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レベル100で旅立つ魔王討伐記(正直無理なので逃げたいです)  作者: 景浦良野
第1章 ゆうしゃ の なまえ は
2/28

1-2 女神様やらかした

 勇者一行全滅す。

 その報は魔王討伐に望みを懸けていた者達に、計り知れない衝撃と絶望を与えた。

 各地方を統括していた四邪光は倒れ、直接的な圧政から逃れられたとは言え、未だ街の壁外には魔獣が跋扈し、結界の内側にいる民も怯えて暮らさねばならないのが現状だ。

 結界の加護とて誰もが受けられる訳でもない。たとえば辺境の村、外れの農家は、自前で手に入れた忌獣石や雇い入れた傭兵で細々と自衛して行くしかない。

 世界は結局の所、不平等だ。

 だが、そんな不平等の極みのような場所から生まれ立ち、世界の根底を変えようとした者も確かにいた。

 勇者カイト・イクスと、その思想に共感した者達である。彼らは皆、己の属する共同体から爪弾きにされ、あるいはそれらを失いつつ、不平等を強いる諸悪の根源である魔王を倒すという目的のために戦い、圧政に苦しむ者を救って来た。

 ある時は暴君に化けた魔獣を、またある時は民衆に偽りの施しを与える魔獣や、ひたすらに略奪と殺戮を好む魔獣を倒した。

 残る1体の四邪光ヨナバルも魔王城にて下し、いよいよ魔王を倒せば全ては終わるはずだった……のだが。


「じいちゃん、畑の手入れ終わったよ。次は何したらいい?」

「少し休もうや。ほれ、茶でも飲め」

「ありがとさん。お、玉露かな?」

「また妙な事を口にしよる。マツバリの枝だよ」


 独特の匂いに一瞬顔をしかめるも、濃く煮出したウーロン茶のようなその味は、決して嫌いではなかった。

 この生活ももうひと月になる。魔王城から命からがら逃げ出したカイト……海兎は逃走中に崖から転落。長大な川を流され死を覚悟したのだが、気付けばこの家に拾われていた。

 1人で暮らす老父の手伝いをするうち、すっかり順応した海兎は、なんだかんだで自身の境遇を楽しんでいた。

 ここには放任しているくせに世間体のために口うるさく復学を迫る親もいなければ、自分を虐げつかの間の優越感に浸るくだらない同級生もいない。

 まして、あの日見た血生臭い光景とも無縁だ。

 無論、ここが魔獣に襲われないはずはない。農作物を狙い、すっかり魔獣に住処を奪われた野生動物ともども、ここには敵対する者が多く出現する。

 そこで、海兎の出番だ。


「ん? おい」


 老父が睨め付けた先、畑で動く影があった。

 また狼か、あるいはモールラットかも知れない。

 だが、前者であれ魔獣の後者であれ、今の海兎にとっては子犬とハムスター程度の脅威でしかなかった。


「ちょっと追っ払って来るよ」


 着の身着のままの軽装と適当な木の棒を持って海兎は畑へ向かった。

 これで直接戦った事は無いが、何故か殆どの動物や魔獣は海兎がこうして姿を見せるだけで逃げ出すのだ。逃走中もこの不思議な能力には助けられて来たが、まさかそれが勇者の権能だとは、海兎は夢にも思っていなかったのだが。

 海兎のここでの仕事は主に農作業の手伝いなどの力仕事と、時おり襲って来る野生動物や魔獣への対処だ。

 老父は未だ健在ではあるが、若者ほどの体力があるかと言えば怪しい。命の恩人である彼に、自身の有り余る力をもって礼を尽くすのは、クズタコとあだ名される程に腐った海兎にも分かる当然の道理であった。

 ガサガサと音を立てて野菜を漁る下手人の背が見える。


(えっ、人!?)


 確かに、こんな田舎に野菜泥棒がいない事も無い。相当荒れたなりを見るに、この近くに住むという野人、あるいは存在するかは不明だが人型の魔獣である可能性も考えられる。

 今までは動物相手くらいにしか使わなかった脅しが、果たして目の前の相手に効くのだろうか。


「おい、お前」


 やや上ずった声で呼びかけると、下手人はびくりと肩をすくめ、手を止めた。


「手を頭の後ろで組んでゆっくり振り向け。いいか、こっちは剣を持ってるぞ。何かしたらその瞬間に斬る」


 そもそも言葉が通じるかも分からない上にただのハッタリだが、幸いにも効果はあったようで、おずおずと手を組み、その人物は震えながら後ろを向いた。

 意外な事に女だ。泥にまみれた酷い顔であるが、つい最近浮浪の身に落ちたのだろうか、汚れさえ無ければその身なりは小綺麗だったようにも見える。


「あ、あ、あな……」

「悪いけど、この畑はじいちゃんの大切な」

「あなた、あなた! ああーっ!」


 突然興奮しだした野菜泥棒に面食らっていると、女はぼろぼろの手で掴み掛かって来た。

 まずい、と直感する。今まではなんとなく敵が逃げてくれていたからどうにかなっていたものの、当然戦った事なんて無いし、武器も剣では無く、その辺りに落ちていた棒だ。

 この女が自分を殺すつもりであれば勝てる訳がない。どうにかして謝罪の方向に持って行けば許してくれるだろうか。

 後ろ向きな現状打破を考えていたその時であった。


「カイト……カイトーっ!」


 自分の名を呼ばれはっとする。

 見れば女は、汚れた顔をさらにぐしゃぐしゃに歪めて泣きじゃくっていた。明らかに敵対の意思は感じないどころか、自分(勇者)の知り合いであるらしい。

 もっと言うならば、その顔には見覚えがあった。


「……委員長?」


 正確には違うが、委員長と呼ばれたその女性は、紛れもなくひと月前のあの日に自分を生き返らせたという、知人のそっくりさんであった。


…………


「それでっ、えふっ、みんなあの場に現れた、んふっ、魔王にやられ、ずびっ、私、逃げ出し、えぐっ、んんっ、ゲホッ、ゲホゲホッ……」


 泣きながら訴えながら食べ物を口に運びながら思いきりむせた委員長ことフェミィに水を渡してやる。

 それを飲み干すと、また忙しなく口に物を運び始めた。どうやら説明するより先に空腹を満たす方が重要だと考えたらしい。

 魔王城で見た時は清楚な神官と言った風体であったが、お古の地味な服に身を包みスープとパンをがっつく姿は、ハッキリ言って育ちの貧しい人にしか思えない。

 それにしても、と海兎はため息を吐いた。

 やはりあの場に現れたのは魔王で、しかも自分が逃げ出したせいで大変な事になってしまっていたらしい。

 自分を庇ったマナイという少女も、生き返らせる事はできなかったと言っていた。

 つまり自分のせいでフェミィを除くパーティは全滅、尊い人命は失われたという事だ。

 それを認識した途端、両肩にずーんと伸し掛かって来るものがあった。正直、実感も沸かないままに放り込まれた世界の人間など、積み重ねた思い出も絆も何も無い、いわば友人のセーブデータでプレイするRPGのようなもので、どうなろうと知った事ではない。

 が、そこに『自分のせいで死んだ』という一文が付加されるだけで、単純に気分が悪かった。

 俺のせいじゃないのに、と言い訳もしたいが、目の前で涙を流しながらパンを咀嚼し、もごもごと神への祈りを口にしている少女にそれを告げるのは、いささか酷すぎる気もした。

 そもそも彼女は事情を知らない。自分は勇者カイトではないのだ、と明かさなければ、どんな恨み言をぶつけられるか分かったものではない。


「あー、あのさあ、じいちゃん」

「分かっとるよ。さて、椅子を揺らしとるだけじゃ老いぼれるばかりだて、久しぶりに薪でも割るかいの」


 一言で何かを察してくれたのか、老父は斧を持って外に出た。

 同時に、食べ終えたらしいフェミィに向き直り、彼女が一息つくのを待ってから、海兎は話し始めた。

 自分が何故こんな所にいるのか、何故勇者カイトとして蘇ったのか。その一部始終を。

 そう、魔王城から逃げ出したあの日、放浪の果てに気を失った時に出会った、女神と名乗る存在の話を。


…………


――海兎、海兎。


 自分を呼ぶ声が聞こえる。ここは、以前にも来た事がある気がする。

 そうか、あの海だ。自慰のしすぎで死んだ日、いつの間にか浮かんでいた海だ。

 それを実感した瞬間、海兎の目の前にそれは現れた。

 大小様々なパーツで構成された機械の椅子。その上に座る、黒いスーツの美女。切り揃えられた髪の下、肌は白く透き通り、美しい形をした目が海兎にまっすぐ向けられていた。


「女神……? 何でスーツ……」


――これはあなたが想像した私の姿。あなたが見る私は、偏在する無数の私の影のひとつに過ぎません。誰しもが私を見て、そして誰しもの中に……。

「そうじゃなくてさあ、スーツだったら黒ストは必須でしょ!? 何だよその生足。俺の想像? いいや違うね、俺はこんな中途半端な想像はしない。デニールの数字まできっちり想像してみせるね」

――はあ。

「はあ、じゃなくてさあ。ほら、分かったら早く早く。あ、履く時はちゃんと片脚ずつゆっくりね。一気に表れるとかやめ」

――ちゃんと聞けって。


 急にドスの利いた声を出した女神に驚き、海兎は思わず姿勢を正した。と言ってもここは体の境界すら曖昧の世界であるので、あくまで彼の感覚の中の事でしかないが。

 さっきまでの態度は演技だったのか、ガリガリと頭を掻くと、女神は大胆に脚を組んでふんぞり返った。見えそうで見えないアングルに注視しそうになるが、ぎろりと音のしそうな目で睨まれすごすごと引き下がる。

 気だるそうに爪を弄りながら、女神は言い放った。


――まあ早い話がさ、間違えちゃったワケ。あんたと、あんたが今使ってる体の主を。

「は?」


 間違えた、の意味が分からない。何を間違える事があるのだろうか。

 説明不足にも程があると(感覚の)目で訴えている事に気付いたのか、女神は至極面倒くさそうに説明をしてくれた。


――ここはあらゆる次元、あらゆる世界の魂が集まる海。その魂を選別する女神の1人が私。生命は死した時、必ず転生か消滅を選ぶ事になる。けれど、まだ生き返る余地のある者については、その後の運命を査定した上で元の体に返す事になっている。ここまではオーケー?


 何が何やら、唐突に始まった説明に着いて行くだけでも精一杯であるが、海兎はとりあえず(感覚で)頷いた。


――私の受け持った世界の中に、あんたのいた世界『アルシャマリー』と、今いる世界『バテンカイトス』があった。普通、それぞれの世界の人間の魂の波長が合う事は稀だし、それが同時に命を落とすなんて事も滅多に無い。けど、あんたと、カイト・イクスというバテンカイトスの人間はぴったり同じ時間に命を落とした。そこから先は私の仕事。カイト・イクスは直後に魔法により蘇生する運命、そしてあんたは……。

「お、俺も助かったのか!?」

――様子を見に来た親に発見されて『そのまま』病院に搬送、一命をとりとめて普通に復帰する運命だった。

「その……まま……」


 記憶にある限り、確かあの時は全裸で卒業文集を開いていたはずだ。PCの秘蔵フォルダは開きっぱなし。いつもはロックを掛けているそれの中身を親が見たら、呆れを通り越して卒倒するかも知れない。

 隠していた雑誌を捨てられた事は何度かあったが、あれはまだ健全であったと言える程のファイルでいっぱいのそれは、少なくとも同年代の男子の旺盛な性欲、で片付けられるレベルでは無かった。


――話進めていい?

「はい……」


 どん底まで落ち込む海兎に、女神がやや苛立ったような声を掛けた。そう言えばあの時もこんな声を出していた気がする。見た目以上に短気で、女神らしい慈愛や優しさなど、その態度からは何一つ感じられない。


――問題はあんた達の魂の波長が完全に一致していた事。そして抱いていた感情も同じ方向、同じ強さに染まっていた。強い未練や後悔ってものにね。


 未練、と聞いて海兎ははて、と首を捻った。

 自分はあんな世界に未練などあっただろうか。

 大切にすべき者も、叶えたい目標も無い。どこにも未練など置き去りにはしていないはずなのだ。

 もしかすると、心の奥では望んでいたのだろうか。自分を決して受け入れようとしない、ヘドロのような環境に順応し、普通の生活を送る事を。

 それは、あり得ない。とっくに捨てた感情だ。ここ数年、感じた事さえなかったものなのだ。

 とすれば答えは一つ。マラソンを完走できなかった事、それが未練に違いない。確かに悔しい。前人未到の領域に到達できなかった自分という人間のちっぽけさは、死した今も死ぬほど悔しいと感じる。


――波長も、色も、運命もよく似通った魂の選別を一瞬でやるなんて、ぶっちゃけ無理な訳よ。まあそれでもこっちだってプロだし、感覚に自信はあったけれど……あんたの世界でも言うじゃない? 弘法にも筆の誤りって。


 要はうっかりミスに開き直っている訳だ。人の運命を狂わせておいてその言い草は腹立たしい事この上ないが、それができるのならこの女神は、自分をもう一度転生させる事も可能なのではないだろうか。

 うっかりミスで望まない人生……それは相手だって同じはずだ。なら、それを撤回するか、あるいは新しい人生を歩ませてくれてもバチは当たらないはずだ。

 できれば行き先を指定して、もっとマシな人間として、文明先進国で何一つ危機も不自由も無い生活を望めるのではないだろうか。

 素直にそれを口にすると、女神は噴き出した。


――まあできなくもないけど、それやって意味あるの?

「はあ?」

――あんた、どうせまた生まれ変わったって同じ事するでしょう。一度誤った魂が二度めで更生する事なんて無い。だからどうしようもない罪人の魂は消滅させるのが常識なの。このままだとあんた、生産性の無い魂として消滅コースだけど。

「はああ!? お、俺は何もしてないだろ! 善良な高校生として、普通の生活を謳歌してただけだ!」

――その何もしてない、が問題なんだって。怠惰は罪。アルシャマリーでもそれは変わらないでしょう。


 取り付く島もない女神の言葉に、海兎は愕然とした。

 つまり自分はもう、転生は望めないのだ。とりあえず満たされた空虚な生活にも、それ以上すらも望めない。

 魔王だの勇者だの、血生臭いこの世界で生きるほかないという事だ。

 何も言い返せないでいると女神はこう付け加えた。


――魔王を倒しなさい。あんたの怠惰を濯ぐ一番の近道はそれよ。ちまちまと善行を積んだ所で、せいぜい普通の人生としての転生しか待っていない。なら、ドカンと一発稼いで来なさい、善行ポイントを。


 善行ポイントという適当な言葉に舌打ちしそうになった。どこまで俗っぽいのだろうかこの女神は。もっと恰好から何から、女神らしさを追求して欲しい。神様なら神様らしく、天啓とかそういうもので勇者を導くものではないのか。


――まあ正直、期待はしてないけども。自慰三昧のあんたの人生から今さら何か生まれるなんて思ってない。せっかくの勇者の力も持ち腐れだし、善行を積むまでもなく世界滅亡は秒読みって感じ。


 思いきり馬鹿にするような態度に、海兎の堪忍袋の緒が音を立てて切れた。


「オ○ニーだ……」

――は?

「自慰じゃなくてオ○ニーって言え! どうせテキトーな仕事しかしないクソ女神のくせに、今さらカマトトぶってんじゃねえ! さあほら言えよ、言え! オ」

――な、何、いきなり? 気持ち悪……そういう所が大罪を犯す魂である所以なんだって。あーもう面倒臭い、ほら、早く行け、行けってば。


 なおもその単語を連呼する海兎の視界が泡で覆われた。瞬間、あの時感じたものと同じ引力で底に流されて行くのを感じる。

 女神による強制排除と言った所か。さすがの女神様も、理性の切れた相手を前にすれば、人間のような感情を持つらしい。

 この時、海兎は思っていた。

 絶対に魔王なんて倒してやらない。ヤツの思わぬ方向性で積んだ善行ポイントで、アルシャマリーへ転生を果たしてやると。

 その際の注文は細かく、面倒なものにしてやろう。なんなら身近な女性の配役に女神そっくりの美女を要求しても良い。

 羞恥に歪む女神の顔が目に浮かぶ。それだけは勘弁して下さい、と泣いて頼むかも知れない。

 かくして始まったのだ、女神への復讐、その旅立ちが。


…………


 語り終えた海兎の心は清々しいもので満たされていた。

 何の事情も知らない人間からすれば、こんなものは頭のおかしい与太話に過ぎない。だがフェミィは、実際に勇者がおかしくなったのを目の当たりにしている当事者だ。

 必然、信じるしかない。


「あー、うー、ええと……」


 フェミィは頭を抱え、事態を飲み込もうと必死になっているようだった。


「あなたは、クズイカイトって人間なのね、本当は」

「ああ」

「ええー……ちょっと、ちょっと待って、どういう事なの……女神? 転生? 取り違えた? 訳分かんない……でも待って、確かにあの時、私を見てイインチョウって……うう~……」


 そのままかなりの時間唸り続け、ようやく理解が追い付いたのか、フェミィは顔を上げた。

 その目は完全に不審なものを見る、警戒の色に染まった目だ。

 苦楽を供にした仲間が突然見知らぬ変態に取って代わったのだから、その反応は当然なのだが、若干ながら戸惑いも浮かべているように見えるのは、完全には信じきれていないという事でもあるのだろうか。


「それじゃあ魔王討伐は?」

「やらないけど」

「そんなあっさり!? あ、あなた、故郷を焼かれたのよ? 育ての親も亡くなったから、魔王は絶対に許せないって……」

「親、生きてるよ。たぶんアルシャマリーの方で元気に」

「あなたじゃなくてカイトの! それに、今までだって色んな事があったのに、全部台無しにする気!?」

 頬杖をつき、少し考えてから海兎は言った。

「まあ、俺に関係無いしな」


 その言葉を聞いたフェミィは糸が切れたようにへたり込み、それ以上何の反応も示さなかった。

 彼女の心も理解できない訳ではない。だが、それはあくまで他人の話、実感の無い作り話にも等しいものだ。

 それで奮起し、命懸けの戦いに身を投じろと言う方が横暴である。

 それよりせっかくこうして健全かつ強靭な肉体と平和な生活基盤を手に入れたのだ。

 ここから善行を積み、天寿を全うする事で女神に会い、要求を突き付ける方法を考える方が重要だと思える。

 ふらふらと寝床に向かうフェミィの後ろ姿に、少しばかりの後ろめたさを感じながらも、海兎は決して情には流されないという決意を新たにするのであった。


…………


 ギィギィと木が軋む音で目を覚ました海兎は、用を足すべく部屋を出た。

 リビングではランプの灯の傍で、老父が椅子に揺られていた。

 寝ているのだろうか。そう思い毛布を掛けようと近付いた海兎に、老父は「カイトか」と声を掛けた。

 節くれだった手の中には、銀細工のペンダント。確か、病気で亡くなったという妻の形見であったはずだ。


「風邪引くぜ。夕方も年甲斐もなく働いたんだからさ、早くベッドに入んなよ」

「……お前さん本当は、この世界の人間じゃないらしいな、クズイカイト」


 あの話は聞かれていたのか。

 まずいものではないが、なんとなく目線を逸してしまった。

 だがそんな海兎を咎める事なく、老父は手の中のペンダントを弄んだ。


「わしに難しい話は分からんよ。現実とは思えない夢話もな。だが、現実とは思えん悪夢を、わしは知っとる。魔王だ」


 チャラ、と鎖が音を立てる。海兎の目の前にぶら下げて見せたペンダントは、よく見ればところどころに黒ずんだ錆があった。


「妻はな、魔王に殺された」

「!? び、病気だって……」

「わしが街に出た数日の間に、この辺りを統括していた魔獣が疫病をばらまいたんじゃよ。目的は勇者が村を通る事を見越しての作戦、とか聞いたな。わしが帰った時には、もう妻は動かんようになっておった。わしも苦しんだが、なんとかくたばる前に魔獣が倒された」


 ほんの数ヶ月前の出来事、それも勇者のせいで起こった悲劇を、老父は静かに、淡々と語った。

 自分が勇者カイトだと知った時、老父の心に如何な感情が湧いたのかは定かではない。今こうしている時も、彼は殺したい程に自分を憎んでいるのかも知れない。愛する妻を奪った真因とも言える勇者の事を。

 中身は違っても、自分は紛れもなくこの世界の勇者、カイトであるのだから。


「なあ、カイトや。別段お前さんは、この世界に起こってしまった事も、勇者がやって来た事も、何にも責任を感じる必要は無いんだ。それは別の誰かの仕業、別の誰かの人生であって、お前さんの物語ではない。でもなあ、これからは違う。これからは勇者って肩書きと力を背負わにゃならん。今までの責任など取る必要は無いが、これからの運命はお前さん自身のもんになっちまったんだ」


 勇者の力。思えば、頑健な肉体は、勇者カイトが今まで死ぬ気で鍛え上げて来た賜物だろう。

 農作業や家事ではその力に随分と助けられた。これから積む予定であった善行も、全てこの体を基礎にした計画を立てるはずだった。

 力には責任が伴う。元の世界で観た映画の台詞が今になって実感できた。

 たとえ女神による取り違え、理不尽な運命の悪戯であったとしても、もはやこの人生は自分のものだ。これから先、全うするまで生き続けなければならない。

 これからの人生の責任は、全て葛井海兎が取らなければならない。

 なら、葛井海兎が勇者カイトになってからの全てに責任を持たなければならないなら、自分の決断の誤りが招いた事を、償う義務があるというのなら。


――何もしてない、が問題なんだって。怠惰は罪。


 腹立たしい、女神の声が頭に響く。

 無力だからこそではない。満ち足りたがゆえに生まれる怠惰は、確かに罪であった。そこに生じるものは往々にして大きな損失であり、もう二度と取り返す事も叶わないのだから。


「わしはお前さんにどうしろとも言わん。明日も明後日も仕事はある。裏の水車を直さにゃならんし、収穫はわし1人じゃ億劫だ。お前さんが決めりゃいい」

「じいちゃん……おやすみ」

「明日は早いぞ。寝坊したら、叩き起こすからな」

「はは、老人は朝が早えもんな」


 当然、決まっている。

 自分が目指すべきは、地道にコツコツ積み上げた善行ポイントによる理想の転生だ。

 魔王など知った事ではないし、世界が支配されてもどこでだって慎ましやかに暮らす事はできるだろう。

 なにより自分は勇者の力がある。大切な者を守りながら生活を営む事は容易だ。

 だから、決断などする必要も無い。

 自分が、選ぶべきは……。


…………


 日が昇らない内に起きたフェミィは、簡単にお礼を書いた紙と教団の証である純金の十字架を置き、なるべく音を立てないように注意しつつ家を出た。

 振り返り、家の中でまだ寝ているであろう老父に向けて祈る。

 祈りが済むと、フェミィは踵を返して歩き出した。


「よっ」

「きゃあっ!? か、カイト?」


 物置の陰からひょっこり出て来た人影に驚き飛び退る。

 カイトが軽薄そうな笑みを浮かべて、片手を挙げて立っていた。

 もう話す事は無い。彼は自身のよく知るカイトではない。どちらかと言えば、軽蔑すべき類の人間だ。

 カイトを無視して歩み去ろうとすると、彼は「考えたんだけどさ」と口にした。

 その声に、歩みが止まる。

 考えたんだけどさ。それは、自分が教団を失い、途方に暮れていた時に彼が口にした言葉でもあった。


「やっぱ俺、魔王とかどうでも良いんだ。この世界でカイトが生きた十何年は、結局俺には関係無い。色々イベントがあって、心を通わせたキャラとかも死んだんかなとか、まあそれも、正直『俺』には関係ないんだ」

「だったら何なの。関係ないなら、ずっとここでおじいさんを手伝って平和に暮らしなさいよ。お願いだから邪魔をしないで。あなたを見ていると虫酸が走るの」

「関係あるとすれば、俺が俺になってからの事だよな。俺が間違えたせいで迷惑掛けた事だけは、やっぱ責任取らなきゃなって思うんだ」

「だから……!」


 突如、カイトが親指を折り込んだ手のひらを目の前に突き出した。

 その仕草に思わず驚いていると、カイトは「四人だ」と言った。

 瞳も、声色も、さっきまで軽蔑していたクズイカイトのそれではない。自分の知っている、勇者カイトが何かを決意した時の、あの強い色に満ちていた。


「とりあえず四人。俺のせいで魔王にやられた仲間の分。そいつら全部助けるまでが、俺の責任だ。魔王を倒すのは、あんた達でやってくれよ」


 マナイ、タキゾー、ククリリ、ガルス。四人は今、魔王城に囚われになっているはずだ。

 特にマナイは蘇生魔法が掛けられなかった。それが心残りであり、一刻も早くどうなっているのかを確認したかった。

 自分1人では莫大な時間が掛かる。だが、今の勇者が一緒なら、その目標はぐっと近くなるはずだ。

 なにせ、勇者の力は四邪光と1人で渡り合うまでに成長している。ただ魔王城へ向かうだけでも楽な道程になるはずである。

 決めあぐねていると、カイトの親指が所在なさげにぴくぴくと動いているのが見えた。

 もしかすると彼は迷っているのかも知れない。五人目に、自分を含めるか否かで。

 やはりその部分が根本的に勇者カイトとは違いすぎる。彼なら迷わず五人だと言い切っていただろうし、それどころか数え切れないほどの人間の名を挙げていたかも知れない。

 やはり、目の前の彼とカイトは別人なのだ。


「…………分かった。後の事は、四人を助け出してから考えましょう、クズイカイト」

「うっし!」


 あまり気は進まなかったが、カイトが差し出した手に握手をした。当然ではあるが、元のカイトと同じ手の硬さに、複雑な胸中を思わず表情に出しそうになった。

 もうすぐ日が昇る。きっと世界は変わらず、見えない暗雲が立ち込めているのだろう。

 それでも朝焼けの美しさだけは、いつだって変わらない気がした。


…………


 かくして2人の旅は始まる。

 一度は逃げ出した勇者カイトが、葛井海兎が始める、ゼロからの道程が。

 長い旅になるのかも知れない。あっという間に終わる、後片付けのような旅になるのかも知れない。

 その行く先は、きっと創造主(われわれ)ですら分からない。

 だが、あえて私は突き放そう。足掻いてみせよ、葛井海兎、と。

 そして同意に祈りもしよう。汝に、私の知らぬ神の慈悲あらん事を、とでも。

 それはそうとあの子、まだ気付かないのかな。あ、気付いた気付いた。


「……ねえクズイカイト。あなた、やけに身軽に見えるんだけど……鎧は?」

「ああ、あれ? じいちゃんに拾われた時に売った」

「…………は?」

「じいちゃんちの敷地、荒れ放題だったからさ。整地したり小屋建てたり。すげえのなあの鎧、結構高値で売れ……おい、フェミィ? どうした?」


 こりゃ、先が思いやられるわ。


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