3-1 勇者セール中!
あらすじ:かつての勇者の仲間、ククリリに出会い魔術を教わった海兎。彼女を先生と呼び慕う海兎であったが、ククリリは魔王の手によって新たな四邪光として魔獣の体を与えられていた。フェミィや村人を守るため戦い、ククリリを討つ海兎。改めて勇者の名と力が持つ重責を感じた海兎の旅は続くのであった……。
この世界には『冒険者』が存在し、彼らに情報提供や仕事の斡旋を図る『協会』が世界の至る所に門戸を開いている。
冒険者を名乗るのに特段の資格は必要無く、またギルドへの登録も不要ではあるが、そうした登録費をケチった、あるいは払えないような冒険者が往々にして苦労する事がある。
確かに腕に覚えはあるのに、肝心の雇用主や仲間が見つからない、という事だ。
ギルドでは登録されている冒険者の情報を閲覧でき、目当ての冒険者に連絡を取ったり間接的に仕事を依頼したりする事も可能だ。
しかし当然、登録されていない冒険者にギルドから働きかける事はできないし、その冒険者の側からも、ギルドを通じた冒険者探しには加われない大きなデメリットがある。
もちろん『野良』と呼ばれるフリーの冒険者を見つけ、その実力を見込んで仲間に引き入れる事などいくらでもある。
実際、カイトもギルドには登録していなかったし、仲間もほとんど偶然に出会った野良冒険者であった。
唯一、ギルドに登録していたククリリを通じ仕事と報酬を得ていた勇者一行は、肝心の登録者を失った今、野良冒険者にはお決まりのコースに転落していた。
「はーい安いよ安いよー! 活きの良い勇者、入ってるよー!」
海兎が地図で作ったハリセンをやかましく鳴らしながら呼び込みをしていると、フェミィが強く袖を引き、うんざりしたような声で言った。
「それ、やめてって何度も言っているでしょう。私達が勇者だって事は、知られない方が良いの」
「何でだよ。最強の冒険者の仲間になれるんなら、誰だって喜んで飛び付くだろ」
「はあぁ……あなた、もしかして馬鹿なのかしらね。あるいは、うん、馬鹿なのでしょう」
「お前って聖職者らしからぬ言葉遣い、大好きだよな。なまぐさすぎるよ」
「誰のせいで勇者は全滅したと言う噂が広まったのかしら?」
「…………あ、俺だわ」
もちろん忘れていた訳ではないが、人の噂も七十五日と言うではないか。
おそらく七十五日くらいは経っているであろう……実際はまだ2か月も経ってはいないのだが……今なら、勇者が全滅した悲しみなど誰もが忘れ「なんだ、やっぱ生きてたんじゃん勇者」「勇者だもんな。復活の呪文くらいあるだろ」的なノリで受け入れられるだろう、というのが海兎の目論見であった。
が、実際はそんなはずもなく。
先ほどから海兎達に浴びせられるのは、頭のおかしな少年少女を見る大人達の冷ややかな視線と、子供が向けて来る無邪気な「馬鹿がいる!」なんて悪意の無い痛罵だけだ。
誰も勇者を尊敬の目などで見ないし、期待もしていない。
「今でこそ普通の服を着て勇者を騙っているだけだと思われてるけど、もし本物だと知られれば、面倒事は避けられない。魔王を前に逃げ出した勇者が城から遠く離れたこんな場所で仲間探しに勤しんでるなんて、冗談で無ければ悪夢ですもの」
「じゃあどうするんだよ。俺達の売りなんて肩書き以外何にも無いだろ。覗きと手を触れないセクハラしかできない男と、無駄にでかい胸とちょっぴりの療術くらいしか取り柄の無いブスだぞ」
そこまで言った海兎は、フェミィの目に宿った侮蔑と哀れみと殺意を混ぜたような冷淡な光を見て押し黙った。
折れた部分が鋭く加工された杖を腰から抜く前に、擦り切れるほど額を地面に付けて平謝りの姿勢を取る。
「とにかく、どうにかして私達の仲間になってくれる冒険者を探すの。できればギルドに所属して、仕事を斡旋して貰えるツテのある冒険者を。でないと、魔王に辿り着く前に餓えて死にます」
明日の命どころか今日の夕食にありつけるかどうかさえ、見ず知らずの誰かの、何の取り柄も無さそうな子供を雇うという蛮勇に賭けなければならない現実に、2人揃ってため息を吐いた。
このままだと考えられる道はふたつ。魔獣の寄り付かない奇跡のような場所を探し、野生動物や植物を採って生を繋ぐ自然派ルート。そして、最初から無銭飲食をするつもりで酒場に入り、勇者の体力で奉仕活動をして許して貰うかわいそうなひとルート。
どちらも選びたくはない。前夜に、フェミィから聞いた草を口にして見事にあたった記憶が蘇り、海兎は身震いした。
療術でなんとか人の尊厳は守れたものの、普通に毒草を毒味させる聖職者どころか人間としてもタチの悪い女に、これ以上のワイルドライフを望んではならない。
かと言って酒場で働かせて貰うのも気が引ける。以前、ククリリの飲食代を払おうとして一晩で大きなトラウマを負った事件を思い出してしまうからだ。
どちらに進もうともろくな結果が待っていない事が容易に想像できるだけあって、海兎はこの分の悪い賭けをやめられずにいた。
「へえー、じゃあ仲間とか募集してる感じなんだ」
「え、ええ、まあ」
「キミ療術師? 正直、珍しいね~。見た所、結構良い生まれっぽいけど、お金に困ってるのかな?」
「うちは王都の貴族とも繋がりあるし、色々と援助できるけど、どう?」
「見ての通りむさ苦しい男所帯だけどさ、これから全然ギルドで女の子とか募集しちゃう感じだし」
「そうそう。下心とかじゃなくて、女の子の一人旅は危険じゃん? あ、じゃあ王都まで護衛したげるからさ、その後で決めるってのはどう?」
「正直ほんと、馬車で座ってるだけでも」
「はいはいはいはいお兄さんがた! すんません、うちの仲間に何かご用がおありで!?」
少し目を離した隙になんとも軽そうな男達に捕まっていたフェミィの前に出る。
話を聞く限りどう考えてもナンパな上に、完全に自分の存在を無視されていたのも気に食わなかった。
当のフェミィはと言えば、本気で戦力として勧誘を受けていると思っていたようで、海兎の袖を引き、小さい声で「貴族とも繋がりがあるって。お金にも困らないって」と囁いていたが、とりあえず無視しておいた。
「何、アンタ? 連れ?」
「いやすんませんホント、この子めっちゃくちゃお馬鹿なので、勧誘とかそういうの、はい。お兄さん達に迷惑掛けるだけなんで」
「ああ? そもそも関係無くねえ?」
「邪魔だよ、どいてな」
腕っ節に自身があるのだろう、上裸に皮のジャケットめいた防具を羽織った精悍な顔つきの男が海兎を押しのけようとした。だが、掴んだ肩はびくともしない。
一瞬困惑の表情を浮かべるも、何かの間違いだと思ったらしく、男は腰の斧を示威するように手をやった。
もちろん、海兎が怯む事はない。そもそも彼らとはレベルが違いすぎる。
どんな目的があって旅をしているかは不明だが、ピーピングした所、彼らのレベルは20前後。RPGで言えば序盤に位置する村で女漁りをしている程度の冒険者では、とうてい海兎に敵うはずはなかった。
平気だ、というアピールを篭めて一歩前へ出る。その態度が意外だったのか、あるいは実力を読み切れなかったのか、男は「てめえ」と呻いた。
あ、キレたな、と海兎は心の中でニヤリと笑った。元の世界にいた頃、不良に絡まれた際も同じように相手のキレたタイミングを図った事があった。何度も不当な暴力を受けていると、そうした感覚が自然と養われるものだ。
悲しいかな、弱いからこそ磨かれた野生だとも言える。もちろん磨いた所で、待っていたのは痛みだけであったが。
男は掴んでいた手を離したかと思うと、やおら腰の得物を抜き、刃を海兎の喉元に押し付けた。
「怪我しねえ内に消えな、ガキ」
冷たい鉄の感触が皮膚に触れる。もちろん、レベル差があるからと言ってゲームのように全くダメージを受けない訳ではない。斬られたり殴られればそれなりの痛みはあるだろうが、勇者の体はおそらく、大した傷も負う事は無いだろう。
せいぜい薄皮一枚くれてやる、と言った所だ。
さて、どう調理してやろうか。海兎の脳裏にそんな言葉がよぎった。
ここはやはり、圧倒的な実力差を見せつけつつ相手を無傷で抑えるのが最も映えるやり方であるだろう。
たとえば、この武器を素手で壊してみる、など。
海兎はおもむろに刃を摘むと、指先に力を篭めた。イメージするのは最強の自分が、斧をへし折る所だ。
「あ……?」
びくともしない。
鉄の刃は当然として、木製の柄すらへし折れない。
「何だ、何がしてえんだお前」
「べ、別に? ちょっと、そんな押し付ける事無いかなって……」
「ああ!?」
予想外の事に尻すぼみになる海兎の声に、裸ジャケットの男は威嚇した。
そう言えば、と海兎は違和感を覚える。ここまでレベル差があり、相手も知性ある動物であるのに、全然『威圧』が働いてくれない。
それは裸ジャケットだけではなく、周囲でニヤニヤしている男2(金髪タレ目の優男)と男3(ネズミめいたフード小男)も同じだ。
海兎は知らなかった。威圧は、自分が恐れている相手には十分な効果を発揮しない。魔獣や動物程度の知性であれば逃走させるだけの効果はあるが、これが人間、特に『怖いもの知らず』な冒険者であれば、効果には大きな違いが出る。
つまるところ海兎は、目の前の相手にビビりまくっていた。誰も見ていないが、正直言って脚は震え倒しているし、軽く漏らしている。
「ま、ま、ま、そのぉ、ええと、何です? 僕らホント、弱いとかってレベルじゃないですし……一緒に行ったら迷惑ですし……」
「兄さんの方はどぉーでも良いんすけどね、正直」
勇者は俺なのに、と海兎が歯噛みしていると、さすがに異常だと感じたのかフェミィが杖を手にする気配を察した。
聖職者のくせに暴力を振るう事に躊躇が無さそうな彼女を話に加えれば色々とややこしくなる。そもそも当事者なのだが、だからこそ黙らせておく方が得策なタイプだ。
手で彼女を制し、さらに半歩、間を詰める。
苛立ちがピークに達したのか、男はむしろ唇を吊り上げ、
「殺しちゃうか」
と呟いた。
死んだわ俺、という思考だけが鈍く回る。
殺し合いになるのなら、相手のレベルがどうであれ全力で対処しなければならないが、鍛えた体があろうと暴力を振るう事には慣れていないし、恐ろしいのも変わらない。
実感が沸かない、とでも言うのか。自分の努力で手に入れたものでない力が、本当に通用するのかどうかも疑わしい。
実戦経験の無さがここで影響して来るとは思ってもみなかった。
男が斧を振りかぶる。狙いは頭か首か。頭を割られたくらいならリバイヴが効くらしいが、首を撥ねられたらどうなるんだろう。そんな考えが浮かんだ瞬間であった。
「そこまでだ」
響いた声に、斧の動きが止まった。
この場にいる粗野な男達のものではない。もっと気品のある、透き通るような美しい声。
海兎も男達も声のした方に視線を向けた。
「小さな揉め事であれば放っておこうと思ったんだがね、物騒な言葉が聞こえたもので、声を掛けさせて貰ったよ」
「……!」
背後でフェミィが息を呑んだ。無理もない。ゆっくり歩み寄って来る美男子に、海兎すら見惚れて声も発せずにいた。
陽光を受けて煌めく金の髪は、絡んで来た男のそれとは質が違う美しさがあり、翡翠色の瞳が湛える静かな重圧は、チンピラ達を圧倒していた。
白銀の鎧は騎士が纏うものだ。それも、この辺りで時おり目にする田舎騎士のものではない。
海兎は行った事は無いが、彼はおそらくフェミィが語っていた『王都』の騎士、聖騎士と呼ばれる者だろう。
「何だてめえ。聖騎士、だよな。庶民のやる事に口出すんじゃねえよ、特権階級様がよ」
「この場において権威など意味を持たないさ。私の生まれがどうであれ、君の斧は止まらないだろう」
「ああ、分かってんじゃねえか」
「そこで、だ。この場において意味があるのは……やはり、こちらだろう」
言うなり、騎士の姿が消えた。
否、身を低く構え、跳んだのだ。勇者の視力は、幸運にもそれを捉える事ができていた。
たった一歩で間合いが詰まる。遅れて事態を認識した男は咄嗟に胴を防御しようと斧を持っている腕を引こうとした。だが、見当違いだ。
騎士が狙ったのは脚。高速で繰り出された足払いは、男を一回転させる勢いで転ばせた。
後頭部をしたたかに打ち付けた男が呻くのと同時に、顔の横に斧が落ちる。一瞬で血の気が引いた男は目の前に突き出された貫手を見て、小さく「降参だ」と呟き、両手を挙げた。
「剣、使わないんだ……」
「あいにく、剣よりこちらの方が得意なんだ。そのおかげでよく叱られもするんだけどね」
ははは、と無邪気に笑う騎士には敵意や悪意といったものは見当たらない。どうやら味方だと考えて良いらしい。
海兎がほっと胸を撫で下ろしていると、こっそり去ろうとする男達の背に、騎士が声を掛けた。
「働き口が無いのなら勇者になってはどうだい? 魔王討伐なら、君達の有り余る蛮勇も役立てられるさ」
「勇者、俺なんだけどなあ」
「それは失礼した。言っておいて何だが、彼らを仲間に加えるのはオススメしな……げ」
海兎の顔を見た途端、騎士の顔が歪んだ。次いでその背後に視線を移し、さらに頬をひくつかせる。
くるっと踵を返した騎士は「それじゃあ!」と片手を挙げ、名も名乗らず足早に去って行った。
まさに脱兎の如し。何かまずい事でもしただろうか? と疑問符を浮かべる海兎に、先ほどから固まっていたフェミィがようやく口を開いた。
「そんな……何で、彼がここに……」
「? そんなにまずいのか、今の騎士。すげえ良い人だったけど、因縁ができるイベントでもあったの?」
「……彼は王都の騎士団に所属する最優の聖騎士、名はシグルズ・フォン・アルスター……」
如何にもと言った名前だ。最優の騎士の名も頷ける。
咄嗟すぎてピーピングを掛けていなかったが、動きを見るに勇者である自分に比肩しうるステータスがあるのだろう。
だが、驚くべきはそこではなかった。
フェミィの言葉に、海兎は異世界に来て一番の驚きを体験する事となった。
「あなたにはこう言えば彼が誰か伝わるでしょう。彼は私達の、魔王討伐の仲間……タキゾーよ」