ドミノ倒し
例えば、ジョンがデパートへ買い物へ出掛けたとしよう。すると、そこには必然的に、そうなった理由が付随している。それは例えば、冷蔵庫の中に足りないものがあったり、はたまた、何かの広告を見て、安かったから、もしくは欲しいものがあったから買っておこうという意思だったり、はたまた、気分転換や、何か食べ物を探しにいっていたり。もしかしたら、お使いかもしれないね。
これから、すべてのルートに対して、過去をある程度把握できる。そうだね、例えば広告の件を例に取ってみようか。
この場合考えるべきは、なぜ彼が広告を見ることになったかだ。たまたま携帯を弄っていたらそのページにたどり着いたり、はたまた、意図があって、今日は何がどの値段で売られているか確認してみたり、などとね。
ここから、この場合における彼の日常の一端が推測されるのだ。
冷蔵庫の件も同様に推測できる。中身がなかったということは、普段から料理をするのかしないのかに関わらないが、少なくとも、冷蔵庫の中身が少なくて買い物に行く場合を考えている現在のパターンだと、彼は普段から料理をする人間だと考えることができる。もし、それが冷蔵庫に関係ないならば、何か食べ物を探しにいっていると考えられるしね。
最初の広告の件では、時間はあまり断定されないが、後者の場合において、それは大概朝食前、昼食前、夕食前という時間の推測が可能となる。
この日が平日であるか休日であるかは、まだ不明だが、そこは関係ないだろう。注目すべきはそこではなく、次の彼の行動だ。ここで、彼が何を買うかによって、その人の食生活の大方はわかるのだ。その食生活から逆算して、彼の体型を鑑みることで、彼の普段の運動レベルもわかってしまう。
そして、ここから先程と同じように、彼の体格や、体の動かしかたからも、同様に理解できるのである。
ここからはジョンの視点に移って考えてみることにしよう。
例えば、彼は内気で、なんの取り柄もないごく普通の高校生だったとしよう。性格は臆病で、対人恐怖症だと設定しておいた場合において、彼の周囲の人間関係や人生は、限りなく狭まってくる。
彼は対人恐怖症、臆病、内気なのだとした場合、大概その過去には、それに繋がるような時期があったと理解できよう。例えば、年上から暴力を振るわれたために、年上の人に対して恐怖心を抱いていたり、人と話すのが苦手になったりする。
臆病で内気なのは、おそらくここにあり、実は昔、何をいっても信じてもらえなかったという様な過去があったりするのかもしれない。そうなってしまったら、彼は必然的に嘘つきになるだろう。これらを鑑みれば、彼は独創的な発想力を持つだろうという推測が成り立つ。しかし、対人恐怖症がそれを邪魔するだろう。つまり彼は普段からネットなどをして時間を過ごすという日常があるはずである。
次に、彼のそんな現状から推測するに、まだ保護者と呼べる存在は健在だろう。彼は高校生だが、人と関わることを避けるようになる人生を送っていたわけだから、大概にしてバイト等はしてはいないはずだ。こんな状況ならば、未来は当然、ニートになって、最終的には一人で餓死していくのだろう。
なぜそうなったかは、以前説明した通りだ。問題は、過去にある。そう、例えば彼が、年上の人に暴力などを振るわれなかったり、話したことを信じてもらえたりしていれば、彼の人生は明るくなったはずである。社交的に育つはずである。だが、そうはならなかった。思うに、その原因は、大方保護者にあると言えるだろう。
なぜ保護者が関係するのかって?言っただろう?環境が全てを左右するのだよ。子供が多分にして多くの時間を共に過ごす人間はそう多くはない。一般的にはその子供の保護者であることが通例である。内気になる原因としては、十分すぎる環境だろう。
では逆に、なぜ保護者がジョンに対して、そんなことを行ったかと言えば、それも彼らの過去にあるだろう。それもジョンと同様に、環境問題に大きく依存している。
これらのことから、私は人生に対してある法則に思い至ったのだ。それはつまり、人間の行動という主幹は全て、外的要因にのみよって操作されている。だから、つまり言うところ、人生というものはおよそ8割は、最初から決まっているのである。その他2割は、後に受ける人間関係やらが依存しているのだろう。結果的に考えてしまえば、人は皆、自分では行動していないのである。一人で動いているように見えて、実は何かの外的要因によって突き動かされた結果にすぎないのである。
そう、つまり簡単にいってしまうなら、人生とはドミノ倒しの様なものなのである。複雑に絡み合ったドミノ倒しである。それは、立体的な棒で作られている実際のそれとは異なるものだ。過去の要因が、現在に影響している例は、先程説明した通り多いのである。
私は思う。人はただただ倒れる棒、ドミノ倒しというゲームの中のえの現象そのものであると。