第2話 お前の願い、叶えてやる!
鬱蒼とした森の中にある広場は、体育館ほどの広さがあった。
その端の清らかな泉の傍に、鎖でつながれた女騎士がいた。
そいつは神である俺に、こともあろうかこう頼んだ。
「わたくしを――殺してください」
「えっ!」
驚いた俺をよそに、女騎士はとつとつと言葉を繋いだ。
「わたくしは魔王を倒すため、勇者になろうと思いました。素性を隠して頑張ってまいりました。……しかし結局は咎人。叶わぬ夢でした」
「でも神にささげられるんだろう? 勝手に死んだらまずいだろ」
俺の問いに彼女は首を振った。豊かな金髪が哀しげに揺れた。
「違います。存在するだけの咎人を最後ぐらいは人の役に立てようと、このまま魔王やその手下の餌にされるのです」
「なんだって――ッ!」
俺は《真理眼》でそこらにある供物を見ていった。
【名産の酒】や【名産の果物】に混じって【魔物への食料】や【魔王へのささげもの】が存在していた。
神にささげられた生贄じゃないのかっ!
それに――と俺はこのシステムの完璧さに舌を巻いた。
魔を打ち払う力を持つ光属性を咎人扱いにして、魔物のエサにする。
これが真の勇者とやらが生まれてこない真相なんじゃないのか?
女騎士は、華奢な首にはめられた首輪をほっそりした指先でいじりながら言った。
「この鎖、外そうとしたが外せませんでした。きっとあなたでも無理でしょう。ですから、最後のお願いです。魔物によって慰みものにされてしまう前に――わたくしを、殺してください」
そう言って女騎士は頭を下げた。陽光を浴びた金髪が美しく流れる。
俺は歯を噛み締めて、睨むように見下ろした。
「お前はそれでいいのか?」
「え?」
「魔物にしろ、俺にしろ、ここで死んでいいって言うのか? それが本当にお前の願いか?」
「わたくしの願い……ですか。――もうすべては終わりです。時間がありません。早くわたくしを殺して、あなたはお逃げください」
「そんなことを聞いてるんじゃない。お前の心からの願いはなんだと聞いているんだ。こんなところで死にたいのか!?」
「わたくしは――わたくしの願いは――」
その時だった。
メキメキメキと木々の枝を折る音がしたと思ったら、175センチメートルある俺より2倍以上高い巨大な男が現れた。全身が岩のような肌に覆われ、足や腕は俺の胴より太かった。
手には車ぐらいもある巨大なハンマーを持っている。
岩巨人とでもいった風体。
そいつは女騎士を見ると汚らしい笑みを浮かべた。
「げへへ……久しぶりに、なぶりがいのありそうな女じゃねぇか。武器を使わず素手でミンチにしてやるぜぇ、げへへ」
女騎士が、悲しげな顔をして叫ぶ。
「ああっ! 逃げてください、旅の方!」
「だから俺のことはどうでもいい。お前の望みを言え!」
しかし女騎士は青い瞳に涙を溜めながら俺の体を押した。
「お願いです! あなただけでも生きてください! いつか、いつの日か、勇者さまが現れて魔王を倒すその日まで、生き延びてください!」
「そんな日はこねぇよ! ぎゃはは!」
バカにした笑い声を高らかに上げて、岩巨人が一歩一歩と広場を踏みしめて歩いて来る。
そして俺たちの傍まで来た。
近くで見ると本当に汚い岩巨人が、俺を見下ろして言う。
「んん~? 貴様はなんだ? なにをしてる? お前も生贄かぁ?」
「すまんな。今この女と話してる。……お前は少し待ってろ」
俺はチラッと見ただけですぐに女騎士に目を戻した。
女騎士は子供がイヤイヤをするように首を振る。涙が辺りにキラキラと散った。
「逃げてっ! わたくしが襲われている間に――」
「お前ってやつは……」
俺は呆れと驚きで感心していた。
――今まさに殺されようとする、こんな状況になっても、自分じゃなく相手を気遣うのか……。
光属性に生まれついただけではない、本当に心から優しい娘なのだと理解した。
すると岩巨人が森を揺るがす怒声を発した。驚いた小鳥が数羽、青空へと飛び立つ。
「てめぇえ! 何者かしらねぇが、この魔王直属四天王の一人、グレウハデスさまを無視すんじゃねぇぇぇ!! 死ね!」
岩巨人は巨大なハンマーを振り上げた。
それだけでハンマーの影の下に入り、陽光が遮られた。
「ああっ、逃げて――ッ!」
女騎士が華奢な腕で俺を押した。必死で庇おうとしながら目を瞑る。長い睫毛の端から流れた切ない涙が、白い頬をなだらかに伝う――。
ドゴォッ!!
ハンマーによる強烈な衝撃。
風圧で地面の土が舞い上がり、供物の酒瓶が転がった。
唐突に訪れる静寂。
ぎゅっと目を閉じていた女騎士が、恐る恐る目を開け――そして驚愕で青い瞳を見開く。
岩巨人も驚きで細い目を見開きつつ、腕の筋肉を盛り上がらせて全身をぶるぶると震わせていた。全力を出しているのがうかがい知れる。
「な、なにぃ!?」
そんな奴の無駄な努力を、俺はしっかりと止めていた。
――指一本で。
奴を下から睨み上げ、低い怒りの声を発する。
「……少し待ってろ――と言ったはずだが?」
きらめくような鋭い眼光。神の威圧。
「ひっ……!」
岩巨人は、とっさに後ろへと飛んだ。恐れすぎたのか広場の端まで後退する。
俺は女騎士に向き直って優しい声で言った。
「さあ、言ってみろ。お前の本当の願いを。今なら何でも聞き届けてやる」
女騎士は驚愕で目を見開いていたが、俺の言葉に端整な顔をふにゃっと崩した。
「うえぇ……お……です。た……くだ……い」
「なんだっ! 聞こえん! もう一度!」
その時、広場の端まで逃げていた岩巨人が、激昂して走り出す。
「お、おかしな技を使いやがってぇぇぇえ! 絶対、許さんぞぉ!!」
どどどと土埃を舞い上げて向かってくる。
女騎士はもう一度言う。
「たす……く……。もっと、い……たい」
「もっと大きな声で!」
俺が怒鳴ると、女騎士は体をくの字に折り曲げて、涙を散らして全力で叫んだ!
「お願いです、助けてくださいっ! もっともっと生きたいですっ! うわぁぁん!」
女騎士は顔をくしゃくしゃにして泣く。
「よく言った。ただし供え物はいただくぜ」
そう言って俺は、彼女の目の下にたまる涙を指先ですくった。
そして、ふっと顔を緩めて微笑んだ。
右手で腰の太刀を素早く抜き払いつつ、高らかに宣言する。
「汝の願い、聞き届けた! 我が名は蛍河比古命! 必ずや望みをかなえよう!」
抜き放った太刀の上に、拭った涙を滑らせるように塗り付ける。
刀の刃紋が青く輝く!
駆けてくる岩巨人がハンマーを振り上げた。
「しゃらくせぇ! もう何をやっても遅いんだよ――《死重圧轟鎚》!!」
ブゥンッと風を切って振り下ろされる巨大なハンマー。
振り下ろす速さに柄が弓のようにしなる――。
俺は立ち尽くしたまま、無造作に太刀を持つ。
「蛍河比古命の名に従う、神代の時より流れしあまたのせせらぎよ、一束に集まり激流と成せ――《魔鬼水斬滅》!」
――ギィィッ、ズゥァアンッ!!
鈍い音と、肉を立つ音が広場を満たして、耳を打つ。
俺は太刀を無造作に振り下ろしていた。
目の前の岩巨人はハンマーを振り下ろした体勢のままで固まっていた。
汚い目から急速に光が失われていく。
「な、なぜ……なんで……」
ぽとっぽとっと小さい物が地に落ちる。灰色の芋虫のようなもの。
それは巨人の指だった。
ガランッ
大きな音を立ててハンマーが落ちる。
その衝撃で、ハンマーの胴も柄もばっくりとまっぷたつに割れた。
そして。
ブシュウ――ッ!
岩巨人の後ろに一文字の血しぶきが上がった。
頭から股間まで真っ二つになったため、ズレながら倒れこんでいく。
ズゥン……ッ。
一番重い音を立てて、岩巨人は倒れて死んだ。
俺は太刀を振って血を払った。
「弱すぎて話にならんな」
それから広場の片隅、ぺたんと座り込んでいる女騎士に近寄った。
無造作に一閃。
キンッと甲高い音が鳴り、首輪と鎖が粉々に砕けた。女騎士の周囲に散らばる。
ゆっくりと太刀を鞘に収めた。
拘束が解けたというのに、女騎士の様子がおかしかった。青い瞳を呆然と見開いたまま動かない。
「大丈夫か?」
俺は赤い唇を可愛く開いている女騎士にさらに近寄った。
すると、いきなり俺の服を掴んできた。
ぐいっと引き寄せられる。
女騎士は俺の腹に抱きつくなり、嗚咽を上げ始めた。
「しゃ……さまぁ……ゆ……さまぁ」
「な、なんだ!?」
「勇者さまぁ、勇者さまぁぁあああ! ――お待ち申し上げておりました、勇者さまぁっ!!」
彼女は火が付いたように泣き始めた。俺の腹に顔を押し付けて、子供のように泣きじゃくる。
「お、おい――」
引き離そうとしたり、立たせようとするが、彼女は子供のようにイヤイヤと首を振って、ただ、ただ声を上げて泣き続ける。
勇者さま、勇者さまぁと口にしながら。
どうにも離れてくれそうになく。
俺は空を見上げて、はあっと溜息を吐くと。
しばらく泣かせるに任せたまま、彼女の艶やかな金髪をぽんぽんと優しく撫で続けた。
後日、ケイカの背の高さ追加。文章微修正。