第262話 簡単なようで難しいこと(侯爵領問題その1)
魔王を倒してからだいぶたったある日。
地獄侯爵の下へ、生き延びた魔王の部下達が押しかけていることを思い出した。
領地が狭くて困っているらしい。
そこでダフネス王国の第二王女エトワールに話を持ちかけることにした。
◇ ◇ ◇
気持ちのよい風が吹く、晴れた朝。
俺はケイカ村の代官屋敷にいた。
屋敷二階の執務室でダフネス王国の第二王女エトワールと話していた。
エトワールは現在、代官とケイカ教教主を兼任している。
「というわけだ。侯爵は魔王討伐の協力者だから恩賞を与えるのは簡単だろう? 国に掛け合ってうまく取り計らっといてくれ」
侯爵の窮状を話し終えた俺は、気軽に頼むと踵を返した。和服の裾がひるがえる。
もう用事は終わったつもりでいた。
――ところが。
執務机に座るエトワールはスミレ色の瞳をまん丸に見開いて、しばらく固まっていた。
が、急にドレスを揺らして、手と首を激しく振った。
「ちょ、ちょっとお待ちくださいケイカさま! 突然、何をおっしゃられるのでして!? いくら魔王を倒した勇者さまの願いであっても、ダフネス王国に魔物を住まわせるなんて不可能ですわ!」
「国の東の湿地帯辺りは、人もあまり住んでいないだろ? 別にいいじゃないか」
「それは魔物の脅威が大きかったからですわ! 魔王が滅びた今、国内の充実を計っております。湿地帯も埋め立てたり、水耕栽培を行う予定になっています」
「なるほど。侯爵の領地と思いっきりぶつかるな」
「え、そこに魔物の住処があるのでしょうか!?」
「ああ、だいぶ前に紹介した地獄侯爵。あいつが住んでる。人や獣人、魔物も含めて数千人が一緒に暮らしている」
――今は万を越えてるかもしれないが。
エトワールは口を片手で覆って驚く。
「まあ、なんということでしょう! そのようなことが可能でして!?」
「この村も似たようなもんだろう。――というか、やばいな」
俺は思わず、むうっとうなった。
エトワールが可愛らしく小首を傾げる。赤い髪がふわりと揺れた。
「どうされまして?」
「むしろ、勇者の俺に討伐命令が下るかもしれないな。いや、確実に俺だ」
「さすがケイカさまです。そこまで考えられるとは。王国は軍備を縮小していますゆえ、魔物討伐にはケイカさまのお力をお借りするはずですわ」
「だろうな……。困ったな」
俺は思わぬ問題発生に頭を抱えた。
「侯爵さまはケイカ村を守った功績がありますからダフネス王国に仕えることも可能ですが……魔物を従えているというのは法的にも感情的にも、とても厳しいかと思いますわ」
「なんとか王さまに侯爵領を認めさせるよう働きかけてくれないか?」
エトワールが眉間にしわを寄せて、額に手を当てた。
「いったいどこから根回ししてよいか……時間をかければあるいは」
「いや、時間がない。魔王の部下だったものたちが多数押し寄せているらしい」
「でしたらエーデルシュタインや獣人地区、大森林に移住してもらうというのはどうでしょう?」
今度は俺が額に手を当てた。ため息が出る。
「どこも先住者でいっぱいだな」
「辺境大陸は?」
「あそこは未開の地で、巨大な魔物が出る。侯爵はよくてもその部下たちが危険だな――いや、待てよ」
「どうされました?」
「浮遊大陸に住んでもらうのはどうだろうか」
俺の言葉にエトワールが赤髪を揺らして立ち上がった。
「それこそ元魔王の住処ではありませんかっ!」
「問題になるか。事態がよけいにこじれそうだ」
「次の魔王と呼ばれかねませんわ」
――そう思われてしまうのが普通か。
おそらく魔王ヴァーヌスが異世界からこなければ、侯爵かエビルスクイッドが魔王になっていたはずだ。
そのときは俺は呼ばれずに、レオが勇者になっていただろう。
にしても。
侯爵領の存在が、ほとんど誰にも知られていなかったのが問題だ。
侯爵領と違って夜魔伯爵領は、大勢の人々に公然の秘密として知れ渡っている。狂乱の夜の町として。
貴族や豪商、各国の高官が密かに利用している。
そのため、これからも存続していけるだろう。
侯爵領は知られていなかったところに、大量の魔物を抱え込んでしまった。
人々が知れば印象は最悪だろう。
俺は頭を抱えたが、すぐに気を取り直した。
「まあ、今までうまくやってきたんだ。今回もやってくれ」
軽く言うと、エトワールは小さな吐息を漏らした。
「頑張ってはみますが……あまり期待はしないでくださいませ」
俺は彼女に近づいて、華奢な腰を引き寄せた。花のような香りが広がる。
「エトワールならできる」
「あう……っ。ずるいですわ」
エトワールは大きな瞳を潤ませると、上目遣いで見上げてくる。
それから目を伏せるとほんのり染めた顔を近づけてきた。
細い肢体を抱きしめつつ軽くキスを交わす。
花びらのように柔らかな唇。
そして離れた。
「じゃあ、頼んだぞ」
「はい……ケイカさまっ」
俺が部屋を出る間、エトワールはつり目がちの強気な視線を伏せて、いじいじと恥じらっていた。
代官屋敷を出て村を歩く。
空に上った朝日が強く照っている。
しかし日差しと裏腹に、俺の心は曇っていた。
侯爵は功労者だから、簡単にことが運ぶと思っていた。
俺のほうでも対策を考えないとな。
和服を風になびかせながら歩くと、石で舗装された道に下駄の音が青空まで高く響いた。
◇ ◇ ◇
屋敷に入ると、玄関脇の薄暗がりに白いワンピースを着た神の子ラピシアが立っていた。
いつもの元気さはなく、青いツインテールが力なく垂れている。
「……どうした、ラピシア。おまえが暗がりに立ってると幽霊みたいだぞ」
金色の瞳をうるうる潤ませて鳴き声で言った。
「ケイカ……寝れない」
「ん? なにか不安なことでもあるのか?」
「ベッド、取られた」
「ルナリスがまだいるのか!」
月の女神ルナリス。
石化されたところを助けてきたのだが。
魔王を倒すための役回りが無駄に終わったため、ふてくされて寝ていた。ラピシアのベッドで。
それがまだ寝てるらしい。
「侯爵の問題だけでも大変なのに……わかった、なんとかする」
「わーい!」
ラピシアが両手をあげてぴょんぴょん飛び跳ねて喜んだ。
そこへ屋敷の東から小さな陰が近づいた。
小学生ぐらいに見える女の子。
創世神アトラだった。
喜ぶラピシアを見て首を傾げる。
「何してるです?」
「アトラおばあちゃん、これで寝れる! わーい」
ラピシアはくるくるとその場で回った。青いツインテールが弧を描く。
俺は名案を思いついたので言った。
「アトラ、おまえの部屋にルナリスを運ぶぞ」
「え?」
「自分の娘なんだから一緒でいいだろ」
さらさらの茶髪を揺らして叫ぶ。
「ええええ! あたしは一人部屋がいいのです!」
「寝てるから一人みたいなもんだ――ラピシア、二人で遊んで来い」
「わかった! ――行ってくる!」
「ああ、行ってこい」
「わーい! ――行こ!」
ラピシアは笑顔になると、アトラの手を掴んで外へ駆け出した。青いツインテールを後ろになびかせて。
「は、話がまだ終わってないのです! ひゃぁぁぁ!」
アトラも引っ張られて消えていった。
うん、子供は元気が一番だ。
廊下へ出ると屋敷の北側一番左端にあるラピシアの部屋に入った。
ベッドと机がある部屋。
床にはおもちゃがいくつか転がっている。
そして部屋の中にはぐごごごっと大きないびきが響いていた。
「そら寝られないよな」
ベッドに近づくと美女が白い肌をはだけて眠っていた。
息をするたびに双丘が揺れている。可愛いおへそと、丸みを帯びた腰のライン。すらりとしたふとももが美しい。
ただし手足を大の字にして寝ているため、可憐さとはかけ離れていた。
俺は彼女の下に手を入れ、持ち上げる。
銀髪が滝のようにさらさらと流れる。
――が、持ち上げていくと高さに比例して重くなっていった。
「ん? 見た目よりずいぶん重いな――いや、結界的なものか」
魔法を使って移動させられないようにしているらしい。
ラピシアが泣きべそをかくわけだ。神とは言えまだ魔法は得意ではないので、どう頑張っても動かせなかったんだろう。
俺は魔法を唱えて結界を解除した。
腕に力を込めて持ち上げる。手になめらかな重みがかかった。
それからいびきをかく美しい顔をのぞき込む。
「この睡眠もひょっとして魔法か? ――まあ、どうでもいいか」
やれやれとため息をはきつつ、ルナリスを横抱きに抱えて部屋を出た。
そして屋敷の東側にあるアトラの部屋に放り込んでおいた。
ベッドの上で半裸状態に乱れたが、もう気にしない。
手をパンパンとはたくと部屋を出る。
「次は、侯爵のとこに行くか」
板張りの廊下をミシミシと鳴らして、物置の隣にある妖精の扉に向かった。
◇ ◇ ◇
ドラゴンの住むグリーン山。
俺は体育館がすっぽりと入るぐらいの大きな洞窟の隅のテーブルにいた。
侯爵と向かい合ってお茶を飲んでいる。
「というわけだ。このままだと侯爵を討伐しないといけなくなる」
俺の言葉に侯爵は大げさに顔をしかめた。
「むう……ケイカと戦うことになるやもしれんのか……」
「できるだけ戦いたくないけどな」
「我輩もだ。しかし……」
侯爵は苦々しげな顔をして顎をなでた。
俺は用件を切り出した。
「どうだ侯爵。辺境大陸に移住してみる気はないか? あそこなら土地が有り余っている。自然も豊かだ……ただ出現する魔物が強いのがネックだが」
「断る」
「なぜ? 出現する魔物が強いからか?」
侯爵の目がクワッと見開かれた。
「みくびるでない! 我輩が魔物ごときを恐れるとでもいうのか! ――理由は違う。辺境大陸の土地や水には聖金が含まれる。魔物たちにとっては住みづらいのだ」
「ああなるほど……確かに無理そうだな」
人間の部下だけでは守るのが至難だろう。
かといって強い魔物たちは住まわせられない。
「魔物にとっては呪われた土地だな」
うむ、と侯爵うなずいて茶を一口飲んだ。
ふと疑問がわいた。
「どうして辺境大陸全土に聖金があるんだ?」
「それは元々は太陽神が治めていた土地だからではないか? 太陽神が自らばら撒いたのだろう」
「だから特別な大型魔物以外は住めないのか……」
侯爵が忌々しそうに顔をゆがめる。
「辺境大陸を潰すために魔王が生み出した大型魔獣どもだな。話の通じぬ愚か者どもよ」
「そうなのか?」
「見た目は魔物だが、どちらかというとゴーレムに似ている」
「まさに人工的に作られた生物だったんだな」
「うむ。同列に考えてほしくはない」
俺も茶を飲みつつ考える。
「そういえば辺境大陸は見回ってないな」
「その昔、大河の上流に神殿と町があったと聞いたが……」
俺は千里眼で東を見た。遙か彼方の辺境大陸。
大陸の中央は緑の濃い密林に覆われている。
大河の河口にあるケイカハーバー。
それを上流の山々まで遡って見たが、森が広がるばかりで神殿などは見えなかった。
しかし体長十メートルはあるサーベルタイガーや二十メートルはある大蛇が、それぞれに群をつくって徘徊していた。
狼やイノシシもいる。どれも巨大だった。
「魔物以外見あたらないな……」
「あの巨体の魔物どもに、粉々に踏みつぶされたのであろう」
「ううーん。どうするか……しかも一時期狩って数を減らしたのにまた増えてるな」
「どこぞから沸いて出てくるのであろう」
俺は思わず口元に手を当て考える。
「……人工の魔物。まさか工場でもあるのか……?」
「どうした、ケイカ?」
「あの魔物たちは聞けば聞くほど不自然だ。繁殖して増えた様子がない。もし魔物を生み出す工場や施設を破壊すれば、辺境大陸は人々が暮らせる平和な土地になるのではないか?」
「なったところで、魔物は住めぬがな」
「そうだな……そういえばケイカハーバーの村長もどうにかしないといけないな……」
確か魔王を倒したらリオネルをドルアースの親元へ帰さないといけなかった。
しかし後任を任せられるめぼしい人材が見当たらない。
考えていると、侯爵が眉をひそめた。
「なんだ? そのケイカハーバーというのは?」
「ああ、辺境大陸の先住民を集めて作った村だ。で、問題は村長がドルアース町長の息子なんだ。呼び戻してほしいと言われていて、代わりがいない。こっちの大陸と交易しているから、いい人だけでは務まらない役職でな。侯爵が行ってくれたら助かったが……」
侯爵は胸を反らして鼻で笑う。
「ふんっ! 我輩はただの村長ではない! 偉大なる地獄の支配者だ! ふははははっ!」
「たぶんそのようなこと言うと思ってたよ……。ん? ということは、ダフネス王国に編入したくないのか? もしかして」
「我輩は誰の下にもつかぬ、引かぬ、省みぬ!」
「聖帝みたいなこと言い始めたぞ、こいつ――まあ、侯爵的にはそうなるか。となると、独立国にならないと厳しいな」
「ならないと、ではなく! すでになっておる!」
拳を握りしめて力説する侯爵に、俺はため息をはくしかない。
「わかったよ……せめて移転ぐらいは妥協してくれ」
「むう……条件がよければ、だな」
納得がいかなそうに口を曲げつつ、それでも鷹揚にうなずいた。
――これは本当にやっかいだぞ。
落としどころが見えない。
ラピシアに新しい大陸でも作ってもらうことも考えたが、大災害になりそうで怖かった。
下手すれば生き物すべてが死滅しかねない。
かといってこのままだと侯爵と魔物たちを討伐する羽目になる。
侯爵は多数の部下をまとめあげる手腕があるし、魔王退治に多大な協力をしてくれた。
恩を仇で返したくない。
最悪の場合、俺が邪神や禍津神になりかねない。
――リオネルのことは少し後回しだな。
まずは侯爵の問題を片づけよう。
俺は何度目かのため息を吐きつつ茶を飲み干すと立ち上がった。
「じゃあ、また来る」
「うむ。我輩の地獄を広げるために頼むぞ」
「それはまあ、それなりにするよ」
やれやれと思わず首を振った。
それからドラゴンの洞窟を出て、妖精の扉へと向かった。
一人で考えてもどうしようもない。
俺の知るもっとも聡明な女性に相談することにした。
久しぶりの更新です。
次話は明日更新。全部で3~4話ぐらいの予定です。
また、今月3月15日にGAノベルより「勇者のふりも楽じゃない 2巻」が発売されます!
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