第233話 終わりの始まり
浮遊大陸中央にある黒い立方体の建物で、俺は魔王ヴァーヌスにとどめを刺した。
煙が立ち込めて視界を遮る。
ヴァーヌスの持っていた香炉まで叩き割ったせいらしい。
セリカが目頭を押さえつつ、感極まった声で言う。
「ケイカさま――っ! ああ、素晴らしいです! ありがとうございますっ!」
「さすが私の、ケイカお兄ちゃん」
「ケイカ、つおい!」
ミーニャは淡々と、ラピシアは喜びの声を上げる。
創世神のアトラだけは幼い顔を歪めて、信じられないものを見る目付きで大きな瞳を見開いていた。
盛大な紫煙が立ち上る中、俺は煙を避けて後ずさりしながら妖精のハーヤに呼びかける。
『ハーヤ、いい映像取れたか?』
『ばっちり丸見えです~』
『放送のほうはどうだ?』
『データ修復のため少し遅れて放映中ですが。視聴率うなぎのぼりです~』
俺は《千里眼》と《多聞耳》で世界を見た。
ダフネス王国の王都クロエ。
街中に展開された大型スクリーンの前に、人々が集まっていた。
食い入るように、熱心に見ている。
「いけ!」「頑張れ!」「あんなやつに負けないで!」
映像は今まさに片膝を付いた魔王へ太刀を振り下ろしたところだった。
ザンッと派手な音と共に血が飛び散る。
「「「おおおおお!」」」
観衆のどよめきが最高潮に達する。
そのまま喜びと喝采に移り変わって王都が揺れた。
観衆の中にはキンメリクの親父もいた。
「やるじゃねぇか、ケイカ。――おい、お前ら俺は最初っからケイカが魔王を倒すって信じてたんだぜ!」
キンメリクは周りの人々に掴みかかる勢いで喜びを分かち合っていた。
続いて、港町ドルアースを見た。
街のあちこちに表示されたスクリーンを人とナーガが見つめていた。
「さすがは勇者ケイカだ!」「勇者ケイカばんざい!」
人々が騒ぐ中、一際体格の良いナーガ――族長のダリアが、たくましい腕を振り上げて叫ぶ。
「こら、お前たち! ケイカさまを呼び捨てにするとは何事だ! 『さま』をつけんか、『さま』を!」
「「「はい! ダリア姉さん!!」」」
和気あいあいと俺を讃え始めた。
他の町や村も、人々は歓喜の声をあげ、拍手喝さいだった。
神話竜ドラゴンのアウロラが住む、グリーン山の洞窟にもスクリーンが投影されていた。
アウロラは口元を緩めつつも、何かを見通すようにじっと見つめていた。
一番喜びそうな侯爵の姿は見えない。
最後にケイカ村を見た。
人や獣人が他の町と同じように騒いでいた。
涙を流して喜ぶ人までいる。
そんな様子をエトワールが代官屋敷の窓から見下ろしていた。波打つ赤髪が風に揺れる。
「さすがケイカさまですわ。――さあ、お祝いの準備をしなくては」
赤い瞳を潤ませつつ、声を弾ませていた。
一方その頃。
浮遊大陸はリリールとリヴィアの力によって、ファブリカ王国の王都インダストリア付近に来ていた。
すでに幻影障壁は破壊されているため、人々の目からも海上に浮かぶ不気味な島を視認できているようす。
「なんだあれは!」「し、島が飛んでる!」「あれが魔王の……!」
街のあちこちに大型スクリーンが投影され、少年魔王の横暴さと、立ち向かう俺の姿が映し出されていた。
そして同じように拍手喝さい。
全世界の人々に認められ、俺の信者はこの瞬間だけで数万増えた――。
◇ ◇ ◇
場所は戻って浮遊大陸中央の建物。
黒い石でできただだっ広い部屋の中、創世神アトラの「ひやぁぁ」という気の抜けた悲鳴が響いていた。
ラピシアが手足を使って背後から抱きついている上に、また噛み付いたためらしい。
が、俺は太刀を構えたまま、立ちこめる紫煙から目を離せなかった。
――この煙、千里眼でも見通せない……っ!
セリカが金髪とたわわな胸を揺らしつつ傍へ来る。
「お疲れ様でした、ケイカさま。……ケイカさま? どうされました?」
「セリカ、ミーニャ、ラピシア。油断するな」
「え!?」
煙が次第に消えていく。
真っ先に叫んだのはアトラだった。
「はわわ! 偉いのです! さすがヴァーヌスさまなのですっ!」
ヴァーヌスのところへ行こうとするアトラの後ろから、ラピシアが白い柔肌に歯を立てる。
「がぶぶ~」
「ひゃああ~!」
ますます、ゆ~っくりとしか歩けなくなるアトラ。
そんなおかしな状況を目の端で追いながらも、チッと思わず舌打ちした。
煙が晴れていく中で、ヴァーヌスがゆらりと立ち上がる。
「ねぇ、渾身の一撃が無駄に終わって、今どんな気分? 僕は無意味な行為をしたことがないからわからなくって。教えてくれないかなぁ?」
幼さの残る少年顔に、侮蔑する笑みを浮かべていた。
ギリッと奥歯を噛み締めながら言い返す。
「お前……条件に嘘を混じらせていたのか……?」
魔王を倒すには、聖剣と勇者スキル――魔王撃滅閃が必要なはずだった。逆にそれさえあればいいはずだった。
ヴァーヌスは口に手を当てて、くくくっ、と笑いを押し殺す。
「無力な雑魚だからって、言いがかりはやめて欲しいなぁ。単に君の実力が足りなかっただけなんだよ? ――あ、でもさぁ」
「なんだ?」
「全世界にこの戦いを放送してたんだね……。それはちょっと許せないかなぁ?」
「なんだと? やましいことがないなら、別に構わないだろう」
ヴァーヌスは首を振った。黒髪がサラサラと光る。
「別に放送するのは構わないさ。でも、編集権を愚か者たちが握っているのは、偉大なる僕に対する許されない反逆行為なんだよなぁ。すべては僕の許可が必要だからね」
「ふんっ。どこまでも傲慢な奴だ。どんな子供時代をすごしたら、そこまで歪んだ性格になるんだ」
ヴァーヌスは顔に掛かった前髪を手で払いながら言った。
「歪んだ? 下衆な勘ぐりは辞めてもらえないかなぁ……見てのとおり、僕はとても裕福な家庭で育ったんだ。幼い頃から優秀だったからね、両親や周りの大人もすべて馬鹿としか思えなかったよ」
そして、視線を少し遠くへ向けて、思い出し笑いをした。
呆れた吐息しか出ない。
「子供にありがちな全能感だな。生きるってどういうことか知らずに、大人になっただけだ。――ただ、これだけは言っておく。すべてを失うぐらいの挫折を味わって、初めて未来に向かって本気になれるんだよ!」
俺は神として傲慢に振舞い、その結果、自分の神社も信者も何もかも失った。
だからこそ偶然手に入れたチャンスに、必死で考え、足掻き、再起を図った。
――誰もが必死で生きている。端から見ると愚かに見えても、本人は必死で頑張っているんだ。
俺と戦って最後まで引かなかった魔王四天王のエビルスクイッド。
確かに死に急ぐのは馬鹿のすることだ。
でも、四天王たる自分を信じて、魔物たちにとっての住み安い世界を目指して死んでいった部下達の想いを裏切らないために、心変わりできなかった彼は愚か者だろうか?
自分を高貴な存在だと信じ、地べたを這いずり回るような生き方をしながら、ようやく手に入れた女王の地位にしがみついたチーシャだってそうだ。
彼女がただの村娘や冒険者に戻って生き延びたとして、彼女は生きたことになるだろうか?
隣にいるセリカがヴァーヌスを青い瞳で睨みつけながら、真剣な声で叱咤する。
「ケイカさまの言うとおりですわ! 一生懸命生きてきたケイカさまや他の方々を、愚弄することは許せません!」
ミーニャもまた、巫女服を揺らして顎をツンッと上げた。
「どんなに汚い方法を使ってきても、ケイカお兄ちゃんは正攻法で、必ず、勝つ」
凛とした澄んだ声で言い切った。
もちろん俺たちの想いなど少年魔王のヴァーヌスには届かなかった。
呆れて肩をすくめつつ、吐き捨てるように言った。
「くっだらない。無力な愚者どもが言いそうなことだよ。――まあ、もういいさ。これからは僕が直接放送するして、その間違いを正してあげるから」
ヴァーヌスは小顔の横に手を上げると、指を鳴らした。
そのとたん、魔法の光だけが照らす薄暗い部屋に、無数のスクリーンが映し出された。
画面に映る光景は、俺の良く知った町や村。
急に映像が消えて戸惑う人々が見て取れた。
思わず疑問が口から出ていた。
「何をする気だ?」
「君がいかに無力かってことを教えてあげるのさ。……そうだね、まずは自分の名前を付けるなんていうおこがましいマネをした、ケイカ村がいいかな? ――異形召喚」
ゾクッと、背筋にとてつもない嫌な予感が走った。
「――ッ!? やめろ――ッ!」
俺は太刀を構えつつ、黒い床を蹴った。
しかしヴァーヌスは一瞬早く、一歩踏み出しながら手を振った。床に散らばる香炉の残骸を踏んで、ザリッと耳障りな音を立てる。
ギィン――ッ!
俺の渾身の一撃は、ヴァーヌスによって防がれた。
黒いオーラで覆われた右手で太刀を受け止め、ニヤリと笑う。
「同じ方法が通じるとでも思ったの? ……やれやれ、これだから学習能力のない馬鹿は困るよ」
くすくすとおかしそうに笑いながら、左手を伸ばして一つの画面を指差した。
横目で見る。
画面には、ケイカ村が映っていた。
スクリーンからの映像が途切れてどよめく村人たちが見える。みんな見知った顔だ。
「ほら、始まるよ」
ヴァーヌスの声と共に「ウヲォォォ!」と大地をとどろかす響きが聞こえた。
村の四方から、無数の黒い獣たちが押し寄せる。
「なんだ!?」「な、なんなの!?」「ま、魔物だ!」「うわぁ! 助けてぇ!」
人々は驚き戸惑うばかり。
ケイカ村が。
俺が一生懸命、力と知識を注いだ村が、魔物の大軍に襲われようとしていた。
俺は太刀を握る手に力を込める。
「やめろ――ッ! 村人は関係ないだろうが!」
筋肉が盛り上がり、腕が震えるほどの力を込めたが、掴まれた太刀はびくともしない。
「何言ってるんだい? 同罪だよ。恨むんなら、自分の弱さと愚かさを恨むんだねっ。あははっ」
太刀を掴みながら、高笑いするヴァーヌス。
和服を揺らして、さらなる力を込めたが、無駄だった。
魔物がケイカ村を取り囲む。
魔物避けの結界が張ってあるので入れない。
腐っても神の技。
並みの魔物になんか破れるはずはない。
――が。
他の魔物たちよりも数倍背の高い魔物が現れ、群れを掻き分けて前に出てきた。
背中に翼を持つ牛のような格好をしている。ミノタウロスかと思った。
とっさに真理眼で見る。
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【ステータス】
名 前:ハミー
種 族:悪魔族
職 業:魔王近衛隊輜重部隊長
クラス:炎術師Lv99 悪魔Lv70
属 性:【劫火】【大魔】
攻撃力:1万2000
防御力:2万1000
生命力:5万5000
精神力:14万3000
【スキル】
大火球:巨大な火の玉を投げつける。範囲ダメージ。
火炎防壁:火炎攻撃無効。
地獄劫火:灼熱の炎を召喚し、辺り一帯を焼き払う。範囲攻撃。継続火ダメージ。
始原光炎波:プラズマ化した超高熱の炎を生み出し、攻撃する。大範囲攻撃。
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――強い!
ファルカン並の強さ!
ハミーが村を見下ろしながら両手を掲げた。
すると、巨大な両腕の間に、眩いばかりの光が生まれた。
――いきなり、始原光炎波か!
「ああ――っ! くそぉ!」
俺は映像を見ながら歯軋りした。
結界をもっと強く張っておけばよかった!
人々の出入りを考慮して弱く張るんじゃなかった!
――でも、後悔しても、もう遅かった。
「あははっ。村は半分消滅するねっ! どうどう? 今までやってきたことがすべて無駄になる瞬間の気持ちって!」
心の底から楽しそうに、ヴァーヌスは笑った。
蟻の行列を踏み潰す子供のように、無邪気で残忍な笑みだった。
「くそったれぇぇ!」
俺の攻撃などびくともしない。
映し出された画面の中で、ハミーが腕を振り下ろす。
巨大な閃光が村へと向かった――。
ドゴォォォ――ンッ!
激しい爆発音と共に、画面が閃光に包まれた。
ケイカ村の危機。終わりまであと少し(たぶん)。
できるだけ毎日更新するつもりです。最低でも3日に一度は更新します。