2-4 俺のせいだ。
「四邪光が一柱、ククリリ。せいぜい賭けると良いよ。自分が楽に死ねる方の面にさあ」
言葉と同時に、両手のひらの上に表れた火球が飛んで来た。今度はシールドでは防がず、横に跳んで回避する。
だが、回避した先に向け、次の火球が発射されていた。
もう一度地を蹴るも、結果は同じ。瞬時に判断を切り替え、フェミィは全力で駆けた。
そこで、ククリリの狙いが1発で仕留める事ではなく、連射によって追い詰め、確実に当てようとしているのだと気付いた。
だが、それにしても威力がありすぎる。足止めを狙うのであればもっと小さな威力でも構わないはずだ。追い詰めた所で最大火力を発揮させれば、無駄にならずに済む。
そこまで考えて、フェミィは自身の考えが根底から違っていた事に思い至った。
ククリリはそもそも、自分『だけ』を仕留めになど来ていない。答えは最初から、彼女自身が明言していた。
足を止め、全力のシールドを張る。狙い澄ましたように飛んで来た大火球が、容赦なくシールドを砕いた。
吹き飛ばされたて地面に転がったフェミィは、割れた眼鏡の向こうに、瓦礫から母を救おうともがく子供を見た。
逃げて、という声が出ない。霞む視界の中、折れた杖を地面に突き立てなんとか立ち上がった。
彼女は最初から、この村を皆殺しにするために来た。だから、先ほどから追い詰めるために連射していたように見せかけて、何発かはわざとその背後を狙って放たれていたのだ。
いつの間にか最初に吹き飛ばされた宿だけではなく、ほとんどの家屋が火に包まれている。その周囲には、火に包まれて暴れたのであろう、奇妙な体勢で転がる焼死体がいくつも転がっていた。
そして、フェミィが自分の真意に気付き、背後にいる命を守ろうとする事さえ計算に入れていた。だから、到底フェミィのシールドでは防げない威力の術を放ったのだ。
勝てるはずがない。自分は攻撃魔術に関してはからっきしであるし、ククリリの術を防御し続けられるとも思わない。
なにより、かつて仲間であった彼女に思考を読まれ続ける限り、後手に回り続けてしまう。
勝算があるとすればマナ切れだ。小人族は先天的にマナを多く生み出す種族であるが、高威力の術を使い続ければ必ず底が見える。
しかしその目論見は、無慈悲な一言によって打ち砕かれた。
「マナ切れを狙ってるなら無駄だかんね。ウチは今、魔王と同じだけのマナがある。ほとんど無限の力が、ね」
「な……!?」
「おほっ、絶望した? 絶望しちゃった? このままだと一方的すぎてつまんないから、弱点も教えちゃおう。魔王並みのマナを得たウチの体は今、魔獣と同じく瘴気で満ちてる。さらに言うならこの体は……」
おもむろに取り出した短刀で、ククリリは自身の喉を貫いた。
突然の衝撃的な光景に思わず目を逸らす。だが、短刀を引き抜いたククリリの喉は、みるみるうちに傷が塞がり、元の白い肌だけが残った。
「アンデッド。つまり分かるよね? フェミィちゃんなら分かるよね~?」
「……『聖光術』」
「当たりぃ! 頑張って、ウチを殺してね! 死なないウチを!」
聖光術は通常の魔術とは違い、フェミィのように神に仕える者のみが体得する、神秘の術だ。
根本の系統が違うだけに勇者のラーニングですら習得する事はできず、力を引き出す場所もアルゲヌビではない。
自らの信奉する神の威光を、マナによって限定的に顕現させる。どの術もアンデッドに対して非常に効き目があり、不死の体を消滅させる唯一の術でもある。
難点は、祈りを捧げる特性上、隙が大きすぎる事。そして自分自身を起点に放つ術であるため、ある程度まで距離を詰めなければならない事。
実質的に、超小型の火山めいて火球を撃ち出すククリリに近付くのは不可能だ。彼女がその気になれば他の術もある。やすやすと当てさせてなどくれないだろう。
背後の子供はようやく母親の足を瓦礫から抜く事ができたらしい。小さな体に寄り掛かる母と共に、よろよろと逃げようとする。
どんな術だろうと、意識しない場所に放つ事はできない。
つまり彼女の意識を自分に逸らす事ができれば、あの親子くらいは逃がせる。
自分がここで、斃れたとしても。
「ひとつだけ聞かせて。あなたに一体、何があったの? 何をされたと言うの?」
「…………ウチ、は…………」
途端に、ククリリが頭を押さえて唸りだした。
歯を剥き、よだれを垂らし、獣のような唸り声をあげるククリリに気圧され、フェミィは一歩後ずさる。
どんな術が来てもシールドを張る心構えだけはしておく。
「うう、ううううううウゥゥゥゥアアァァァ……!? ウチ、は、ァ……何、が……何、で……!?」
「ククリリ! あなたは、操られているだけよ! お願いだから目を覚まして! 元のあなたに戻っ」
「ああああああああ―――――――――――ッ!!」
咆哮。
彼女の背後で燃えていた瓦礫が宙に浮かぶ。
テレキネシスだ。繊細な術だけあり、複数の物を同時に対象にする事は、たとえククリリであろうと難しい。
ただしそれは、複数の物を精細に操ろうとしたならば、の話だ。
単純に宙に持ち上げた物を、方向を決めて投げ付けるだけならば集中など要らない。ただ、多量のマナでもって創造するだけで事足りる。
もっと都合の悪い事に、フェミィの張れる普通のシールドでは、魔術そのものは防げても勢いづいた瓦礫までは防げなかった。
元は家屋であった瓦礫の山を使った砲弾は、走って逃げられる負傷でも範囲でもない。
完全なる、詰みであった。
「お前のせいだ、お前のせいでこうなった、お前のせいだお前のせいだお前のせいだお前のお前のお前のお前のお前のォォォォ……クズイ、カイトォ――――ッ!!」
呪詛と共に放たれた瓦礫は、やけにゆっくりに見えた。
これがきっと、死に行く者が最期に見るという光景なのだろう。己の罪を自覚し、悔いるために神が与えるという絶対的な時間。
こんな終わりなど、後悔以外あるはずがない。
たとえ自分達が明日をも知れぬ危険な旅に身を投じ、もう帰って来れないかも知れない地で再会の約束をいくつも結んで来たとしても、せめて想いだけは報われると、そう信じていた。
やむを得ず逃げ出し、仲間を犠牲にし、慕っていた勇者を失い、そして見捨てた仲間の手で殺される。
これ以上無いほどに、絶望的に虚無的な終わりであった。
(ああ、それでも……ククリリ、あなたは間違っています。間違っているんですよ)
ふと、体が横殴りに吹き飛ばされる感覚があった。
いよいよか、と目を閉じる。
(クズイカイト。全ては彼のせいではありません。彼もまた、傷を負った哀れな者に過ぎないのですから。だから、どうか、彼を許し……)
頭部への強い衝撃に思考は寸断され、フェミィの意識は暗転した。
…………
「痛ってぇ……石頭すぎるだろ、こいつ」
案の定コントロールを誤ったテレキネシスは、引き寄せたフェミィの体を抱き留めて勇者らしい決め台詞を言わせるどころか、彼女の頭部が思いきり顔面に当たり鼻血を流させるという情けない結果を招いた。
何故かボロボロの彼女を火から遠い道端に寝かせる。
咄嗟に発動したにしては上出来だったらしく、まだ試していなかった人相手のテレキネシス、それも両腕を使ったそれはほとんど期待通りの効果を発揮してくれていた。
射線上を歩いていた2人の親子には、まだ燃えていない畑の土に飛ばされて貰った。燃え盛る炎の向こう、立ち上がった2人がまたよろよろと歩き出すのを見て、海兎はほっと胸を撫で下ろした。
それにしても、と周囲を見回す。
村のほとんどが燃えている。転がっている物が何なのか、それを理解した瞬間、海兎の胸にこみ上げるものがあった。
「うえ……何だ、これ。何でこんな事に」
「クズイカイトちゃん! 良かった、生きてたんだね!?」
「先生?」
「もうこっちは大変だったんだ! 魔王の手下が来て、村はこの有様。もしかするとまだ、どこかに隠れてるかも知れない! フェミィちゃんも負傷したから、とにかく逃げて手当しなきゃ……」
「ああ、そうだな。でもさ先生、訊きたいんだけど……何で笑ってんの?」
ぴたり、と動きを止めたククリリが、油の切れた人形のようなぎこちなさで首を回した。
不自然な角度でかろうじて見えた目と口は、いびつにつり上がっていた。
「そりゃ、楽しいからだよ」
「何で村、燃えてんの?」
「ウチが燃やしたから」
「じゃあ、何で……何で……!」
アスカロンに刻まれた古代文字が激しく光を放った。
剣全体が、海兎の心の火を受けたように震えだす。
「何でフェミィにこんな事してんだよ、あんたは!?」
「何でが多いなあ。自分で考えなよ、クズイカイトちゃん」
呆れたような口調のククリリが振り向きざまに腕を振ると、聞き覚えのある轟音と風が海兎の周囲を包んだ。
サイクロン。手加減した威力は十分に味わったが、加減無しで放たれたものがいかなる効果を及ぼすのか、海兎には予想ができなかった。
だが、一瞬で死ぬものではないはずだ。
そして今の自分にはあの拷問のような特訓の時と違い、対抗手段が備わっている。
イメージするのは受ける壁ではない。剣のような盾で弾く想像。
シールドを薄く張り、一気に駆け抜ける。
案の定強度の足りない部分はすぐに剥がされ傷を負ったが、暴風を抜ける事はできた。
移動するような術でもないらしく、駆け抜けた後、暴風の壁は自然に消滅した。
「おー、すごいすごい! やっぱ天才じゃーん」
「褒め方が雑なんだよ、先生。おい、そこを動くなよ。今勇者の鉄拳で正気に戻して……」
「そんな天才ちゃんに、課題をあげよう。これは防げるかな?」
「!? シールド!」
今度は受ける壁のイメージだ。
飛んで来た氷柱がシールドに阻まれ砕ける。間髪入れずに放たれた火球もまた、シールドを壊す事はできず散る。
だが、2つの術のぶつかり合いにより発生した一瞬で視界を塞ぐほどの蒸気は、シールドでは防げなかった。熱を帯びた空気に、反射的に目を瞑ってしまう。
その時間はほんの数秒でしかない。が、決定打を打ち込まれるには、十分すぎる時間であった。
「あっ!?」
シールドは張り続けている。どんな術が飛んで来ても、一撃であれば耐える自信はあった。だが、それが術でないなら、先ほど瓦礫を飛ばされたように、防ぐ事などできない。
もちろん、いかに強固なシールドさえも、人体という物体であれば簡単に透過する。
気付いた時にはククリリの手がシールドを張る右腕を掴んでいた。
「『毒牙』」
「あっ……があっ……あ゛あ゛あ゛あ゛っ!?」
ククリリがそれを唱えた瞬間、掴まれた箇所にどろり、と入り込む何かを感じ、それが一気に激痛に変わり腕全体に広がった。
注入されたマナが、まるで毒のように相手を侵す攻撃魔術。継続的なダメージが見込め、毒を流された部分をまともに使えなくする状態異常を与える術でもあるが、その最大の特徴は、昼にククリリ自身が語っていた通り、死にたくても死ねないという点にある。
焼けた杭を血管の1本1本に突き刺し掻き回すような、鋭利な刃でできた虫が皮膚の下を駆けずり回るような、神経を引きずり出され撹拌機に入れられたような、形容し難い痛み。
死ぬほど痛いはずなのに、決して死ぬ事はできない。意識を失ってもすぐに痛みによって覚醒させられてしまう。
のたうち回る体にいくら傷を負っても、右腕の痛みよりはるかにマシであった。
その上、海兎は知らない。この術は術者の意思か、マナの供給が切れるまで効果が続く、拷問用に開発された術だ。
生かさず殺さず。終わりのない地獄に、海兎の思考は吹き飛んでは戻りを繰り返し、徐々に、しかし確実に磨り減っていた。
そんな海兎を見下ろし、ククリリは満足そうに笑っている。
海兎には、理由が分からなかった。彼女が裏切り、かつての仲間を傷付けんとする理由が。
(あ、そうか。俺のせいなんだ。俺があの時逃げたから、先生は酷い目に遭わされて、それを恨んで魔王に協力しているんだ)
妙に冷静な思考が、音の消えた世界に響く。
(だったら責任を取らなきゃ。俺はそのために旅立ったんだから、たくさん苦しんで責任を取らなきゃいけないんだ。ここで死ぬほど苦しんで、先生に許して貰わなきゃいけないんだ)
自罰的な声に、次第に痛みが和らいできた錯覚をおぼえた。
もちろん、腕は未だにぴくりとも動かない。抵抗を諦めた体は、痙攣し泡を吹きながらも、なおも生きる事をやめようとはしない。
まるでこれ以上の罰を望んでいるかのように、心臓も、思考も、何もかもがはっきりと動き続けていた。
(……生きてえ)
不意にそんな声が聞こえた。
自分の内から漏れ出る声に、海兎は不思議に思った。
何故、生きたいのか。
(俺はまだ、何の責任も取れてない。ここで諦めたら、ここで死んだら……フェミィはどうなる。あいつが、カイトと誓った魔王討伐は、どうなる。俺はごめんだけど、俺には俺の責任を取る義務があるんだ。生きなきゃ、生きなきゃいけないんだ、俺は。こんな所で、死んで、たまるか……!)
乱雑に散らばる思考は加速し、強引に体を押さえ込む。
なんとか左手で握ったアスカロンを、海兎は今持てる力の限りに振った。
だが、無情にも血によってぬめった手は、握力の抜けた指から柄を手放し、明後日の方向にアスカロンを投擲した。
ククリリのはるか後ろにアスカロンが落ちるのが見える。それを認めた時、海兎の体から力が抜けた。
もはや右腕は激痛を通り越して何も感じない。ただ動かない、重い何かが肩からぶら下がっているだけだ。
膝をついた海兎に、ククリリはぞっとするほど冷たい笑顔で、
「楽しかったよ、クズイカイトちゃん。最期に選んでよ。表か裏、どっちに賭ける? 表なら何も感じずに楽に消滅する。裏なら、全身にヴェノムを掛けた上で、死ぬまで眺めててあげる。ねえ、どっちに賭ける?」
「俺……は……おも、て……だ……」
「まあ、そうだよね」
キンッと澄んだ音と共に、コインが弾かれた。
ここまでか。そう思うと、何故か全てがどうでも良くなってくる。
諦めれば人は楽になれる。それは真であり、本当に人生が立ち行かなくなった時、選ぶべき道なのだとも思う。
人はいつか死ぬ。それが早いか遅いかの違いであり、死に方が何であれ死後の世界にそれが持ち越されないのであれば、何だって変わりは無い。そんな気がした。
だが、それは決して、今ではない。
海兎の目が、最後にカッと見開かれた。
「それじゃあとっておきだよ。『崩壊……す……あ……?」
突然の違和感に、ククリリが驚愕の表情を浮かべ、視線を落とした。
よろめき、後ずさるククリリの腹から、ぬめった金属が突き出ていた。それは人体の弾性に抵抗するように震えた後、強引に肉を引き裂き飛び出した。
ククリリの小さな体は、壊れた玩具のように上下に分かれ、冷たい地面に転がった。
テレキネシスによる誘導。動かない右腕ではなく、不慣れな左手で行ったそれは案の定失敗し、11回中10回の自害未遂という結果を再現した。
その射線上にククリリがいたのは偶然に過ぎない。ただ、今の自分に取れる唯一の抵抗が、彼女から教わったこの術を使う以外に無かった。それだけの話だ。
嘘のように痛みの引いた右腕が動くようになった。術者が多大なダメージを受けた事で、術は解除されたのだろう。
転がったククリリはしばらく目を閉じていたが、やがてゆっくりと瞼を開いた。
「う……」
「先生。さすがにもう、終わりだよな」
「そうかな……そうかも」
「まだ生きてんのが不思議すぎるよ。もう、人間じゃないんだな」
うぞうぞと蠢く肉が片割れを求めて這おうとしているのを見て、海兎は諦めた声で言った。
こんな彼女を救う事は、きっとできない。
体が戻ればまたすぐに自分を殺しに掛かって来るだろう。
だから、決着を付けるなら今。決着を付けられるのは、自分だけだ。
「ごめんね、クズイカイトちゃん。キミって普通の子供で、安全な世界で平和に暮らしていたはずなのに、こんな事させて」
「良いよ。だって、全部俺の責任なんだから」
「強がんないでよ、大人の立つ瀬がないじゃない。あー、でもなんか、すっきりした。ねえ、さっきのコイン、どっちが出た?」
「……表だよ。女神が彫られてるのが、そうなんだろ」
それを聞いたククリリは、やっぱりね、という風に笑った。
先ほどまでの邪悪さなど微塵も無い、自分に魔術を教えてくれていた時の天真爛漫な彼女の笑顔だった。
「俺を恨んでくれ、先生」
両手でしっかり握ったアスカロンを振りかぶる。剣身の古代文字が、いっそう強く輝く。
アスカロンは瘴気を祓う聖剣だ。アンデッドさえも殺す、勇者にしか扱えない代物。
力に伴う責任を、剣という容れ物に集めたもの。
聖剣に重さなど無いはずなのに、振り上げた腕が、やけに鈍く、重く感じた。
「うん……恨もっかな」
何の邪心も篭っていない優しい声でそう言った後、ククリリは目を閉じた。
その頭が飛び、少し転がった後、暗雲から射し込み始めた陽光に溶けて行った。
かくして悪夢のような夜は終わりを告げた。
逃げ延びた村人が木陰から見たものは、灰と瓦礫だけになった死の村で、声を嗄らして泣き叫ぶ、1人の青年の姿であった。
第2章はもう少しだけ続きます