三
ちょっとは良くなってきただろうか。ただ、見切り発車してしまったため、どう続ければいいのかが分からない。やっぱりある程度のプランをもって書き始めるのが大事だろう。起承転結というのも全く意識していなかった。というか、意識すれば出来るものなのだろうか。ここら辺でもうちょっと周りの状況だとかキャラクターだとかを書き出していけるといいような気がする。それか、あまり風呂敷を広げ過ぎずに畳みにいくかだ。
「今日、猿が部屋から出てきたよ。ぼくに小説を見せてくれた」
ぼくが夕食の席で両親に報告すると、二人は少し驚いたような表情を見せた。
「それで?」父が尋ねる。
「それでって何が?」
「小説はまだかかりそうなのか?」母もうんうんと頷いている。
「分からない。でもまたしばらく部屋にこもって書き続けそうだよ。なんていうか、表情が普通じゃないんだ。意地でも小説を書きあげるつもりなんじゃないかな」
「馬鹿な奴だ。なんで小説なんかをそこまで」
父さんはそう言ったけど、ぼくには猿の気持ちが分かるような気がした。猿はまだ父さんが言ったことを根に持っているんだ。「猿よりましだ」と。
あれはぼくの小学4年生の夏休み、だから猿がまだ新聞を読んだりする前のことだ。読書感想文が苦手だったぼくに、父さんは言った。
「いいか、お前は猿よりはましだ。猿は言葉を知らない。だから、パソコンのキーボードを叩いても意味不明な文字の羅列しか打つことができない。それでも、キーボードを叩き続けているうちに「あさ」だとか「むりだ」なんて意味のある言葉を偶然打てることがある。そんなことを何万何億回と続けているうちには、立派な小説だって書けるかもしれない。ましてやお前は人間だろう。言葉を知っている。猿よりはましなんだから、試しに適当に打ってみるといい」
そんないい加減なアドバイスをもらったぼくは、そのアドバイスでやる気を出すなんてこともなく、だらだらとパソコンを打ってはアイスを食べたりしていた。そして、いつの間にかうたた寝をしてしまっていた。
うたた寝から目覚めると、つたないながらも読書感想文は完成していた。そのことを父に報告すると「ほら見ろ、頬杖かなんかで適当に打っても書けるもんだろ」と笑っていた。ぼくは気を利かせた父が書いてくれたものだと思ったものだった。
でも、今となっては誰が読書感想文を書いたのか真相は分からない。
さてまたしても行き詰まってしまった。なかなか筆が進まないまま、もう朝になってしまったし。でもそろそろ猿よりは先に進めているだろう。ちょっと様子を見に行ってみるか。
扉をノックする。「猿、ぼくはだいぶ書けたよ。君はどんな感じ?」返事がない。うんともすんとも言わない。扉に耳を押し当てて様子を伺うが、部屋の中で動くものなどないような雰囲気だ。扉のノブに手をかけると、簡単に回る。おかしいな、いつもは鍵をかけているのに。
中に入ると、猿は椅子に座りパソコンの前に突っ伏していた。
小説はどこまで進んだのかと、モニターを覗き込む。「なんだこれ?」
そこには無茶苦茶にキーを打ったように意味不明な文字の羅列が続いており、ところどころに「あさ」や「さるにはむりだ」なんて言葉が混ざっている。
「ねえ猿、これじゃ本当に『猿』が書いた小説みたいだよ。君は本当に猿だったのかい?」
その問いに猿が答えることはなかった。猿はすべての力を使い果たしたみたいに、いつまでもパソコンの前に突っ伏していた。