第235話 魔法の蟻
浮遊大陸中央の黒い立方体の建物の中で、俺は魔王と戦っていた。
けれども、どれだけ攻撃しても当たらない。
ひらりひらりとかわしながら、ヴァーヌスは嘲笑をやめない。
「必死だねぇ! どうして無駄なことだとわからないのかなぁ? ――ほら、見てよ! ドルアースだけじゃないよ! ほら、ほら!」
黒い壁に囲まれた室内に浮かぶ、無数のスクリーン。
ヴァーヌスが幾つも指差していく。
画面の一つには灰色の石材で作られた堅牢な町並が映し出されていた。
対照的に白い尖塔を持つ白亜の城が遠目に栄える。
ダフネス王国の王都クロエ。
忽然と飛翔系の魔物が空を覆い、王都を取り囲むように押し寄せる。
気付いた見張りが、そして街門付近の人々が悲鳴を上げる。
「うわ、なんだ!?」「魔物だ! 魔物が空から!」「きゃああ!」
別の画面では緑が広がっていた。
ケイカ村の北に広がる大森林地帯。
その東側にある隠れた世界樹とエルフの村に、無機質な蟻に似た魔物が押し寄せる。
巨大な牙で目の前の大木をやすやすと切る。
森を荒廃させながら巨大な蟻たちは進軍した。
隣にいたセリカが口を押さえて切ない悲鳴を上げる。
「あぁっ、あれは!」
険しい山並みに囲まれた高原の小国エーデルシュタイン。
湖の上に立つ瀟洒な城と、傍に広がる城下町にも魔物の群れが波のように押し寄せた。
カッと頭に血が昇り、全力で太刀を振るう。和服の裾が乱れた。
「やめろ! 俺を倒せばいいだろうが! ――《烈風斬》!」
――が、風の衝撃波を伴う横薙ぎの剣撃は、体を真横に倒しただけで簡単にかわされてしまった。
その姿勢のまま、ヴァーヌスはニヤニヤ笑って見上げてくる。
「くふふっ、気に入ってくれたみたいだね? ……そうだよねぇ、みんな君が無駄な努力を重ねたところばかりだもんねぇ! 村は落とせなかったけど、これだけ広範囲に襲ったら守りきれないよねぇ! ――あはは、今の君の顔、最高だよぉ! 溺れる犬みたいで!」
「どこまでひどい人なんでしょう、あなたは!」
見かねたセリカが金髪を揺らして加勢する。
細身の剣が薄暗い部屋に輝く。
ヴァーヌスは画面を見ながらかわしていく。その速度が速くなる。
「ほら、来たよ。ドルアースに押し寄せてきたよ! どれぐらいめちゃくちゃになるかなぁ!」
「どうして壊すことしか考えないのですかっ!」
「どうして? おかしなことを聞くねぇ。……勇者はみんなを助けるって願いを叶えるんでしょ? ――神が約束を守れなかったら、どうなるのかなぁ?」
「く……っ!」
――神がかなえると誓った願いを叶えられなければ、神失格となる。
邪神か禍津神になるだろう。
そしたら、俺は――。
切っ先に迷いが生じた。セリカの細剣も同時にブレる。
バシィッ!
ヴァーヌスは俯いて、両手で太刀と細剣を掴んだ。
くくくっと笑いながら、ゆっくりと顔を上げる。
「ファルカンは倒されたみたいだし、新しい手下を増やすのも一興じゃないかなぁ? くふふっ!」
――それが、狙いか!
このまま俺は邪神になって、魔王ヴァーヌスの言いなりになるのか。
ああ、映像の編集権を奪ったのも、俺がもっとも精神的ダメージを受けそうな場面を見せるためか。
……よく考えてるな。
これは、まずい。
掴まれた太刀は動かない。俺の額から汗が流れて頬を伝った。
隣のセリカも同じく細剣を捕まれて動けない。
彼女は震える声で言う。
「ケイカさま、お気を確かに……」
「無駄だよ。君は誰も救えないんだから! できもしない約束をしたばっかりにねぇ! ほら、もう終わりさ!」
ヴァーヌスがスクリーンを指差した。
画面いっぱいに広がる青い海。
――しかし、沖のほうから黒い波が激しい勢いで押し寄せる。
魚? 人?
いや、違う。
無数の半魚人の群れだった。
全身は汚い色の鱗に覆われ、首筋にはエラがあった。
海面を地面のように走ってくる。
群れを率いて先頭を走る半漁人が一際大きかった。
腕が四本もある。なんとなくシーラカンスを思わせた。
真理眼で見る。
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【ステータス】
名 前:フォルティウス
種 族:悪魔族
職 業:魔王近衛隊海防師団長
クラス:水術師Lv99 悪魔Lv65
属 性:【雷水】【黒魔】
13 2
攻撃力:2万8000
防御力:1万7000
生命力:7万5000
精神力: 6000
【スキル】
水雷球:高温の電撃の玉を投げつける。
瀑布防壁:水炎攻撃無効。
圧縮水牢:超圧縮さえた水の塊に閉じ込めて封印する。
大海嘯:プラズマ化した超高熱の炎を生み出し、攻撃する。大範囲攻撃。
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桁違いの強さの魔物、まだいたのか。
これはナーガたちには荷が重い。
――無理だ。
なにか言おうとしたけれど、なんと言っていいのかもうわからなかった。
ヴァーヌスの笑い声だけが響く。
「これだけの数は防げないよね。可哀想だなぁ。勇者が弱いばっかりに」
しかしミーニャが淡々とした声で言った。腰に手を当てて画面を見ながら、黒い尻尾がはたりと動く。
「そうは、ならない」
「んん? 何の根拠があって言うのかなぁ? ネコちゃん」
「いる」
ミーニャは画面を指差した。
ドルアースの港の出口。
それは大海原に比べたら、とても小さな光だった。
けれども確かに赤く輝いていた。
頭には半透明のクラゲ帽子を被り、白いセーラー水着を着た少女。
短剣を胸の前に構えて、鋭い視線で沖を睨む。
クラゲ少女のルーナだった。
押し寄せる半魚人の大群に物怖じをせず、気丈にも言い放つ。
「街には、行かせない!」
顔の横の触手から、煮えたぎる熱水が放たれる。
エビルスクイッドの技、――《ジェットスラッシュ》か!
先頭の魚人たちが吹き飛ばされる。
間髪いれず、ルーナは波打つ海面を地面のように駆け抜けた。
「やぁぁぁぁ!」
可愛いけれども力強い叫び。
威風堂々たる大海支配者の貫禄を見せつけて、たった一人で大軍に立ち向かった。
セーラ水着の裾をめくり上げつつ、右へ左へとステップを踏む。
触手が嵐のように暴れ周り、鋭い剣技は的確に急所を突いていく。
ルーナが駆ければ、魔物が空へと吹き飛ばされる。
一瞬にして群れを半壊させたルーナは、巨大な半魚人フォルティウスと対峙した。
「くそ……! 我が軍勢をよくも! 死して償うがいい!」
フォルティウスの怒声などそしらぬ顔で、ルーナは細い腰に手を当ててポーズを取る。
顎をツンと上げて睨みつけた。
「おとーさんの願いを無駄にさせない! ――海の平和は、アタイが守るっ!」
ルーナが、全力で突撃する。
激しい火花が散った。
その時、別の画面から悲鳴が上がった。
「もうだめだぁぁ!」「逃げて!」「逃げるってどこへ!!」
見れば王都クロエ。
結界に無数の鳥形悪魔が取り付いていて、黒い半球となっている。
ピシィッと結界にひびが入る。
――もう、王都陥落も時間の問題――。
その時、画面が閃光に包まれた。
ドゴォォ……ン!
激しい音に画面が揺れた。
閃光が消えると、黒雲のように群がっていた魔物はすべて消し飛んでいた。
「な、なんだ……?」
突然の出来事に理解が追いつかない。
そこへ大空を巨大な影が過ぎる。
一匹の緑竜――神話竜アウロラ!
アウロラは俺の千里眼に気付いたのか、口の端をニヤッと緩めて笑う。
「ふんっ。王都を消されたら、また人間相手に演技するのは面倒だからな。勘違いするでないぞ」
ヴァーヌスはギリッと歯を噛みしめながら言った。
「邪魔ばかりするね……。でもいいさ、ドラゴンがここにいるってことは、もう誰も世界樹を守れないよねぇ!」
世界樹のある大森林は、巨大な顎を持つ蟻の群に襲われていた。
バシッ、メリメリメリと木々が次々倒れている。
世界樹は無数の木々を多重に組み合わせて結界を無数に張っているので、森の端から木を刈って結界を無効化しながら進軍しているのだろう。
――でも、アウロラなら間に合うかもしれない。
蟻たちは森を更地にする勢いで、無闇に探し回っている。
村の位置は気付かれていない。
これなら、間に合う!
一時間あれば飛んでこれるはずだ!
千里眼で見ると、エルフたちは武器を手に村の入り口へと集まっていた。
美男の中年、ヤークト族長が言う。
「命に代えても、世界樹さまをお守りするのだ!」
「「「はいっ!」」」
悲壮な決意で唱和するエルフたち。
――持ちこたえてくれ!
そんな俺の心をよそにヴァーヌスがニヤリと笑う。腐臭がした。
「ああ、そんなところに隠れてたんだ」
「え?」
「教えてくれて、あ・り・が・と・う。あはは!」
「しまった!」
俺の視線の動きをたどられた――。
無軌道に動いていた蟻たちが、エルフの隠れ里へと進路を変える。
木々を伐採しながら突き進む。通ったあとには無惨な道が造られた。
なにをやっているんだ、俺は……。
致命的なミスに目の前が真っ暗になる。
ヴァーヌスの楽しげな笑い声が暗い広間に響き続けた。




