僕の彼女はいつも不機嫌です。
生きている。その事実で、自分を覆った。僕は。
生きているという嘘を、吐いていた。人は、だましだまし、自分に嘘を吐きながら生きている。
まだいける、まだ大丈夫。戦える。立ち向かえる。勇気という名の嘘を、僕は吐いていた。
僕は死んでいた。生きながら。淡々と、ただ生きるという作業を行っていた。それは、死んでいるのと、同じ。
陽菜という少女がいた。その子は、メイドとして僕の家にやって来た。現代において、ハウスメイドを雇う家なんて、そうはいないだろう。
夏樹という少女がいた。ほんわかした、心優しい、委員長だ。にっこりと笑って。彼女は、自分を嘘つきだという。けれど、僕はその嘘に救われていた。
乃安という少女がいた。彼女は、後輩として、我が家のもう一人のメイドとして。一歩下がりながらも、僕をとてもよく気を使ってくれた。僕の嘘を、立ち向かえるという嘘を、真っ向から否定してくれた。
誰もが僕を、本当に生きさせようとしてくれた。
「日暮相馬。遅い」
「はいはい、ごめんよ。でも莉々。なんでフルネーム呼び?」
「ふん」
莉々は、プイっとそっぽ向いた。平常運転だ。
「できましたよ。ほら、莉々も。食べましょう」
「うっ……乃安ちゃん。莉々ね、最近太って来た気がするの」
「あら、それを心配するとは、莉々も女の子らしくなってきましたね。やはり恋は偉大です。先輩、これからも莉々を女の子にしてあげてください」
「乃安さん。その発言は各方面から誤解を受けますので、自重してください」
「はい、ごめんなさい。先輩」
莉々と付き合い始めて、そろそろ一か月が経つ。春休み、彼女は毎日我が家に来て一日を過ごす。
僕が勉強を始めれば、隣に座ってノートパソコンを弄っている。
僕が部屋で本を読み始めれば、僕のパソコンを勝手に弄り始める。
「あっ、アップデート後に使わない無駄なファイル残しっぱなしじゃん。消しとくよ」
メンテナンス? してくれているのだろうか。
そして、飽きると僕の隣に座る。
「はいはい」
だから頭を撫でる。すると、むくれる。
「子ども扱い? 莉々を?」
「何となくだよ」
「何となくで子ども扱いか」
噛みつきそうな表情は、どうやって治めよう。考えていなかった。でも、愛おしくなる。素直に感情を向けてくれているうちが、花なんだ。
「全く、そうちゃんは、誰かがいないとダメダメなんだ」
「ダメダメ要素、どこにあったよ?」
「さぁね」
まだ、手を握る事しかしていない。それ以上先は、莉々が遠回しに、口には出さないけど拒否していた。
「あんた、今のうちに家事、覚えておいてよ」
「なんで?」
「莉々があんたを養うからに決まっているじゃん。あんたは莉々が……生きられるようにしておいてくれれば良い」
「……ふぅん」
莉々みたいな反応をしてしまった。まぁ、莉々がそう言うなら、そういうのもありかなと、思えてきた。
「乃安ちゃんも、養いたいなぁ」
「乃安は、夢があるから」
「そう」
つまらなさそうに、そう呟く。
莉々は、大事なものは、手元に置いて守りたいタイプなんだろう。
それはある意味では正しい。大事なものは手元に置いて大切に保管しておけ、よく言われることだ。
思わず、天井を見上げた。考えることを、放棄したかった。莉々の好意は、求める好意だった。受け止めきるには、相応の覚悟が必要だった。
思い出す。莉々と初めて気持ちを通わせた日を。
冬はみんなでワイワイと、楽しく過ごした。平凡な日々を、ただ過ごした。
そして、冬の終わりの夜、僕は行き場の無い気持ちに従って外に出た。雪が、多分最後の雪が降っていた。
「あんた、何しているの? こんな時間に」
「……君島さん」
「……また、いじめようにもいじめられない顔してる」
莉々は、僕の手を黙って引いた。
「聞かせなさいよ、あんたの気持ち」
莉々はそう言う。だから、まとまりきらない。煮え切らない。進歩が見えない、僕の気持ちを語った。砂の丘を登るように、進もうにも滑り落ちる、僕の歩みを、語った。
全てを聞き終えて、莉々は、迷う気持ちを吐き出すように息を吐いた。白い息はすぐに消えて行った。
「莉々で良いじゃん」
呟くように、莉々は言った。
「莉々を選びなさいよ」
重ねて、そう言って。
「日暮相馬と一緒にいられるのは、莉々だけだよ」
莉々はそう言って、静かに唇を重ねた。その一回が、莉々が手を握るその先を許した唯一の機会だった。
「莉々、寝ていますね」
「そうだね」
すやすやと、安心したように寝息を立てる莉々を眺めて、部屋で本を読んで過ごすところに乃安が来た。乃安もまた、愛おし気に莉々を眺めて、頭を撫でて、そして、微笑む。
「先輩は、きっと莉々を大切にしてくれますよね」
「うん」
一つだけ、辞めようと思った事がある。嘘を吐くことだ。
僕の正直な気持ちを探る。それは、ずっと大事にしてくれると言ってくれた莉々を、大切にする。だから、乃安の言葉に素直に頷けた。
なら僕は、もう迷う事なんて無い。
心配になってしまう、そんな女の子のその頬に触れる。
「乃安は、どうするの、これから?」
「卒業するまでに修行する場所を探そうと思います」
「そう」
莉々と乃安を残して部屋を出る。ぐっと伸びをして。そして階段を降りると、こちらを静かに見上げる陽菜がいた。
「相馬君、最近、不満な事とか、ありますか?」
「無いよ」
「そうですか。では、相馬君は、これからどうするつもりですか?」
「どうするつもりって?」
「いえ、何でもありません。出過ぎたことを申し上げました」
陽菜はペコリと頭を下げて、立ち去る。
でも、陽菜の言っていることは、決して、間違えていない。鬱屈とした気持ちは、残っている。
やりたいことがある。だから、僕は久しぶりに文章作成ソフトを開いた。
ある時から辞めてしまった小説作成を、辞めてしまった事に対して、陽菜は何も言わなかった。
タイトルは、そうだな……。
「そうちゃん、何しているの?」
「何って……」
莉々は、僕か書く文字列を、目で追っていた。
「ふぅん、そう」
莉々は何も言わずに部屋を出て行った。
そしてしばらく。気がつけば、書きたい事の半分は書けていた。無駄に時間のある春休み。このペースで書ければ、明後日には本が一冊できるかもしれない。
変な動機で書き始めてしまったこれを、誰に見せるというのだろう。
「はい、お茶。乃安ちゃんに淹れてもらったから、不味いわけがない。残したら、死ね」
「とうとう殺すことまで放棄したか」
言葉とは裏腹に丁寧に置かれたカップ。莉々なりの気遣いか。
「あんた、それを書いてどうしたいの?」
「わからない」
「ふぅん。意味の無い行為が苦手なあんたにしては、随分熱中しているみたいだけど」
「そうだね」
莉々は、探るような目つきを僕に向ける。
「あんた、もしかして、不満? 莉々といることが」
「それは……」
僕の鬱屈した気持ちが、もしも。いや、それはない。だって、僕も莉々も前に進んている。決して、莉々と居ることが、過去の自分を肯定したことにも、停滞したことにもならないんだ。
今の僕をそのまま受け入れてくれた莉々に対して、どんな不満を抱くというのだ。
「そう考えている時点で、そうちゃん、答えを言っているようなものだよ。だって、自分にそう言い聞かせているだけじゃん」
莉々は、ナイフも何も持っていないはずなのに、向けられている、突き刺されている、そんな、幻覚を見た。
「あんたは、前に進みたい。そうでしょ?」
なら駄目だよ。
「あんたは、今の自分が嫌だ。変わりたい」
もしそう思っているなら。
「あんたにとって、過去の象徴である莉々は」
今のままのそうちゃんは弱くて。
「そんな弱い自分を受け入れた莉々は」
弱すぎた頃のそうちゃんにとって、莉々は。
「あんたの足を止める」
違う?
「そう思っているなら」
だったらそうちゃんは。
「莉々と一緒にいちゃ、駄目だよ」
書き終わった。
それを、僕は僕がよく読む出版社の新人賞に送った。丁度締め切りが近かったのだ。一次選考の結果は冬には出るらしい。
莉々は、家に現れない。二人から、どこか咎めるような視線を感じた。
データで応募して、その作業を終えて、僕は追い立てられるように、家を出た。何に追い立てられていたのだろう。
彼女がどこにいるか、何となくわかった。
三日しか家に籠らなかったのに、外はすっかり、コート無しでも過ごせる程度には温かくなっていた。季節は確かに進んでいた。
道を、まだ雪が残る道を歩く。春の香りだ。命が巡る香りだ。
そして、制服姿で公園のベンチで、ぼんやりと足をぶらぶらさせる莉々が、いた。
「お待たせ」
「お待たせって、何?」
「何となく」
「そんな答えばっかり」
唇を尖らせて、いつものような反応を返してくれる。
「それで、何の用?」
「いや、ずっと一緒にいてくださいって、言いに来ただけ」
「そう」
「答えは?」
「あっそ。なら勝手にいてくれれば良い」
プイっとそっぽ向いた。だから、冷たい頬を両手で挟んで向き直らせる。
「何?」
不機嫌そうな唇に、唇を重ねた。
抵抗は無かった。作法に習って目を閉じた。どれくらいの時間が経ったのだろう。顔を離すと、莉々は、
どこか睨んでいるように見えた。
「やるならやるって言いなさいよ」
「こういうのって唐突だから良いんじゃないの?」
「しらない」
ため息を吐いて、そして、莉々は肩に頭を乗せる。目を閉じる。
「しばらくこうさせて」
「はいはい」
僕の彼女はいつも不機嫌です。でも、甘えたがりです。
このルート。ありですか?なしですか?