2-2 どっちに賭ける?
「走るぞ!」
「はいぃ……!?」
飛び出した海兎は、自分の迂闊さや機転の利かなさを呪った。大抵、目の前の事に焦っては事をし損じるのが性分なのだ。それを理解しておきながら、しかも『答えの見える』便利極まりない力を持ちながら『目で見た物』に惑わされていた。
仮に、勇者カイトの肉体のレベルを100としよう。本当はもっと複雑な値が出ており、それを直感で総括できるのがピーピングという魔術の特性なのであるが、その話は割愛する。
とにかく、海兎の今のレベルは100。魔王と渡り合うならばこのくらいは当然のレベルだ。だからこそ魔王城から一目散に逃げた際も、どの魔獣も近寄る事が無かった。
フェミィのレベルは前線に出ない事もあってか70~80と言った所だ。女性を評するのには不適切かも知れないが、それでも人間のレベルで言っても十二分に強い。
そんじょそこらの野人にうっかり敗北し陵辱の限りを受ける……などという美味しいイベントも、どう転んでも起きる事は無い。
さて目の前の、兎を美味しく頂いた粘液達のレベルは如何ほどか。
海兎の眼前に表示された数字から得た情報は、魔獣達のレベルがほんの10程度しか無い、という事実であった。
つまり、
「おほっ、つ、冷てえ~。予想どおりぬるぬる……ぬるぬるクライシスですわこれは……」
「ひっ、き、気持ち悪い……何この感触……うぇ……」
「これ1匹くらい持ち帰っちゃ駄目かな。夜のお供にしたい」
「こっちも気持ち悪い……」
たかがその程度の魔獣の胃液や力に、負けるはずなどないのだ。
うごめくスライム達は自分達を容赦なく割り抜けて行く獲物を捕食しようと、本能のままにまとわり付いてくる。
雑魚は雑魚。終盤の勇者相手ではそもそも攻撃さえ当たらないようなステータスの、お約束どおりの雑魚でしか無かった。
さすがに直接的に圧力を掛けて来る個体は鬱陶しいので剣で払い、分裂した所を通り抜ける。いくら増えようが既に攻略法を見つけた海兎には関係無い。
増えすぎたスライムがどうなるかは不明であるが、いずれここを訪れた暇な冒険者の経験値になる事を期待して、海兎はずんずんと進んで行った。
捕食ができない対象だとようやく理解したのか、スライム達も追おうとはせず、うぞうぞと方々へ散って行った。
「達者で暮らせよ」
「ねえクズイカイト……あなた、控えめに言ってすごい恰好になってるけど」
笑いを堪えるフェミィの視線を追うと、なるほど理由が分かった。
下履きは腿のぎりぎりまで溶け、筋肉質な脚がむき出しになっている。長袖だったはずの服もへそ出しな上にノースリーブと化していた。
このまま道を歩けば、新手のファッションリーダーとして注目されるか頭のおかしい大人子供扱いは免れない。
だが、それを言うなら、彼女も同じであった。
「フェミィ」
「な、何? その素敵な服装を讃えてくださる神の名が知りたい?」
「いや、あのな」
彼女相手にピーピングならいくらでも使う。水浴びを覗き見た事も一度や二度では無い。もちろんピーピングを覚えてからは皆勤賞だ。
だが、それでも、所詮は妄想でしかまともに触れ合わない女体を直に楽しむには、海兎の経験値は足りなさすぎた。
ボロボロの上着を脱いでフェミィに差し出し、怪訝な顔をする彼女から目を逸らす。
「この服やるから、尻隠せよ」
「は」
今夜は眠れなさそうだ。そんな思考がかき消される。
魔獣をすら尻尾を巻いて逃げ出させそうな絶叫と襲い来る衝撃に、海兎は耳を塞ぐ間も無く卒倒した。
…………
石造りの牢獄に、規則正しい金属の音が響いている。その音がする度、獣戦士は苛立たしげに大きな口をひくつかせた。
彼の鋭敏な聴覚は、見た目の獰猛さとは裏腹に静寂を好む。何かとかしましいパーティにいた頃も、野営の際は進んで火の番を買って出て、自身の休息の時だと定義付けていた程だ。
不意に音が止み、子供のような声が語りかけて来た。
「ね、ガルちゃんはどっちに賭ける? 金貨の表と裏」
彼女のお決まりの問いだ。道に迷った時、未来が不安な時、いつも彼女はこうしてコインの裏表で賭けをしたがる。
その度にフェミィは「神より与えられた運命を試す愚行」だと怒るのだが、見えないものは確率だろうと運命だろうと同じ事だ。だからどちらを選ぼうが、あるいは選ばずに神の定めた運命とやらに委ねようが、物事はなるようにしかならないのだという当たり前の結論に落ち着くだけだ。
因果があるから結果がある。それまでして来た行いの結果を、たかだが二択を選んだだけで好転させる事などできない。
「表ならウチらはこのまま処刑。裏なら……」
「処刑された方がマシな結果だ」
「くっらあ。や、ウチはね? 生きて無事に出られると思うんだよね。てな訳で、ウチが裏ぁ」
なんと言う事だ。結局自分で決めてしまうのでは、わざわざ問うた意味など無いはずだ。
くっくっ、と喉を鳴らしたガルスは、選びもしていない運命に賭けさせられるという理不尽に、間違ってはいないな、と皮肉のひとつも口にしそうになった。
キンッと澄んだ音がする。隣の牢の女……ククリリがコインを弾いた音だ。
それほど強い力では無かっただろうが、拘束されたままの手で掴み損ねたのか、牢の床に跳ねたコインは隙間を抜け、ガルスの前に転がって来た。
しばらく転がった後、石床の段差に跳ねてガルスの方へ軌道を変え、コインは足に当たって止まった。
「ねえ」
少し小さな、震えた声が呼びかける。
「コイン、どっちが出た? 表? 裏?」
「……裏だ。オマエは、勘が良い」
「ほんと!? やー、良かったよ、ウチまだ死にたくないもんね。いざとなったらガルちゃんを差し出してでも生き残るもんね」
「そうだな。オマエはそういう女だ」
「ガルちゃん、ありがとね」
唐突に言われた礼にガルスが訝しんでいると、隣の牢が開く音がした。
次いで複数の足音。うちひとつは、間違いなくククリリのものだ。鎖が地面を擦る音もする。どこかへ連れて行かれようとしているらしい。
「待て、どこへ行く」
ガルスの問いに誰も答える事は無い。ここには意思疎通など図れない不死者と呼ばれる種の魔獣しかいない。だが、そんな者どもが遊びや嬲る目的でククリリを連れ出すはずもない。
であれば、誰かの命令に決まっている。直接的に魔獣を統括する四邪光は既に全滅している。この城に残っている唯一魔獣を司る権能を持つ者は誰か。
すなわち、魔王だ。
「待て、待て!」
必死で叫び牢を破壊しようとするも、自慢の怪力はマナを篭められた枷で封じられている。
やがて諦めたガルスは、力無く座り込んだ。視線を落とすと、足元のコインが、壁のわずかな灯に反射して光っていた。
旧金貨の表側に掘られた選別の女神は、慈悲深くも無情な笑みを湛えていた。
それ以降、ククリリが戻る事は無かった。
…………
ぐったりとうなだれる海兎の隣で、フェミィは先ほどから新品の杖を見てうっとりと目を光らせていた。
「お前さあ……」
何度めかになるこの言葉も、どうせ何を続けても聞く耳を持たないため、何度めかからは語尾が力無く消えるのみであった。
今現在、海兎が纏っているのは、フェミィが簡易的な腰巻きにしていたぼろと、きついショートパンツのようになった破廉恥履きだ。つまり、森でスライムをやり過ごした直後の恰好にリセットされている。
何故こうなったのか、話せば長いのであるが、簡単に言えば……。
「ほんっと聖職者の顔して性格ブスだよな、お前な。普通、尻を隠してくれた恩人に使い古しの布切れそのまま返すか? まあ服を新調するのは良しとしてさ、ちょっと目離した隙に杖まで買うか? 挙句に財布は盗まれましたって、なあ、ちょっと、聞いてるのかよ神官様」
「神の声が聞こえたのです。この杖を手にせよ、さすれば我が信仰を深く広める助けとなろう、と。信仰のためであれば異教徒も焼く、それが敬虔な信徒というものですよ」
「フェミィの教団ってもしかしてイカれたカルトなのか?」
「言葉の意味はよく分かりませんが、我が教団は決して異教徒へのむやみな弾圧など行いはしません。今のは、物のたとえです。ああ、トゥイータ様の美しいお顔がこんなにも精巧に……以前の私であれば決して手にできない逸品が……」
レアなグッズを手に入れたオタクの気持ちはよく分かる。自分も、元の世界では苦労して初回限定盤と名の付く、不要なおまけのついたむやみに大きな箱を求めたものだ。
だが、それはあくまで経済的に満たされ、飢える心配など無い時の話。気を抜けば死ぬこの世界で、嗜好品に手を出す余裕など今の自分達には無いのだ。
「せめて何か見返りをよこせ。その胸を揉ませろ」
「あなたに憤怒と汚泥の神、フェズブグの寵愛があらん事を。塵でできた虚無の世界へ誘われるそうですよ」
見返りはまさかの呪いであった。
愛おしそうに杖をさする変態と、見た目からして既に終わっている変態が並んで路端に座っている姿は新手の物乞いに見えるのだろうか。
容器を置いている訳でもないのに目の前にはいくつか小銭が投げられ、その上『同業者』とおぼしき者達からは睨め付けられる始末である。勘違いでこの仕打ち、何が間違っていたのだろうかと強く自分に問いかけながら、海兎はまたもうなだれた。
「やはり世界は美しいですね。御覧なさい、女神トゥイータの威光は、このような小さな村にも届いているのです」
目の前の小銭や老婆が差し出してくれた果物を指し、フェミィは誇らしげに言った。その目に一点の曇りも無い事に、若干、いやかなり海兎は腹立たしかったが、その腹が空いていては怒りさえ表に出せない事に気付き、ため息まじりに果物をひとつ手に取った。
赤い皮の中身は少し硬いが、甘酸っぱい果汁が溢れ、美味であった。リンゴのような外見だが、味はレモンに近いかも知れない。
しばらくぼんやりしながら齧っていると、目の前に硬貨が投げ落とされた。色は金。つまり、高額な貨幣だ。
よく確認しようとした瞬間、小さな足が目の前を掠め、金貨を踏み付けた。
「ねえ。表と裏、どっちに賭ける?」
隣で息を呑む声がして、海兎も思わず顔を上げ、目の前に立つ少女の姿にすぐに思い当たり、愕然とした。
忘れるはずがない。マナイ、タキゾー、ガルス、そしてククリリ。
自分のせいで魔王に殺され、あるいは囚われた彼らの1人……魔術と召喚術の達人、かつての仲間であり、今は海兎が助け出さんとしているククリリが、天真爛漫な笑みを浮かべて立っていた。