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雨と僕と空と土の匂い

作者: 高内優都

 

 『心の平穏を、貴方に。』

 そんなキャッチコピーで発売された心のスイッチ、通称ワンタイムは、瞬く間に世界中の爆発ヒット商品となった。頭に一定の電流を流し、脳の感情を作り出す部分の数値を安定させる……らしい。

 僕は製作者じゃないので詳しい構造はよくわからない。確かなのはその効力だった。一度スイッチを押すと、感情の波は落ち着いて荒れることが無い。怒りや悲しみ、そう言った感情は一切受け付けず常に冷静になれる。それにより一人ひとりの行動が統制される。

 感情に沿った行動が無くなることはなんて便利なのだろうと、通っている学校の校舎を見るたびに思い出す。記憶に甦るのはワンタイムが発売される前の学校だ。あの頃は学校なんて苦痛でしかなかった。しかし今は、クラスメイトの陰口を言うことも言われることもなく、機嫌の悪いヒステリック教師に理不尽に怒鳴られることもない。ただ全員が、学校という場の歯車として、淡々と課題をこなしていく。

 スイッチを切ることができるのは、一日が終わり寝る直前の自分の部屋に入った時だけだ。家族といる時はスイッチを切る、という人も多いけれど僕は残念ながらそこまで親と仲良くは無いので家の中でもスイッチをつけている。そうすると耳障りな言葉に腹を立てることもない。

 スイッチを切った瞬間に訪れる様々な感情に身を委ねながら僕は毎晩眠る。真っ暗な部屋の、微かに見える天井を眺めながら一日をぼーっと思い返す。スイッチを切っていたら、僕は今日の出来事ににどう対応しただろうと考えたりもするが、対処法が一向に思い浮かばない。そしてその度に、感情を日常でコントロールするにはあまりにも負担が大きく大変だということを思い知る。今思い返すと、ワンタイムを無くして生活していたということが考えられない。感情に振り回され非効率的な行動をしていたのだろう。それはあまりにも不毛だ。

 ワンタイムの普及率は既に全国民の八十パーセント以上になっている。別にワンタイムの装着は義務でも何でもないのに、だ。それほどまでに、皆、心の安定を求めていたのだろう。

 僕だってそうだ。ワンタイムが発売される前、僕の高校、クラスはお世辞にも居心地がいいとはいえなかった。教室の端に座っている大人しい女の子はいつも机を蹴られていたし、担任の女教師些細な事で僕たちをヒステリックに罵った。

 クラス内で最初にワンタイムを装着したのは机を蹴られていた彼女で、その前の日までは泣きそうな顔で罵倒され、蹴られている机を見つめていた。しかし、ワンタイムを装着して登校してきた日を境に、机を蹴る生徒を冷めた目で一瞥するようになった。蹴られても怒鳴られても一切表情を変えない彼女をクラスメイトたちが目撃した数日後、クラス内のワンタイムの普及率が跳ね上がったのは言うまでもない。

 彼女の机を日々蹴っていた生徒は、日々増える冷たい視線に気付き、顔を赤らめて自分の席へ戻った。その数日後には、彼もワンタイムを着装していた。今では教室は静かで、不快な雑音もヒステリックな怒鳴り声も聞こえない。これも全てワンタイムのお陰なのだ。

 ワンタイムが普及してから日々、自殺者も犯罪も減ってきているという。ワンタイムは僕たちに、心置きなく社会の歯車として生きる気楽さを教えてくれた。

 しかし、ここで一つの疑問が生じたのだ。僕の内なる感情は一体どうなっているのだろうか、と。もうずいぶんと長い間、外でワンタイムのスイッチを切っていない。感情を感じる部分はもう、錆びた刀のようになまくらになって、僕はスイッチが無くても感情は一定のままなのではないだろうか。

 そんな疑問が脳内をよぎった。

 スイッチを入れれば落ち着くものの、寝る直前にスイッチを切った後、その疑問は寝るまで脳内をぐるぐる回った。

 だから実験をしてみることにした。学校の帰りに通りかかる公園。そこで一度ワンタイムのスイッチを切ってみようと考えたのだ。あそこなら人も少ないし、何かあっても迷惑になることはそうそうないだろう。何もない公園でスイッチを切って、何の実験になるのかはわからないが、とりあえずいきなり人の多いところでスイッチを切るのは躊躇われるのだ。人が多いとその分影響も大きいかもしれない。スイッチが普及しているこの世で、スイッチを切るのは不安なように思われた。

 実験を思いついた次の日、僕は学校の帰りにその足で公園に向かった。その日はしとしとと雨が降っていて、紺色の大きな傘をさしながらアスファルトの上を歩いた。公園に到着して辺りを見回すが、雨なのもあり人はいない。公園内に足を踏み入れると泥がビシャっと跳ねて靴が汚れた。別の日にするか思案するが、今日の夜に訪れるであろう悶々とした疑問を解消するために今日、実験を終わらせることにした。

 公園の真ん中に立ち深呼吸をする。そして僕は、スイッチを切った。


 モノクロ写真からカラー写真に変わった。いや、今まで見ていた風景と変わらないはずなのに、それほどの変わりようだった。ブランコの赤、滑り台の黄、空の灰、植物の緑、それらが鮮明に目に飛び込んでくる。そして肌に纏わり付く、濡れた服のひんやりとした感触、今まで同じ服を着ていたはずなのにどうして気づかなかったのだろう。ふらりと立ちくらみ、思わずしゃがみ込む。そしてまた気づいた。むせ返るような葉っぱと、土の匂い。自然の香りが辺りを包んでいた。顔を上げて公園を見渡す。うえから落ちてくる水滴をパチパチと跳ねのける遊具たち、植えられている濃い緑の木や花。なんて、なんで綺麗なんだろう。日常の風景がこんなにも美しいなんて、今まで知らなかった。傘はいつの間にか取り落として、僕は全身に雨を浴びていた。雨が身体を流れる感覚を身に感じる。そして、雨の水滴に紛れて僕は泣いていた。

 僕の感情はなまくらになんてなっていなかった。むしろ普段抑えられている分、鋭敏になっていたのだ。それを知り、僕はびしょびしょになった身体を引きずりながら家へと帰った。実験は大成功と言えた。

 自宅のドアを開け、帰宅を告げる。雨に濡れて帰ってきた僕を見て、母は顔をしかめ声を上げた。

「なんでそんなに濡れてるの!? 本当に、ろくなことしないんだから、家を汚さないでよね!」

 そう吐き捨て、リビングのドアをバタンと閉める。母は、家でスイッチを切っている。家族なのだからスイッチを切って接するべきとの持論を述べ、家でもスイッチを切らない僕に普段から小言を言っていた。怒鳴られるのも、よくあることだ。普段ならなんてことない怒声のはずだ。しかし、今の僕を絶望に叩き込むには充分な怒声だった。あぁ、いけない、早くスイッチを押さないと。


 自分の部屋に駆け込み、ワンタイムのスイッチをいれる。昂っていた感情がすっと引いていくのがわかる。そして僕は平穏を取り戻した。

 それ以降、僕はワンタイムのスイッチを切っていない。実験の結果、僕の感情は普通よりも鋭敏になりすぎていることがわかった。今の僕では、スイッチを切った時にこの世界には適応できない。だからスイッチを切る必要は無いのだ。いくら取り扱い説明書に、適度な使用を、脳への負担の軽減を、と書かれていても、僕はワンタイムが無いとこの世界で生きることは出来ないのだから仕方がない。

 でもたまに思い出す。あの日見た空、弾ける雨、そして土の匂い。日常は綺麗で美しい。あの風景がもう見ることが出来ないのは、本当に残念だと思う。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 語り手が破綻なく物事をかんがえていて、それもワンタイムの効能の一つなのかなと思いました。
2020/09/07 13:50 退会済み
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