローゼリットは意識を取り戻した。まだ若干ボーっとしているが、何とか周りの状況を確認する。
見回すと、誰かと視線がぶつかった。エリーゼだった。エリーゼがつまらない物を見るような視線でローゼリットのことを見下ろしていた。そしてそのすぐ横にはエレアナもいた。彼女もエリーゼ同様冷たい視線でローゼリットを見下ろしている。
ローゼリットはここで初めて自分が床に転がっていることに気が付いた。起き上がろうとしたが、うまく体が動かない。
「起きたみたいですよエリーゼさん」
「そうみたいね」
そう言って近づいてくるエリーゼ。ローゼリットは改めて身体を動かそうとするが、まともに身動きが取れない。何となくわかっていたことだが、改めて認識する。ローゼリットの身体は縄で厳重に縛られていた。後ろ手に回され拘束された手首から先の感覚がなくなるほどきつく縛られている。
「う……んん…ふう」
口も塞がれていた。口の中いっぱいに布が詰め込まれ、それを吐き出させないために手拭いが噛まされていた。
「しかし、大したものですねローゼリットさん。まさか、お肉に仕込んだしびれ薬に気が付くなんて……」
「念のために睡眠薬を用意しておいて正解だったわね」
そう言うエリーゼにエレアナは頷いた。そしてエリーゼはローゼリットの顎を掴むと無理矢理自分の方を向かせた。
「これでも苦労したのよ?みんなにばれない様に強力なしびれ薬や睡眠薬を作ったり、食事の肉にこっそりしびれ薬を盛ったりね」
「まあ、薬の製法に関しては私が必死に勉強した知識が役に立ったんですけどね。……と言うより、そのために薬の知識を重点的に覚えたんですけど」
そう言っておかしそうに笑うエレアナ。ローゼリットは意味が分からなかった。この二人は一体何をやろうとしているのか?いや、そもそもこの二人はこんなに親しかったのか?確かに同時に連れて来られたが、元々は奴隷商人の元から連れてきたという話だし、ロミナがなくなってからと言うもの、二人はまともに会話すらしていなかったはずだ。それがどうして……?
ローゼリットの疑問を嘲笑うかの様にエリーゼが鼻で笑う。
「どうして私とエレアナが親しげなのか不思議そうね?それはそうよね……だって私たちはロミナさんが殺されてからほとんどまともな会話はしていないもの」
「でもね、私達は実はちゃんと会話していたんです。どうやってだと思います?」
そう言って可笑しそうに笑うエレアナは自分の髪をかきあげた。エレアナのうなじがローゼリットの視界に入ってくる。そこには青い痣の様な物があった。いや、それは痣では無かった。それは……。
(何だ?……魔法陣?)
痣の様に見えたものは小さな魔法陣だった。エレアナのうなじに青い魔法陣が書かれていたのだ。
「奴隷商人がですね…私達の身体で実験してたんですよ。刺青の魔法陣で魔法を身に着けられないかって…」
「それでエレアナが手に入れたのがテレパシーの魔法。それも無詠唱、相互で意思の疎通が可能な完璧なものだったわ」
「この力のおかげで、私たちはいくらでも秘密の会話ができたんですよ」
そう言って二人は「フフフフ」と不穏な笑みを浮かべる。さらにエリーゼは自分の掌をローゼリットに見せつけた。そこにはエレアナのうなじと同様に緑の魔法陣が彫り込まれていた。
「そしてこっちが私の魔法。レビテーションの魔法が込められているわ。もっとも、重いものを運ぶ時くらいしか使い道がないけどね」
そう言って再び不敵な笑みを浮かべるエリーゼ。
ローゼリットの背中に冷たい汗が流れ落ちた。なぜこいつらはこんなに自分の秘密をベラベラと喋ってくるのだ……?
(冥土の土産)
ゾッとするような言葉が頭に浮かぶ。二人の目的は分からなかったが、このまま自分を無事に返してくれるとは思えない。何とか逃げ出そうともがくが、手足をきつく縛るロープは緩む気配すらなかった。さらに言えば、猿轡も緩む気配を見せない。
「ん……うう…む…」
呻き声すらまともに上げることが出来ないこの状況。あまりにも危機的状況に焦りは募るばかりだった。
「どうして私たちがこんなことをしたのか知りたいみたいですね」
エレアナがローゼリットの顔を覗き込む。そして次の瞬間ローゼリットの頬をパシンと引っ叩いた。抵抗もできなかったローゼリットはエレアナを睨み返すくらいしかできない。
「自分の胸に訊きなさい……と言いたいところですけど」
「無駄よエレアナ。こいつら暗殺者は自分たちの罪深さなんて気にもしないわ」
「そうですね」
そう言ってローゼリットの胸を思いっきり踏みつけるエレアナ。苦しさに思わず「ぐっ」と呻き声が上がるが、そんなことは気にも留めずローゼリットの胸を踏み躙る。
「良いざまですね」
さらにそう言うとエレアナは足をどけ、その足でローゼリットの腹を蹴り上げた。
「グフ!」
猿轡越しでも分かるほどの苦痛の呻き声をあげるローゼリット。しかし、ローゼリットの苦痛など気にもせず、今度はエリーゼがしゃがみ込みローゼリットの髪を掴んで顔を持ち上げる。そして右の拳で思いっきりローゼリットの頬を殴る。「ゴフ!」と再び苦痛の呻き声をあげるローゼリット。しかしエリーゼはそれでも殴り足りないとばかりにもう一発拳をお見舞いする。
呻き声をあげるローゼリット。吐き出した唾液とあふれる鼻血で顔がグチャグチャになっていた。
「ローゼリット、あなたは許さないわ……あなたが……ロミナさんを殺した」
「!」
そのエリーゼの言葉に、驚きの表情になるローゼリット。
3年前、一緒に連れて来られたロミナとエリーゼとエレアナ。確かに一緒に連れて来られ同じこの部屋に入れられたが、まさか敵討ちだとでも言うのだろうか?
「分かってないみたいね。私達とロミナさんは単にここに一緒に連れて来られただけの仲じゃ無いのよ」
「そうです。私達とロミナさんは奴隷商人に捕まってからずっとお互いに励まし合って生きて来たんです。そう、私達とロミナさんは…」
「言うなれば、姉妹の様な物なの」
「だから討つんです。ロミナさんの仇を!」
エリーゼとエレアナの言葉にローゼリットは戦慄を覚えた。まさかこの二人は、姉とも言うべきロミナの復讐のためだけにこの3年間を費やしてきたとでも言うのだろうか?だが、エリーゼとエレアナの瞳を見れば、冗談を言っている訳では無い事が一目瞭然だった。
しかし…………ならば、この二人は自分のことを……。
(殺そうと……している⁉)
そう思った瞬間、ローゼリットの心に暗殺者として持ってはいけない感情が生まれた。暗殺者は無慈悲で無感情でなければならない。人を殺すことに喜びを覚えてはいけない、そして人に殺されることに恐怖を覚えてはいけないのだった。任務のためならば喜んで命を投げ捨ててこその暗殺者だった。
だが今、ローゼリットの心には明確な恐怖が宿っていた。自分の状況、そしてエリーゼとエレアナと言う恐るべき復讐者に恐怖を抱いていたのだ。
(いやだ!こ、殺される!)
助けを呼ぼうにも猿轡をされていてまともに喋ることもできない。逃げ出そうにも、手足を厳重に縛られていて身動きすら取れない。絶体絶命だった。
(何で私が……、私はあの時助けようとしたのに!ロミナを殺したのは教官なのに…!)
エリーゼとエレアナの理不尽さに涙が浮かぶ。ロミナを殺したのは教官であって自分ではない。なのになぜ自分が殺されなければならないのか?その恐怖と、理不尽に対する怒り、エリーゼとエレアナのむき出しの感情、そう言ったものがローゼリットの中で一緒くたになりグチャグチャに混ざっていく。そして………。
(…………そうか…これが殺されるってことか……)
唐突にローゼリットは悟った。これが殺される側の心情。暗殺者の知らない被害者の心の内。理不尽に命を奪われる怒りと恐怖。これが、今まで自分が殺してきた者たちが感じていたモノ。この殺される側の感情を知らずに命を奪うことは果たして許されるのか?いや、そもそも暗殺などと言う他人の都合で人の命を奪うことが本当に許されることなのか?
疑問がどんどん湧き上がってきた。加害者に対する怒りを感じ、被害者としての恐怖を感じることでローゼリットの中に暗殺者と言う存在に対する疑問が生まれていた。
皮肉にもこの殺される直前で………。
ローゼリットが見上げると、エリーゼがナイフを取り出していた。そして逆手に持つと、ローゼリットの上に馬乗りになる。
「残念だけどローゼリット。もうお別れの時間ね」
そう言ってエリーゼは右手に持ったナイフを振り上げる。ナイフが明かりを反射し怪しく光る。それを見たローゼリットの恐怖は頂点に達する。
「ふ!……んん!…むうう!」
「大人しくしててね?」
そう言うとエリーゼは空いた左手で猿轡の上からローゼリットの口を押さえ込んだ。その後ろでは、エレアナが紙を取り出し何かを走り書きしていた。
「さようなら……ローゼリット!」
「うーーーーー!」
次の瞬間エリーゼの右腕が勢いよく振り下ろされた。ナイフが根元まで深々と突き刺さる。
「う………」
恐怖が限界を突破し、意識を失うローゼリット。その顔の横数センチの所にナイフが突き刺さっていた。ローゼリットの少し長い耳がわずかに切れ血が滲んでいた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
バタバタと騒がしい足音に、ローゼリットは目を覚ました。耳の端に若干の痛みがある。思わず起き上が………ろうとして、自分の身体が戒められていることを思い出した。とにかく脱出しようと手に力を込める。
(……ん?)
違和感を感じ……いや、正確に言うと違和感を感じなかったため、バッと手を動かした。普通に動かせる。慌てて起き上がり体中を見回した。
手足を縛っていたはずのロープは解かれており、猿轡も外されていた。いや、そもそも…………。
(私は………エリーゼに殺されたはずじゃ……?)
意味が分からなかった。エリーゼとエレアナが自分を見逃したとでも言うのだろうか?
疑問を感じつつも周りを見回すと、足元に紙きれが落ちているのが分かった。取り上げて見てみるとそれはエレアナからの手紙だった。あの時エレアナが走り書きしていたのはこれだったのかと気が付く。
「 ローゼリットへ
私たちはあなたを許すことはできません。あなたのせいでロミナさんは見つかり、教官に殺されました。でもあなたはそんな中でもロミナさんの命を救うよう教官に言ってくれました。だから、あなたのことは殺しません。でも、それでは私たちの気が済まないのでロミナさんが感じた恐怖だけは味わってください。それでは、もう会うことも無いでしょうけど、さようなら
エレアナ 」
手紙を読み終え、ローゼリットは茫然とした。どういうことなのかさっぱり分からない。エリーゼとエレアナは自分を殺そうとしたのではなかったのか?だが、手紙によれば恐怖を味わわせるだけで元から殺すつもりは無かったとのこと。あの二人はこんなことをして一体どういうつもりなのか?それにもう会うことも無いという言葉も気にかかる。まさかまた脱走を企てたのだろうか?
疑問に対する答えなど出てくるはずもなく、半ば呆然と立ち尽くすローゼリット。しかし、すぐに意識は引き戻された。部屋に3人の男たちが入ってきたためだった。
「居るな?ローゼリット」
「は、はい」
返事をしたローゼリットは改めて男達を見た。先頭に中年の男、その左右斜め後ろにそれぞれ男が一人ずつ立っていた。後ろの男二人は見覚えはあるが名前は知らなかった。恐らく現場に出ている暗殺者だろうと推測される。そして先頭の男はローゼリットも知っていた。いや、ローゼリットに限らず、このギルドの中にその男を知らない者はいないだろう。その男は暗殺者ギルドのギルドマスター、トラウセン・セルイスだった。トラウセンは母親から預けられた赤ん坊のローゼリットを暗殺者ギルドに連れてきた張本人でもあった。
トラウセンは部屋にあった椅子に腰かけ、ローゼリットの方を向いた。
「派手にやられたみたいだな」
「え?………あ、いえ…」
一瞬何を言われたのか分からなかったローゼリットだったが、すぐに涙や鼻血でグチャグチャになった自分の顔を思い出し、慌てて近くにあった手拭いで顔を拭った。
「エリーゼとエレアナが死んだ」
「………え?」
一瞬何を言われたのか分からなかった。エリーゼとエレアナが………死んだ?意味が分からなかった。彼女たち二人は自分を拘束し暴行したのだ。当然この後懲罰を受けるのだと思っていたのだが……?
「ど、どういうことですか?」
混乱しそうになる頭を必死になだめ、努めて冷静を装いトラウセンに訊ねる。
「エリーゼとエレアナはな……ライグレー教官を襲撃し、相打ちになって死んだ」
「ライグレー教官?相打ち?一体どういう……」
意味が分からず頭を抱えるローゼリット。だが、すぐに気が付いた。ライグレー教官とはロミナを無慈悲に殺したあの教官だ。ならば二人は……。
「ロミナの仇を討とうとして……相打ちになった?」
「恐らくそうだろうな。他に動機は考えられない」
そう言うと、トラウセンは腕を組みため息を一つついた。
「今から話すことはあくまで想像の域を出ていないことだ。そう思って聞いてくれ」
「は、はい」
トラウセンの話を要約すると、以下のようなことが起きたのだと予想された。
ローゼリットを気絶させた後、エリーゼとエレアナはその足でライグレーの元に向かった様だった。肉に仕込んだしびれ薬が効いていればすぐにでも息の根を止めるつもりだったのだろう。部屋をノックするエリーゼとエレアナ。幸か不幸かライグレーの反応があった様だ。しびれ薬を摂取しなかったか、薬が効かなかったかのどちらかだろう。仕方なく凶器を隠し持ち、下着姿になる二人。ライグレーには少女愛好の性癖があるともっぱらの噂だったためそれを利用しようと考えたのだろう。しかし、ライグレーの性癖の異常さは彼女たちの想像を超えていた。ライグレーは少女を殺すことに喜びを覚える性癖の持ち主だった。さらにライグレーはどうやらしびれ薬から彼女たちの襲撃を予想していたらしい。部屋に招き入れられた瞬間、腹部にナイフを突き立てられるエリーゼ。さらにエレアナは、ライグレーに捕まり首を締め上げられた。そしてそのまま命尽きるエレアナ。エリーゼは刺された傷から血を流しながらも訓練場まで逃げていった。それを追いかけるライグレー。そして何もない広場で倒れたエリーゼは最後の力を振り絞って掌の魔法陣を発動、レビテーションの魔法でライグレーの身体をはるか上空まで上昇させた。そしてそこまで見て満足そうに命の灯を消したエリーゼ。エリーゼの魔法が切れはるか上空から訓練場に落下したライグレーの頭は熟れたトマトが落下したように潰れて、絶命していた。
「……………」
二人の壮絶な仇討に言葉を失うローゼリット。一人の少女が殺され、その妹分たちは仇を討つためだけに3年間を費やしてきた。そして、無慈悲に少女の命を奪った犯人に自分たちの手で鉄槌を下したのだ。
この事件で、合計4人の命が失われた。ライグレーの死は自業自得と言えるかもしれない。だが、エリーゼとエレアナ、何よりもロミナの死はどうだ?本来ならだれも死ぬ必要はなかったはずだ。ロミナには殺そうとする芝居で極限の恐怖を与えた。それだけで十分だったはずだ。なのに無慈悲に殺された。エリーゼにしてもエレアナにしても、ロミナの件さえ無ければこんなことはしなかった。ライグレーに刺され、あるいは首を絞められ、どれだけ怖かったことだろう。それに、姉のように慕っていたロミナをゴミの様に殺されその心情はどれほどの苦痛と悲しみで満ちていたことか。本来なら敵わない相手にもかかわらず、命を賭して立ち向かい仇を討ったのだ。その心の悲しみはどれほどだったか、ローゼリットには想像することしかできなかった。
「3人の………墓を作ってあげていいですか?」
今さらだが、ローゼリットにはこんなことしかしてあげられることがない。せめてロミナとエリーゼ、エレアナが天国で再開できることを願うしかなかった。
ローゼリットは15歳になり成人し、本格的に暗殺者としての仕事が任せられるようになった。今迄は、子供の立場を利用してターゲットを油断させるなど誰かと組んで、そのサポートをするのがメインだったが、これからは一人で仕事をすることも増えていく。
一人前と認められてうれしい半面、いまだローゼリットの心には暗殺者と言う仕事に対する疑問が残っていた。
(私が殺していく相手は、あの時の私と同様の恐怖を感じながら死んでいくことになる………)
そのおぞましさにゾッとする。多くの暗殺者が人を殺すことに何も感じず、自分が殺されることにも何も感じない。だが、ローゼリットは人を殺すことに躊躇いを感じ、自分が殺されることに恐怖を感じた。それはもしかしたら暗殺者としては不完全なものかもしれなかったが、普通の人間として考えればどうだろう?そう考えるとこの躊躇いや恐怖は感じることこそが正しいのだとも考えられた。
だが、それでもローゼリットはこのギルドで生きて行くしかない。他に行くところなど無かった。
さらにローゼリットはこの頃、ギルドマスターのトラウセンから直々に特殊な暗殺術を伝授されていた。それは、極細の金属性の糸を使った暗殺術、鋼線術だった。
なぜローゼリットがギルドマスターのトラウセンから直々に手ほどきを受けていたかと言うと、ローゼリットはトラウセンのお気に入りだったからだった。
そもそもトラウセンにローゼリットを預けたのはローゼリットの母親だったし、赤ん坊のころから面倒を見ていたトラウセンにとっては実はローゼリットは娘の様な存在でもあったのだ。あまり公にはしていないが、そんな理由からトラウセンはローゼリットを少し特別扱いしていた。
だから、実は裏でローゼリットが大怪我をしたり、命を落としたりしないよういろいろと手を回したりもしていた。昔はお世辞にも優秀という訳ではなかったローゼリット。実はトラウセンに守られていたところもあったのだった。
そして一人前になった今、自分の奥の手である鋼線術もローゼリットのために伝授する少し過保護なギルドマスターの姿がそこにあった。もっとも、訓練そのものは非常に過酷なものであったのだが……。
「どうしたローゼリット!そんな動きでは枯れ木の枝すら切り落とせんぞ!」
「くっ!」
ギルドマスター、トラウセンの手から繰り出される鋼線を必死に避けるローゼリット。腕を括ろうと迫る鋼線を紙一重で何とかよけ、反撃とばかりに鋼線を操る。しかし鋼線がトラウセンの腕に巻き付く寸前ではじかれる。トラウセンが自分の鋼線を使ってローゼリットの鋼線をはじいたのだった。
それでも何とか連続で鋼線を繰り出していくローゼリット。しかしローゼリットの攻撃はことごとくトラウセンによって弾かれていく。鋼線の扱いにおいてはトラウセンの方が圧倒的に優れていた。
「クソッ!」
鋼線と言う武器の扱い辛さに悪態をつきつつも、必死に振り回すローゼリット。完璧に扱えれば変幻自在の強力な武器になることは分かっているが、とにかく扱い辛い。糸を飛ばして敵の表面に傷を付けることまではできるが、括って腕などを切断するのがうまくできない。まして首を切断したり、胴体ごと真っ二つにするなど不可能としか考えられなかった。
しかし、トラウセンの話では鋼線ならば使いようによってはそれらも十分可能だという話だった。
コツが分からず四苦八苦するローゼリット。
「違うぞローゼリット。お前はまだ鋼線と言う武器の解析が足りていない。いいか?鋼線はこうやって手首や指先の動きだけで操作するんだ」
そう言ってクルクルと器用に鋼線を操るトラウセン。床に立てかけてあった薪に起用に巻き付け、あっさりと切断してしまう。
「鋼線の……解析…」
ポツリと呟くローゼリット。手の中の鋼線をじっと凝視する。解析と言っても一体どうすればよいのか?鋼線を見つめる。細い、鋭い、金属製、変幻自在、他に何があるだろう?
いつまでもじっと見ていた。見る、見る、見る、見る。ひたすらにじっと見つめた。あまりに見すぎて眼が痛く……いや、熱くなった。
「うぐ!」
「ローゼリット⁉」
あまりの眼の熱さに思わず眼を押さえてしゃがみ込むローゼリット。トラウセンは何事かと駆け寄ってくる。
「どうしたローゼリット⁉大丈夫か⁉」
「……いえ…大丈夫ですマスター」
心配無用と言いたげに顔を上げるローゼリット。瞳の熱さはほぼ一瞬だったと言ってよかったが、熱さが引いた瞳には若干の違和感を感じた。その違和感は熱さや痛みといったものではなく、視界から入ってくる情報がほぼすべて事細かに理解できると言う事だった。当然手の中にある鋼線のことも……。
「ローゼリット………お、お前…」
「何ですかマスター?」
あえて口に出して訊ねてみたが、ローゼリットにはトラウセンが何を言いたいのか分かっていた。いや、分かっていたという表現はおかしい。トラウセンの表情や、ローゼリットの視界に入る情報からトラウセンの言わんとしていることを解析したのだ。
「そ、その瞳は………?」
「そうですね………さしあたって『解析眼』とでも名付けましょうか?」
ローゼリットの金色の瞳が光っていた。その瞳は目にした物の性質を解析し瞬時に理解する伝説の魔眼だった。
「マスター、今なら鋼線を自在に使えると思います。一手お願いします」
「あ、ああ」
ローゼリットの言葉に戸惑いつつも頷くトラウセン。そして油断なく鋼線を構えるが、それに対しローゼリットは特に構えず、自然体のまま静かに立っていた。
「行くぞ!」
一気に飛び出し鋼線を繰り出すトラウセン。その鋼線がローゼリットに届く瞬間体を捻り紙一重で回避する。そしてそのまま無駄のない動きで鋼線を飛ばすローゼリット。トラウセンの両手足にほぼ同時に鋼線が絡みつこうとする。
「チッ!」
舌打ちするトラウセン。慌てて両手足を鋼線の輪の中から引き抜いた。……いや、一つ間に合わなかった。トラウセンの左手がローゼリットの鋼線によりあっさり切断され、左手首からおびただしい血が噴き出る。
「ぐぅ!」
痛みに思わず膝をつくトラウセン。一方ローゼリットは青くなりながらトラウセンに駆け寄った。その瞳はすでに光を放ってはいなかった。
「マスター!」
「心配ない」
そう言ったトラウセンだったが、その表情は苦痛に歪んでいる。それでも何とか片手で器用に傷口を縛っていた。そして落ちた左手を拾い上げるトラウセン。
「魔眼……か……血は争えんな…」
「え?」
ボソッと言ったトラウセンの言葉に、?マークを浮かべるローゼリット。トラウセンはそんなローゼリットに向き直った。
「見事だローゼリット。まさか腕を取られるとは思わなかった」
「マスター、今のは……」
「その解析眼、自在に扱えるように訓練すると良い。それに鋼線をこれだけ扱えたならもう教えることも無い」
「マスター………」
「見事だったぞ、ローゼリット」
そう言って部屋を後にするトラウセン。こうしてローゼリットは鋼線術と魔眼「解析眼」を手に入れることとなった。
その後、ローゼリットは実戦で鋼線術を使い技術を磨いて行った。さらに「解析眼」も自在に扱えるよう訓練した。だが、そうしている間にも訓練や実戦で同期の者たちの数は目に見えて減っていった。
同期の中で生き残ったのはローゼリットを含めてたったの3人。トラウセンの話ではそれでも残った方だと言っていた。
また、ローゼリットの能力は「解析眼」のおかげで同期の中では抜きん出ていた。もっとも、それは「解析眼」を発動させたときの話で、通常時においての実力は同期の者たちとほぼ互角だった。
相変わらずマスターのトラウセンのお気に入りであるローゼリットのことを快く思わない者もいたようだが、そんな中でもローゼリットは着実に実力を伸ばしていった。
そして18歳になったころ、ローゼリットは一つの決断をしていた。それは冒険者になると言う事だった。
鳥籠の様な暗殺者ギルドの中で育ったローゼリット。それまでずっとギルドの中で暮らし、自由と言うものを知らずに育った。だから、暗殺の仕事の折にたまたま見かけた冒険者と言う者達の自由な生き方に強いあこがれを抱いた。
正直にトラウセンにその想いを伝えたローゼリット。しかし、トラウセンの答えはNOだった。
考えてもみれば当然のことだった。暗殺者ギルドと言う秘匿された環境で育てられた自分を簡単に衆人にさらすことはできないだろう。何よりも、一度ギルドに入った者が途中で抜けることは死を意味する。そう言う掟だった。一度暗殺者となった者は生涯それを全うしなければならなかった。
にべもなく断られたローゼリット。だが、しつこくたのみ続けると、トラウセンの反応が若干曖昧なものに変わってきた。その理由は何となくわかった。それはトラウセンが以前に比べて少し丸くなったからだと感じたからだった。ローゼリットに左手を落とされて以来、トラウセンは以前に比べて少し寛容になった気がした。それがなぜなのかは分からなかったが、腕を落とされたことで自身の衰えを感じたからか、それとも痛みを知り命の大切さを知ったからなのか、ローゼリットはそのどちらかではないかと考えていた。
だから、トラウセンがローゼリットに少し甘くなっていたことを彼女自身自然と受け入れていた。
そしてそんな中、ローゼリットはある少女にであることになる。今後彼女にとって最も大切な存在になるであろう少女に……。
ローゼリットはその日、暗殺の仕事を終え帰路についていた。隣町に出向いての任務、ターゲットは未だ蔓延る奴隷商人。悪人が相手だったことで少しは気がまぎれた。また、奴隷商人の様な輩を暗殺することはロミナやエリーゼ、エレアナの様な子供たちをこれ以上出さないことに繋がると自分を納得させた。
暗殺自体は実にあっさり終わった。恨まれている自覚はあったのだろう。奴隷商人の屋敷には多数の傭兵が警備についており、寝所の前にも警備が居たが気付かれることなく屋根裏から寝所に侵入、毒を塗った短剣で首を掻き切ってきた。恐らく奴隷商人自体自分が殺されたことすら気付かずにあの世へ旅立ったことだろう。また、他の傭兵や使用人などに一切気付かれることなく、死人や怪我人を出さなかったスマートな仕事だった。
この頃のローゼリットはターゲットのみを始末し、他には全く被害を出さない仕事を重視していた。このやり方はもともとはトラウセンが自分のやり方としていた暗殺のスタイルをまねたものだったが、特になるべく人を殺したくないローゼリットにとっては余計な死人を出さないこのやり方は性に合っていた。
そんな仕事の帰り道、もう少しでラングリアに到着しようというところだった。
街道沿いの茂みから突然人影が飛び出してきた。人影はふらふらと数歩歩いてから手に持っていた何かをカシャンと落とし、倒れ込みそうになる。
「おっと」
慌てて支えるローゼリット。覗き込んでみると人影は一人の少女だった。薄暗い月明かりの中でもよくわかるオレンジ色の髪を肩の辺りでバッサリ切ったのが分かる。随分乱暴に切った印象があった。呆然とこちらを見上げてくる瞳は恐らく青だろう。それに頭から猫の様な耳が生えている。かわいらしい顔立ちからも一目でケット・シーだとわかった。
「大丈夫か?」
薄暗い中だったが憔悴しているのが分かる。それでも何とか少女を立たせると、足元に落ちていたものを拾い上げた。抜き身の短剣だった。それを少女に返し、じっと見つめる。
(いったいこの娘はどうしたんだ?こんなにボロボロで……)
少女の荒い息で分かる、ずっと走っていたのだろう。来ている服は所々破け葉や小枝が絡まっている。履いているのはしっかりとした靴ではなくサンダル。おまけに抜き身の短剣を持っていた。
(強姦でもされそうになったのか……?)
自分のその考えに思わず胸糞が悪くなる。世の中に下賤な男は多い。魅力的なこの少女を自分の欲望のはけ口にしよとする男が居ても不思議ではないと思った。それだけに怒りがわく。暗殺者として私情を挟むつもりは無いし、正義感ぶるつもりもないが、そう言う男共こそ暗殺のターゲットになれば良いと思う。
とにかく少女を放っておくことはできなかった。少女の呼吸が整うのを待って声をかける。
「ここはラングリアと言う町の近くだ。一緒に行くか?」
その言葉に少女は僅かに頷いた。その様子は何かにおびえている様だった。
(やはり……何か怖い目にあったのだろうな…)
そう思ったが、正直どう声を掛けたらいいか分からなかった。仕方なくゆっくり目に歩き出すローゼリット。少女は後ろからついてきた。なるべく少女の歩調に合わせてゆっくりと歩く。
「なあお前、本当に大丈夫か?」
そう言ってローゼリットは少女の青い瞳を覗き込んだ。若干怯えているような少女、だが自分と同年代であろう少女は一応自分のことは信用してくれているみたいだった。戸惑いながらもついて来ている。
「あ、ありがとう…ございます」
そう言ってペコリと頭を下げる少女。ローゼリットはそれを見て少し苦笑いしながら手をパタパタと振った。
「別に礼を言われるほどの事はしてない。ところで名前は?」
「あ、えっと……」
口ごもる少女に、怪訝そうな表情をするローゼリット。
(信用してくれたのかと思ったが……ああ、そうか)
口の中で「あぁ」と呟くローゼリットは少女に向き直った。
「そう言えば名乗っていなかったな。私はローゼリット。ローゼリット・ハイマンだ」
「ス、スミーシャ・キャレット…です」
「スミーシャか。ところでどうしたんだそのなりは?」
スミーシャと名乗った少女の身体を見回すローゼリット。乱れた服、乱雑に切られた髪、ボロボロの姿を見ればその理由を聞きたくもなった。
「それは……その…」
言い淀むスミーシャ。まあ初対面の、それも今出会ったばかりの人間には言いづらいこともあるだろう。
「まあ、別に言いたくないなら無理に聞くつもりは無いが…」
ローゼリットは気にせずそう言って歩みを進めた。後ろではおいていかれそうになったスミーシャが慌ててその背中を追ってきていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・
ラングリアの町に着くと、ローゼリットは慣れた様子で見張りの兵士に銀貨を2枚渡した。暗殺者ギルドなどに所属しているローゼリットは表向きはラングリアの住人ではない。そのため交通手形なども持っていないため毎回こうして兵士に銀貨を渡して通っていた。これはいわば暗黙の了解だった。
途中スミーシャが交通手形を持っていないのかとローゼリットに訊ねたが、元々そんなものは持っていないローゼリット、「そんなものは持っていないぞ?」とだけ答えておいた。
そして町の中を歩いて行くローゼリットとスミーシャ。ローゼリットは仏心とでも言うのだろうか、見るからに一文無しでお腹をすかせていそうなスミーシャに食事を奢ってあげることにした。
適当に食事が出来そうな場所を探す。町の出入り口に近いこの辺りは旅人向けの宿や酒場が多い。宿屋兼酒場ならば、今夜のスミーシャの寝床も確保できて一石二鳥だろう。
(どうせ一文無しだろう。食事代と宿代……後当面の生活費…まあ、今回の仕事の報酬を渡せば大丈夫だろう)
そんなことを考えていたローゼリット。暗殺と言う仕事は当然高額の報酬が支払われる。今まで多くの仕事をこなしてきたローゼリットは正直お金には困っていなかった。それに何故かローゼリットはこのスミーシャと言う少女が気になっていた。
(まさか運命の相手か?)
自分の考えに苦笑いする。いったい何の運命だとツッコミたい気分だ。
グウゥゥゥゥとスミーシャのお腹が鳴ったので手早く店を決めることにする。
「アハハハ!そんなことだろうと思ったよ、こっちだ」
笑いながら歩みを進めるローゼリット。スミーシャは恥ずかしさで顔を赤くしながら後に続いた。
「ここが良いだろう」
そう言ってとある宿屋兼酒場に入るローゼリット。スミーシャも後に続いた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
酒場に入り適当に注文するローゼリットとスミーシャ。ローゼリットはこういった場で食事をするときは必ず赤の葡萄酒とチーズを頼んでいた。これらは彼女の好物であり、特に赤の葡萄酒は15歳の頃から飲み始めた酒の中でも一番のお気に入りだった。
スミーシャの方は、奢りだと伝えたらわざわざ安いメニューを注文していた。律儀なことだと感心するローゼリット。さらにスミーシャは初めて酒を飲むと言っていた。彼女の初の飲酒に付き合うのも悪くないだろう。そんなことを考えながらローゼリットは葡萄酒に口を付けた。
見ればスミーシャも恐る恐る蜂蜜酒に口を付けている。
「あ、美味しい…」
「だろう?」
そう言ってチーズをひとかけら口に放り込むと、さらに葡萄酒を一口飲んだ。この組み合わせはやめられそうにない。非常に満足した気分になった。
「やはり一仕事終えた後はこれに限るな」
「一仕事?」
ローゼリットの言葉にスミーシャが反応する。瞬間ローゼリットは自分の失言に気が付いた。こんなことを言えば、彼女が興味をもって自分の仕事を訊いてくることは目に見えている。言葉を濁せば不審がられるだろう。それに間違っても暗殺者ギルドのことを知られる訳にはいかなかった。ギルドの秘密保持のためだけではない。秘密を知ることでスミーシャの身にも危害が及ぶからだ。どんな経緯でこの町まで来たのかは知らなかったが、少なくとも巻き込むつもりは無かった。
だからうまい言い訳を考える。
「そう言えばスミーシャ。お前はどこから来たんだ?」
ローゼリットは我ながら良い誤魔化し方だと思った。実際スミーシャの素性が気になっていたのも事実だったし、こんなボロボロの状態で一体どこから来たのか気になった。
だから誤魔化し半分だったとはいえ、フライドポテトを咀嚼し、コクンと飲み込み蜂蜜酒を一口飲んで唇を濡らしているスミーシャが口を開くのをじっと待った。
「あ、あたし……実は旅芸人の一座から逃げ出してきたんです」
ゆっくりと口を開いたスミーシャ。そのまま彼女は語り出した。
スミーシャは孤児で物心ついたときには旅芸人の一座に拾われていたこと。掃除や雑用などをして生活していたが、8歳の時に踊り子の修業を始めたこと。12歳の時に姉貴分の踊り子と芸人の一人が駆け落ちして、もう一人の踊り子を差し置いて自分がメインの踊り子になったこと。その踊り子は一週間後に金を盗んで逃げたこと。その後自分がメインで踊り子を続けていたこと。16歳になり、先日芸人の一人にプロポーズされたこと。断ったら犯されそうになったこと。座長がその芸人を殺したこと。そして、実は逃げたと思われていた踊り子も座長が殺していたこと。座長に襲われたこと。女将に話したら「泥棒猫」と罵られたこと。そこで心が限界に達して逃げ出してきたことを話した。
(この娘もなかなか大変な人生を送って来たんだな……)
スミーシャの境遇に同情するローゼリット。自分たちの様に命のやり取りをしていた訳では無い。だが、旅芸人の一座と言うのも決して安全な仕事では無かったはずだ。旅の途中でいつ魔物や野盗に襲われるかもわからないのだ。
それに踊り子だというこの娘はスタイルもよく、恐らく年不相応な扇情的な格好をさせられてきただろう。男たちの邪な視線を想うと怖気が走る。
まして未遂とはいえ実際に二度も男に襲われているのだ。その心の傷は簡単には癒えないだろうと思った。
「あたし……これから…どうしたら……」
そう言ってテーブルに突っ伏すスミーシャ。苦笑いをしながらそれを見ているローゼリットの耳に、スミーシャが立てる寝息が聞こえてきた。どうやら初めて飲む酒と溜まっていたものを吐き出したため、緊張の糸が切れたのだろう。寝息を立てているスミーシャを起こさないようにそっと席を立つローゼリット。
「マスター、お勘定。あと宿を頼む、一週間分で」
「はいよ。宿は二人部屋で良いのかい?」
「いや、一人部屋で頼む。泊るのはこの娘だ」
「OK、じゃあ204号室を使ってくれ」
「分かった」
そう言って金を払ったローゼリットは起こさないようにスミーシャを背負うと、宿の部屋に向かった。そして部屋に入るとスミーシャを優しくベッドに寝かせる。
その寝顔に思わず笑みがこぼれるローゼリット。そしてローゼリットは紙とペンを取り出すとスミーシャにあてての手紙を書いた。さらに今回の仕事の報酬が丸々入った布袋を一緒にテーブルに置いておく。
最後にスミーシャに布団をかぶせてやり、ローゼリットは部屋を後にした。
「じゃあなスミーシャ。元気でな……強く生きろよ」
そう呟くように言うと、ローゼリットは部屋の扉を閉めた。
スミーシャに出会った日から3週間ほどが経っていた。その間にもいくつかの暗殺の依頼をこなしたローゼリット。また、トラウセンに対しての冒険者になりたいアピールも忘れなかった。
そしてそんなある日、ローゼリットは町中に出ていた。今日は仕事ではなく完全なるフリーだった。最近の暗殺者ギルドは少し風潮が変わってきていて、ギルドの職員たる暗殺者から訓練を積む見習いたちまである程度の自由な時間が設けられていた。これはトラウセンが丸くなってきてから行われるようになったことで、一説には暗殺者ギルドを解散するのではないかと言う噂まで流れていた。
まあ、いくらなんでもそんなことは無いだろうと思いながら、ローゼリットは町の広場を目指していた。最近そこに腕のいい踊り子が現れる様になったらしい。何でもいろんな吟遊詩人の曲に合わせて様々な踊りを見せてくれるらしかった。
話のタネ(まあ、そんな世間話をする様な相手もいないのだが)になるかと思い噂の踊り子を見に行くことにした。
(そう言えば、あのスミーシャって娘も踊り子だって言っていたな)
そんなふうに思いながら、深く考えずに広場を目指す。歩き続けるとすぐに広場の近くに到着した。広場には人だかりができており、中まで入っていくのは難しそうだった。
(こんなに人気なのか……これじゃ見物は無理かな)
人だかりのせいで人場の中は全く見えない。これではせっかく見に来たのに踊りを見ることは無理だろう。諦めてローゼリットが踵を返した時だった。
「助けてー!自警団のおじさーん!」
広場の中央からそんな叫び声が聞こえた。周辺の人だかりがガヤガヤと騒がしくなる。
(自警団?…何かあったのか?)
普段のローゼリットならば厄介ごとに関わるつもりは無いと気にしないで帰っていただろう。だが今日はフリーの日だったし、何となくその助けを呼ぶ声に聞き覚えがある気がして野次馬根性を出してみた。周囲を見回し、一本の木を見つけると誰にも気付かれない様に素早く木に登る。そしてそこから広場の中央に視線を向けた。
広場には数人のガラの悪そうな男達と、女が二人いた。女二人は向き合っており、男達は片方の女の後ろに集まっていた。男を引き連れている方の女が、もう一人の女に言い掛かりをつけているような……そんな風に見える。男達はチンピラだろうか?女二人は服装から恐らく踊り子だろうと推測できた。
「「「我ら!自警団員!」」」
そんなことを言いながら男たちの内の3人が妙なポーズをビシッと決めていた。
「仕事しろ!自警団員―!」
向かい合っている方の女はそんなことを言いながら頭を抱えている。まあ、何だか知らないがそう突っ込みたくなるのも何となく理解できた。自警団と言っていたが、これではまるで寸劇である。
「………ん?…あれは……?」
その時頭を抱えている方の女が眼に入った。髪は首すじの辺りでショートカットに切りそろえられており、服装も踊り子らしい少し派手な衣装に身を包んでいたが………。
「………スミーシャ?」
目を凝らしてみるが間違いない。言い掛かりをつけられているであろう女はあの時助けたスミーシャだった。
(もしかして、最近評判になっている踊り子ってあの娘だったのか?)
そう思いつつ、ひらりと木から飛び降りるローゼリット。そのまま人ごみの間を素早く器用にすり抜け広場の中央に駆け寄っていった。なぜだかは分からない。だが、スミーシャの危機だと感じ、身体が自然に動いていた。
そして人込みをすり抜けすぐに広場の中央にたどり着くと、ローゼリットはそのまま一気に駆け寄った。
「邪魔だ」
ボソッと言いながらスミーシャの眼前まで迫っていた男の顔面に容赦のない膝蹴りを叩き込んだ。膝に伝わる感触から男の鼻の骨が折れたであろうことが想像できる。
「…ぐぁ」
男は白目をむいて倒れ込んだ。それを見届けたローゼリットは着地し、スミーシャの方に視線を向けた。。
「ん?……お前確か…スミーシャ・キャレット?」
「え?ロ、ローゼリットさん⁉」
咄嗟に「今気が付いた」とでも言う様に誤魔化しながら言うローゼリット。スミーシャを見つけて加勢に来たと言うのが恥ずかしくて咄嗟に誤魔化したのだ。一方スミーシャは驚いた様にローゼリットの方を見ていたが、突如感極まったかの様にローゼリットに抱き付いた。
「見つけた!ローゼリットさん!」
「うわ!な、何だ突然…」
スミーシャのいきなりの抱擁に驚きを隠せないローゼリット。しかし、戸惑うローゼリットをしり目にスミーシャは抱き付いたままほっぺたにスリスリしてくる。
「ローゼリットさん!会いたかった!」
「や、やめろ…離れ…離れろ…」
やたらとしつこくほっぺたにスリスリしてくるスミーシャの顔を押さえて引きはがそうとするローゼリット。スミーシャが負けじと抱きしめてくるのが若干鬱陶しかった。。
「もう離さないから…ローゼリットさん!」
「い・い・か・ら・は・な・れ・ろ!」
しつこくスリスリしてくるスミーシャを何とか引きはがすローゼリット。スミーシャがやたらと渾身の力で抱き付いてくるので、引きはがしたローゼリットは若干息が上がっていた。
「もう、激しいんだから……ローゼリットさんの、い・け・ずぅ♡」
「お、お前…そんなキャラだったか……?」
3週間前に出会ったスミーシャとのキャラの違いに思わず身を引くローゼリット。一瞬「実は偽物じゃないのか?」とも思ったが、そんな筈もなく、当のスミーシャはローゼリットに向かってウィンクなど飛ばしていた。
「あの時はあたしかなりまいってたし、へこんでたし……こっちが素のキャラだから」
「そうか、それは迷惑な話だな」
若干ゲンナリするローゼリット。あの時は男共に襲われ信じていた人にも裏切られた薄幸の美少女(猫耳付き)と言った感じだったが、今はそんなもの微塵も感じられない。思わず顔が引きつるのを感じる。
(こいつまさかあの時猫かぶってたのか…?)
ケット・シーだけに…などとうまいことを言っている場合では無かった。
「なるほどねぇ。妙に強気だと思ったら仲間がいたのかい。おい、お前たち!」
「へい、姐さん!」
女の掛け声で、男たちが身構える。拳を握りしめ、指や首の関節を鳴らしローゼリットとスミーシャに詰め寄っていく。中にはナイフを取り出している者もいた。
刃物を出されビビッたのだろうか?若干及び腰になっているスミーシャはローゼリットの肩にしがみつき、男たちを見回している。
「ヤ、ヤバいかも……どうしようローゼリットさん…」
「どうしようって言われてもな…」
「勝算があるんじゃないの⁉助けてくれたじゃん!」
「まあ……多勢に無勢だったから気に食わなくて割って入ったのは事実だけど……」
半ベソかきながらローゼリットのことをユサユサと揺らしてくるスミーシャに、ため息交じりに答えるローゼリット。それを見た女は「あははははは!」と高笑いしながらスミーシャを睨みつけていた。
「観念するんだねスミーシャ。そこの小娘も、ちょっと痛い目を見てもらうよ。お前たち!や~っておしまい!」
「アラホ○サッサー!」
(どこのドロ○ボーだ……)
妙な掛け声とともに襲い掛ってくる男達に心の中でツッコミを入れるローゼリット。男の一人がローゼリットに掴み掛ろうとして……掴み掛れずその手は空を切った。その瞬間ローゼリットの身体は宙を舞っていた。
ローゼリットとスミーシャによって男達はあっさりと撃退され、女共々逃げていった。そして周りの人だかりから賞賛の嵐を受ける二人。スミーシャは当事者らしく詳しい事情を知っていそうだったが、ローゼリットは途中で乱入しただけなので、そもそも女が誰なのかも知らない。
面倒なことになる前に退散するのが吉と考え、スミーシャと夕食を一緒に取る約束をし……と言うか約束をさせられ、その場を後にした。
そしてその日は特にやることも無く町中をぶらぶらし、スミーシャと夕食を取った。
その夕食はスミーシャの奢りと言う事だったが、思いのほか楽しいものだった。また、スミーシャがため込んでいたものを吐き出して泣きだすシーンもあったが、それも二人の絆を深める結果となった。
この日ローゼリットとスミーシャは友達になり、ローゼリットの愛称が「ローゼ」に決まった。生まれて初めて出来た友達と言う存在になんともこそばゆい感じがするローゼリット。だが、悪い気はしなかった。
それからと言うもの、ローゼリットとスミーシャは何度も一緒に食事をした。食事だけでなく休日には町に繰り出してショッピングもした。すっかり仲が良くなっていた。
だからローゼリットは考えていた。
(スミーシャと一緒に冒険者になれたら……)
きっと毎日が楽しいだろうと思った。大切な友達と友達以上の関係になれるのではないかと思った。でもそれには……。
(マスターの……許可が必要…)
冒険者になることに対して、いまだ許可を得ていないローゼリット。しつこく求めてはいるのだがなかなかトラウセンは許可を出さなかった。
また、暗殺の仕事もしなくてはならなかった。スミーシャには「盗賊ギルドで働いている」と伝えてあったが、実際に盗賊ギルドには表向きの席が置いてあるだけで実際は暗殺者ギルドの所属、暗殺の仕事は避けられなかった。
「マスター、私はどうしても冒険者としてやっていきたいのです。どうか、許可を!」
「うむ……しかしなぁ……」
ローゼリットの言葉に歯切れの悪い返事を返すトラウセン。娘のわがままに困っている父親っぽく見えなくもない。
「本来暗殺者ギルドと言うものは門外不出なわけでだな……」
「それは分かっています。ですから、暗殺者ギルドのことは絶対に口外しません!」
「口外しないと言っても口約束ではな…」
「口約束が御不満でしたら署名でも血判でも何でもします!ですから、マスター!」
「う~む……しかしなぁ…」
ローゼリットの剣幕に押されながら再び歯切れの悪い返事をするトラウセン。ローゼリットから視線を逸らしている。
一方明確な返事をしないトラウセンに若干イライラを募らせているローゼリット。いい加減にしてほしいとばかりにドン!と机を叩いた。
「ではどうすれば許可してもらえるのですか⁉マスターと勝負して勝てばよろしいのですか⁉」
ローゼリットの言葉に「冗談じゃない!」と言いながら慌てて右手を振るトラウセン。そして左手を持ち上げると、手首から先をポンと取り外す。トラウセンの左手は義手だった。
「お前も知っているだろう。今の私は片腕だし、もう一線を退いて3年にもなる。ましてや解析眼も持っているお前にはもう勝てんよ」
「ではどうしたらいいんですか⁉」
少し興奮気味に言い返すローゼリット。しかしこれは完全なるいたちごっこだった。絶対に許可をもらうつもりのローゼリットと、許可を出すつもりの全くないトラウセン。二人が言い合っても決着などつくはずもない。
「お前の気持ちもわかるが、暗殺者ギルドをやめて冒険者になるというのはちょっと……なぁ…」
「気持ちが分かると言うのなら許可を出してくれても良いではないですか!」
「あ、いや、気持ちが分かると言うのは言葉の綾だ」
「マスター!」
トラウセンの言葉に憤慨するローゼリット。埒が明かなかった。
「そもそもマスターは何が不服なのですか⁉」
「何が……と言えば、全てだろう。お前が暗殺者ギルドをやめると言うのも、冒険者を目指すというのも全てだ」
「何故です⁉」
「それはお前……今まで手塩に掛けて育ててきたお前を手放すのは個人的にも暗殺者ギルド全体的にも面白くないだろう」
「手塩に掛けられた覚えもありませんけどね」
ローゼリットの辛辣な言葉にグッと言葉に詰まるトラウセン。確かに何かとローゼリットの世話を焼き始めたのは彼女が成人してからだった。まあ、それでも3年ほどにはなるのだが……。さらに言えば、本人にその覚えがなくともトラウセンは昔からローゼリットを特別扱いしていたため、その言葉には不満があった。もっとも、暗殺者ギルドマスターと言う立場上、自分が娘の様に思っているローゼリットを特別扱いしていたことを大々的に言う訳にもいかなかったのだが……。
「とにかく!暗殺者ギルドを抜けることは絶対に許さんからな!」
わざとらしく強く言うトラウセンに不満げなローゼリット。だが、ふと気が付き手をポンと打つとニヤリと笑みを浮かべてトラウセンを見上げた。
「分かりました」
「おお!分かってくれたか!」
「はい。要は暗殺者ギルドを抜けなければいいのですよね?でしたら、私は暗殺者ギルドに所属しながら冒険者になります」
「な、何―‼」
思わず叫び声をあげながらあんぐりと口を開けるトラウセン。ローゼリットは口にこそ出していないが、「してやったり!」と顔に書いてあった。
「ま、待て!ギルドの二重登録は……」
「マスター、ラングリアではギルドの二重登録は推奨されてはいませんが禁止されている訳でもありません。それにどうせ暗殺者ギルドは非公式のギルドですから表向きは何の問題もありません」
「ぐ………う、うむ……」
ローゼリットに反論できずに唸るトラウセン。勝利を確信したローゼリットはさらにまくしたてる。
「それにご安心ください。冒険者とは言ってもこの町を拠点にすればいつでもギルドの招集には応じられますし、連絡をもらえればギルドの仕事もします」
「う、うむ……まあ、それなら…」
「良いんですね⁉」
「あ、ああ…まあ…」
(よっしゃ‼)
歯切れの悪いトラウセンの返事を聞き強引に頷かせたローゼリットは心の中でガッツポーズをした。そうと決まれば善は急げだ。
「ありがとうございますマスター。それではこれより私が冒険者と暗殺者の二足わらじで行こうと思います」
そう言ってペコリと頭を下げるローゼリット。そのままスタコラと部屋を後にした。トラウセンの気が変わらないうちに冒険者になってしまわなければ…。
ローゼリットはスミーシャを冒険者に誘うため、彼女を食事に誘うことに決めた。
その日の夕方、急遽スミーシャの泊まっている宿に姿を現したローゼリットは少し興奮気味に彼女を夕食に誘った。一刻も早くスミーシャの意見を聞き、冒険者になってしまいたかった。だからそれを素直に口にしようと考えていた。
「実は相談がある…」
そう言ったローゼリットにスミーシャは瞳を輝かせた
「相談⁉何それ!悩み事相談なんていかにも友達同士って感じ!それで相談って⁉好きな人でもできたの⁉それとも気になる人でも⁉もしかして恋愛相談⁉または恋バナ⁉」
「それ、全部同じだろ…」
テンションの高すぎるスミーシャ。ローゼリットはため息混じりにツッコミを入れていた。この娘の頭の中は万年春なのかと疑いたくなる。
「そうじゃない。実は冒険者になりたいと考えているんだ」
「冒険者になりたい?」
「ああ、そうだ」
興奮気味にまくし立てたためだろう、喉を湿らせるため林檎酒を飲みながら訊いてくるスミーシャ。ローゼリットは葡萄酒を飲みながらそう答えると、牛ひき肉のミートパイをフォークで口に運びながらスミーシャに視線を向けた。
「前々から考えてはいたんだ。ようやくギルドマスターの許しが出てな」
「ギルドマスターって、ローゼが働いてる盗賊ギルドの?」
「…そうだ」
盗賊ギルドと嘘をつくことに若干後ろめたさを覚えるローゼリット。しかし本当のことを、暗殺者ギルドのことを言う訳にはいかなかった。言えば、スミーシャの身に危険が及ぶ可能性がある。しかし、スミーシャはそんなローゼリットの思いなどつゆ知らず、サーモンのフィッシュパイを一かけ口に放り込み咀嚼して飲み込むと、そのままフォークを咥えて、頭の後ろで手を組んだ。
「まあ、ギルドマスターさんはローゼの親代わりだって話だから許可をもらうのは当然と言えば当然だけど……」
「うん?」
「何で一番の親友のあたしに相談してくれなかったのよ」
拗ねた様にほっぺたを膨らませるスミーシャ。そんな拗ねたスミーシャを「可愛い奴」と思いながら見ていたローゼリットは思わずクスクスと笑ってしまう。しかし、すぐにまじめな表情になった。
「別にお前をないがしろにしたわけじゃない。さっき言っただろ?相談があるって」
「ああ!つまり今のこれが相談なわけね」
「そう言うことだ」
どうやら納得してくれたらしいスミーシャに内心ホッとするローゼリット。
「冒険者になりたいのは分かったけど、相談って何?」
「ああ……。許可を取ったはいいが、ギルドマスターが条件を出してきてな…」
「条件?」
「冒険者になるのは構わないが、ギルドを抜けることは許さないそうだ」
「そ、そうなんだ…」
スミーシャの言葉尻が若干弱くなる。何やら深刻そうな表情のスミーシャ、何か気になることでもあるのだろうか?
(いや、どちらかと言うと何かしょうもない事を妄想していそうだ……)
自分と親代わりのギルドマスタートラウセンとの仲のことを心配していることなどつゆ知らず、若干失礼なことを考えるローゼリット。
一方でスミーシャは何やらウンウンと頷くと、そのままガシッとローゼリットの両肩を掴んだ。
「つまり、そのギルドマスターさんの言う通り、ギルドに所属したまま冒険者になるか、それとも背いてギルドをやめるかを相談しに来たんだね?」
「え?あ、いや……」
「大丈夫だよローゼ!別にギルドに所属していたって冒険者にはなれるよ!」
拳をグッと握りしめ叫ぶスミーシャ。「せっかく親代わりのギルドマスターさんが居るんだから大事にしなきゃだめだよ!」とか言いながら勝手に納得している。
スミーシャのその物言いに、ローゼリットは深々とため気を付きながらスミーシャに視線を向けた。
「勝手に納得しているところ悪いが、別にそんなことをお前に相談しに来たんじゃない」
「え?そうなの?」
「別にギルドに所属したまま冒険者になれば良いだけだろう?」
「まあ……それもそうだね」
そう言うとスミーシャは怪訝そうな表情でローゼリットの眼を覗き込んだ。あまりに近すぎて、林檎酒の香りがするスミーシャの吐息がローゼリットの鼻をくすぐる。
「でも、じゃあ相談って何?」
「ああ、その事なんだが……」
若干口ごもるローゼリット。改めて言おうとすると、少し恥ずかしく感じる。だが言わなければ当然話は進まなかった。そんなローゼリットを見たスミーシャの瞳が笑みに歪む。
「あれあれ~?どうしたの急にモジモジしちゃって」
そう言いながらスミーシャは、ローゼリットの二の腕を人差し指でつついてくる。ニヤニヤするスミーシャに恥ずかしがっているところを見られたくなかったためそっぽを向くローゼリット。顔が少し熱く感じた。
「どうしたの?ねえねえ、相談ってなぁに~?」
スミーシャがわざとらしくにじり寄ってくる。それに対しさらに顔を逸らしたが、逸らしたローゼリットの顔の方にわざわざ回り込んでスミーシャはさらに顔を近づけてくる。それならばと、さらに逆方向に顔を逸らすローゼリット。
しばらくそんな不毛なことを繰り返していた二人だったが、どちらともなく落ち着きを取り戻し座り込む。
「それで?ローゼの相談て何?」
「それなんだがスミーシャ。……私と一緒に冒険者にならないか?」
「うん、良いよ」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
スミーシャの言葉に、沈黙が広がる。スミーシャの即答ぶりに頭がついて行かない。それでもローゼリットは何とか思考を復活させる。
(こいつ、今何も考えないで即答しなかったか?)
ローゼリットの頭に不安がよぎる。あまりの即答ぶりに、自分の言っていることの意味、自分の言ったことの重大性、この娘は全く理解していないのではないか?そんな気さえしてくる。それでも何とか言葉を絞り出した。
「おいスミーシャ。私が訊いておいてなんだが、もうちょっと考えたらどうだ?冒険者って言うのはこれでかなり危険な仕事なんだぞ?」
「知ってるよ。でも、あたしたち旅の踊り子は冒険者に頼らなくていいように自分たちで戦う術を持っていたからね」
「それは知っているが……」
「だから、言い換えれば冒険者の代わりになる。つまり、すぐにでも冒険者になれるってこと!」
そう言ってパチンとウィンクするスミーシャ。言いたいことは分からなくは無かったが、それで良いのだろうか?。「なれる」事と「なりたい」事は違うのである。
「すぐにでも冒険者になれるってのは分かったが…だからって……」
「それにね!」
スミーシャが笑顔で人差し指をビシッと突きつけてくる。思わず「人を指さすな」と言いたくなる。
「何となくだけど、ローゼが相談したかったことわかってたから」
そう言って再びウィンクするスミーシャ。それに対しため息をつくローゼリットだったが、それは照れ隠しとでも言おうか、少し気恥ずかしかった。
「分かった。じゃあ、一緒に来てくれるんだな?」
「もちろん!あたしとローゼで世界一の冒険者を目指そう!」
「世界一?ずいぶん大きく出たな」
「夢は大きくってね!それでコンビ名は……『ふたりはプリ○ュア』で行こう!」
「そのコンビ名は絶対やだ」
思わず即答する。何の演劇のタイトルかは知らないが、そのタイトルは非常にまずい気がした。
「もしかしてローゼ、セーラー○ーン派だった?」
「何の話だ!」
またもや謎の演劇のタイトルを上げるスミーシャ。しかしローゼリットは育った環境のせいもあり、もともとあまり娯楽に詳しくなく、演劇にも興味が無かったためそれらのタイトルを全く知らなかった。もしかして、女子に人気なのだろうか……?
とにかくツッコミ疲れてきたローゼリット。頭を抱えつつも、スミーシャに視線を送る。
「コンビ名は『野良猫』だ。それ以外認めん」
密かに考えておいたコンビ名を発表する。実の親が居ない者同士、ちょうど良いのではないかと考えたものだった。また、スミーシャはケット・シーなので猫の耳がついているのでちょうどいい。
「野良猫かぁ。まあ、実の親が居ないあたし達にはちょうど良いかもね!」
どうやら意図するところは伝わったらしく、賛成するスミーシャ。こうしてローゼリットは念願の冒険者への第一歩を踏み出した。一番の親友のスミーシャと一緒に…。
「その後、私とスミーシャはすぐに冒険者ギルドに登録、『野良猫』と言うコンビ名で活動を始めたんだ。その後のことはスミーシャが話した通りだ」
そう言ってローゼリットは俯いた。胸の内を話してスッキリした……と言う風では無かった。やはりどこか話したことを後悔したような雰囲気を感じる。
「スミーシャ…聞いての通りだ。私は3年間お前をだまし続けて来たんだ……」
「ローゼ…………」
「私は本当は盗賊ギルドの所属なんかじゃない。暗殺者なんだ……暗殺者ギルド所属の暗殺者なんだ………」
「ろ~じぇ……」
次の瞬間スミーシャがローゼリットに抱き付いてきた。咄嗟のことに受け止めきれずベッドに倒れ込むローゼリット。それに覆いかぶさるように手をついたスミーシャの瞳からは涙がこぼれ落ちていた。
「ろ~じぇ……今までそんなつらい目にあっでいたなんて……あ、あだじ、じらながったよぉ……ごめ、ごめんね…ろ~じぇ…」
泣きながら若干ろれつの回らない口調でそう言うとしまいには「うわああああああああああん!」と大声をあげて泣き出すスミーシャ。スミーシャの涙がローゼリットの顔に落ちてビショビショにしていく。
その横ではフリルフレアが「ろ、ろーじぇいっとしゃんも…ぐず……つ、つらい……うっく…つらい目にあっで……ぐず…ぎだんですね……」とか言いながら涙で顔をぐしゃぐしゃにしていた。
そんなフリルフレアを見て「またかよ…」とボソッと呟いたドレイクは手拭いを貸そうとするが、さっき捨てたことを思い出して「あ、ねえや」とだけ言った。
しかしそんなドレイクに対し、フリルフレアは何故か「ありがと、ドレイク」と言ってドレイクの傍によると、その上着で顔を拭き始めた。そして「おい!やめ…」と言っているドレイクをしり目にその上着で「ズビー!」と鼻をかむ。そして一言「ありがと」と言うと、まだ鼻を啜りながら再び椅子に座った。
「やめろ」と言い終える前にやられてしまったドレイクは「マジか…コイツ…」とゲンナリしな表情でフリルフレアの涙と鼻水まみれになった上着を見た。
「泣くなスミーシャ、そもそもは全てを黙っていた私が悪いんだ……」
「でも、ローゼ!」
何とかスミーシャを泣き止ませ、体を起こしたローゼリットは、スミーシャの涙でびしょびしょになった顔を手ぬぐいで拭くと、彼女の肩に手を置いた。
「良いんだスミーシャ。それにある意味もっと厄介なのはこれからなんだ…」
そいうとローゼリットは再び口を開いた。




