第49話 王女とファル
本日二回目の更新です。
俺は宿屋の部屋から、《千里眼》と《多聞耳》を使ってエトワールを見ていた。
彼女は王城の一階にある厨房前で右へ左へ言ったりきたりしていた。
乳母に会うはずなのに、なぜ厨房なのかと疑問に思う。
普通、王女の乳母と言えば、身分の高い家柄の女性がするもの。学問を教え、礼儀作法をしつける。
身分の低いものも乳母になるが、それは本当に乳を上げるだけで役目もすぐ終わる。
それともこっちの世界は違うのだろうか?
ベッドの横に座るセリカに尋ねる。
「なあ、セリカ。この国の乳母は庶民がするのか? 貴族じゃないのか?」
「えっと、貴族やそれに順ずる身分の人で、教育や躾が得意な方がなられます」
「まあ普通はそうだよな」
俺は不思議に思いつつ観察を続けた。
エトワールは意を決して厨房の扉を開いた。
中はとても広い。テニスコート二つ分はありそうな奥行きのある厨房。
数百人分のスープが煮られた鍋からは湯気が上がり、かまどの前ではパン生地をこね、まな板では肉や野菜が刻まれる。
熱気が立ち込めていた。
何十人もの料理人が働いていたが、場違いなエトワールの登場にぎょっとして手や足を止めた。
頭に白い帽子を被った恰幅の良い男性がやってくる。
「これはこれはエトワール王女さま。今日はいったいどのようなごようでしょう?」
「料理長、い、イザベルはどこかしら?」
「イザベルさま――いえ、イザベルならスープ鍋を担当しています」
「そう。ありがとう」
「はい、どういたし――え?」
料理長は、お礼を言われて目を丸くしていた。口をポカーンと開けている。
料理長がイザベルと言い直したのは、エトワールの指示だったのでは。
おそらくイザベルは身分が高い。それなのに誰かさんの命令で肉体労働をさせられているんじゃないか?
エトワールは赤い髪を揺らしてスープ鍋の方へ歩いていった。
しだいに歩みが遅くなる。スカートをギュッと掴んでうつむいている。
巨大なスープ鍋はいくつかあったが、そのうちの一つに丸い眼鏡をかけた上品そうなおばさんがいた。
大きな鍋をかき混ぜては味をみている。
しかしエトワールに気付いて手を止めた。エプロンで優雅に手を拭きつつ、笑顔になる。
「エトワールさま、ご機嫌麗しゅう。お久しぶりですね」
「い、イザベル……料理人にさせて怒ってないの?」
「昔から料理は好きでしたから。それにレディーは人前で怒ったりしてはいけません」
「そうよね。それであなたによく叱られたわ」
「そんなこともありましたね」
くすっと笑うイザベル。微笑みが絶えない。
エトワールは唇を噛み締めると、頭を下げた。
「ごめんなさい。イザベル、アタクシが間違ってました」
「あらあら、どうしたのエトワールさま」
イザベルが近寄り、薄い肩に手を添えた。
エトワールは顔を上げたが、泣きそうになっていた。
「だって、だって! アタクシがかんしゃくを起こしたせいで、こんな仕事に……」
「いけません、エトワールさま。どんな仕事だって大切なのですよ。そう教えたはずですが」
「あ……。そういう意味じゃなくて……。ごめんなさい」
エトワールは周りの料理人たちに頭を下げた。
料理人たちは狐につままれたような顔をして「いえ」とか「お気になさらず」と答えていた。
その反応だけを見ても、今までどれだけ横暴に振舞ってきたか目に浮かぶようだった。
エトワールは言う。
「イザベルに、どうしても言いたいことがあったの」
「なんでしょう?」
「あの……それで……」
エトワールは酸欠の金魚のように口をパクパクさせる。
イザベルは何も言わず、ただ微笑んで見守っていた。
そしてエトワールはすみれ色の目を潤ませて言った。
「イザベル。――育ててくれて……ありがとう」
イザベルが蕾が開くように笑った。
「いえいえ、こちらこそ。エトワールさまを見守ることができて、本当に楽しかったですわ」
「アタクシなんて、ひどいことばっかり……っ」
「もう充分レディーになられたようですね。乳母としても喜びにたえません」
エトワールは端整な顔をゆがめてお願いをする。
「ぐすっ、イザベル……また、いろいろ教えてくれる?」
「ええ、もちろん。エトワールさまさえ良ければ」
「うぅ……イザベルぅぅ!」
エトワールはイザベルの胸に飛び込んだ。ごめんなさいと何度も謝って泣いた。
イザベルは微笑みを絶やさず、優しくその背中を撫で続けた。
――まあ。よくなったようでなにより。
俺はそれ以上見るのをやめて、顔を隣に向けた。
横でセリカが首を傾げていた。
「壁を睨んでどうされました?」
「いいや。なんでもない。エトワールがきっといい子になったんじゃないかと思っただけだ」
「……そうですか。それはよかったですわ」
「じゃあ、そろそろ飯でも食いに行こうか」
「はい、ケイカさま」
俺はセリカとラピシアを連れて一階の酒場に向かった。
◇ ◇ ◇
夜。
夕食を食べた後、ファルの部屋に来た。
修道服を着たファルはベッドの端に座って、ちくちくと小袋を縫っていた。
たぶん、袋作り自体がストレス発散になっているんだろうと思った。
集中し始めたファルの前に立って話しかける。
「それで、何か話したいことがあったはずだが」
「あ、そうでした! ……兄のことです。どうして兄さんは魔王の手先になんかなってしまったのでしょう」
「本人に聞いてみないと分からないな……ただ、このままだと咎人として殺されるだけだった。魔王の軍門に下った方が生きられるからそっちを選択したのかもな」
ファルは思いつめた表情になる。
「勇者さまは……兄さんを退治されるのですよね?」
「魔物の手下と認定された以上、そうなるな」
はうっとファルは溜息を吐く。
「どうして神様は兄さんを助けてくれないのでしょうか。兄さんはいいことばっかりしてきましたのに」
「例えば?」
「村で疫病が流行ったときには、恐ろしいドラゴンの山に分け入って薬草を取ってきました。うちの家は貧しい僧侶でしたが、剣を手に取り率先して魔物退治もしていました。村のみんなに好かれてたと聞きます」
「そういう奴だろうな……だからこそ魔王が許さないんだろうが」
――おかしいな。こんなにも勇者にふさわしいレオを、魔王なら早く殺したいはずだ。
なぜ魔物を使って助けたのか。
ファルは力なく首を振った。修道服のベールが揺れる。
「あたしなんかより、兄さんが助かればよかったんです」
「その言葉本当か?」
ファルは、はっとして息を飲む。急いで首を振った。
「ち、違います。勇者さまには大変感謝しています。でも……」
俯こうとするファルの細い顎に手を当てて上を向かせた。驚きで眼を白黒させている。
「そんなに救いが欲しいのなら、俺がお前の神になってやる」
「ゆ、勇者さま!?」
「ケイカと呼べ。そしてその身を俺にささげて一生涯清い身でいるんだ。そうすればレオを助けてやる」
「ほ、本当ですか、ゆう――ケイカさま?」
「俺はできないことは言わない。レオを助けられるのは俺だけだ」
ファルは観念したように目を閉じて言った。
「……お願いします、ケイカさま。あたしはどうなってもいいですから、どうか兄さんを助けてください」
「その願い、我が名に誓って聞き届けた。言葉をたがえたらその時は天罰が下るから気をつけろ……ただべつに俺を敬いながらもリリールを信奉しても構わないからな」
「あ、はい。わかりました」
別に一人で幾つも神を信仰したって構わなかった。だって多神教だから。
ファルはその辺も理解したらしく素直に頷いていた。
「さて。あとはレオを見つけるだけか。どこか心当たりはないか?」
「兄さんの居場所……やっぱり西でしょうか。住んでた村がグリーン山の麓にあります」
「ドラゴンが住むという山か。なるほど」
追っ手がかかるのはレオも知っているはずだ。
だとするなら人が侵入を諦めるような場所に逃げ込む方がいいと考えてもおかしくない。
その点、ドラゴンは中立とされ、勝手な侵入は許されない。
住んでた村が近いなら、協力者に頼んで定期的に食料を運んでもらうぐらいならできるだろうし。
「その可能性はありそうだな。西側を重点的に探ってみるか」
「はい……あの、兄さんをよろしくお願いします」
「任せろ」
俺はファルの頭を撫でた。はぅぅ……と顔を真っ赤にしてうつむいていた。
「あたしはこの宿で待っていていいですか?」
「村の屋敷はまだできてないから別に構わない。……ただ、その小袋だが、もう少し小さいのを作ってくれ」
「どれぐらいでしょうか?」
「これぐらいで、刺繍はこんな模様を……」
口では説明し難いので、紙に書いて説明した。
「はい、これなら簡単にできます」
「じゃあたくさん作っておいてくれ。……放っておいても作りそうだが」
そう言うと、初めてファルは笑った。
「はい~。作るときは無心になれていいんです」
それから、ふとした思い付きを口にした。
「あとはだな、ラピシアに治癒魔法を教えてくれないか?」
「それは構いませんが……」
「ラピシアは治癒魔法の才能があるはずなのに、まったく覚えないんだよ」
「そうでしたか。時間が空いた時にでも教えてみます」
「助かるな。それじゃ、頼んだ」
俺は部屋を出て、一階へと向かった。
その途中で自分の手のひらを心理眼で見たが、信者数は増えたり減ったりを繰り返していた。
――まだ信じきれないか。これでレオを助けたらファルは俺の信者になってくれそうだ。
しかし大見得を切ったものの、レオの助け方がわからない。
そのためにはもっと情報が欲しかった。
◇ ◇ ◇
深夜。
酒場のカウンターで俺と親父は並んで座っていた。
他に客はいない。
俺たちはつまみを食べながら酒を飲んでいた。苦味のある酒。
港町であったことを話し終えると、親父がグラスを傾けつつ言った。
「なるほどねぇ。マダムに会って触発されたか。こればっかりは俺じゃどうにもできなかっただろうし。旅に出してよかったな」
「正直、ここまでミーニャが動じない子になるとは思わなかった」
ふっ、と親父は唇の端をゆがめた。
「きっと、いい男ができたんだろう。親としては少し、寂しいがな」
「相手は誠実ないい男だから安心しろ」
「どうだかな。ただの女たらしの可能性もあるがな」
俺は鼻で笑ったが、答えず酒を飲んだ。
「んで、リオネルは働いてみてどうだ? やっていけそうか?」
「ひょろっとしたガキだから心配したが、恐ろしく物覚えが速いな。掃除は素早く丁寧。客ともそつなく話せる。三日もありゃあ、受付や注文は任せられるな。料理はまだまだ大変そうだが」
リオネルの細腕では、大きな深鍋の上げ下ろしやフライパンを振ったりはまだ辛いだろうと思った。
ミーニャは獣人の子供だから平気だったんだろう。
「そのうち慣れるだろう。役に立ちそうでよかった」
「にしてもリオネルはどこの子だ? 服装や仕草で貴族の子息かと思ってたんだが。聞いたらまずいなら言わなくていいが」
「ああ、ドルアースの町長の息子だ」
「町長か。なるほどねぇ。リオネルはいい町長になりそうだな」
「……ああ、そうだな」
そうなると町長稼業に乗り気なジャンと思いっきりぶつかるな。
何となく嫌な予感がしたが、考えるのは止めた。
そんな将来になったらリオネル自身でどうにかできる良い大人になっていることだろう。
魚醤をたらした葉野菜をつまんで食べる。塩辛さが酒に合っていた。
「そういや昨日は大変だったな。魔物に襲われたらしくて」
「なぁに。野次馬が多くて騒いでるだけさ。被害は一つもねぇ」
「魔物たちは西に逃げたそうだが、知らないか?」
親父が俺を見て目を丸くする。
「さすが勇者だな。情報が早い。近くの村の仕入先や西から来た行商人が、西へ移動する沢山の魔物を見たって話してたぜ」
「やはりそうだったか。確認が取れて助かったよ」
「なぁに。もちつもたれつだ。これからも頼むぜ」
「俺のほうこそよろしく頼む」
そう言って、なんとなく俺と親父はグラスをぶつけて乾杯した。
カツンッと小気味良い音が薄暗い酒場に響いた。
それからも他愛ない話は続き、夜は更けていった。
――翌朝起きれなかった親父の代わりにミーニャが仕入れをして、親父は正座で怒られることになるのだった。