第42話 悪逆王女エトワール!
外はだいぶ日が傾いていた。
ミーニャを連れて宿屋へ戻った。商人ご用達の宿屋なので、魔物の肉と素材を買い取ってもらえた。大金貨1枚と半分ぐらいになった。
入ってすぐのエントランスにある受付で買い取り金を確かめていると、セリカとラピシアが帰ってきた。
セリカは少し疲れた様子。
「ケイカさま、おつかれさまです……」
「疲れたみたいだな。ありがとうな。ラピシアはどうだった?」
「バタ足ができるようになりましたわ」
するとラピシアが青いツインテールを跳ねさせて抱きついてた。
「泳げた! 海 楽しい!」
「そうか。偉いぞ」
わしゃわしゃと髪を撫でる。金色の瞳を細めてにんまりと笑った。
「えへへ~」
「じゃあ、明日は仕上げだな」
「わかった!」
するとセリカが俺の隣にいるミーニャに気が付いた。
「あら、ミーニャちゃんの格好が……?」
ミーニャは腰に手を当ててポーズを取った。猫耳がピンと尖る。
「強く、なった」
「ああ、お前と一緒だ。少し変えた」
「そ、そうですか」
あの日のことを思い出したのか、頬を染めた。
しかしミーニャが余計なことを言う。
「女に……してもらった」
「え!? どういうことですか、ケイカさま!」
「違う! お前にしたのと同じだ! やましいことは何もしてないぞ! ――ミーニャも変な言い方するな」
「痛かったけど……愛されてるのが、わかった」
鼻息だけ荒く無表情で言った。
セリカの青い瞳が吊り上がる。
「いいいったい、どういうことでしょうか、ケイカさま!?」
「違う、誤解だ!」
ミーニャは尻尾を艶かしく、くねらせながら言う。
「そのあと、見てるだけのケイカお兄ちゃんに、私が頑張って動いてご奉仕した」
「違うからな! ダンスコンテストで踊っただけだからな!? ――言葉足りないって怖いな、おい!」
セリカの瞳に涙が浮かぶ。
「ケイカさまぁ、ひどいですっ……あたしがラピシアちゃんに泳ぎを教えている間に……!」
ミーニャが横から俺に抱きつく。
「だからケイカお兄ちゃんは……私のもの」
「ぐすっ、イヤです! あげません!」
セリカも横から抱きついてきた。
俺の取り合いになる。
想定外の事態に戸惑った。
しかも宿屋のエントランス。人通りが多い。
抱き付いて足を絡めるミーニャと、胸を押し付けてくるセリカ。
ラピシアだけがワクワクした顔で2人の取り合う姿を見ていた。
その時だった。
幅広の階段上から、いらだつ声が響いた。鈴のように澄んだ少女の声。
「いったいどこの犬よ。うるさいわね」
「なに?」
見上げれば、きらびやかなドレスを着た華奢な少女が立っていた。
腰はくびれて胸は大きく。しかしドレスから覗く足首は折れそうなほどに細い。ウェーブのかかった赤髪は背中に流れ、頭の上には身分を示す銀色のティアラが光っていた。
羽の扇子を持つ手はしなやかに白い。
俺に抱きついていたセリカが、あっと小さな声を上げ、身を硬くするのを感じた。
少女はドレスを揺らして降りてくる。
すみれ色の瞳にはバカにするような光をたたえていた。
「今日からアタクシが泊まるのよ。犬ころは早く出て行きなさい」
「なんだと? お前誰だ?」
少女は偉そうに顎を上げて、侮蔑する視線を強める。
「まあ、アタクシを知らない田舎者なのね。いいわ、教えてあげる。この国の第2王女エトワール。言葉を交わせただけでも感謝しなさいよ」
「へぇ。勇者になったときは見かけなかったな」
エトワールは右眉だけ器用に上げた。
「あなた、勇者なの? 地べたをうろつく汚い仕事をしてるのだから、アタクシの視界に入らないでよね」
「よく言うな、お前。汚れてるのはお前の心だろう」
はっ、とエトワールは鼻で笑う。
「賤民のあなたに、高貴な身分の何がわかるって言うの? バカじゃない?」
「たまたま王族に生まれついたからって、そうやって人をバカにして生きてきたんだな」
「間違えないで欲しいわ。クズな愚民どもに、美麗なアタクシへ仕えることを許してあげてるのよ? いくら感謝されても足りないぐらい――え?」
エトワールがセリカに目を止めた。動きが止まる。
目が驚愕で見開かれていく。
「まあ、セリカ!? なんであなたが生きてるの!? 確実にころ――ううん、なんでもない。よく生きてたわねぇ」
俺の眉間にしわが寄る。
――こいつがひょっとしてセリカを生贄として、魔物だらけのあんな場所に送り込んだのか?
俺はさらに考えた。
……嫉妬か。
同じ王族。かたやセリカは国民に愛されただろうし、こいつは嫌われまくってるだろう。
歯軋りするほど悔しかったに違いない。
それが立場が逆転――いまや。
エトワールはすみれ色の瞳を意地悪に光らせると、セリカを指差して叫んだ。
「――みなさん、ここに咎人がいるわ! 薄汚れた咎人がいるわ! どうりで空気が臭いと思ったわ!」
「お……おやめください……エトワールさま……ケイカさまに迷惑がかかってしまいます」
セリカが顔を泣きそうに歪めて懇願した。
――この状況ですら自分が罵られることより、俺の心配をするのか。
そんな優しいセリカをここまでおとしめるエトワールに激しくいらだつ。
しかもセリカが哀願したにもかかわらず、エトワールはやめない。
持っていた扇子を畳んで振り上げる。
美しいはずの端整な顔は嗜虐の笑みで歪んでいた。
「話しかけないでよ、汚らわしい! あなたみたいな悪魔がいるから、アタクシが苦労するのよ、このゴミ! 誘惑女! 生きてて恥ずかしいと思わないの? あなたの存在そのものが悪なのよ!」
セリカが怖れで目を閉じた。青い瞳から涙がこぼれた。
エトワールは狂ったような喜びを浮かべて扇子を振り下ろす――。
バシッ!
宿屋のエントランスに叩くような音が響く。
一瞬後、セリカが震えながら目を開ける。そして目を丸くした。
俺がエトワールの細い腕を掴んで止めていた。
エトワールは眉間にしわを寄せて叫ぶ。
「なにするのよ、汚ない手で触らないで! さっさと離しなさいよっ!」
顔を近づけて言う。
「いい加減にしろ。セリカに謝れ」
「はあ? なんで咎人みたいな虫けらに謝らなくちゃいけないの? だいたい、なに? 勇者ごときがアタクシに逆らっていいと思ってるの? あんたなんかお父さまに言いつけたら資格剥奪して牢屋行きなんだからっ!」
「やってみろよ。人を見下すことしかできない無能が!」
俺はエトワールをにらみつけた。たぶん怒りで神の威圧どころではない。
ひぃっ、とドレスを着た肢体を震え上がらせた。
しかし、俺の手を払いのけると、気丈にも言う。
「ええ、当然よ! アタクシに乱暴働いてただで済むと思わないで! 祭りが終わったら、すぐに言いつけて『勇者資格剥奪』してやるんだから!」
「ほう。祭りを見学していくのか」
「そうよ、むしろアタクシが招待されたのよ。せいぜい楽しみなさい、無能勇者。――ああ! 猶予をあげるなんて、なんてアタクシは慈悲深いのかしらっ」
そう言って、エトワールは受付に言う。
「ここには泊まれないから、別の宿に変えて」
「え、エトワールさま、こんな時間ではどこも――」
バシッと受付の台を叩く。
「咎人がいるような汚い宿に泊まれるわけないじゃない! さっさと別の宿にして! 今すぐ! ――アタクシこそが、本物の王女なんだから!」
最後の言葉はセリカを見ながら言った。
セリカは、ずっとうつむいて震えていた。ほっそりした指先で何度も目元をぬぐったが、涙はこぼれ続けていた。
それからエトワールは執事や護衛の騎士を連れて出て行こうとした。
すると彼女の前に、青い髪を勇敢に揺らしてラピシアが立ちふさがった。
「なんなのよ、この子供は」
「おまえ ウザイ! ちょーウザイ!」
偉いぞラピシア、よく言った。
「なんですって!」
エトワールは扇子を振り上げた。ラピシアは恐れず、金の瞳で睨みつける。
うっと声を詰まらせ、さらに俺が睨んでいるのにも気付いて、そのまま逃げるように馬車に乗り込んで去った。
エントランスの空気が弛緩する。
セリカがボロボロ泣きながら俺の傍へ来た。
「ごめんなさい、ケイカさま。……咎人で、ごめんなさい」
「気にするな。前にも言っただろ。悪いのはシステムを組んだ魔王。お前は何も悪くない」
そう言って華奢な肢体を抱き寄せた。優しく頭を撫でてやる。
しかしセリカは嗚咽を繰り返し、号泣する。
「ですが……っ。ケイカさまにご迷惑をお掛けしたことには変わりありません……ああっ……お力になりたいのに、どうして……っ」
「セリカはよくやってくれてる。今でも充分なぐらいに」
でもセリカは俺の腕の中で頭を振った。涙が散り、金髪が乱れて肌をくすぐる。
「足を引っ張ってしまいました……勇者の資格が……ケイカさまの大望がっ……本当にごめんなさい……あぁっ」
「大丈夫だ、心配するな。セリカはよくやってくれてる」
「ケイカさまぁ……ごめんなさい……ぐすっ」
それでもセリカの青い瞳から流れ落ちる涙は止まらない。
ミーニャがセリカに腕を回し、彼女の細い足に尻尾を優しく巻きつけて慰めていた。
俺も震える背中を優しく撫でた。額にキスをし、ギュッと抱き締めて慰める。
そして俺の心に激しい怒りが湧き起こる。
歯軋りしながら誓った。
エトワール。よくも俺の可愛いセリカをいじめて泣かせてくれたな。
殺そうとまでした!
――お前だけは許さない。
神の怒りを思い知れ!
絶望に苦しみ泣き叫ばせてやる!
――すでに書き換えた【光】のステータスでな!
ようやく悪女を出せました。ジャンを先に出したのは失敗でした。
というわけで、あと2~3話で第二章終わりそうです。
後日追記・セリカは咎人としてなじられたから泣いたのではなく、大好きなケイカに多大な迷惑をかけてしまったから泣いたのが、上手く伝わっていない様子だったので加筆修正しました。