気配
「呪いって…」
有無を言わせないような真剣な表情に思わず言葉に詰まる。
「でも僕、何も被害は受けてませんよ?」
先輩はしばらく考え込んだ後、弁当の最後の一口に手を付けた。
「ふむ、となると呪いを受けたのは最近なのだろう。何か墓を荒らしたり、神社やお寺の前で中指をたてたりしなかったか?」
「するわけないでしょ。」
「近々、人を殺したり、3股かけたりは?」
「あんた僕のことなんだと思ってるんだ。」
また素が出てしまった。どうもこの人といるといら立ちが隠せない。
先輩はそんなこちらの様子は全く気にせず、おもむろに席を立つと窓辺に向かって歩いて行きながら意味深なことを呟いた。
「呪いかぁ……私が見たのはこれで二人目だな。」
なぜか恍惚とした表情を浮かべている先輩に恐る恐る尋ねる。
「二人目って、前にもいたんですか?」
「あぁ、私が小学生だったときにね。同じクラスの男の子が君と同じ紫色のオーラを身にまとっていたんだよ。」
「小学生って……。」
「やんちゃな子だったからねぇ。道端のお地蔵様の頭をこれでもかと撫でたり、神社を見かけては中指立てたりしてたから。」
「やんちゃっていうか馬鹿じゃね?」
懐かしむように微笑みながら先輩は続ける。
「その時の私は紫色っていうのが何を意味するのか分かっていなかったから、どうせとてつもなくエロいことでも考えているんだろうと思って放っておいたのね。」
「……それで、その男の子どうなったんです?」
そう尋ねると、笑いをこらえながら先輩は答える。
「ある日突然、学校に来なくなってね?席もないから転校したのかと思って先生に聞いたら誰その子?って。皆に聞いても誰一人存在自体覚えてないの。多分消されちゃったんだろうね。アッハッハッハ。」
「(いやこっっっわ!!!何も面白くないんだけど!!!)」
なぜかツボにはまってゲラゲラ笑っている先輩に恐怖すら覚える。
この人本当に大丈夫なのだろうか。
「はぁ、おなか痛い。」
笑いが収まってくると、机の上においてあったお茶を一口飲んでようやく落ち着きを見せる。
「まぁ、そういうことで。私にできることだったら何だってしよう。何か困ったことがあったら、放課後この空き教室か私の家に来るといい。」
「は、はぁ。」
先輩は僕の肩に手を置き自信満々の笑みでそう告げると弁当箱とお茶を持ってさっそうと出ていくのであった。
***
授業終了のチャイムが鳴り響く。放課後の部活についてやどこに遊びに行くかなど、他の生徒が話している中、僕は一人着々と帰りの支度を進めていた。
昔から理解ができない。なぜ、放課後の貴重な時間を人と遊ぶ時間などに充ててしまうのだろうか。ただでさえ、勉強で一日の大半を奪われるのにそんなことをしたら自分の時間が無くなってしまうではないか。
もちろん部活なんてもってのほかだ。文化部ならまだしも運動部は本当にわけがわからない。休み返上で金が出るわけでもないのに毎日学校に来るのはまさに狂気の沙汰だ。
「ねぇ、秋山君。」
そんなことを考えていると、突然後ろから肩をたたかれ話しかけられる。こいつは確か、一年の時同じクラスだった帰宅部の工藤圭介だったか……。
一年生の時から付きまとってくる変な奴だ。自由奔放な性格でヒエラルキーの枠に入らない男。
「(そういえば同じクラスだったな。)」
はっきり言ってこういうタイプは苦手だ。何を考えているのかわからないし。関わっても特にいいことなどがない。
ただ、無視するわけにもいかないので仕方なく表面上は仲良くしている。
まぁ、話しかけてくるだけならまだいいのだが、こいつには一つ欠点があるのだ。
「よかったらこの後遊びにでも行かない?」
やたらと遊びに誘ってくるのだ。帰宅部である点は申し分ないのだが、この点がどうも惜しい。
毎回無下にするのも冷たい人間だと思われかねないので、何回かは遊びに出かけたことがあるのだがやはりつまらない。
一人の時間を大切にしている僕としては距離を置きたい存在なのだ。
「(二年生になって離れられると思ったのに。とんだ計算違いだ。)」
しかし、だてにこいつと一年間過ごしてきたわけではない。
しっかりと断るすべも去年の後半から身に着けた。
「ごめん!今日バイトなんだ」
そう、この言い訳。
無論バイトなどやっていないのだが、この断り方が一番違和感を与えない上で自然に断れるのだ。しかも、定期的にくるこいつの誘いを何回かは無効化できる。
「あぁ、そういえば去年の後半あたりから始めたよね。」
「うん。最近いそがしくって。」
「どこでバイトしてるの?」
「(!)」
しまった。そこまで考えてなかった。
「あー。あれだよ駅前らへん」
「なんていうお店?」
「(うっ……。)」
なかなか引き下がらない奴だ。こんな時は空気を読んでそれとなく終わらせるのが普通じゃないか。
こういうところも苦手なのだ。
「い、いやぁその。何ていうか言えないんだ」
「……そんな怪しいところで働いてるの?」
工藤は少し引いた目でこちらを見てくる。
「ち、違うよ?ただ、その店長が厳しくてね。クラスメイトとか来ることを許さないタイプっていうか。来たらコ〇スみたいなね?」
「そんなところやめたほうがいいと思うよ……。」
正論だ。
「時給高いし、多少はね……。」
「ふぅん、まぁそういうことなら。」
納得してくれたらしい。
「また今度誘うよ。」
「あぁ、うん。また今度」
もう二度と誘わないでくれ。
そんな願いを少しも介する様子もなく、工藤は去っていった。
なんとかごまかせたが毎回こんな苦しい思いをするようなら、この手は何度も使えないようだ。
「(また、新しい言い訳考えなくちゃな。)」
そう決心し、教室を後にする。
***
夕暮れが照らしつける帰り道、歩きながら昼休みの出来事を思い出す。
呪いなんてあるわけがない。ましてや、あの変人に言われたことだ。気にすることなんて何もないはずなのだが……。
「(呪いだよ)」
そう言った時の先輩の表情がやけに印象的で頭から離れない。
ガサッ
「(────ッ!)」
突然の物音に鼓動が早くなる。
そうっと物音がした方向を振り返ると家の塀から猫が出てきた。
「……脅かすなよ。」
そう、何を隠そう僕は幽霊や呪いといった類が大っ嫌いなのだ。夏によく放送される心霊番組の類は一切見たことがないし、夜中にトイレに行きたくなってしまったときは本気でペットボトルに視線を向けてしまうほどなのである。
別に幽霊の存在を信じているわけではない。ただ、万が一いた場合絶対に見たくないという心を持ち合わせているだけなのだ。
そんな自分が呪われていると言われた今、風の音、猫の鳴き声、カラスの羽音、そのどれもが不気味に感じてしまう。
「(あの女のせいだ。)」
心の中で先輩を罵倒し、今後一切関わらないようにしようと誓う。
早く帰って落ち着きたい。
その一心で歩く足を速める。
スタスタ
てくてく……
スタスタ
てくてく……
きれいな夕暮れだ。
感覚が敏感になっている今、普段は気づかないような日常の景色にも気づくことができる。
あまりのきれいな景色に涙が出そうだ。
スタスタ
てくてく……
スタスタ
てくてく……
「(──────なんか違う足音混じってね?)」
ピタッと歩くのをやめて。必死に考える。
「(……いやいや、そんなわけがないだろう。そもそも呪いや幽霊なんてものがあるはずがない。気にしすぎだ。)」
冷汗が背中を伝う。
そう心の中で言っても、怖いものは怖い。
「(人は思い込みで世界を作り変えてしまうような生物だ。怖いと思うのも防衛本能だし、昼間あんなことを言われてしまっては足音も二重に聞こえてしまうというものだ。きっと幻聴だろう。)」
そう自分に言い聞かせ、再び歩き出す。
スタスタ
てくてく……
スタスタ
てくてく……
うん。まぁ、認めよう。確実に後ろに何かはいる。
足音の大きさから先ほどの猫のような小動物ではなく、人サイズのもの。
でも、それはあくまで幽霊とかそういった類のものではない。そもそもここは普通の道なのだ。僕以外に人がいたとて何ら不思議じゃないだろう。
「(あれ。でも人だとしてなんで僕が止まったら一緒に止まるんだ?)」
ふとよぎった考えが頭の中を支配する。
しまった。今、ものすごく考えてはいけないことを考えてしまった。
振り返るべきか。振り返らないべきか。
気持ちとしては全く振り返りたくない。いつだって前だけ見て進んでいきたい。過去も道も振り返らないのが僕の生き方だ。
ただ、この足音が家までついてきたとしたら、僕は一生お風呂に入れないし、一生寝られない。
それを考えれば今この場で足音の正体が何なのかを確かめておかなくてはいけないという何とも八方塞がりな状況だ。
「(多分消されちゃったんだろうね。アッハッハッハ。)」
脳裏に今後一切関わらないと決めた先輩が浮かんでくる
笑えない。良くてストーカー、悪くて幽霊とか全然笑えない。
「(どうかストーカーでありますように!!!。)」
覚悟を決めて、後ろを振り返る。