一
猿よりはましだ。猿に小説を書かせるというのは無謀な試みかもしれない。実際、猿の好きなようにパソコンのキーボードを叩かせると、大抵「jfsdlkj」などと意味のない言葉を紡いでしまう。それでも時々「あさ」とか「むりだ」なんて意味のある言葉を叩き出す。何万何億回とキーボードを叩かせれば「そのひははれだった」と文章を書けることもあるだろう。長寿の猿が休みなくキーボードを叩き続ければ、一冊の小説を書きあげることも可能だろう。猿が何千匹もいれば、名作と呼ばれるものが生まれるかもしれない。
猿に出来るのだから、人間のぼくにだって出来るだろう。毎日キーボードを叩き続ければ、名作とは言わずとも一冊の小説を書きあげることくらい出来てもおかしくはない。時間だけはいくらでもあるような状態だ。暇つぶしがてらキーボードを打とう。
だが困ったことに、ぼくは何を書けばいいのかが分からない。その点では、適当にキーボードを打てる猿に負けているとも言える。悔しい。
猿からも学べることがある。適当にキーボードを打てる猿に負けているというのなら、こちらも適当にキーボードを打てばいいのだ。適当にキーボードを打っていても、人間のぼくになら、自然と文章を打つことが出来る。もちろん適当に打っていては、なかなか一本の小説を書きあげることはできないだろう。それでも、打たないよりはましだ。猿でもキーボードを叩き続ければ小説が書けるんだ。猿に負けてたまるか。
と思ったが、いざ適当に打ってみようとするとこれが意外に難しい。ここが無から有を生み出す猿と、有からしか有を生み出せない人間の違いのようだ。猿は強敵である。
有からしか有を生み出せないのだから、最初の有が肝心である。つまり、いかに魅力的な書き出しをこしらえるかが、小説作成の肝なのではないだろうか。魅力的な書き出しから勢いを殺さずに一本の小説に書きあげる。これがベストな答えだ。
猿が「小説を書く」と宣言したまま部屋から出てこなくなった。三度の食事は部屋の外に置いておくと空になった食器だけが返ってくるのだが、トイレはどうしているのか少し心配だ。部屋の中で粗相をしていないとよいのだが。時々、空になった食器とともにプリントアウトされた小説らしきものが置かれており「読んでください」とメモ書きされている。日々文章は長くなっていくものの物語の起伏のようなものはなく、正直読んでいて面白いものではない。「猿にしてはよく書けていると思います」と正直にコメントをメモ書きして、次の食事と一緒に部屋の前に置いておく。
猿がうちに来たのは、ぼくの十歳の誕生日だった。ぼくはそれまでハムスターを飼っていたのだが、誕生日を前にそのハムスターは死んでしまった。落ち込むぼくを見かねた両親は、何を思ったのかハムスターの代わりにと猿を連れてきた。猿は新しい環境に怯えることもなく、人によくなついた。ハムスターを失って落ち込んでいたぼくだったが、一気に猿に夢中になった。
猿の名前は最初「ココ」と決まったのだが、祖父と父が「おい、猿」と呼びかけ続けたため、猿のほうでも自分の名前は「猿」なのだと覚えてしまったようだった。ぼくたち残りの家族はなんとか「ココ」と覚えさせようとしたのだが、猿は「私の名前は猿ですが?」といった風に顔をかしげるだけなのだった。結局、猿の名前はそのまま「猿」に落ち着いてしまった。
猿のやつはうちに来た当初、バナナやリンゴを食べ「キキッ」と鳴くなど猿らしく振舞っていたのだが、そのうちに猿らしくない面を覗かせるようになった。きっかけは新聞だった。我が家では朝刊を取りに行くのはぼくの役目だったのだが、ぼくは試しに猿に取りに行かせるようにしつけてみた。何度か試すと猿は「新聞を取ってこい」と命じるだけで、新聞を取ってくるようになった。数日経った頃には、誰も命じていないのに自主的に新聞を取ってきてリビングのテーブルの上に置くようになった。と、ここまでならいい。テレビで「賢い猿」として報じてもいいレベルだ。だが、うちの猿はそんなものではなかった。
猿は、新聞を読むようになった。猿は朝リビングに朝刊を運ぶとまず一面に一通り目を通してからページをめくり、政治面や社会面、経済面も飛ばさずに読む。時々動物の写真が載っているページがあるとそこは特にじっくりと眺める。そして、四コマを読むと口角を上げてにやりと笑う。続いて、テレビ欄は指を這わせながらチェックする念の入れようだ。うちの猿は賢いとは思っていたが、想像以上だった。こいつは言葉を理解している。それもかなり高いレベルで。
少し不気味なような気もしたが、うちの家族は楽天的だった。「猿、えらいなー」と褒めては、小学校1年生の教科書から次々に猿に与えていった。猿はむさぼるように教科書を読み続け、どんどん知識を吸収していった。
そんな猿も今年の春で二十歳になり、誕生日に欲しい物はないかと尋ねると「パソコン」と答えた(彼に発音は難しいので、いつもホワイトボードに筆版している)。安いものではないので何に使うのか確かめると「小説を書く」と力強く宣言したのだ。