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年収200万円のダンディズム  作者: 鴉野 兄貴
四月。すべては一〇〇円の時計から
3/3

川崎和歩はダンディになれない

「教授の時計カッコいいけど100均にない」


 チーズの香りとともにスナック類を噛む音がする。精密機器の周辺でお菓子を食ってはいけない。


「あるわけないでしょ。アレブランドものじゃないけど一〇万しますよ」

「たっか?! たっか! 安物だって言っていたじゃないかあのイケオジ!」


 イケているおじさんだからイケオジ。

 彼らの上司である教授のことである。

 彼らは大手コンビニエンスストア老尊のチーズスナックを食う。実験結果が出るまでは徹夜も辞さず。


「今人気のインスタグラマーにしてレジン作家、Kiccoの初期作ですよ。10万じゃきかないかも」

「れじんってなに?」


「それでも化学の徒ですか」

 彼らの唾液による常在菌によりエタノールはアセトアルデヒドに変わっていく。

「熱硬化樹脂製品の通称みたいっすよ」

「そういえよ! わっかんねぇな!」


 酒の臭いをブッパしつつ二人は呑む。


 首になることも辞さず。



「Kiccoって教授の御親族らしいですからね。前に持っていらっしゃった時計も最近使っていませんし」


 しかしこの二人には関係ない。

 機械を壊されたくなくば給料を寄越せ。

 我々は大学当局による非常勤講師及びポスドクに対する待遇に断固抗議する。


 この精密機器は預かった。こいつが惜しければ大学当局は給与を増やすのだ。


「なるほど。私も大学当局の人間であるがキミたちの意見には一定の理解を示そう」


 深夜の大学構内に突如現れた教授はダンディな笑みを浮かべて呟く。

 二人はアワフタと慌ててバーバリアル新作『バーバリアンプレミアムリッチ』を精密機器にBUKKAKEしかけたが辛うじて教授の細い指の動きの早さが勝った。


「私も一杯頂こう」

 発泡酒の香りが壮年の喉を動かしていく。煽る喉元に二人の視線は下がっていく。ああ。俺たちの給料が呑まれている。

「一〇万もするのか。知らなかった」


 いつの間にか懐中時計を取り出していた教授。



 懐中時計を腕時計のように手首に巻いて内部をしげしげ眺める。開いた蓋の上のレジンがキラキラ光る。


「星座シリーズなら二十万です。それ髪の毛座でしょう。確か一つしかないし作る予定もないって」


 それを聞いて暴言を吐く和歩。


「マジか! 教授。今日はそれで勘弁してやるから俺たちに寄越すんだ!」


 明らかに酔っているが酒の勢いで許される発言ではない。


「こいつの奨学金返済に当てる」


 教授が一瞬苦笑いしつつ視線を厳しくしたのでアワフタと非常勤講師の友人のせいにする和歩はどう取り繕ってもダンディじゃない態度であろう。


「川崎君は元々懐中時計が紳士の持ち物で、腕時計とは初期は女性の装飾品であったと知っているかね」

「知りません!」


 教授はこれよがしに懐中時計にキッスをした。


「ならやらん」

「すいません今Google先生みます」



 教授は普段から講義中にインターネット検索することを認めている。その代わり質問が厳しい。


「えっと」


 小型の時計は良く壊れるものだったため色物の装飾品として扱われていたようだ。


「Clock(※置時計)と(※Wrist)Watch(※懐中時計、腕時計)は別のものなのですね」

「あ、ベルヌーイ法による人口ルビーが精度を増したのね」


 教授、わかりました! 二人は何故か寸劇を開始。


「元々紳士の持ち物は懐中時計!」


 和歩に続いて非常勤講師南河岸が叫ぶ。ノリがいいのか酔っぱらっているのか。

 彼女は手首に何か巻き付ける仕草をする。


「軍事作戦一斉射撃! 時計をみなければならないが、いちいち取り出し蓋を開けねばならない!」


 オーマイゴット!

 吹っ飛ぶ寸劇を始める二人は酔っ払いの奇行にしては息が合っている。

 爆弾のごとく酒息をブッパし、彼らは叫ぶ。



「腕に巻き付けモーマンタイ!」

「かくて男性の装飾品としての腕時計の歴史が始まった!」


 教授は少々ヒキ気味だが、頷いてくれた。


「そして! キリスト教の派閥争いがうんだ悲劇!」

「フランスの技術はせかいいちー! だけど宗教に厳しくないスイスにとんずらだ!」


 二人で編隊飛行を刻む南河岸と和歩。

 それを生暖かく見守る教授。その教授の唇が動いた。


「そうだ。君たちの給与の件だが」

「はい!」

「はい! めっちゃ期待します!」


 非常勤講師南河岸(なんがし) (やわら)。そしてポスドク川崎和歩。

 二人が権力者に尻尾を振る姿はどう考えてもダンディじゃない。


「私の一存では決められないからな」


 教授は半ばあきらめたように告げる。


「よし、この機械を壊すぞ柔」

「理解した。和歩。もう人生なんだっていいわ!」



「安月給に苦しむ我ら若者に捨てるものなどない!」

「生涯この安月給で返せもしない奨学金と、親が勝手にわたしの負担にした住宅ローンに縛られるならわたしは犯罪者になる! おとうさんおかあさん! 今までありがとうございましたクソッタレ! あとは勝手に破産申告しろ!」


 二人はテロに走らんとしたが。


「ところでここに割きイカがあるぞ」


「いただきます」

「めっちゃ貰います」


 食い物に釣られるポスドク川崎和歩と非常勤講師南河岸柔だった。

 南河岸は講師などやるくらいだから和歩よりマシだがだいたい容姿は似たりよったりである。

 ボサボサのボブ頭に『ニヘヘヘヘ』と不気味な笑みを常に浮かべ化粧気もなく顔面の半分を覆う巨大な丸眼鏡。頬には大量のそばかすと地味な印象。

 非常勤講師でありつつ精密機器管理バイトもやってくれる。仕事を選ばない勤労少女はそのまま今に至る。


『大学を出れば高学歴高収入』


 彼女の両親は安易な目論見で一人娘に総額2600万の借金を負わせた。



 コミュ障でありながら高収入な就職先を求める彼女は見事に全ての面接で爆死し、かろうじて教授の慈悲と尽力で非常勤講師の地位を得て今に至る。

 和歩は彼女の白衣の狭間から見えるニットの黒いセーターのふくらみが意外と巨乳であり、おなか周りも少々緩いもののそれはそれでなかなか艶々しいラインを描いているのを知ってはいるのだがそういう関係になったことは学生時代含めて一度もない。コミュ障の彼女は同じく不潔枠の彼にとってなんでも話せる友人である。


「NIHEHEHE。教授。今日も和歩ちゃんのおカネで買ったバーバリアル美味しいです」

「やめろ。お前も折半だぞ」


「南河岸くん。君実家に帰っていないのだって? お母さんが心配していたよ」

「だってアパートは大家に抑えられていますし、わたしの不幸も元をただせば親の所為です。行くところないですもの」


 しゅんとした顔立ちはちょっと可愛いと言えなくもないが、キモい笑顔が全てを台無しにする。


「南河岸、お前さ。昨日何処いってた」


 たまに彼女はいろいろすっぽかす傾向がある。和歩もすっぽかしはするが研究のみ。そこに違いがある。



「(*´Д`)はぁ? 素敵でダンディな童貞で親友の和歩ちゃんはわたしの心配までしちゃうのですか。流石童貞です。私のDカップが目当てでしょうか。あれなら頑張ればスリスリも出来ちゃいますよ。ぶちゅー」


 南河岸が350ml缶一つで出来上がってしまっているので必死で抗う和歩。


「やめろ南河岸。教授の前だぞ」

「教授。養ってください。もう何でもします。えっちなことでも喜んで」


 ああ、コイツ完璧によっている。泣くなコラ。和歩は南河岸を抑えんと試みるがあちこちの悩ましい肉にあたる。肩から二の腕までぷよぷよと手触りが良いので思わず童貞の和歩は手をひっこめてしまう。


「泣きますよ! わたしをほっておいて入ったばかりの一回生とデートですかめでてぇな! このボケ!」

「いやいやナニ言っているんだ。おまえおれら今の今まで一度だってそんなことなかっただろ! 教授に誤解されるわ! だいたいお前だってあの日は何処にもいなかったから相談できなかったしその後も既読無視連発しただろが。新しいバイトがどうとかいって最近電話にもロクにでなかっただろうが!」


 チーズスナックが乱れ飛ぶが教授は華麗なターンをいちいち決めつつそれらを片手キャッチした。



「時計は人類がベルヌーイ法を開発したことによって品質の安定しない天然鉱石という名のクズ石を不要としたためさらに安価に一般のものとなった。南河岸くん流石だね」


 初期は精度もよろしくなかったが、腕を振ることで自動巻き上げを行うシステムが開発され、また日本においてクオーツ式腕時計が開発され、現在では電波式の自動補正機能がついた品が出回っている。


「GPSやスマートフォンのBluetoothで補正する機能のものもあるし、appleの生み出したスマートウォッチも進化を続けてオシャレなものになっているぞ」


 和歩には興味のない分野だがなんとなく口にしてみる。


「Gショックは? アレもダサいけど」

「和歩くん。今結構いいの出ているよ? 女の子向けもあるのだよ?」


 南河岸が引き続き寸劇を開始する。


「床に落としたら壊れるう!」

「スマホより壊れやすかった精密機器を二階から落としても壊れない頑丈さに仕上げよう!」

 股間をコマネチしつつ踊る南河岸に付き合う和歩は人がいい。



「最初期は武骨で不人気だったものの湾岸戦争などでその実用性を証明し一歩まわったカッコよさ(※映画などで宣伝した)と督促の巧みさで有名に!」

「すげえな南河岸お前時計に詳しいだろ!」


「現在では手帳や財布の代替としてスマートフォンを用いる人が増えたので持たない人もいるがね」


 教授はするめを噛みながら余興を楽しむ。


「今どき時計なんて誰が使うのですか教授」

「警備員、調理師、軍人、警察、接客業等職務中にスマートフォンを弄っていると叱られる職業の人は持つ」


 それを聞いて二人も学生の採点バイトをしたときをを思い出す。


「試験持ち込み禁止品にスマートフォンやスマートウォッチがあるためそのためだけに持たされたような」

「それこそ100円で構わないが、例えば自転車安全整備士の試験会場には時計が置いていないこともあるな」


 和歩も納得である。しかし教授はいつ自転車安全整備士のようなマイナーな民間資格を取ったのか。あれ実務必要ではなかったか。


「で、教授。その懐中時計は娘さんの作品っすか」



「姪の作品だな」

「わあ!いいな! わたしも星座シリーズ欲しいです!」


 酒を飲む傍ら実験結果を待つ三人。おそらく今朝も実験失敗に違いない。


「うい。酔っぱらった」

「うい。和歩ちゃん愛してます。ぶちゅー」


「キミたち。朝になったらシャキッとしたまえ。私達の時代は朝まで呑んでそのまま出勤したぞ」


 教授は襟元を糺して出勤したが、二人は相変わらず二日酔いでぶっ倒れていた。


 川崎和歩はダンディになりたい。


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