第250話 港町ポンバハル(神さまのおしごと1)
魔王を倒して一ヶ月がたった。
春のうららかな日、俺はケイカ村の屋敷にいた。
部屋には誰もいない。
セリカは国務でエーデルシュタイン、ミーニャは獣人地区。
ラピシアは学校に行っていた。
俺は自室のベッドで仰向けに寝ころんでいた。
なにも遊んでいるわけではなかった。
参拝客や、お守り経由の願いを、メッセージウインドウで確認しているのだった。
「お店が儲かりますように」
「お父さんの病気が治りますように」
「魔物がいなくなりますように」
「女にもてまくりますように」
「病気がよくなって、もう一度恋人と会えますように……」
「娘の病気を、どうか治してください、お願いします、ケイカさまっ!」
むくり、と俺は上体を起こした。
ざあっとメッセージを流し読みする。
願いの半数が病気の克服だった。
特に、最近になってその願いが増えている。
「場所は――」
どうやら、ダフネス王国の東海岸。古い港町ポンバハル。
そこに病気の人が集中していた。
行ったことはない場所。
ポンバハルは旧ポートメトラ王国の王都になる。
大陸の東に伸びる尖った槍のような半島で山脈によって隔絶された場所にあった。
もっぱら海路での行き来が多かった。
「疫病か?」
この町にも魔王を倒す瞬間は伝わっているはずだが、直接布教したわけではない。
……むしろ、勇武神ケイカの名前をさらに広めるチャンス。
もし、病気に苦しむ人々を治療したら、勇敢かつ癒しの神と呼ばれるようになるかもしれないな。――ふふっ。
俺は和服を揺らして立ち上がる。
太刀を腰に差し、颯爽と部屋を出た。
◇ ◇ ◇
春の午後の日差しが照らす、港町ポンバハル。
潮風がレンガ造りの古い町並みを駆け抜ける。
東側には海が水平線まで続いていた。
港町としての歴史は古いものの、土地は痩せているため綿花や干し魚、ぶどう酒を輸出して、代わりに食糧を輸入していた。
昔は栄えたが今は寂れた雰囲気を持つ港町だった。
俺はセリカとミーニャ、ラピシアを連れて街中を歩いていた。
レンガの敷き詰められた道路は埃っぽく、行き交う人々も俯きがちで活気がない。
商店の棚には品が少なく、穀物を売る店も小麦や大麦の取り扱いは少ない。辺境大陸から輸入したトウモロコシだけは豊富だった。
――リオネル頑張っているな。
たとえ食べ慣れた小麦じゃなくとも、食料が人々に行き渡ることは良い傾向だった。
そして、寂れている割には商人風の男女と多くすれ違った。
「寂れてるようだな……やはり病気が原因か?」
俺の言葉にセリカが金髪を揺らして首を傾げた。
「どうでしょう? もともと陸路がなく、貿易で成り立っていた町なので。海に魔物が増えてからはそうとう厳しかっただろうと思います」
「なるほどな。その割りに商人は多く見かけるが……」
「はい、ケイカさまが作られた辺境大陸村との貿易中継港として機能し始めたようです」
「港町にとっては一大転機だな……そうか、人口流入が原因か」
セリカが首を傾げる。
「どういうことでしょう?」
「健康な人や一度病気になって抵抗力を手に入れた人は発病しないが、病気自体は持っている可能性がある。人が多く訪れると病気への抵抗がない人に感染するリスクが高まる」
「なるほど……人の流入はよいことだけではないのですね。さすがケイカさまです。ということは、辺境大陸との交流だけでなくナーガさんたちも病気を運ぶ可能性があるのでしょうか?」
「もちろんある……ただドルアースで疫病が発生したという話は聞かない。セリカやミーニャ、リオネルが辺境大陸へ行っても病気にはならなかった。病気の原因はなんだろうな……」
――と。
寂れた大通りを歩いていると、怒鳴り声が聞こえた。
「売れねぇっつってんだろ! 出てけ!」
ドンッ! と鈍い音と共に、一軒の店から少女が転がり出てきた。
少女は上体を起こしつつ、悲しげな顔で手を差し出す。
銀貨が数枚、握られていた。
「お願いです……おくすり売ってください……」
店の入口に背の高い男が現れる。禿げ上がった頭に鉢巻を締め、太い腕を胸の前で組む。
「そんなはした金で売れるかよ! 帰れ!」
「でも、お父さんと、お母さんが……」
「知らねぇな! ――んっ? なんだよ?」
俺は少女と男の間に割って入りつつ、懐から銀色の大きなメダル【勇者の証】を取り出した。
「子供に暴力を振るうのを見ると、お前は魔王軍の残党か?」
「げぇっ! 勇者――じゃない、ケイカさま! いやいや、そんなことはないですよ。ただ正規の料金ってものがありますんで、へへへっ」
ハゲ男は愛想笑いを浮かべて揉み手を始めた。
倒れた少女にはセリカが駆け寄り、助け起こしていた。
「大丈夫ですか?」
「ありがとうございます……お姉さん」
「――怪我はしていないようで……こ、これは!」
セリカの青い瞳が丸く見開かれる。
少女の手にはミミズ腫れのような、赤い筋が幾つも付いていた。
俺はハゲ男を睨みつける。
「あの少女の手……お前が怪我させたのか」
「ちっ、違いますよ! ありゃあ、最近流行り出した病気でさぁ! 俺は何にもしてねぇっすよ! 本当ですよ!」
必死で弁解するハゲ男。頭に冷や汗が浮かんでキラリと光る。
「ほう、あれが病気の症状か。どんな感じなんだ?」
「幻火傷病って呼ばれてます。火に近付いたわけでもねぇのに、皮膚が火傷みてぇに爛れていく病気でさぁ」
「原因はわかってるのか? それと薬は?」
ハゲは首を振った。汗が頬を伝っていく。
「原因はわかってませんねぇ。薬もほとんど効かなくて……。重症患者には万病回復薬しか効かないんでさぁ」
「高そうな薬だな」
「へぇ。薬の中では一番高いです。薬瓶1本につき大金貨10枚(100万円)はもらわねぇといけません……なんせ、原料の世界樹の葉がめったに出回りませんで。半年ぐらい前に一度、王都に持ち込まれただけで、あとはさっぱりで」
「つおい!」
なぜか突然ラピシアが両手を挙げてガッツポーズした。ドヤ顔で鼻息が荒い。
――コロンビアかよ。
意味がわからないが、放っておく。
俺は腕組みをして考える。
「世界樹の葉があれば治せるのか……あいつの葉っぱ、全部むしり取ってこようか」
「それはダメなの!」
ラピシアがちっちゃな拳を振り上げて抗議する。
「なんでだ? どうせまた生えてくるだろう?」
「友達だから!」
「ん~、ラピシアの友達と言うことに免じて、今回は地道に原因突き止めるしかないか。面倒だけど」
「うん!」
ラピシアが白いワンピースを揺らして笑顔になった。
ハゲ親父に言う。
「病気の原因に気付いたら教えてくれ」
「も、もちろんだとも!」
へへへっ、と愛想笑いをすると、逃げるように店へ戻っていった。
俺はセリカに介抱されている少女の傍へ行く。
「大丈夫か?」
「はい……勇者さま。あえて、会えて、嬉しいです……っ! どうか、お父さんとお母さんを、助けてくださいっ」
「もちろんだ。その前にまずお前からだな――《快癒》」
手のひらから青い光を発する。
少女のケロイド状だった腕がみるみるうちに綺麗になる。
――ん? 意外とあっさり治ったな。熱や咳もない。
だったら病気に対する免疫はできてるはずだから、残りも魔法で治せばいいんじゃないか?
うん、そうしよう。
少女は自分の両手を眺めてかすかに震え出す。そして透明な涙が頬を伝った。
「勇者さま……っ! ありがとうございます、ありがとうございますっ!」
「気にするな。勇者として当然のことをしたまでだ」
隣でセリカが感心したため息を漏らす。
「さすがケイカさまです……いつにも増して素晴らしいですわ」
「当然。ケイカお兄ちゃんはいつもすごい」
ミーニャが嬉しそうに尻尾を振りながら淡々と言った。
少女は元気に立ち上がると、思いっきり深く頭を下げた。
「勇者さま! お父さんとお母さんも、ぜひ治してください! お願いします!」
「もちろんだ。案内してくれ――名前は?」
「ティセって言います! 勇者さまっ!」
少女ティセは涙を散らして微笑むと、先に立って歩き出した。
何度も何度も俺を振り返りながら。
大通りを逸れて細い路地へと入っていく中、潮風が心地よく黒髪を揺らしていった。