第81話 井戸と農業用水
次の日。
朝からラピシアと井戸を掘った。
屋敷と長屋の中間辺りになる。
水脈の上に太い円を描く。
「井戸は分かるな? この円の外周に沿って、下の方まで石にするんだ。岩の層に当たるまで。中は土のままだぞ。それから内側を水に当たるまで砂に変える」
「んー。わかった」
ラピシアはしゃがみこむとぺたっと地面に両手をついた。
むむむ……真剣な顔で唸り始める。
「土さん 石になぁれ! ――えいっ」
ごごごっと直径1メートルほどの石の丸い円ができると、それが下まで続いていく。
岩の層に溶接される感じで井戸の外壁が出来上がる。土管を土の中に突っ込んだ感じ。
「次に内側を砂にしてくれ」
「うん!」
井戸の真ん中当りに手を置いて、ぐぬぬ、と眉をしかめる。
「さらさらの砂になぁれ!」
ズシャッと一気に砂に変わる。土が砂に変わっていく。
岩の層まで達すると少し速度を落として砂に変えていく。
ついに水脈に当たって、じわっと水が染み出てくる。
「これぐらい?」
「いいぞ、ラピシア。よくできた」
「わーい」
褒められたラピシアは飛び上って喜んだ。青いツインテールが軽快に跳ねた。
俺は手を前に突き出して呪文を唱える。
「我に従うそよ風よ 砂を巻き上げ 激しく渦巻き天を舞え! ――《風砂竜巻》」
井戸の上の空気が、激しく渦巻く。
ラピシアの白いワンピースがはたはたと揺れる。
砂は巻き上げるが、水はそのままのため、竜巻の回り霧が立ち込める。
陽光を浴びて虹を作った。
「ふぉぉ~虹なの!」
ラピシアは笑顔で、口を開けて驚いていた。
竜巻は砂と水だけを巻き上げて、空へと運ぶ。
井戸の中の砂がどんどん減っていく。
底まで巻き上げたところで、東へ運んで村の外に捨てた。
井戸に戻って中を覗き込めば、深いところに水がたまっていた。
掘ったばかりなのでまだ濁っている。
「これで食事や風呂、また植物の水遣りに使えるな。ありがとうラピシア」
「なんだか嬉しい! もっと作る!」
「また水脈見つけたら頼むぞ。さあ、フィオリアたちを手伝ってきてくれ」
「わかった!」
ラピシアは細い手足を振って屋敷へ戻っていった。
――そういえば、ラピシアのレベルアップをさせないとな。
次は『空を知る』だっけか。
村の開発の目処が付いたら、一度空を飛ばせてやろう。
そんなことを考えつつ、俺は屋敷に戻った。
クラリッサやミーニャに井戸ができたことを報告しておく。
ハーヤには井戸の水を手軽に汲める道具を頼んだ。
かなり深かったため、桶を入れて組み上げる方式では手間が掛かりそうだったから。
「さて、次はどうするか」
千里眼で村や畑、はたまたもう少し遠くを眺める。
東から小川が流れてきていて、村の西側で大きなため池を作っている。
ただし、今のままではすべての畑を潤せるほどの水はなかった。
「農業用水を確保するか」
新しくため池を掘るにしても、水量の確保が重要だった。
なぜ畑を増やすのか。
――農地を増やせば定住者が増える。
俺の恩恵を受けて、信者になりやすいと考えたから。
千里眼で小川を辿っていくと、15キロ先に大河の土手が見えた。
小川の水は土手の上を越えるようにして流れている。
風車の力を利用して小川へと汲み上げているらしい。
――効率悪そうだな。ハーヤに頼んでゴーレム式に換装してもらえばいいな。
近くで見て、正確な数値を測ろうか。
俺は道へ出た。
すると村長が足早にかけてくるのが見えた。長い髭が後方になびいている。
「どうした、村長。珍しいな」
「ケイカさま、困ったことになりました。村の改名を願い出たら、ヴァーヌス教から横槍が入りました」
「なんだって!?」
「勇者の管轄はヴァーヌス教だから、多額の寄付がないと改名は認められない、とのことです」
俺は舌打ちした。
魔王の手先になってるとも気付かずに、いろいろ迷惑をかけてくるとは。
「わかった……俺がなんとかしよう。引き続き、村人の説得や役場との交渉を続けてくれ」
「はい、ケイカさま」
勇者ケイカ村にできないと、名前の浸透に時間がかかってしまう。信者を増やすのが難しくなる。
改名させるためにはヴァーヌス教以上の権力、つまり王様を説得するしかない。
そのためには対価がいる。教会関係者を黙らせるぐらいの対価。
なにか、ないか?
俺は東へと続く道を歩きながら考え続けた。
◇ ◇ ◇
東の道へ辿り林の中へ。
木々はゆとりを持って生えており、木漏れ日が気持ちいい。
下草も少なく歩きやすい。
小川は林の中ではなく南を通っている。
そのまま林を抜けると道はなくなる。秋のそよ風を受けながら、小川に沿ってゆるゆると歩いていく。
草原や荒地を超えて3時間ほど。
ようやく大河にたどりついた。
結局、名案は浮かばなかった。
緩やかなカーブを描く川の幅は王都の横を流れていた時よりも狭くなっていた。
それでも五十メートルはあり、雄大な水が流れている。
上流から丸太を組んだいかだが連なって、蛇のように下っていく。王都や港町までああやって運び、それからばらして売られるのだった。
水面には青空が映りこんで青く光っていた。
川の上流は北東へと続き、遠景に山が連なっていた。あの麓に北限の街クリューがあるのだろう。
景色だけは素晴らしかった。心は焦っていたが。
こちら側がカーブの外側。よって岸壁が削れて深くなっている。垂直の壁に近い。
「ナーガの高速船を泊めるとなると、深さは問題ないが階段と桟橋がいるな」
それに村までの道も整備しなければならない。
今は後回しだ。
「さて。何かできるとすれば風車だな」
土手の西側斜面に直径5メートルほどの木の風車が作られて、ギイギイと軋みながら回っている。
木の桶に水を溜めて、ベルトコンベア式に上まで運んできて、反対側へ流す。
土手の下は泉のような水溜りになっていて、そこから小川がずーっと西へと続いている。
土手の上はベルトコンベアの分削られていた。上に板が渡されて通れるようになっている。
川沿いなので常に風が吹いているから風量は問題ない。
ただ重さに制限があるため、ベルトには2メートル間隔で桶があるだけ。
桶自体も小さい。
「しかも消耗激しそうだな」
俺なら魔法でため池に水を溜めるのは造作もないが、やはり俺がいなくても生活できるようにしないと意味がない。
それにしても、どうして水車にしないのか? と疑問に思った。
水量も安定していて力も強い。
と思っていたら、下流から馬に引かれた船が上ってきた。土手の上を進む馬の首には鈴が付けられ、ちりんちりんと涼しげに鳴っている。
「通りますよー気をつけてー」
俺は土手の上から傾斜した側面へ一歩避けた。
ああ、そうか。上流へ船を戻すには馬を利用しているんだっけか。
水車を使うと邪魔になりそうだ。
高速輸送の途中駅はどうしているのだろうか。
俺は《千里眼》で川沿いをずうっとたどって南を見ていく。
すると土手を工事しているところがあった。土手の傍には街が広がる。
ドライド商会の男が指示を出している。
どうやら土手に水門を設置して水を引き込み、船を街に入れる形式にするようだった。
夜や荒天時には水門を閉じるようす。
――なるほど。
でもこれは、街と土手が近いからできること。
大河には魔物が住む。
水門に番人がいないといざというとき危険だ。
それに今いる場所は土手が高く、川のカーブの外側。水圧も高いだろう。決壊する可能性もある。実際土手には人の手で補強された形跡があった。
水流が緩やかで土手が低いところは、桟橋や水車も設けられていたが。
俺は腕を組んで考える。
「う~ん。やはりポンプか……動力はどうする。魔法で動かす? むしろゴーレムで取り外し式の足踏み水車を作らせたほうが、邪魔にもならない、か?」
――でもゴーレムはどれぐらい動き続けるのか。
「でもなぁ、ゴーレムの魔力が切れたらどうするんだ。村人で直したり補充したりは難しいぞ……もっと単純な構造で……う~ん」
ハーヤに魔道具を作ってもらうという方法は、人々が真似できないので王様と取引するための対価としては弱い。
何かないか。
ハーヤがこの先ずっと村にいるのであれば、村の産物として売り出してもいいのだが、ずっといるという保証はない。
そうなったら壊れた時、誰も直せなくなる。
村の人でも直せるぐらいの簡単な仕組みで大河の水を汲み上げたい。
その方が末長く感謝されるし、普及に繋がる。名前も広がる。
逆に壊れて直せなかったら不評を買うかもしれない。信者を減らすことになる。
名前を広めて、信者を増やす。
それが今、一番やらなくちゃいけないことなのだから。
むしろ、うまく簡単な仕組みを思いつければ、村の改名を認めさせたうえで、俺の名前を広められるチャンスになる。
「でも、そうそう思いつかないよな。この世界の技術力では壊れずにずっと動くポンプなんて無理だし……壊れてもすぐ直せることが大前提になる」
俺は土手の上から川と泉を見下ろした。
土手の高さは4~5メートルといったところ。
水面は泉のほうが低かった。
「ん! そうか、高低差10メートルもないのか! ――だったら!」
俺は急いで帯を解いた。
帯を使って土手の高さや幅を正確に測る。
「いける! サイフォン式なら!」
高いほうから低いほうへ、間の障害を乗り越えてパイプを使って水を流す方法。
隙間のないパイプ内を水で満たせば低いほうへと自動的に流れる。
パイプを作る技術はあるし、隙間なくパイプをつなぐ技術も、たぶんある。
加工のしやすい金属を使えば隙間を埋められる。できるだけ鉛は使いたくないが。
もしこの世界にサイフォン式を使った灌漑利用がないのなら、俺の名前を付けて広めれば知名度アップは間違いない!
普及もしやすいし、王様との交渉にも使えるはずだ。
俺は、自然と早足になって村へと戻った。
◇ ◇ ◇
1時間ほどで屋敷に帰った。
庭では植樹が始まっていた。若木というには大きすぎる木を、ラピシアが抱えて穴に差し込む。
フィオリアが土をかけ、仕上げにラピシアが土魔法で固定する。
順調そうで何より。
横目で作業を見ながら早足で屋敷へ入った。
すぐにセリカの部屋に行く。
「セリカ、入るぞ」
「どうぞ、ケイカさま」
中へ入ると部屋の隅にハーヤが座っていた。
セリカは机に座って帳面を広げていた。
隣に立って覗き込む。
「帳簿をつけているのか」
「ええ、お金の管理を任されてますので、しっかりと収支を把握しておきたいと思いまして。ケイカさまはお金に無頓着ですから」
「そうだな、金は任せるよ。で、一つ聞きたい。サイフォン式はあるか?」
「さいふぉん? 人の名前でしょうか?」
「あー、高いところから低いところへ水を流す方法だ」
セリカが首を傾げたので、さらに細かく説明した。
説明を終えると、ほぉ~と彼女は感心した息を漏らす。
「そのような方法があるのですね。初めて知りました」
「教育を受けたセリカが知らないとすると、みんな知らないわけだな」
「経験的に利用されている人はいるはずですが、理論的なものはおそらく……でも、それが?」
「川の水を土手を越えて流す方法に使えると思ってな」
「なるほど! 農業用水などに使えますね!」
セリカは見上げる青い瞳を丸くして驚いていた。
「この技術を広める。ケイカ式取水法として」
「国に売るのですか?」
「金は取らない。名前を売ってもらうだけだ」
ついでに改名も取り付ける。
セリカは眉を寄せて、なぜか悲しそうな顔をした。
「……ケイカさま。わたくし、少し不安ですわ」
「どうした、セリカ?」
「勇武神になられるためとは思いますが、名前を売るのに一生懸命になりすぎている気がして……」
あれ、まだ言ってなかったか。
「魔王を倒すためには俺を信じてくれる人を5万人、集めなくてはいけない。しかも一年以内に」
「そうだったのですか! 知らずに勝手なことを言ってしまい、申し訳ありませんでした」
金髪を揺らして頭を下げた。
俺は座っている彼女の肩に手を置いて抱き寄せた。大きな胸の感触が伝わってくる。
「お前に言ってなかった俺が悪い。だから、これからも支えてくれ」
「あぅ……はい、ケイカさま」
俺のお腹にぐりぐりと頭を押し付けてきた。
頭を優しく撫でる。金色の髪は指先に温かかった。
ふと視線を感じたので目を向けると、部屋の隅にいたハーヤがじーっと見ていた。
「ボク、お邪魔ですか?」
「ああ、大丈夫だ。気にしないでくれ。――俺は、人目が合っても気にしないからな!」
腕の中のセリカがビクッと震える。
「ケイカさまっ……じょ、冗談ですよね?」
「なんなら試してみるか?」
「ひぃっ! ――今はダメですっ」
セリカが怯えながら逃げ出した。赤いスカートをひるがえして、部屋を出て行った。
部屋には俺とハーヤが残された。
4頭身の小さなハーヤが首を傾げる。
「追いかけなくて、よいのですか?」
「今行っても逆効果だ。それより、裏庭の工房ができたらの話だが」
「なんでしょー」
「入口から出て裏に回ってたら人目につく。工房にこもりっぱなしも襲われたら危ない。だから妖精の扉を作って工房と屋敷の部屋をつなげたらどうかなと思ってな」
「それは名案ですね。できたらそうします」
「あと妖精の扉を王都に設置することは可能だろうか」
これができれば、移動時間の短縮に繋がる。
例え勇者パーティーしか利用不可能だとしても、あらゆることが楽になる。
何週間もかけて隣国へ行ったりしなくて良くなる。隣の大陸にだって船なしで行ける。
「それは可能ですが、無理です。扉はせいぜい10~20メートルの距離を繋ぐだけなのでー」
――なるほど。
それで奴隷商が地下4階までという微妙な深さしかなかったのか。
「可能、というのは?」
「妖精界を経由すれば、どこへでも行けます。ですが……」
「滅ぼされたんだったな。そうか、それが理由か。勇者に世界を自由に移動させないためだったのか」
「そうなのです。だから今、妖精たちはとても困りんぐ」
「なんとかしたいな。妖精界は今、どうなってるんだ?」
「魔物の墓場です。廃棄場です。物凄い数のアンデッドがいます」
話を聞くと、何十万何百万というアンデットがうごめいているらしい。
「取り返すしかないな。というかあの妖精のオルフェリエが言っていた、妖精界に隠した大切な物って扉のことだったのか」
「王女さまや女王さまの許可があれば扉設置し放題です」
「なるほど……逆に魔王軍が手に入れてたら恐ろしいことになってたな。死んでも言えなかったわけだ」
「はい。王女さまの決死の覚悟だったのです」
「妖精界、取り返したいな。妖精たちのためにも。まだ少し先の話になるが。船を手に入れないといけない」
「船ですか。腕がなりますね」
「作れるのか。じゃあ、外輪船を作ってもらおうか」
「がいりんせん?」
「まあ船の横につけた水車を回して進む船だ」
外輪船がどんなものかを、簡単に説明した。
ハーヤの顔に笑みが広がる。
「ほほー。それは面白いです。でもそれだけ大きな水車を回す動力がないのが残念です」
「その目処は付いてる。マジックゴーレムの核だ」
ハーヤのつぶらな瞳が、キラーンと光る。
「ケイカさんはさすがですね。できることだけ口にします。あなたの傍にいるとこれからも楽しめそうです」
「それはよかった。こちらからも頼む。あと、さっきセリカに言ったケイカ式取水パイプの設計図書いてくれないか。人間でも作れるレベルの簡単な物を」
「はーい。お安い御用です」
「頼んだぞ」
それから俺は部屋を出た。
扉を閉めるときにはもう、ハーヤは紙を広げてペンを走らせていた。
これでヴァーヌス教を黙らせることができるはずだった。